実用インドネシア語講座 1


 インドネシア語でピンタール(Pintar)は、上手とか賢いという意味です。
 日本と同じようにニュアンスで本当に褒める時やからかう時や冗談など、と、使い分けをします。 ちなみに、下手とか上手ではないと言う時は、ピンタールの否定で、ティダピンタール(tidak pintar)と言います。 Canggung(チャングン)下手とか不器用という意味でありますが、ほとんど、使われないようです。Mahir(マヒル)上手、器用ですが、使いませ、Bagus(バグス)この言葉が、良い。Bagu~~s!(バグ~~ス)です。

 賢いの反対は馬鹿やあほですが、ボードー(bodoh)べゴ(bego)と、言います。 「ピンタール」と言ってやれば、其の場は和みます。 「ベゴ」を使えば其の場はしらけます。 ご注意!!
  kepala (クパラ)は”頭”の意味です。 kepala anda pintar! (貴方は頭がいい)でもいいですが、otak anda pintar! (貴方の頭脳は賢い)と言ってやったほうが喜ばれますし、この人、インドネシア語がpintarと思われますよ。


スラマッ ダタン(selamat datang)はいらっしゃいませ、や、ようこその意味ですが、ここではSelamat について書く。 Selamat jalan Selamat tinggal, Selamat pagi, Selamat siang., Selamat sore. Selamat malam, Selamat tidur,
などと使う。 御機嫌よう、とか、健やかに、とか、良い~をとかの意味で使う。 おめでとう、という意味もある。
 Selamat menempuh hidup baruは”結婚おめでとう”の意味。 ”新生活突入おめでとう”だが、”健やかな新生活を”、という意味である。
単に、Selamat ya! と言う事がよくある。 その次に来る言葉を省略しているので、どんな状態でも使える。 成功を祈るや、順調にいくように、とか、相手がなにかしようとしているとき、一言声を掛けると、相手は有難うという心境になる。 便利な言葉である。
 Selamat tidur (おやすみなさい)の代わりにSelamat bermimpi(いい夢を)と言ってやれば、相手はにっこりするでしょう。
Selamat akhir pekang(スラマッ アヒル プカン)”良い週末を”、という意味ですね。
 
 この単語のように、最後がt、k、pの場合は発音しない。 発音してはいけません。 これは重要です。 日本語のようにはっきり発音したら、通じなくなるでしょう。


3 
Selamat pagi, Selamat siang., Selamat sore. Selamat malam
、の挨拶の後、必ず聞かれるか、聞く。 Apa kabar(アパカバール)は語尾を上げる。 元気? ご機嫌いかが? の意味の慣用句。 日常の挨拶である。Apa? は”何? である。 apa ini?” これ何? ”である。 ついでにkabarは知らせ、と状態、様子の合いの子のような意味。 apa kabar? を直訳すると、”状態は何? ”ということになる。 聞かれた時、答え(返事)は Baik-baik(バイクバイク)が普通である。 直訳は”良好ー良好””よいよい”である。 一寸ひねっていうと、Sedang-sedang saja. (スダンスダンサジャ)Biasa aja(ビアサアジャ)”いつもの通りさ””変わらないよ”としゃれた言い方もある。
 abar angin (カバールアンギン)の意味、分かりますか? anginは風です。 ”風の知らせ”から”うわさ”という意味になります。


4 jalan(ジャラン)の意味は;;、行程;通り;;方法などです。 英語のwayと同じです。
使用例として、Selamat jalan(スラマッ ジャラン)は”さよなら””行ってらっしゃい””気をつけて”ですが、直訳では道程が穏かで安全であるようにという意味ですから、見送る人が出かける(出発する)人に言います。 ちなみに、出かける人が見送る人にSelamat tinggal(スラマッ ティンガル)と言います。 Tinggalは”残る”から”住む”という意味です。
  sepanjang jalan (スパンジャン ジャラン)は”道のり中””行程の間ずっと”という意味です。panjang は”長い”から~の間中”という意味です。
  jalan tol (ジャラン トール)は”有料道路”、jalan raya(ジャラン ラヤ)は”大通り”、habis jalan(ハビス ジャラン)は、行き止まりだが、ハビスが”なくなる”だから”道が無くなる””もう、方法がない””いい考えがない””どうしようもない””noway”という意味になります。
Apa boleh buat!は、どうにもならないね。です。呆れて、言う場合が多い。
よく使うJalan-jalanは”道ー道”ですから、”ぶらりーぶらり”で”散歩”という意味です。 どこへ行くの? (Mau ke mana?) 今、何しているの? (Sedang apa?) などと声を掛けられて、邪魔臭い時は、Jalan-jalan saja(ジャランージャラン サジャ)、”ぶらぶらしているだけ”と応えればいい。Cuti mata
と、言えれば、インドネシア人のようです。目を洗うという意味だが、他の意味です。”目の保養”とか”ウイドウショッピング”ですね。
 Perjalanan (ブルジャラナン)は旅、旅行の意味。

 
Terima kasih(テリマカシー)いわずと知れた”有難う”である。 テリマは”受け取る”カシーは”気持ち”それもいとおしいとか愛情とか感謝の気持ちの意味。 だから、”感謝の気持ちを受け取ってください”になる。
  Terima uang (テリマウアン)”お金を受け取る”。 Terima barang (テリマバラン)”品物を受け取る”です。
カシーの使い方は、Kasihan(カシハン)”気の毒””同情する”Kasih sayang(カシーサヤン)”好きな人(子供や思う人)をいとおしく思う”です。 Saya cinta anda (サヤチンタアンダ)”私は貴方を愛します”と直接言うよりはるかに気が利いた愛情の言葉です。
  Terima kasihに対する返事は、Sama-sama(サマサマ)ですが、サマは”同じ”の意。 だから、サマサマは”お互い様”ということです。 他に、しゃれた返事は、Kembali kasih(クンバリ カシー)やkembali(クンバリ)だけを使う。 ”ありがとうをお返しします”という意味です。 恋人同士や親しい同志はこっちの方が多い。sami-samiサミサミ、スンダ語でサマサマと同じです。と言ってやれば、相手は、オッと、顔を見るでしょう。Kekasih(クカシ)ずばり、”私の恋人”です。