Flores Labuhanbajo  Kelimtu Komodo
Photo Kelimutu Pena
Photo Labhanbajo Komodo

南の天国と恐怖

お話は、別の世界に変わります。また、旅に出ました。どこへかというと、フローレス島の西の端、ラブハンバジョという町にいる。何故ここかと云うと、すでに行ったことがあるフローレスのクリムトゥとコモド島の両方に行ってみたかったし、その間のフローレス島の雰囲気もこの目で確かめたかったからです。

 あさ、05:00に家を出てスカルノハッタへ、08:30発ウングラライ(バリ)行きのライオンエラーでジャカルタヲでた。ボーイング737、満席で400人以上は乗っていたと思う。バリから13:00発の、機体を見てびょっとした。例のムルパティがパプアに南の海についらくして25人全員亡くなったという事故があったばかり、同じ機種Xian MA-60だった。新しい、多分2008年ごろのものだと推測する。ブラックボックスが回収されたのは知っているが、大統領が事故の原因究明を急ぐようにと云ったばかり、まだ、原因がわかっていなし、事故がインドネシアだけではなく、他の国でも起きているから、この機種では無いことを願っていた、ライオンよ、お前もこの機種を買っていたのかと思った。

 数え切れない回数、飛行機に乗っているが、落ちるのを心配たことはなかったが、今回は、落ちないことを願った。そして、今日ほど真剣にキャビンアテンダントの説明を真剣に聞いたことはなかった。そして、直ぐそばの非常飛びだし口の扉の開け方を読んだ。もっとも、今日のアテンダントの女性は秀逸だった。2番に座った私のすぐ前いて、私と目が合うことが多かった。飛んでいる最中は危険な飛行機ということを忘れてしまっていた。それほどが高くない飛行なので、下の景色も良く見えた。スンバワから東は多くの島が点在していて、これも、危険を忘れる条件の一つだった。

 無事に着陸してほっとしたラブハンバジョ空港の名前はコモド空港でした。丘の上にあるが、本当に島の西の端から二三百Mにあった。街は車で10分ほど丘から下りて海沿いの港町。本当に田舎の町である。それでも、コモド島への出発港なので、欧米人の姿が目に付く、また、観光ガイドの店も多かったし、ダイビングの店も多かった。

 

 町はずれのジャヤカルタというホテルに今いる。今日一日はただホテルに到着しただけで、ほかのどこにも行っていない。テレビではムルパティ墜落機の残骸を何度も写しだしているし、パイロットの葬式の様子も流していた。帰りに、また、同じ機種に乗ることになると思うと、気が重くなる。

  流石にホテルからのサンセットは美しかった。沖の三角おにぎりの島々も一興だ。

 

天国 憩い 気楽

5月15日 (^_-)-南の島の車酔い恐怖

07:00ホテルから出発、東へ向かった。直線距離は350kmくらいだが、曲がりくねった山道がほとんどで、多分550kmくらい走った。エンデへ着いたのが、20:00夕食を取ってクリムトゥのベースになるモニの安宿に就いたのが21:00を回っていた。それだけでも、相当疲れる行程だったが、それはそれでいいのだが、今回はそれ以外に、車酔いがきつかった。いつも自分で運転している私が、こんなに長い時間他人の運転だけで旅をしたことが無かったことに加え、今朝の食事がいけなかった。ご飯を一杯食べた上に、美味しそうだったので、パンケーキを頬張ってしまった。

一時間ほど走った頃から、例の甘いもの食べてしまった時の胆汁が上がってきて吐き気がひどくなってしまい、それを暫くこらえていたら、頭がくらくらしてきて、吐き気がどんどんひどくなってきた。運転を止めてもらっていつものように水をがぶがぶ飲んで吐き出す物を全てはいてしまった。いつもならこれですっきりするのだが今日は違った。

聞いてはいたが、道の状態のヒドイことこの上なし、大型同士がすれ違うのはどけで出来るのだろうかと思うくらいの道の狭さ、曲がりくねりも相当なもの前が見えない状態でくねくね曲がっている。登り下りも激しい、登りの先の道の状態がみえない坂道の連続、ヘアーピンカーブはいろは坂の100倍以上である。完全に車酔いの状態になってしまった。67年生きていて始めて経験することだった。辛い辛い、とにかく目的地まで速くいかなければならないが、何度も、車から降ろしてもらって吐く物が無いにも関わらず水を飲んで吐いた。私は食事をまったくとらなかったが、二人の運転手には途中、ワルンによって簡単な食事を取ってもらった。私も車から降りで二人が食べている間、テーブルに臥して寝ていた。支払いは私。

景色どころでは無かったし、写真どころでは無かった。ただひたすら車酔いの中にどっぷりつかっていた。

只、一か所、ちょっとした丘の上から見下ろした田圃の風景が素晴らしかった。インドネシアでは当り前の広大な棚田のことではなく、放射状に田んぼのあぜ道を作ってあって底の人は蜘蛛の巣田圃と云っていた。なぜ、そうしたのかを聞き忘れた。でも、この状態の田圃は世界でここだけでしょうと、自慢げに土地の人が云っていた。

 

ここ、モニは二回目である。6年ほど前に来ている。真っ暗で何も見えない。明日にならないと、部落の様子は分からない。

車酔い 初体験 参った

5月16日 (^_-)-昔ながらの部落

 04:00起き04:30出発でクリムトゥの日の出を見に行く。駐車場から30分ほどで展望台に付く05:45ころサンサイズ、水色の水がある火口のちょっと左から登る。二回目の経験である。欧米人がほとんど、インドネシア人がちらほら、日本人は私一人でした。やはり息苦しい、前回もそうだったが、毒ガスとは思えないが、上昇してくるガスによって酸素の%が少なくなっているのだろうと思う。今回も、インドネシア人が最近四人亡くなったという話を聞かされた。それでも、入山を禁止しないのがインドネシアです。

 

サンライズは前回同様、天気に恵まれてすばらしかった。日の出に手を合せて拝むのは万国共通の様で、カソリックもイスラムもブッディストも太陽に向かって手を合わせていた。ブロモの時も同じです。

結局、一時間待ったが、奥の黒の火口に霧が晴れず、見ることなく下山をした。途中、これも前回と同じで、コカコーラ色の火口を覗いた。これがコカコーラ色ではなく、水色に変わっていた。流石、色が変わる火口湖だと納得した。

 

 08:00にはモニのバンガローへ戻って軽い朝食、08:30チェックアウト、エンデに戻り、海岸沿いを西に戻った。昨日と逆である。昨日と打って変って、体調は回復、車酔いなど誰のこと?状態の快適さでした。

 また、ひたすら車を走らせ、バジャワに入るちょっと手前を左に曲がって伝統的な生活をしているカンプンアダット(昔ながらの部落)ウバーとベナを訪ねた。その前に展望台から見下ろすと数か所以上のそういう部落を見おろすことが出来た。うちの二か所に行ってみた。ここも大変よい天気に恵まれた。これがもし、天気が悪かったり、霧に閉ざされていたりしたら、どこへ何を見に来たのか分からなくなるでしょう。

ガルットのカンプンナガより遥かに田舎の町からは遠い山の中に住んでいるが、電気は使えるようになっている。燃料は枯れ木でLPGは使っていなかった。

インドネシアにはこういう場所が、数え切れないほどある。現代文化と云うか弁明と云うか、そういうものを拒否して、ひたすら昔のままの生活をしているのには十分な理由があってのことだと思うが、彼らの生活を見ていると、子供達が可哀そうな気がする。

 

バジャワのホテルにいる。今日もつかれた。

 部落 隔離 火口湖

5月17日 (^_-)-アルコールの恐怖再び

  HPの電波が弱い場所にいるので、テルコムセルしか使えず、メールは読めるが送信できない状態になっている。

ルーテンを通過してプラブハンバジョへ戻った。08:00出発、途中バジャワを出た処で、道の両側にガソリンを売っている風景が見えてきた。ガソリンにしては黄色みが薄い。運転手に聞いたらアラックだという。地酒のことだ。醸造をここかしこでしていて道端で売っているのだという。「それじゃ、寄ってみようよ、友達への土産にするから」といって、お勧めのところで止めてもらった。原料はロンタルと云って椰子のような木になる茶褐色の果物で、椰子の実の一種と云ってもいいかもしれません。熟れると甘い臭いがします。その実は黒砂糖を原料ですが、花(独特な形をしている、後に写真を紹介する)を搾って白い汁を溜め、三日過ぎると発酵をし始めるらしい。それを蒸留すれば出来上がり、名前はArac Aimereという。45%アルコールです。

 写真は火をつけて燃やしているところと、蒸留装置の一部、上にその原料になる薄緑色の二股に分かれた花(のように見えないが)です。

 他人に土産に買って行くのに、私が飲んでないと云ってはまずいので、まったくアルコールを受けつかない私ですが、覚悟を決めて,一舐めしてみた。確かに強烈なアルコールを何十年かぶりに感じた。臭いをもう一度嗅いで、舐めただけでは、危険かどうか分からないので、アクアのボトルのキャップ一杯ついでもらって、半分ほどをストレートで飲んでしまった。暫くして、死ぬようなことはないなと思って、土産にとアクアボトルの普通を4本と倍以上のボトルを一本買った。合計普通が6本と云うことにして30万Rp払った。

 その直後いから、頭ががんがんし出して、体中が熱くなってきた。飲んでから5分後くらいだったと思う。立っていられなくなった。そこの人も運転手もびっくりして、気絶かと思ったのでしょう。私を抱え込んで地べたに寝かせようとした。私はこらえて、椅子に座らせてもらった。まったくアルコールの消化能力が無く、直ぐに全量が血液中に流れ込んでしまうのです。それは昔から分かっていて、勿論、飲めないし、皆さんに迷惑をかける場合を心配して飲まないのです。

 今回は、仕方なく飲んで、ほんの少量だったので、その後、10分ほどして、頭の痛みが和らいで、皆さんに心配かけたことをあやまってその場を離れた。運転手は、大丈夫かと、何回も繰り返して聞いてきた。その後、1時間後にはほてりも無くなって、普通に戻った。皆さん、飲んでくれるでしょうか、私が決死の覚悟で少しだけでも飲んだのですから、アルコールなら何でもいいという皆さんです。飲んでくれるでしょう、最初は黙って出そうと思う。

  行きの時と同じ山また山の曲がりくねった道だったが、車酔いはまったくなし、酒酔いだけだった。

 途中に何箇所も同じような地酒を売っている場所があった。

広大な田園風景も広がっていたが、今は、収穫の季節なのでしょうか、収穫が終わった場所が多く、実った稲を殆ど見ることが出来なかった。

 

 ルーテンは通過するだけだった。18:00前にはプラブハンバジョへ到着したが雲の状態が悪くてサンセットには恵まれなかった。中途半端なサンセットしか撮れなかった。

 地酒 田園 収穫

5月18日 (^_-)-潮流の恐怖

 まともに7時とか8時に出発することは殆ど無いのが私の旅です。今日も朝14:30に起きて、05:00出発でコモド島へ向かった。まだ、真っ暗である。途中振り向けばフローレスの山の方からの日の出を見ることが出来た。

 08:00前にコモド島へ到着、多分、7~8年ぶりだと思う。当然、事務所も新しくなっていて、以前の事務所はレストランとか売店になっていた。上陸の申請とトレッキングの申し込みをする。ジャワ島の最南西端のウジュンクロンと同じ手続きです。20万Rpほど支払った。

 早速、ガイドと共にトレッキングを始めた。これも、同じで、物干し竿を持ち上げて高い位置に竿を掛ける先端が二股に別れた木の枝を持ってガイドが先頭を進む。コースは以前と、全く変わっていない。短、中、長の三コースがあって、私は長の二時間コースで行くことにした。レンジャーが住んでいる近くに何頭かいるのは知っているが、私は、その寝そべって怠け者のコモドではなく、完全に自立して野生になって野豚や野ネズミ、場合によっては鹿などを襲って生活しているコモドに会いたくて長いコースを選んだ。殆ど平らな道の両側や頭上に注意を払いながら進む、途中野鳥や野豚に会うが肝心なコモドの姿が見えない。ガイドは、必ず会えると自信がありげだった。平坦からごつごつした岩山に登り始めて直ぐにガイドが三頭見つけた。木陰でくつろいでいるが、回りに油断をしていないぞという感じで頭を持ち上げていた。

いたいた、その自立しているコモドに会うことが出来た。パンガンダランで、ラフレシアに会うことと同じ快感を得られる。野鳥の宝庫でもあるから、その方に興味がある人も十分満足することが出来るコースだと思う、ちなみに中は一時間コースで平坦な道をぐるっと回ってきて最期の出発地点のすぐ手前で寝そべったコモドを数頭眺め、土産物売り場を通って桟橋へ戻る。どうも、このコースが一般的のようです。

 コモド島は、ラブハンバジョに属する最大の島で、コモドが棲息している辺りの他に部落を訪ねたり、シュノーケリングやダイビングを楽しんだりすることが出来る。私は、日帰りなので、水泳をすることにした。ダイビングスポットに何艘も宿泊できる船が着ていて、そこから、欧米人がつぎつぎと海は入ってシュノーケリングをしている。パシルメラという海岸の200mほど沖にアンカーを降ろさないで、船を留まらせておいて、海岸までの間で海の中を眺める。上陸するにはその200m程を泳がなければならない。水泳には自信があるので、道具は一切使わず、ちょっと水をかぶって飛び込んだ。以前もここで泳いだので知ってはいたが、流れの速さにびっくり、秒速1m以上はあると感じた。平泳ぎではまったく海流の速度にかなわない。クロールでやっと後ずさりしない程度だった。

 若いころ、数キロ流されてやっと浜に這い上がったという経験が蘇って、びっくりして、船に戻って、再び飛び込み今度は海岸へ直角ではなく、海流に逆らって45度の方向へ向けて泳ぎ出した。これでやっと浜に上陸できたが、泳いだ距離は300m以上だった。この回りの海は船から見ると湖のように穏やかだが流れは急です。船に戻る時は逆に船の斜め45度くらいの海流の上流から泳ぎ出した。67の爺さんがやることでは無いなと思ったが、やはりせっかく来たのだから、海の中を見たいのは当然だと思う。

船の上から眺めているのでは、そこにいる意味が無い。

 13:00過ぎにコモドを後にした。と云うのも、午後になると潮の流れが変わって、大波になるのだそうで、行きより三角波が多くなっていた。だから、日帰りの場合は早朝出発して16:00頃にはプラブハンバジョへ戻るのが常識だそうだ。

 パンガンダランからヌサカンバンガンへ行くときも同じである。どこの海でもそういう常識みたいなものがあるのが普通ですね。

 

 サンセットを眺めに町の丘の上までバイクタクシー(オジェック)で行った。感激とまではいかないが、まあまあだった。

コモド 潮流 過信

5月19日 (^_-)-南のパラダイス

 仕事をしている方々には大変申し訳ないと思いますが、後、一か月でインドネシアからしばらく居なくなるので、ちょっと、長期に出かけていました。

 今は自宅に戻っていますが、11:30頃でした。朝、06:50にラブハンバジョのホテルから出発。08:15のライオンエアーでフローレスを離れた。バリ、ウングラライ到着は10:00過ぎ出発は20:00過ぎにして、バリの観光をした。全て二度以上行った処ばかりだが、私に取っては印象深い思い出が多いところでした。タナロットは14:00ころ行ったが、その時間に居たのは初めてで、太陽の位置が以前と違っているので、明るい、タナロットを見ることが出来たと思う。それと、ニルワナのゴルフ場も近くに見えて、思い出深かった。

 その後、ウルワトゥ寺院の付近からの夕日を眺めてからウングラライ空港へ戻った。ここからの夕日とケチャックを楽しみの大勢の観光客がおしかけていた。夕日の観覧席があるのはここだけか、日の出を見る観覧席はブロモにあった。期待したほどのサンセットは見ることが出来なかったが、一応、バリに寄った効果は少しあった。

 

 フローレスの海岸地帯のちょっとした町はイスラム人が多く、ラブハンバジョも島の外からの移民が多く、イスラムが大半を占めていて、ムスジッドからの大声がうるさい。その点、海岸から離れた間の中の町は原住民で占められ、顔もパプア(イリアンジャヤ)人と殆ど見分けがつかない。島全体では、80%以上がカトリックでイスラムは少数派、そこで、イスラムの人達は、遠慮せざるをえなく、宗教同士で上手くいっていると強調する。イスラムの人たちが小数なら、それほどの問題が無いことを証明している。これが、イスラムが40%位を超えてくると、イスラムの方から、仕掛ける問題が多くなることはマルク、アンボン、ティモールなどで証明されている。島の人々は、だれもが友達の様。すれ違う相手に親しく話しかける。友達かと聞くと、始めてあった人だという。実際、一回あって、話をすれば、顔を覚えてしまって、完全に昔からの知り合いのようになるらしい。

 大きな町へ入っても、運転手やガイドは、挨拶に忙しいし、様子を聞いたり、場所を聞いたりしている、相手も、丁寧に教えていて、仕事の様子や家族の様子まで聞きあっている。こっちはそんなことはどうでもいから前に進もうよと思うのだが。

 

 欧米系のツーリストが多く、アジア系はまったく居ない、彼らは、大きなリックサックを背負って、ミニバスやオジェックや自転車で移動している。街へ入るとリタイヤした欧米人の団体さんも多くみられる。長期でインドネシア中を訪ねて回っている。見ていて、ほほえましい。日本人がスイスやバリへ団体さんで行くように、欧米に年寄りは、日本人の年寄りが二の足を踏むようなところへ団体さんですが、旅を楽しんでいる。

 ちなみに日本人のバリ観光客は震災後15%減っているそうです。はやく、回復することを願います。

  インドネシア内の旅は暫くお預けです。しかし、終わることはないでしょう。

 このフローレスを始め、多くの島々は私にとって天国のような場所が多い。何の不自由もなく、のんびりと暮せる場所だと思う。人々は皆さん、親切である。昔から何かの縁があるような気にさせられる。子供達も多く、山の中の部落には健康な年寄りも多く、世代間の交流やお互いに気を使うという昔ながらの人間関係が出来ているように思う。現代の都会にはまったく無くなった環境や関係です。それが、あるのがすごいと思う。 

フローレス島から登るサンサイズはポンポン船から、コモド島に沈むサンセットはラブハンバジョの高台にあるパラダイスというレストランのテラスから。

親切 接触 縁

5月20日 (^_-)-日本人の行動範囲

 インドネシアの中で、私が旅をしている場所に日本人は全くいないと言っていい。例外がある、バリ辺り、ジョクジャ辺りです。ただしジョクジャ辺りは日本から来たというよりバリからオプションできた人がほとんどです。要するに日本人は老いも若きもバリなのです。ジョクジャ以外にはロンボクも少人数います。ハワイやガムへ行ったことはありませんが、多分、同じでしょうね。とにかくバリは日本語だけで、何の抵抗も無く、躊躇も無く、通せます。黙っていても、ただ、歩いているだけでも現地の人は日本人と分かります。日本語で話しかけてきます。

 昨日も約8時間バリに居ましたが、そのうち5時間ほど、車の外で、インドネシア人の中にいました。多くのインドネシア人から、「何探してるの?」「どこ行くの?」「何かうの?」

などと声を掛けられた。いちいち、相手をしていられないので無視をする、話しかけた方も、返事を期待していないことも分かっている。ただ、日本語しかできない人にとっては、安心する材料になると思う。だから、日本人に人気があるのでしょう。ところが、一歩、バリから出たら、日本語は通じません。ジョウジャもロンボクも日本語ガイドはいますが、町を歩いていて、日本語で話しかけられることはありません。

それら以外の場所は日本語のガイドもいません。英語を話せなければ身動きができません。団体さんのツアーも、旅行会社では企画をしません。しても、成立する可能性がすくないからです。今回のフローレスの旅で一人の日本人にも会っていません。インドネシア国内で仕事をしている人でごく少数の物好きな人がいて、あちこち出かけて見たいという人は、旅する会と云うのがあって、世話好きの方が、企画し、ジャカルタ新聞などで参加者を募集して、各地へ出駆けているようですが、そのくらいのものです。個人で、出駆ける人はほとんどいません。車で出駆けるにしても、運転手が必要ですから、なかなか、実現できないようです。ですから、ゴルフしかない人が絶対多数になってしまう。

 ダイビングの会は今でもあるのでしょうか、知る限りでは、数年前までは、インドネシア各地の海へ潜りに行っていたようです。一回、数日が平均だったようです。釣りの会はあるようですが、遠くへは行かないようです。プラウスリブ辺りが主体で、たまにスマトラ海峡の方へも行くようですが、朝から夕方までの行動ですから、船で遠くへ行くことも無いし、飛行機でどこかへ飛んで、そこから船でという行動もしないようです。

 

 その点、欧米人(オーストラリアも含む)はどこへ行っても会う。それも、個人もいれば、二人もいる、数人もいるし、団体さんもいる。とにかく、どこへ行っても、です。ということは、私がまだ行っていない場所にも彼らは現れているはずです。自転車やバイクで旅をしている人もよく見かける。

 長期滞在も当り前の様で、ロングステイという安宿の看板がどこの田舎町へ行ってもあります。一体彼らはそこで何をしているのでしょうか、疑問ですが、とにかく、そういう商売が成り立っているのです。英語が出来るから、日本人と違う発想ができるのでしょうね。


 タナロット向こうにニルアナゴルフが見える。

  行動範囲 英語圏 バックパッカー