2012年6月2日 また、パンガンダラン
朝06:00に家を出て、パンガンダランへ向かった。途中、バンドンのバイパスを降りて、タフスメダンの店を過ぎたあたりから渋滞が始まった。とにかく二車線が三車線や四車線になっているので、進まない。この渋滞の手前までが2時間の08:00渋滞を抜けたのが、タシクマラヤ県の入口の門辺り、その前で、コンクリート舗装をしていて二車線が一車線になっていたのが原因でした。たったの5km程を一時間掛ってしまった。
後は順調に流れて、13:00に目的のパンガンダラン、西海岸のウミおばさんのワルンへ到着した。途中、速度的にはそう落ちなかったが、バンジーャルサリというバンジャールの南の町の道路が完全に壊れてしまっていて、未だ、雨季の名残で頻繁に雨が降るらしく、車の道は水が10cmほど溜まってしまっていた。両側の歩道はちょっと高いので冠水していない、排水が出来ないので、水の蒸発を待つばかりの様で、手の打ちようが無いらしい。そこで、車がくしゃくしゃの汚れてしまった。
待ちあわせの其のワルンで食事をし、14:00に半島のジャングル(チャガールアラム)へ出発、今日の私の付き添いはイワン君とアア君の兄弟、オーストラリアへ二年の契約で英語の勉強をしにいっているラシッド(元、私のガイド)君の弟たちで、ウミさんの息子達です。彼らに初めて会ったのが、14年ほど前ですから、その時は小学校の低学年で可愛い男の子たちだったのが、今は、いかつい顔をし、色も黒い、サーファーになっていて、ガイドとサーフィンのインストラクターをしている。主に欧米やオーストラリア人が彼らの相手です。私が来た時だけ、日本人の相手、かと、思っていたら、先週一週間ほど日本人の若者が一人で来ていて、今朝、ジャクジャカルタへ出発していたという。その相手も、イワン君がしたとか。皆、自立ができて、立派になってきたと思う。この家族、子供が11人、ウミさんが、皆、生んだのです。子供たちに私のガイドをしてもらって、その報酬をガイドをした子供たちに渡すのでは無く、ウミさんに渡すならわしになっている。子供たちに渡すと、ガイドをした子だけが貰えて、貰った子たちは自分の為だけに使ってしまう。だから、皆に、ウミさんに渡すからウミさんは当然、全員の為に使うから、という話をして、そうしている。今もそうだ。
ところで、残念ながら、パチャール サヤ(私の恋人)に会うことが出来なかった。蕾は沢山あったが、開いているラフレシアが無かった。最近は、私がジャングル入る時は必ず開いている恋人に会えていたのに、今日が落胆でした。
5日にもう一度ジャングルへ入るが、その前日に、ウミさんの今ここにいる息子達、全員の四人で、ジャングルの中へ入って手わけをして、ラフレシアを探して置いてくれること云っていた。期待をしたい。
今回は一人で来ているが、ここにいると、常に数人が集まるところに私はいることになる。ウミさんの子供たちだけでは無く、ガイド仲間やライフガードの連中がウミさんのワルンへ集まってくる。
GOA JEPANゴアジャパンと云って、インドネシア中至る所にある日本兵の隠れ家というか陣地になっていたほら穴がジャングルの入口近くいにある。その地下道の上にそびえている大木。
パンガンダラン 一人 ラフレシア
6月3日 チラチャップ、ヌサカンバンガン
予定通りの行動で、パンガンダタンの西海岸ウミさんのワルンから08:00に車でスタート、バンジャールへ戻る方向に山道をクネクネ30分ほど走ると右側にマジンクラックの標識が見える、そこを右へ曲がって海の方に向かう。登り下りの狭い凸凹道です。山を抜けると、平野に出ます。見渡す限りの田圃です。アスファルトが禿げた道を10kmほど行くと、マジンクラックの漁港に着く。昨日からブッキングしてあった船外機のボートに乗り、チラチャップに向けてスタートです。以前ここから、ヌサカンバンガンの、いつもはパンガンダランの西海岸から一時間半、掛って行く、西海岸へ一度だけ云ったことがあるので、この漁港を知っていた。今回は、西海岸でなく、ジャワ島とヌサカンバンガンの間の海を通ってチラチャップへ行くことにしたが、途中、監獄を見ることが出来る、ということを情報として知っていた。
この海は幅が10kmくらいで長さが、ヌサカンバンガン島と同じ20kmくらいである。一面マングローブしか見えない水路がほとんどである。どうでしょうか、私が知る限りでは、世界で一番広い、マングローブ林の湿地帯ではないかと思うほど、広大です。行けども行けどもマングローブでした。
狭いところで10mほど、広いところが300m以上か、人が住めるような湿地帯では無いので、家は殆ど見ることは無かった。ところどころに、網を張っている場所があり、そこには発泡スチロールの浮があるので、其処は避けなければんらない。
目的の有名な監獄は、船が通過する場所から、一番近くても500mほどヌサカンバンガン島の内陸にある。私が想像していたのと全く違っていて、綺麗な白い塀と壁、屋根はインドネシアにはどこにでも有る赤い茶色でした。四隅に監視塔が見えなければ、これが、監獄とは思えない。ヌサカンバンガンは有名な犯罪者の多くが送り込ませる,泣く子も黙る監獄島と聞いていて、インドネシア人なら誰もが恐れる島です。行ってみれば遠くから写真を取るだけ、上陸して監獄に近づくことはできないと言っていた。私は、上陸して見学を申し込もうよと、ガイドら、ブートの操縦者に提案したのですが、理由もなしに、禁止だと云われてしまった。彼らは恐くて、そういう気分になれないから、そう云っているのだと思う。
だから、私にとっては監獄島と云う印象は全くなく、マンブローブの貴重な林でこれは保護するか、もっともっと成長させなければならないと思った。悪徳政商と云われたボブハッサン、バリ爆発事件の主犯格、アムロジ(この場所で銃殺刑になった)また、スハルト大統領の二男、トミーも汚職で何年か収容されていた。ヘリコプターで自由に出入りしていたとか。
そこを過ぎて、暫く行くとチラチャップの港に到着する。この町の主な風景は、プルタミナの石油備蓄基地と燃料を作り出すコンビナートです。内陸の方から何年か前に来たことがあったが、その場所には行けなかった。上陸して、サテカンビン(ヤギの肉の串焼き)を食べた。ソプ、ブルと云って、ヤギの足のスープです。腿の骨や足の爪先などの肉もそれとわかる姿で、煮込まれていた。いずれも、おいしかった。私の感覚に合っていた。
帰りは11:00チラチャップスタート。殆ど同じ水路を通っていた。流石地元の船の操縦者、迷うことはなかった。帰港する前にヌサカンバンガンのいつも行く海岸へ回ってくれると云うので、任せたが、川の流れと云うか、瀬戸内海の鳴門のごとく、潮の流れがきつい時に当たってしまい、外海からの大波と内陸から外海へ流れ出す勢いがぶつかっている場所は3m以上のパイプラインになっていて私たちの小舟では、突破は無理とわかり、引き返した。
マジンクラックの港へ戻ると、エイが二匹水揚げ垂れていて、売っていた。エイというかもう一匹はマンタのようだった。それぞれ1000円と1300円で買われていった。水族館でしか見とことが無いエイなどを死んだ状態でまじかに眺め、安い金額で売れていく、何となく妙な感じだった。
監獄とサテカンビン、ソプブル。
監獄島 小さい 目立たない
6月4日 色々あるらしい
パンガンダランへは40回を超えたあたりから来た回数がわからなくなっている。50回近いと思う。最初は1997年、同じ会社の同僚二人と三人できた。ガルットを回った片道十五時間かかった。帰りチアミス経由だったが、15時間掛った。それ以来、一人で来たことはまったく無かった。一番、最初一緒だった女性は今、6年間日本での日本語学校や大学の保証人になって生活を手伝って、今は日本人と結婚し、日本に住んでいる人とでした。ウミさんや子供達も全員彼女のことは覚えていて、綺麗なお姉さんだったと今でも話題に出す。それから、日本人も大勢一緒にきた。今、スラバヤで生まれたばかりの赤ちゃんとご主人と一緒に住んでいるマリアさんとも10回以上来ていて、写真集に一番多く登場している。彼女の友達でウミさんの娘さんイヨさんは、私のWEB,SITEの表紙のロブスターの人です。今は、小学校の先生をしていて、職場結婚をした。今回はジョクジャへ子供たちを引率して出駆けていて会えなかったのが残念。ということで、一人はとにかく初めて。ロンボクまで一人で運転して行ってリンジャニ山に登った時、バリまで一人で行ってバトゥール山、アグン山に挑戦した時以来である。その時もかなり色々な誘惑、誘いが有った。
パンガンダランでも、やはり男一人で来ると色々な誘いがあることを15年たって初めて知った。バリでは、何十年も前から、色々あることは知っていたが、パンガンダランよ、お前もか、という感じを受けた。色々詳しくは書けないが、マッサージの女性が色々話をしてくれた。この女性のマッサージが上手で私の体に合っている、毎晩呼んでやってもらっている、一回、一時間半で1千円です。安い。名前はイナさん。だから、日本人の男同士で来ても、何かと楽しむことはあるようです。遠いけれどジャカルタとは違う雰囲気で勿論海や山やジャングルや展望や水泳やダイブやシュノーケリングやヌサカンバンガンや各種遊戯道具やバギー、二、三人乗り自転車は、サーフィン、何といてもラフレシア発見、トレッキング、滝つぼ水泳、ロブスターや大型の蟹や各種魚のシーフード、各種熱帯の果物は当然。ここまでは知っていたが、夜もいろいろ楽しみがあることを知った。ジャカルタ、バンドン辺りで仕事をしている日本人だけでなく、一度、来て色々安く体験したらいいと思う。バリの半額以下で何でも楽しめます。
最近、2007年の地震と津波で喪失した東海岸の砂浜の変わりの砂浜を増やすための縦に防潮堤が作られている、それを使って桟橋にし、バリのヌサドゥアように、バナナボートやマリンジェットやパラセーリングも出来るようになった。これはバリの真似で、パンガンダランらしくないと思うが、評判はどうでしょうか、客はインドネネシア人が98%以上なので、始めて見たが、長続きしないような気がする。この間バリでのパラセールは10分程で、15万Rp(1500円じゃく)ですから、同じ価格なら客はないと思う。
ただし、漁師が遠くに見えるだけで、一応、誰もいない海で泳ぐので、万が一の時は、助けはない。
そこまで歩いて行く、途中に椰子の樹液から砂糖を作る家にお邪魔して、樹液を煮詰めている様子を見せてもらった。出来たての黒砂糖を貰った。そこの家の子供たちが、私が帰るときに家の前を通るのを分かっていて、家の前で待っていてくれて、渡してくれた。
日本軍が作らせた鉄道線路の鉄橋は5年前までは橋げたと鉄路は残っていたが、今回は、崩れ落ちてしまったのでしょうか。橋脚しか残っていなかった。
泳いだ海岸の向こうに見えるパンガンダラン、チャガールアラム、明日、また、ラフレシアを探しに入る。
一人 自由 誘
6月5日 ラフレシア
08:00からウミさんのワルンを出発、それが、なんと日本人の若者と一緒、2日にジョクジャカルタへ行った日本人がいたと聞いていたが、まさか、その本人と今朝、会うとは思っていなかった。イワン君が連れてきたのでびっくりである。特に予定が無いので、一緒に連れて行ってくれというので、初めてのことだし、せっかくだから、一緒にチャガールアラムへ入ることにした。彼は、初めてで、まだ、ラフレシアの本物に会ったことが無い。ブンクルへ行ったらしいが、その時には会えなかったそうだ。今回、2日に全く差開く気配が無かったし、昨日、捜しまわってもらった結果も、無かったということだった。だから、私は全く期待していなかった。そのことを彼にも云っておいた。会えることは運が良いことだと、言っておいた。
それでも、昨日と2日には、入っていなかったところまで入って探しまくった。なかなか見つからない。蕾は沢山あるし、咲いて何日か過ぎて真っ黒になってしまったものも沢山あったが、肝心な、今、咲いているというのになかなか会えない。結局、滝の上も過ぎて、もうないだろうと思っていたところで、独特の臭いがしてきた。必ずあるとガイドたちは確信したようだ、しかし、この場所も2日に私とガイドが臭いを感じて探した場所だった。あきらめずに、急斜面の上の方まで登っていてくまなく探しまくった。ガイドの一人が、あったと叫んだ。かなりの斜面に枯れ草、落ち葉が積もっているので、なかなかそこまで登れない。それでも、遠くから見えるようになった。今回も私の恋人とやっと会えることが出来た。同行の彼はかなり感激していたようだった。とにかく初めて幻の花に会えたのだから。私は何回も会っているが、それでもまた会えればひとしおである。良かったと思う。
彼は花に鼻を押し付けても臭いを感じないと言っていた。その点、私は、インドネシア人ガイドが感じた時に私も感じていた。近づけば近づくほど臭いが強くなっていった。このにおいは本当に独特です。私にとっては決して良いにおいとは思わないが、このにおいに会えるとうれしくなる、ラフレシアを直ぐ見ることが出来ると期待できるからです。正しいかどうか分からないが、ドリアンの臭いも決して良いにおいとは言えないが、その臭いを嗅げば美味しいドリアンを食べることが出来るので、このにおいに会いたいと思う。
チュルッグ、パナンジュン(滝)の滝つぼまで降りた。水量が一番多い時期で、しぶきが寒かった。ラフレシアに会った後なので、そこの景色にも十分満足した。
帰り道、何箇所かで、道からそれて探してみたし、臭いも感じていたが、全て、つぼみでした。私の予測では、今ある蕾の多くは7月始めから順番に開き始め、それぞれ一週間ほど咲いていて真っ黒に枯れてしまう。8月中旬までの一か月半ほどは、何箇所かで、咲いているラフレシアに必ず会えるでしょう。もし、パンガンダランへ行ってラフレシアを見たいなら、その期間中、80以上の確率で、三つ四つの見ごろの花に会えるでしょう。私もその時期に訪れたいが、日本で仕事なので無理な話になってしまっている。
東海岸のサンライズにも四日目で会うことが出来た。今日の西海岸の朝の人出はおそらく3万人くらいだろうと思う。遠浅の広幅の海岸が人人で埋め尽くされていた。
夕方5時半ごろ、同じ場所は殆ど人いなくなっていた。三日間サンセットを見ることが出来なかった。今日も太陽を見ることはできなかったが、夕焼けは5分ほど見ることが出来た。落ち着いた、ほっとするように温かさがある夕焼けだったと思う。最終日にやっと、パンガンダランらしい夕焼けに会うことも出来て感激した。
新築のウミさんの家を見に行ってきた。8年前にウミさんのワルンに置くために持っていった椅子、私が行ったときにこの椅子でくつろごうと思ってでした。2006年の津波の時に海岸から本人の家にこの椅子は移されていた。もし、移していなかったら津波でどこへ行ってしまっていたでしょう。大変懐かしかった。いつになるか分からないが、今度訪問するときには、この椅子を海岸へ戻して、くつろごうと思う。
今回の写真集 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html
6月6日 天国にニアミス
四連休の最終日、昨日帰るつもりだったが、タシクからバンドンまでの工事で来た時に一時間ロスした、帰りは三時間以上ロスが予想されるので一日滞在を伸ばした。お陰で、10:00に出発し、16:00前には家に着いた。新記録である。もっとも、一人なので途中焼き芋を買ったのと給油した時間合計でも10分くらいだった。殆ど六時間走りぱなしだった。ちょこっと降りて写真は撮ったが。
初めてまともなサンライズに会うことが出来た。06:00前に何十艘もの漁船が次々と出発してゆく、日の出とともに出てゆく、東海岸の肩に近い部分の河口の奥に広がった川があり、そこに漁船は集結している。津波が襲えば決して安全とは思えないが、それでも、海岸に停泊させておくよりは流される確率は少ない。天然の良港になっているようだ。河口は浅くて、小舟でも船外機は使えない、人が押して海との堺まで行く、船外機が使える場所へ来た時、皆、乗りこみ、勢いよく出てゆく、インド洋の高い波に向かって突っ込んでゆく。あっという間に見えない遠くまで行ってしまう。もっとも、うねりの高さが二三mあるので、その幾重の向こうなので直ぐ見えなくなってしまうのです。
西海岸は昨日と打って変って人が少ない。何万人も来てその人達が全部いなくなってしまったのです。多くの店も青いシートで包んだ状態にしてあって、店の人もそのあたりには全く居ない。祭りの後、という感じ。それでも、ウミさんのワルンは8時に行ったときには開いていた。ミールグスとアヤムゴレンを食べて朝食とした。今回は、シーフードレスタランへは一度も行っていない。連れがいれば必ず何回かはパサールイカンとかチャガールアラムへの東海岸口の傍のシーフードレスタランへ連れて行ったご馳走ななければならないが、今回は必要なし、ミーバソ、ナシゴレン、ミーゴレン、ミアヤム、ミールブス、マサカンパダンなどなど、私を手伝ってくれた人たちの好みの一般的なここの食べ物を食べて過ごした。例の日本人はもう一週間ほどインドネシアにいるらしいが、私と食べたミーバソが、土地の料理を食べたのが始めてだったとか。エスチャンプルと共に、おいしかったと言ってくれた。後でお腹を壊さなければいいがと思うだけです。
パンガンダランに空港があるのは15年前から知っていたが、セスナをチャーターして来ることなど全く考えていなかったので、気にしていなかった。例の日本人はジャカルタから飛行機をチャーターしてきたと言っていた。それに、毎日一往復いるという話を聞いて、ガイドに聞いてみた。スシエアーという会社が津波の前からハリム、パンガンダラン便を飛ばしていると言っていた。早速、事務所の場所を聞いて、行ってみた。確かに有った。12人乗りのプロペラ軽飛行機でハリム発10:30パンガンダラン発は13:30でした。料金は往復で52万Rp,片道はその半額、飛行時間は一時間ということを確認した。バンドンからも毎日来ている。
今回は初めて一人での訪問だった。一人は一人で、これまた、いいものです。現地では大勢の人達に囲まれるのですから、一人では無いともいえるが、やはり、思い付きで自由に行動できるのが良い、また、人を待たなくていいのが何よりである。15年前から今まで知らなくて良かったと思う処を今回知って、知ったからにはと、行ってみた。万が一にも無い話だが、誰からも見放されて、あるいは、しがらみが全くなくなってしまったら、ここを竟の住処としたい。天国に一番近い場所だ。
(^_-)-☆ラフレシアに遭う確率
今や、パンガンダランの専門家として、どなたにでも説明が出来ることがらが多い。多分、日本人で一番、パンガンダランについて知っていることが多いでしょう。其の知っていることの全てが、私自身が見たものです。聞いたものではありません。聞いたものも沢山ありますが、それは、書いていません。自分で確認してから書いています。断言できないことは思う、と書いています。
私がパンガンダランに興味を持った理由は、小学校の時に植物図鑑で、世界で一番大きな花としてラフレシアを見ました。その時に、いつかきっと、南の国へ行き、ジャングル探検をしてラフレシアに遭うぞ、と思った。それが多分8才くらいの時だったと思う。そして、55才になって、実現した。特に大感激をして飛び上がったり、万歳を叫んだりしたわけではないが、夢がかなったことを、静かに確認した。大きいと言ったって、最大で50cm弱、平均で40cmくらいだと思う。びっくりするほど大きくなかったし、大鬼蓮の様に小さい子供が座れるという大きさではない。こんなものかとも、思った。ラフレシアの種類によって1m位の直径のものもあるかも知れないが、ブンクルで会ったラフレシアも種類が違うが子供が座れるように大きさでは無かった。
パンガンダランのラフレシア(Rafresia Patmaパンガンダランのガイドやレンジャーがそう言っているのそうでしょう)野生の中では、世界中で一番、出会う確率が高いと思う。もっとも、他の場所ではラフレシア アルンルディ、ブンウル、スマトラしか行ったことはないが、(コタキナバル、カリマンタン、マレーシアにも有るそうだが、移植して育てているものが多いし、数もパンガンダランより遥かに少ない)それほど、ここ数年の開花している花に出会いの確率は100%です。季節(雨季、乾季)に関係なく、何月ということにも関係なしに、チャガールアラムの中へラフレシアに会う目的で入れが必ず会います。蕾には5cm~15cm以上のものまで100個以上に会います。もっとも、蕾の数を数えたことは有りませんが、確実に100個以上です。
7~8年前までの確率は50%以下だった。12~3年前は20%くらいだった。其の何年前にも、今と同じくらいの数の蕾には会っていた。だから、咲いた状態の花も今と同じくらいあったはずです。ところが会えない確率が高かった。そして、物の本には、咲いている時間の短かさ、季節にも関係あると書いてあるし、歩ける道の両側を見ているだけだし、だから、そんなものかと思ったし、運がよっぽっど良くなければ会えないものと思っていた。
その時のガイドも今のガイドもウミさんの子供もたちで、ジャングルの中で遊んでいた人たちで、その時にはもう公認のガイドになっていた人達です。それでもなかなか、会える確率が上がらないので、レンジャー事務所の紹介で、元、レンジャーをしていたその人達の先輩で、元上司だった人を紹介してもらった。
その人はチャガールアラムのパトロールで数え切れないほど若いころから、入って行っていうから、この人以上にジャングルの中を知っている人はいないのではないか、と、太鼓判で紹介してくれた。
その前に、ベチャの運転手が、若い頃はガイドをしていて、ラフレシアが咲いている場所を知っている、と言っていたので、試しに、頼んでみようかと思い、お願いした。これは、全く駄目だった。口から出まかせで、この日本人はここのことを知らないだろうし、適当に歩きまわって1時間ほど過ぎて、出てきてしまえば良いと思ったのでしょう。そのように一時間半ぐらい、連れまわされただけで、私が知っている場所ばかりだった。いい加減な人を使ったと反省。私の方が遥かに詳しい。二度と、トカンベチャが何と言ってきても使わない。
昨日の写真の24時間後
パンがンダランについて一番詳しい日本人は私でしょう、と書きましたが、ここのラフレシア パトゥマに一番沢山会って、写真を撮ったのも私が飛びぬけて一番でしょう。この種の学者ではないので、繁殖のメカニズムを調べたり、サンプリングして様々な分析をしてなにものかを確認したりする気は全くないし、逆に、そういうことは知らない方が神秘的で想像することが多くてロマンチックだと思う。
研究者のネット紹介を見る限りでは、ここの、ラフレシアが一番落ち着いた色や模様をしている。けばけばしくなく、グロテスクではないので、なお気に入っている。
昨日の続きで、元レンジャーのガイドに多いに期待をした。5時間くらいで十分かと聞いたら、十分だという。いくら払ったらいいか、と聞いたら、幾らでもいい、あなたの気持ちだという。じゃ、ラフレシアに会えたら、お礼をはずみましょうと返事をしといて、いくら払いますとは言わなかった。
ジャングルへ入って行った。普通は西側のゲートから入るが彼は東を選んだ。なるほど、こちらからの方が会える確率が高いのか、流石かな?と思った。今までも、西から入って東に出るというコースは何回か経験していて、東側でラフレシアにであったことは無かった。ただ、帰り道として、サッサと歩いただけだった。
今回は、その帰りに歩いたことがる道を逆に森の中へはいて行った。そして、途中から、彼は、道からそれて道が無いところを進み始めた。そちらの方向にあると知っていると信じて後を追った。ドンドンジャングルの中へ入って行く、右に左にどんどん進む、其のうち、どうも、同じところを回っているのではないかと、回りの様子を見ながら感じだした。さっき、歩いた思われる場所を二回通ったことは確認した。これは、どうも変だと疑い出した。其のうち、彼は疲れたのでしょう、タバコを一服したいと言って座り込んだ。チャガールアラムに入ったことは入ったが、入口からそう遠くないところをグルグル回っていたと思う。ラフレシアを探すにしては、地面が乾燥している場所が多く、私の経験から、こんな感想していて、日差しは入りやすい場所には全く無い筈であった。案の定、其の蕾にも会えなかった。一時間経過、会える気配が感じられない、私にも、臭いが感じられない。結局、東側では会えずに、いつも行く滝の方句へ向かった。今度は道なき山を歩くのではなく、沢か沢沿いの道を歩く、その場所は、私にもはっきり分かる道で、私が案内してもいいくらいな場所、そして、滝まで向かい、滝の上でまた一服、帰りの道、西側の出口へ向かった。もう、完全に私の方が詳しい。其の辺りのどの辺に蕾が沢山あって其の中のどれかが、運が良ければ開いているはずである。ところが、彼はそれを全然知らないし、私がこの辺で臭うよと、教えても、耳を貸さないでさっさと出口方面目指してひたすら歩きてしまっている。道の脇を探そうと全くしない。
結局、ラフレシアに会えず、蕾に二三個、咲いた後一週間以上過ぎてしまっていて真っ黒になったものを木の枝にくっついているのを一個見かけただけだった。
出てきて、残念でした。見つからなかったですね、で、終わり。其のベテランさん、臭いを感じないらしい、それと、ラフレシアがある場所を知っていない。レンジャーとはこんなものかと思わされた。結局、怠け者でした。道の脇にちょっと入って探せば。蕾くらいはすぐ見つかるのに、それを全くしない。やはり、
最期の、昼食を奢りながら、5時間なので50万Rpを渡した。後に紹介してくれた人から、5時間なら100万Rpが相場だと、本人が言っていたと、伝えてきた。とんでもない話で、流石、公務員上がり、やることをやらないで、金を要求する。最初は気持ちだけでいいと言っていたのに、それも、嘘だった。公務員は駄目である。元公務員も使ってはいけない。役に立たないどころか、ガイド料が高い。失敗だった。
花の追加
怠け癖 不感 要求
(^_-)-☆あなたにもラフレシアに直ぐ会える
ということで、国家公務員、頼りにならないことが明らかになった。知識が無い上に探そうとする意欲や行動力が無い、体力も頼りない。
それではどうすれば殆どいつでも100%近い確率で会えるようになったのか。今までまったく公開されていない、私の経験から生まれた秘策があるのです。これからそれを明らかにしてゆきます。5分読んでいただければ、誰でも私と同じようにパンガンダランで幻のラフレシアに会うことが出来るようになります。先ず、その前に、体験者の感想を紹介させていただきます・・・・
最期にこの本を購入の手続きをしてください。・・・どこかで、見たばかりの迷惑メール見たいですね。
私の場合は本を売っていません。今から書きます。基本的にパンガンダランのチャガラルアラムの中のどこかにいつでも必ず開花しているラフレシアがあるのです。そして、その場所は何箇所かあって、殆ど、決まっているのです。何十年か過ぎて場所が移動するかは知りませんが、15年前から、場所は変わっていません。チュルッグ パナンジュンンという滝に向かう道は其のラフレシアが咲く場所を通っているのです。おそらく、何十年もかかって、幅50cmくらい、その道は出来たのだと思う。崩れたり、大木が倒れて塞いだりして、道筋は変化をしていますが、必ず、本筋に戻ります。
ラフレシアは道の両側にあるように道が出来ています。しかし、その道は沢を歩くことが多く、沢から出ても、その両脇に崖の細い道を通ります。たまに、ふと、足元で踏んでしまいそうなところにも蕾を見つけることが出来ます。しかし、多くはそこから両側のかなり急な坂の上にあります。
ラフレシアは先ず、臭いで探します。ですから臭いに敏感な人が必要です。犬にラフレシアの臭さを覚えさせて、連れて行って探せば一番いいと思いますが、そうした人やそうした研究者はいないようです。
探す 誰も 会える
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page238.html
(^_-)-☆ラフレシア仕掛け人
パンガンダランのラフレシアの蕾なら、いつ行っても見られるエリアは直径30m~50mくらいの広さで、最低5か所はあります。沢の両側か片側の相当な急斜面です。45度平均はあるでしょう。上から見るとほとんど垂直に見えるところも多い。スキー場でも45度のところは非常に少ないし、上に立つと、落ちてゆくように見える。かなり厳しい場所です。また、落ち葉は殆ど滑り落ちてしまうのですが、やはりかなり残っているので、なお、滑りやすい。真っ直ぐには登れないので、斜面に対し、横向きになってのばらなければならない。邪魔ものの1cm~5cmくらいの背が低い木が適当にあって、行く手を邪魔しているのでその間を抜けながらまた、その枝を掴むことによって落ちるのを堪えることが出来る。ただし刺が生えている木があるので、何でもかんでも掴んでしまっては怪我をする、落ち葉と色がそう変わらないので、私は、目の前にあるのに気がつかなかったこともある。大木の根本の向こう側、斜面が迂回しているので、其の迂回している向こう側まで行く必要がある。あきらめてはいけない。私を含めて四人で探しまくる。臭いが遠くなれば行く過ぎたことになり、戻る。其のうち誰かが、有ったと、叫ぶ。
臭いに敏感な若者(レンジャー上がりの中年ではだめ)がここは臭う、と、言ったら、必ずあります。風向きをタバコの煙で見ます。風上に向かって45度の扇状に捜索を始めます。急斜面を登って行きます。必ず、あると信じて登って行きます。見つからない時はまだ、探し足りないと思って探しまくります。これがコツです。
連れて行く人は若者で臭いに敏感と言われている人、そして、ジャングルの中を縦横無尽に歩きまわれる人、この三条件が揃っている人は、そういないが、幸いにもウミさんの息子たちに条件がそろっている。其の兄弟の中でも、すごいのが一人いる。彼が臭うといた時、もう、有ったと同じです。
前もって、チャガールアラムへ入る日を、伝えておくと、彼らは前日に入って、半日ほどラフレシアの状況を確認しておいてくれる。私が一緒に入る日は、大体、場所を把握してくれているので、探す時間が少なくて済む。彼らがその前の日に有った数より多く会うことが出来る可能性が高くなる。出来るだけ私が探さなくてもいいように気を使ってくれているようでうれしい。
彼らにとっての目的は何と言ったって小遣稼ぎである。渡すお金を渋っては駄目です。金銭感覚は人によって違うし、ラフレシアに沢山会えたか、一つにしか会えなかったかで、渡す金額も自然に変わってくる。それがガイドの能力不足のこともあれば、実際に咲いている数が少なくて、ガイドの能力ではどうにもならないこともある。やはり、会えれば、運が良かったと思って、満足して、チップをはずめば、次回はもっと、彼らは、張り切ります。其の時限りの一回だけなら、なおさら、その人たちのおかげと思ってください。とにかく、やっと、会うことが出来たのですから。
多くの生物学者が、ブンクルやコタキナバルがどうのこうのと書いていますが、パンガンダランへ来て、一か月ほど滞在し、毎日、半日でいいのでジャングルへ入って観察すれば、世界中に発表するようなデータが取れるだろうし、今まで知られていなかった生態が明らかになるかもしれない。それほど、幻ではなく、どこからか持って来たものではなく、自然のままを簡単に観察できるのです。
もう一つ、重要なことはここのラフレシアの天敵はビヤワックというトカゲ(0.5~1m)がその臭いに引かれ、食べてしまうことです。その他には敵はいません。一番危険なのは人間ですが、ここの人達は決して持っていくことはしません。だから、私の感覚では、15年前に比べれば、会うコツというか、要領も良くなったと思いますが、数が増えているから、会える確率が高くなったとも言えると思う。
チャガールアラムの案内人達と西海岸のサンセット
研究 確率 臭覚
(^_-)-☆ラフレシアの一生
ラフレシア パトゥマの続きですが、今日の写真のような蕾と言ったらいいのか赤ん坊と言ったらいいのか、子供と言ったらいいのか、こういう状態やこの前後ものは、ごろごろしている。茶色い皮で完全に覆われている状態は、私が確認できているもので1cmくらいの小さなもので、それより小さいものがどういう状態で有るのかはまだ知らない。直径5cmくらいになってから10cm~13cmくらいになるのが3カ月くらい、皮がむけ初めてから殆ど向けてしまうまでが1ヶ月~1ヶ月半、それからは早い一日半くらいで満開になる。と同時に、花弁?が丸まり始める。それから一日で花弁の半分以上が下へ丸まってしまい、上から見ると半分ぐらいで外側が直線に見える。と同時に、黒い斑点が出来始め、もし、何かの傷があれば、その部分から黒くなるのはもっと早い。二日後には、もう、見たくないほど、汚い状態に腐ったようになってしまう。一週間後には、完全に真っ黒けになって、ぼろぼろになる。見る影もない。早く、土に返ってしまって、名残が無くなってほしいと思う。
鑑賞に耐えられる時間は36時間ぐらいでしょう。だから、中途半端に開いた状態は数時間だけです。それに会えることは大変ラッキーなことだと思う。
もっとも、許可を得て、チャガールアラムの中へ泊まり込みで、例えば10分間隔で撮影すれば、容易に全ての工程をとらえることが出来る。
私はいつか機会を作ってそれをやってみたいと思う。ブンクルの大コンニャクは日本人のグループ学者やテレビ局が泊まり込みで撮影していったと、大コンニャク栽培農園の経営者が言っていた。その時は、かれから、一週間後には咲くでしょうという、連絡を入れたという。パンガンダランラフレシアは経営者が栽培しているのではないから、日本の学者にそういう情報は入らないでしょう。
ごろごろ転がっているラフレシア パトゥマの蕾
撮影 子供 開花
(^_-)-☆ラフレシアの臭いは?
ラッフルズさんやアルノルディさんがヨーロッパにこの花を紹介したから、同じような形をした花をラフレシアというになったのだが、東南ジアを中心にその国や地方で色々な名前を付けていたはずです。インドネシアでは、臭い花、生き物の死骸から出る臭いがする花ということでブンガ バンカイと一般的に飛ばれていて、ラフレシアも大コンニャクもブンガ バンカイです。インドネシアには似ても似つかない形、全部、一般の花とは形が全く違う。これが花?というのが多いらしい。ラフレシアなどは花と一応、見て、言えるが、花とは言えないような形のものらしい。また、それらは、初対面をした欧米人や日本人が自分の名前を付けて発表しなければ、ブンガバンカイのままの名前になっているはずです。
臭いは一般的に閉じた状態から開くときに、籠っていた臭いが解放されるのです。だかあ、開くときに一番強烈なにおいがします。そして、すぐに臭いはしなくなります。ただし、ラフレシアの種類によって放出される時間が異なります。ラフレシア パトゥマは次第に弱くなってゆきますが、私が感じるのは、開き始めからまる一日くらいは感じます。風が強かったり、大雨が降ったりすれば、その時間が短kなるばかりでなく、腐ってしまう時間も短くなります。鑑賞できる時間が短くなるし、発見するチャンスも少なくなります。
どんなに負いか、どんな臭いといっても、説明し様がありません。独特の臭さです。しかし、私にとっては、臭いという感じはしません。臭うと言った方が良い。子供の頃、1kmくらい家から離れた場所に家畜の賭殺場があった。風向きによってたまに流れる臭いに似ていたが、同じではない。猫や犬が小便を道端でして、何時間後かの臭いにも似ているかな。ガイドは、鼠やビヤワックが死んで腐っている臭いだと言うが、私にはその臭いは知らない。何かが臭うとラフレシアの臭いと違う場合も多いので、だれ誰がおしっこをした後の臭いだと、おならだとか、冗談を云いながら、本物の臭いを探す。