2月3日 インド洋に再び

春節、チャイニーズ ニュー イヤーである。GONG XI FA CHAIというし、イムレックともいう。ハリラヤ(ナショナルホリデー)である。

どいうわけか、一年半ぶりのパンガンダランである。雨季の真っ最中なので、晴天は期待できないが、取りあえず、海岸でのんびり休養が目的です。昔に比べると、半分の時間で着いてしまうので、運転もずいぶん楽です。チカランから6時間で着いてしまう。

バンジャールからパンガンダランへ来る途中広大な水田が広がっているが、今回はその水田が水没してしまっていて、広大な湖と化していた。田んぼ仕事の休憩に使う屋根だけの小さな小屋がその水のあちこちに浮かんでいるように点在している。かなりの被害だと思う。当分水は引きそうにないように見えた。

パンガンダランの東海岸には竹で組んだ桟橋のようなものが三か所出来ていて、それは、バナナボートの乗り場になっていた。何箇所かに防波用にテトラポットのように大きな岩が積まれてもいた。津波依頼、パンガンダランの首に当たる東海岸の砂浜は消滅していたが、少しだけ再生している。もともと、肩の部分は広い海岸が残っていて、こちらは、観光客の海岸では無く、地元の漁師の海岸で、漁船がぎっしりと並べられている。毎朝、そこから日の出とともに一斉に沖合へ出漁するのです。それは、壮観です。

また、東海岸道路の海岸と反対側沿いには、軒並み、ホテルが並ぶようになった。以前はパンタイインダーなど数か所で、パサールイカンまで空き地が多かったが、今は、びっしりとホテルが並んでいて、道から空き地を見ることは無くなってしまった。中央通りにも新築のホテルがいくつかオープンしていて、首根っこ子部分はびっしりとホテルやロスメンで埋め尽くされているようだ、車が入れない小道があみだくじの横線のようにあるが、それらの小道沿いもロスメンだらけである。これだけ、パンガンダランへ来る人が増えているということでしょう。大型バスの駐車場と同じ場所の強制的に移動させられていた土産物屋も、許可されていなかった西海岸にドンドン復活していて、西海岸通り沿いに線であったものが、今はその後ろの海岸に広がっていて面になっている。ますます、来訪者が増えているようです。日本人には全く会わないし、来たという話も非常に少ない、だから、日本人が来た時には何人かの名前を覚えていて、私に、誰々という人が来たと教えてくれるが、私が知るわけが無い。ブレとインドネシア人が言っている欧米系の訪問者は多い。私が来たときに必ず二十人や三十人には会う。サーファーが多いが、リタイヤ者の団体旅行も多い。今日も多くのブレに会っている。

長年、私を手伝ってくれていたラシッド君がオーストラリアへ去年の6月から留学しているので、その弟のアウェン君にガイドを頼んだ。彼らは、国立の自然保護地区になっている半島のジャングル内のガイド資格を持っている。

私の孫もインドネシア人に見せるとブレと言われる。

休養 リラックス 羽伸ばし

旅行記とフォトアルバムのパンガンダランの項を参考にしてください。

2月4日 つらかった幻の滝

08:00から行動して、半島の中、チャガールアラムへ行ってきた。先端のチュルッグ、パナンジュンという滝の滝つぼまで降りてきた。ま、行けばいつも殆ど同じコースです。ご存知ラフレシアに会うためである。とにかく、会うことはできました。大満足です。12:00前に出てきた。 

そこまでは、心地良い疲れで、申し分は無かったが、その後が、休養どころか、とことん疲れさせられた。グリンキャニオン方面の途中にチトマンという場所がある。そっち行けば、高さが低い滝に会える。そこへは以前行ったことがあるので、今回は、ガイドの勧めによって、グヌンチィガという滝まで行くことにした。車で直ぐ近くまで行けるので駐車してから、ちょっと下るだけだと聞かされていたが、行ってみたら。とんでもない。殆ど道が無いような雑草で覆われた、また、その山は全体が石灰岩でできているので、急激な下りの三つはごつごつとしている上に滑りやすい。滝つぼまで降りることが出来るというので、信じて、帰りの登りのことは考えずに、恐る恐る降りて行った。急に小さい面積の田んぼが出てきた。その向こうだというので、その狭い畦道を、バランスを取りながら、なお降りる道を捜した。私の勧めたガイドが迷っているので、以前、いつ来たのかと聞いたら、4年前だという。四年前にここにあったはずの道が無くなっている、といいながら、あきらめたようだ。滝は直ぐ横に見え隠れしているが、全体は見えない。滝つぼへも道が無いので降りられない。どうするのか、と聞いたら、来た道を登って帰ろう、という。あれだけ、しんどい思いをして、すぐ近くまで来ているのにこっちはあきらめきれない。ガイドが、帰ろうとしているが、私は、滝の下にでる道が無いなら、滝の上に出る道があるはずだと思い、横から見え隠れしていた滝の上の方へ回ってみた。すると、道がある、滝に上に出てその向こう側に道があり、向こう側から滝壺へ下りることが出来たのです。しかし、その道も、殆ど見えない道で、相当長い間、人が通っていないと思う。ガイドを呼んだら、思い出したという。遅いよ。帰るところだったじゃないか。

その滝は、今まで、見た滝の中では一番姿が良かった。大変な思いをして見つけた滝なので、ひとしおでした。帰りはまた、ずっと登り。足がつってしまって、何回、途中で、休憩したでしょうか。上の道に出た時は足がもうふらふらだったし、息も絶え絶えだった。チュルッグ(滝)グヌン ティガという名前でした。達成感はひとしおです。この滝は、聞いたところに依ると地元の人も行ったことが無いらしい。それほど、近づくのも大変な場所のようです。

パンガンダランは万人にお勧めしますが、この滝は決してお勧めしません。美しいが大変すぎます。

ナンカの実とブレのベチャ乗り。普通の人は二人掛けだが、彼らは、大きいので一人一人でした。

2月5日 久しぶりの監獄島

これも、本当に久しぶりにヌサカンバンガン島へ行ってきた。この島へ行くときは、出来るだけ早朝に西海岸から出発するのが波と風の状態が最適です。今日は日の出の時間6時に出発した。雨季なのでサンライズを見ることはできなかったが、半島の先端までは、波に逆らうように進むので、ある程度の上下は覚悟しなければならないが、そこを過ぎれば、波の方向と一緒になるので、波乗り状態で滑るように進む、ヌサカンバンガンの手前後500m位のところからはインド洋とは思えない凪の状態になる。島に寄せる波の高さは、50cmほどで、初心者のサーフィン練習には最適だと思う。

一時間半ほどでヌサカンバンガンの西の端の海岸に着く。もっていった米を炊いて、魚を焼いて、島に漁師から買ったロブスターも丸焼きにして、朝食。船を操縦した船の持ち主が、枯れ木を集めて火をおこし、ヤシの葉の皿と頼めば、適当な枝で箸も作ってくれる。私は、その間に海岸の散策やちょっと沖まで行って空を見上げてプカプカしていればいい。準備が出来れば呼んでくれて、いちばん最初賞味をして、おいしい、といえば良い。

十年以上前に比べれば、若干海岸が狭くなったような気がする。満ち引きにも寄るが、それでも、遠浅の幅が狭くなっているのは確実だと思う。

今回が本当に最期になると思う。雨には降られなかったが、曇天で、そこが残念でした。

帰りは09:30頃出発だったが、この時間は、東海岸のチャガールアラムへ戻るなら、全く波に逆らいことはない、若干横からうねりが来るだけなので、出発した西海岸へ帰るより遥かに静かいに進むし、時間も一時間ちょっとで上陸できる。チャガールアラムから出てしまう前に、ついでに、ハリネズミがいるほら穴を通ってみた。どういう家族構成になっているのでしょうか、子供が2匹いて、こんな状態に会ったのは初めてで、入って見てラッキーでした。

昼前に車まで戻ったので、時間つぶしにどうしようかと考え、これも、久しぶりにチュルッグ ジャンビへ行ってみることにした。パンガンダランの地図で紹介していますが、半島の真北に当たる山の方にある。殆ど一直線の滝です。以前行った時には道が良かったが、今回は凸凹の上にぬかるんでいて、キジャンではちょっと難しい道になっていて、かなり厳しかった。なんとか、駐車できるところまで到着、そこから40分くらいの歩きだが、この道も以前に比べると石灰岩を凸凹に敷いてあるだけなので、滑りやすくなっていて、危ない道になっていた。到着すれば滝の姿は全く変わっていなかった。懐かしく、眺めながら、昔来た時の事を思い返していた。

パンガンダランの地図です。
Pangandaranへの誘い

そんなことで、今日も休養にはならなかったが、いい運動になった。

ものすごい人出

流石に雨季の真っただ中、予想していた通り、日が指すことは殆ど無く、曇天続き、暑くてどうしようもないということは無かったが、逆に南国特有の爽快な青空もまったく無かった。サンライズもサンセットもその気配さえ無く、小雨模様の寂しい、寒々しい海岸風景だった。パンガンダランは4月から9月の間が最適な期間かもしれない。ラフレシアは雨に弱くて、開いて一週間ももたないが、雨が降ってしまえばその時点で黒く腐り始めてしまうし、今回の写真にもあるが、雨季に咲いた花は、ビヤワックという全長1m位のトカゲに開けば直ぐにかじられて、食べられてしまう。完全な形でラフレシアを見ることは難しい。開花したばかりの花に一つだけで会うことが出来た。運が良かったと思う。

ちょっと普通の人にはハード過ぎる行動でしたが、できるので、じっとしていられないのが性分で、休養にも何にもなっていないが、すべてが順調に推移した、恵まれていた。

それでも、ここへ来るたびに、欧米人のように、ロッキングイチェアーでのんびり読書にふける姿や、レンタル自転車で街を巡りながら、休みたいところで寝ころんで空を見上げているうちに眠り込んでしまうなど、そういう、過ごし方をしたいと思うのだが、いつか、きっと、やってみたいと思う。一か月くらい。

費用は宿泊、ポンドックダウン、一泊四十万Rpで三泊、1,2ジュタ。ガソリン代が往復四十万Rp、ヌサカンバンガンへの船が燃料代込みで、八十万Rp、ガイドはいつもお世話になっている家族の中の二人が付きっきりで案内してくれたので三日間で2ジュタ母親のウミさんに払った。一般的には一人のガイドに一日手伝ってもらって、三十万Rpくらいで十分です。食事や飲み物代は五十万Rp位でした。

今朝の西海岸の人出は軽き一万人は超えているでしょう。本当にすごい人数です。これだけの人たちが、私が来た時と同じくねくねした山道を使ってきているのですから、道の混みようもすごいと思う。

たまたま、明日から、インターナショナルの鳩を飛ばす競技があるらしくて、それの準備にも大勢の人たちや大テント、おびただしい数の椅子などで必要らしく、そのための人や車も多い。

貸しバギー、二人、三人、四人乗りの貸し自転車、貸しベチャまであり、子供が楽しむミニ貸しベチャまである。昔、タイヤの浮輪、今は、ボディーボードである。時間では無く、嫌になるまで一万Rpという料金である。この人数でも沖へ泳いで出てゆく人は一人もいない。海岸の足が立つところで来た波に飛び上る、ボディーボードで岸辺に向かってくる、皆さん、それだけである。ビーチバレーやビーチサッカー、綱引きもやっている。

ライフガードは一人もいないにもかかわらず、沖へ泳いで出てはいけないとスピーカーで盛んに言っている。人が多くて、沖から戻ってきた小舟が、接岸する場所をなかなか見つけられない、ホイッスルを吹きながら、半ば、強引に岸に近付こうとして、其処ら辺に坐りこんでいる人たちにあわやぶつかりそうになっている。

パンガンダランはすごい。

Pangandaranへの誘い
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Pangandaran 2011 2
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