実用インドネシア語講座 6
26 教科書には疑問文の頭にApakah(アパカー)”か?””なにか”を付けると書いてあります。全然つける必要ありません。着ければ堅苦しいだけです。書く時も最後に?を付けるだけでいいのです。
話すときは、最後を上げればいいのです。なぜかと聞きたいとき、インドネシア人はわざと堅苦しく、(アパカー)を大きな声で強調して言う事があります。冗談で疑って問う時も使います。
疑問文の最後にkah?を付けることも多い。これは、印象として、日本語の疑問語と同じです。例えばandakah?(アンダカー?)”あなたですか?”datangkah?(ダタンカー)”来ますか?”といった具合です。付けないで、語尾を上げるだけでもいい。
27 疑問文の基礎ですね。kapan?(カパン)”いつ?”である。kapang datang?(カパン ダタン?)は”いつ来るの?”mana?(マナ)”どこ” apa?(アパ)”なに?” kenapa?(mengapa)(クナパ)(ムンガパ)”なぜ””如何して”siapa?(シアパ)”だれ?”とこれらが5W1H(5ダブリュー1エイチ)ですね。これらは、覚えて使っていただくしかない。勿論、日常的によ~く使います。インドネシアの歌詞にもどんどん出てきます。これも、kahを付けなくてもいい。
横道にそれますが、インドネシアの歌の詩は大変読みやすい。カラオケで下の字幕を読みながら歌う時、まったくローマ字を読むようで、簡単です。メロディーもドコとなくにJ-POPや演歌に似ているので、先が読めます。インドネシア語を覚えるのには最適だと思います。現地駐在の人は、インドネシアを覚える方法として、カラオケでお姉ちゃんといちゃいちゃするだけでなく、ぜひ、インドネシアンソングを歌う事をお勧めします。
覚えると、勉強するとは別物です。勉強するは覚えるの一手段に過ぎません。覚える有効な方法はほかにいくらでもあります。勉強していても覚えない人は多いのです。身近な人で、なかなか覚えない人は、覚え方が、間違っているか、覚えが悪い人です。
28 Lagi(ラギ)”また””繰り返して”。前に、Sampai jumpa lagi(サンパイ ジュンパ ラギ)”また、会うときまで”で、出てきました。Ulang lagi(ウラン ラギ)”繰り返して”です。(ウラン)も”繰り返し”の意味です。
1,2,3はsatu. dua. tigaですね。一回、二回、三回はsekali .dua kali .tiga kali.です。それでは、sekali lagi .dua kali lagi. tiga kali lagiはどういう意味ですか。そうです。”もう、一回、もう二回、もう三回”です。”もう百回””あと百回”はseratus lagi(スラトゥス ラギ)です。satuだけがseに変わる事に気が付きましたか。(サトゥ カリ)(サトゥ ラトゥス)でも通じますが、それではインドネシア語の未熟がばればれです。selatusですよね。
29 mati(マティ) hidup(ヒドゥッ)は”死ぬ”と”生きる”の動詞です。(マティ)は人間が死ぬ時にはあまり使いません。動物が死んだ時は使います。人にはmeninggal(ムニンガル)を使います。
電灯、機械、テレビなんでも、電気器具をON,OFFするは(マティ)(ヒドゥッ)を使います。
hidupには生活するという意味もあります。kematian. kehidupanは死と生活の名詞に変わります。”明かりを消して”はMatikan lampuになります。~kanは一般的に動詞の後につけると自動詞が他動詞に変わります。”消える”から”消す”に変わるのです。こういう言い方、や、例は”辞書”kamus(カムス)を見れば山ほどあります。
工場で,機械を使うとき、Onkan Offkanよく、使います。
30 Pura-pura~(プラプラ)は”~する振りをする””~の振りをする”です。インドネシア語の新聞を見ている私がいる。誰かがそれを見て、bisa baca?(ビサ バチャ?)”読めるの?”と聞いてきます。そのときの返事は、ニッコリ笑って、pura-pura baca(プラプラ バチャ)”読む振りだよ”と答える。雰囲気が和みます。読めても、読めなくてもそういえばいいのです。(バチャ)は”読む”という意味です。
インドネシア人にはこういう人が多いと嘆く日本人が多い。”知ってる振りをする””分かった振りをする”pura-pura tahu(プラプラ タウ)pura-pura mengerti(プラプラ ムングルティ)です。(タウ)は”知っている”(ムングルティ)は”理解する””分かる”の意味です。
私は都合が悪い時pura-pura tidak tahu(プラプラ ティダ タウ)”知らん顔”をします。大変便利に使えますし、冗談を言う時にも使います。pura-pura tidak dengar聞かなかったことにする、でも、いいですね。
都合が悪い時には、私はよく使います。