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2019年5月24日 (^_-)-☆スタート地点 3780 私が4年間お世話になった大学のプロファイルです。60年くらいも前のことです。当時、応用化学には、国富先生、人工宝石、特に水晶を作る技術を確立された方がいて、もう一つは、小学校の時に、山の子海の子交流会があって、私は、山梨大学の北、武田神社のすぐ横にある相川小学校へ行き、直ぐそばの塚原部落の子の家に二泊したことがあって、甲府の様子は何となく知っていたから、そして、そして、もう一つ、受験の科目が5科目と少なかったので、また、もう一つ,当時、高校の時には3000円、大学で9000円、その内の1000円、3000円を返せばいい特別奨学金の関係で、浪人は許されなかったので、梨大に入った。それが、幸いした。良き友人、先輩、後輩、教授、助教授会うことができた。

http://www.chem.yamanashi.ac.jp/

http://fc-nano.yamanashi.ac.jp/

 発酵生産学科と兄弟学科のようなものだったので、1.2年の時には、同じ講義を一緒に受けていた、ノーベル賞の大村先生、当時、発酵の助手として、講義や実験の手伝いをしていたが、ほとんど、目だたない存在だった。3年になってから、偶に見かける程度で、気に留めることはなかった。

https://sangakukan.jst.go.jp/journal/center_contents/author_profile/watanabe-m.html

 それより、同級生、昨年、私を訪ねてインドネシアへやってきてくれた同級生の中の一人、渡辺 政廣(わたなべ まさひろ)君のプロファイルだ。山梨大学 燃料電池ナノ材料研究センター長 前 クリーンエネルギー研究センター長。彼は、応化の39人の中のトップの成績。お情け卒業だった私とは、別の世界に進んだ。私は、数学だけトップだったが、総合ではブービーだった。そりゃ、勉強をほとんどしないのだから当たり前だった。

 

しかし、私が今、インドネシアでブラブラできているのは、この四年間、あったからだと思っている。就職も仕事への取り組み方も結婚も、そして、押出職人として外国へ出ることも、趣味も特技も、全て、ここから、スタートしたと思う。
 先ず、東洋プラスチック精工への就職に繋がる。への

山梨大学工学部応用化学科