2010年 木造大型貨物船専用の港で、今のコンテナ港タンジュンプリオクへ移る前はここがジャカルタの主要港だった。今は、粉類、セメント類、木材類食料品、衣類、などを、インドネシア国内の他の島の主要都市に運んでいる。国内、輸出入の為の港です。トラックに満載された荷物を人夫が担いで木の橋を渡って船に一袋ずつ積みこんでいる。クレーンもあるが、小型で少ないので、人間が担いでいる姿が多い。皆さん上半身裸である。こういう、様子を見ることが出来るのはここだけで、貴重な体験が出来ると思う。欧米系の観光客もちらほらガイドに連れられて来ていた。何十槽の貨物船が並んでいる姿は壮観である。アンチョールへ行っても、このスンダクラパへ行ってみる日本人は少ないと思う。インドネシアの姿がここにあると思うので、一度、行ってみたらいいと思う。
何年ぶりでしょうか、思い出せないくらい以前に行ったきりのKota Glodok(グロドック)へ買い物に行ってきた。この辺りはKota tuaと言って、Bataviaの首都の中心でしたから、散策だけで、かなり膨大な旅行記を書けるほど、盛りだくさんに色々あるところです。
ここに無ければインドネシア国内には無いというほど、最期の砦のような何でも部品街、グロドックGlodokです。北ジャカルタ、スディルマンを北上しても行きつくが、私は、北のアンチョールの方からちょっと南下して入った。
PT,KITAGAWAの創業当時は、一月に二回ほど、必要道具や部品や計器を買いに行っていた、と言うのも、今なら、タンブン チビトゥン チカラン ジャバベカ辺りに電気や機械の部品店が進出していて、近場で殆ど手に入れることができるが、当時は、近場に部品屋や工具屋がなかったので、わざわざ、ジャカルタまで買いにいっていたのです。最近来た人や三代目四代目の社長さんはそういうことを知らない。
十年前と雰囲気は変わっていない場所はあるが、外周は近代的なショッピングモールに
なっていて、売っているものは電機、電器、機械、装置、各種材料、部品、工具類などなど何でもアリ。しゃれたフードコートが在って、くつろげる雰囲気にもなっている。旧来のゴミゴミした中で買うのか、綺麗に洗練したモールで買うのか本人の好みであるが、私は、旧態依然のごちゃごちゃした中で買い物をした。マグネットリングとマグネットブロックは正にここでしか各強度と各サイズが揃っていない。聞いて聞いて、探して探してやっと見つけた。もう一つは、警報ランプでした。センサーが反応すると同時にランプが点灯し、警報が鳴るやつである。これも、見つけた。
実際は皆さん親切だし、何を探しているのか聞いてくるし、教えてくれるが、雰囲気として日本人が古い方の建物の中へ入って行って買い物をすることはお勧めしない。インドネシアの色々な買い物をする場所の中で一番、通路は狭いし、その通路の色々な人がたむろしたり座ったり、客だか、そこの店の人だか、何かの手伝いをする人なのか分けの分からない人が多いし、全く、そういう人に触れないで通過することができないほど、ゴミゴミ、ごちゃごちゃしている。ぶっ壊して建て替えない限り、この場所を綺麗にすることは永久に出来ないと思う。そこが私は好きなのですが。
北の端、バタビアホテルの前の運河に掛る跳ね橋は観光スポットになっているが、今は、全く機能していなし、橋の下を船が通過することもない。水は例によって汚いし、臭い、ゴミも大量に浮いている。インドネシアらしい。何十回もこの辺りは通っているが、車から降りて写真を撮ったのは初めてである。
さて、買い物を終え、着た道へ戻るのではなく、スマンギのラトプラザへ向かって南下した。
おおざっぱにいうと、ここから南下し、グロドックへ依って、ガジャマダ、タムリン、スディルマンの途中のアッチチの像でUターンして、ラトプラザのコースでした。
この通りはインドネシアで一番有名な通りと言ってもいい、沿道にはインドネシアを代表するような建物や施設が軒並みある。北の方は中華系の人が多く、クリスチャンやブッディストが多い。だから、お寺も教会も多い。
ガジャマダ通り界隈は、南のブロックM,北のコタと言うくらい、カラオケやディスコが多い、また、南より、現地の人が多く利用するので、色々が、安い。ちょっと、冒険好きな、物好き外国人は、こちらの方が楽しめると言う。こちらの方が麻薬や売春の一斉警察の手入れで、捕まるケースが多い。日本人もその中に混じることがる。
タムリン、スディルマンは大統領宮殿、国立博物館、モナス、インドネシア銀行などが次々と目に入る。代表的なホテルが沢山、ホテル日航、日本大使館、ハードロックカフェ、最古のデパート、サリナデパート、大きなアパート、そして、トランスジャカルタのバスウェーなど、どれをとっても地方から出てくるお上りさんにとっては、興奮の材料になることでしょう。
日本関連の建物も多く、日本人の数も、ここら辺だけで数千人は居るでしょう。日本食レストランや日本人が住んでいるアパートの大半もこの沿線に集中している。日本食材スーパーもこの道の最南部に集中している。日本人がいる、あるいは日本語で応対できる病院もこの辺りにある。
観光でこの辺りに来る日本人はほとんどいないと思うが、こちらに住んでいる人は、何らかのことで、この辺りの何らかの施設におせわになることは必ずあるはずです。