ブロモ マラン バトゥ
Bromo Malang Batu
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ここはトバ湖と並んでインドネシアでは有名な場所として知っていた。一応、世界遺産だ。ぜひ展望台から御来光を拝みたいと思っていた。結局二回行っている。一度は飛行機とタクシーで一度は車でバリへ行った時の帰りに寄った。
  一回目は知らなかったこともあって、展望台が真っ暗ということと満員御礼状態で立ち居地が間違っていたので、十分な景色を見ることが出来なかった。

 辺りが明るくなり、次第にどんな場所かがわかるようになってきて、だんだん空いてきた、展望台を移動すると、すばらしい展望が現れ始めた。活火山のGn.SemeruをバックにBromoが見える、手前がPasir Laut(砂の海)が広がる。どの案内書にも載っている写真の撮影場所である。
 駐車場に向かうと大混雑、車がやっとすれ違える道の片側が駐車所になっているため、下りは狭い一車線しかない、車が登ってきたら大変である。 
 先ほどの景色を見ながら砂の海へ急降下する。砂埃だ。ブロモ山のしたにつくと、馬貸しが集まってくる。外国人と見ると価格を吹っかけてくる。階段の手前まで馬で行き馬を待たせる、其の時、其の馬のチケットをもらう。
階段は急で300段くらいあるだろうか、結構大変である。登って振り返ると見たことが無いような岩山の景色が見える。そのまま前を見るとブロモの火口を見下ろせる。休火山で少しの水蒸気がでていた。  

Bromo

1 位置とアクセス
 東ジャワ島のほぼ真ん中にある。Surabayaの南、Malangの東、Blitarの北東である。バリからオプショナルツアーで日本人も来るというが勿論私はあったことがない。
 とにかくMalangをベースにする。 東の山岳地帯がBromo側、西がBatu側である。
 夜中、一時にMalangのホテルを出発する。ここのスポットは人気があるので、出きるだけ早く駐車できる場所を見つけないと駐車しにくくなるし、かなり下のほう止めなければならないからだ。

2 展望台
  駐車場は路肩だ。車は展望台に近い上の方から一杯になる。とにかく空いているところへ駐車する。それも何回も切り替えて下向きにする。まだ上に駐車するところがあるだろうと空いているところを素通りすると、結局バックでさっき空いてた場所よりずっと下へ駐車するはめになる。ガイドと一緒なら、其のことは知っている。
  真っ暗の中、上り始める、3時半には着いたのにもう、人で、ごった返している。途中に休憩場が沢山あって、そこで、帽子やセーターを売っている。寒い。多分、10前後だと思う。防寒対策はしていった。日本ならさしずめ、お酒や甘酒を売っていそうな場所だ。ここではテーパナスマニス(Tea panas manis)甘い紅茶を売っている。5時前には展望台へ行ったがもう一杯、押し合いへしあい、なかなか、前の方には出られない。それでも、後ろから押されるので、真ん中辺りに入ってしまい身動きが出来ない。
  ご来光は6時ごろ、皆さん、胸にてを当ててお祈りしている。私は手を合わせて祈った。インドネシア人も日の出に向かってお祈りをすること知った。

祭りの時に踊る踊を練習しているところに出会った。農家の前の籾を干す広場で、近所の人たちが集まってにぎやかにやっていた。のどかな風景である。
  この地はりんごの生産インドネシア一番である。山麓一帯、高原にりんごのプランテーションが広がる。見たところ実は小さい。ジャカルタ辺りのスーパーで売られているりんごの殆どはバトゥ産である。インドネシアの青森か長野といったところでしょう。
  インドネシアで環境的に一番綺麗な町でと、私は宣言してあげたい。



3 Batu山麓

  ブロモの展望台から西の方向にGn.Batuが見える。翌日、マランから、バトゥの山麓に向かう。二時間ほど走ってCoban Rondo(チョバンロンド)に着く、植物公園になっていて、一番奥に30m程の滝がある。それだけの場所だがJagung Bakar(焼きトウモロコシ)がおいしかった。 
  バトゥの山麓をJalan-jalanした。あっちへぶらぶらこっちへぶらぶら、ヒンドゥーの遺跡が散らばっていた。またここも温泉地である。温水プールの設備や銭湯がある。銭湯といっても貸し部屋で部屋ごとに風呂が付いている。また、そこらへん全体がどの家庭でも花の栽培をしていて、前庭がお花畑になっている。スイスの町並みに似ていて、環境がすばらしい。インドネシアでこんな環境管理された地域を見たのは始めてである。やれば、出来るじゃんという感想だった。


4 Blitar
  Malangの南にBlitar(ブリタール)という町がある。ここはスカルノ初代大統領の出身地であり、今はお墓と博物館がある。大きな発電用のダムがある。これは日本の援助で作られたもので、この土地の人は日本人の誰々さんが使ったといっていた。誰だか覚えていない。

  ここより、三時間ほど南へ走るとインド洋に出る。Pantai endang Biruという漁港があり、沖の風景がミニ松島、波が荒い松島だ。漁船をチャーターに沖の島巡りをした。あまりに綺麗だったので一泳ぎした。
ただ、ここまで足を伸ばす日本人は今はいないという。