インドネシアで楽しく暮す 5-1★
私のように熟年の単身赴任の人は、一人暮らしはいけません。ですから、私は独り暮らしではありません。と、言いたいが、私は一人暮らしです。
日本にばかり住んでいる人にとってはぴんと来ないでしょうが。インドネシアでは当たり前のように外国人は、お手伝いさんを使います。インドネシア人もお手伝いさんや運転手を使うことはステータスですし、ベビーシッターを使うことも金持ち仲間に入った気持ちにさせるのでしょう。
お手伝いさんの仕事はいろいろの種類があります。どこまでやるか、それぞれがどの程度上手かで評価が変わります。掃除と洗濯は最低です。それだけなら、月給は8千円くらいでしょう。料理は程度で評価は変わります。インドネシアの一般的なものができるか、中華料理や日本料理ができるかで判断します。日本料理ができれば2万円くらいです。
一般的には、そこまで止まりでしょうが、特に若くて、かわいくて、仕事だけで何もしないのはもったいないという日本人は、合意の元に、インドネシアの奥さんになってもらう人もいます。そうなれば、5万円くらいになります。
しかし、特殊な例として、お手伝いさんは独身の振りをしているが、すでに結婚していて、子供もいるというのもありです。だんながいつの間にか転げ込んできて、一緒に住んでしまっていることがある。昼間は、家にいない日本人は其れに気がつかない。
もっと極端な場合は、寝室に踏み込まれる場合もありますから、くれぐれも注意、もっとも、これは、お手伝いさんではなくて、カラオケの女性の場合が大部分です。
インドネシアで楽しく暮す 5-2★
ひとり暮らしの熟年男性の一人暮らしは危険です。自分の体に突然、何が起きるか分かりません。心臓や脳などの突然の異変は防ぎようがありません。その時、誰かがそばにいてくれれば、助かる確率は大きいし、他人に迷惑をかける確立も少なくなります。
私は、パニック障害で実感しています。また、なんでもなかった人がある日突然亡くなった事実もこちらで数多く知らされてきました。亡くならなくても、しばらく、自宅で寝ていなければならなかったり、入院しなければならない例も沢山見てきました。そういう時、一人でなければどれだけ心強いか分からない。そういうときがあってはならないが、万が一のために、また他人に迷惑をかけないために一種の保険として必要です。
1で書きましたが、お手伝いさんは、住み込み出なく通いの人もいますし、寝る場所は一種の隔離場所、お手伝いさん部屋があって、トイレも別が普通です。これでは、万が一の時を察知してもらえませんし、呼んでも、叫んでも聞こえない場合があります。ですから、付添婦という考えで、自分とできるだけ側にいてもらうために、隣の部屋とか、近い部屋にいてもらうことです。また、風呂場での事故が多い、こちらの床は大きいタイル張りが普通です。ちょっとでも濡れていると非常に滑りやすい。ゴルグのドタキャンの理由として、シャワーや風呂を使っている時コロンで怪我をしたというのが意外に多い。
お手伝いさんという扱いでなく、同居人として扱える人を見つけることが大切です。
2004年ごろから数年間のことでした。
私は、お手伝いさん兼運転手兼付添婦としてMariaさんに同居してもらっています。私はまた、旅行が大好きですから、旅行にも同行してもらいます。それらが条件で、月4万円支払っています。それでも、高くないと思っています。
結婚してまだ、一年過ぎていませんが、夫の方はスラバヤでDHLの仕事をしていて忙しい、奥さんが私と同居していることを認めていますし、一度、新婚旅行代わりに私の家に一週間ほど泊まったこともある。私が、日本へ帰っている期間とその前後一週間ずつは夫の元に帰すことにしている。帰れば、必ず彼女の方から、決った時間に電話が入る。電話を取って、ちょっと世間話をして切るが、それが、無事の確認である。日本にいるときは彼女からの気使いは必要ないので、気が向いた時私から電話をすることにしている。いい関係だと思う。
早く妊娠してもらいたいと思っているし、本人もそう思っている。
私のように、他の日本人はできないと思う。というのは、全く魅力が無い女性でなければお手伝いさんとしてだけにしておけないからです。ちょっと魅力にある女性なら、一緒に住んでしまえばどうしても、他の女性を連れ込めなくなるし、その女性に男女関係を持ちかけてしまうからです。其れが、正常な男というものです。
大使館の人でも、JICAでもJODCなどの税金を使ってきている人たちも同じことです。私のような人は全体からみると一種の欠陥男性なのです。
インドネシアで楽しく暮す 7-1★
日本人はスポーツや旅行など昼間の活動が苦手な人が多い。それらの楽しみのない人は、他に楽しみや息抜きを求めなければならない。
一番は女性です。まず、カラオケへ行けば、女性を指名し、一緒にある時間を過ごすことが出きる。ジャカルとのいたるところ、ブカシ、チカランなど日本人や韓国人がいる町にはそういう場所が沢山ある。
女性がOKなら、一緒に外に出ることもできる。店によって違うが、アワーチャージ3万Rp(約400円)で、連れ出しは20時間(8千円)かかるのが相場だ。ホテルへ行くなり自分のアパートへ行くなりして、明け方まで一緒に過ごす。それきりの関係で終わりにする。これが一般的、健康的?な付き合いの仕方です。しかし、女性の方は、店に払うチャージ代を独り占めしたいので、個人的な付き合いを求めてくる。其れに乗せられる人が多いが、それ以後は一般的ではないし、深くなればなるほど、もんだいが起きる可能性も高いので、ご用心。女性は、貴方だけとの付き合いではないのです。信用してはいけません。
これらは中央から南ジャカルタの話。ジャカルタの北のほうへ行けば、完璧な売春場所がある。直接、その場で女性を選びそこの部屋で二三時間を一緒に過ごす。中華系の若い女性が多いという話は聞いています。15歳くらいから40歳くらいの女性だそうです。
マッサージ、これがまた、色々な形態があるようです。足の裏だけから、上半身た腿から下、これが健康的、一般的だが、日本人の多くが求めているのは中心のマッサージだそうで、需要と供給の関係で、その種のマッサージが多い。ちゃんと、目的別に入らないと、当て外れになることになるので注意。
ゴルフ場にもあるし、ジャカルタ中心のデパート内にもあるし、田舎の道端にもある。散髪屋でもやっているのが普通です。ホテルではフロントに頼めば出張で来てくれます。ブロックM近隣にはさまざまなマッサージの種類が揃っています。リッポチカランのルコ辺りにも揃っています。お互いに気に入ればカラオケの女性と同じような付き合いもできます。
私は、近所のヘアーサロンで全身マッサージを月に一回してもらいます。オカマの散髪屋です。ゴルフから帰る途中、散髪とカラーリングをします。カラーリングの乾燥を待つ間にマッサージをしてもらうのです。大変痛いが後が快適です。一時間半ほどかかるでしょうか、8万Rp(千円くらい)です。10万Rp置いてきます。どうですか安いでしょ。
インドネシアで楽しく暮す 7-2★
二番目は酒です。イスラムはアルコール禁止ですが、インドネシアはそんなことはありません。ただ、断食月になると、過激派がアルコールの規制を強要するので、政府も地方もやむ終えず自制を促す。店も、自粛するようになる。毎年、何軒かが犠牲になって店を荒らされたりしている。
一般的には全く自由です。ホテルや日本食ストランで飲む人が多い。カラオケには歌が苦手な人も多いし、一人で来てルームチャージを払うのも無駄なので、カウンターがありそこで水割りをちびちびという人も多い。カウンターバーで指名して女性とムダ話をしながら飲むという店もある。気に入ればその女性をブンクス(包む)といって、連れ出すこともできる。
どこのスーパーでもコンビにでもビールやワインぐらいは置いてある。買いこんで冷蔵庫に入れておき、晩酌や出勤前に引っ掛けてくる人も多い。無ければ死んでしまうと、自分でいうひとも何人か知っている。そういう人と旅を一緒にすると大変。地方ではあまりビールを売っていない。飲む人がいないからだ。有っても、冷えていない。まず、探して買いこんで冷蔵庫に保管しておくことが第一の気使いになる。車で行くなら、アイスボックスにビールを詰め込んで行きます。アルコールでなくソフトドゥリンクなら、どこへ行っても、望みなら、冷えたものを買うことができます。
日本酒、焼酎、至れり尽くせりです。酒飲みには自由な世界で、仲間を作ることもできるし、憂さ晴らしも出きる。恵まれた環境だと思います。日本で生活するより酒飲みにとっては恵まれていると思う。
ただしご用心、二日酔いで、炎天下ゴルフをやっている最中に倒れて死んだ人を何人か知っています。倒れて死ななかった人をそれ以上に何人か知っています。本人は気を失っているか息をしていないか心臓が止まっているだけですから、分からないが、周りの人に大変な迷惑をかけています。あってはならないことです。
私は酒、アルコールアレルギーなので、全く飲みません。酒の話になると無口になります。お付き合いを全くできません。酒好きの人の心理は全く理解できません。違う人生と人生観があるのだろうなと思うだけです。
お酒と女性にだらしないというか、無ければ生きていけない人は、金銭的な問題を起こしやすい。贈収賄や使い込み、インドネシア人はアンダーテーブルの世界であることは間違いありませんが、日本人もその誘惑には弱い。長年、購買など権利を持っている人は特に、誘惑に弱い。そんな人を何人も見ている。
日本滞在、十日間 1
インドネシアの四連休を利用し、今日、23:59ジャカルタ発で成田そして静岡の家に20日、昼過ぎに戻ります。早速、パニック障害の診断の予約とコンピュター修理の依頼をします。インドネシアでウイルスにぼこぼこにされ、色々な機能が回復されていない。特に音が出ないし、LANや電話回線が使えない。日数が限られているので、直してくれるかどうか、分からないが、とにかく頼むしかない。
しかし、そこは、抜かりなく、バックアップはしているので、もう一台が健康ですから、仕事や通信にはんなんら問題はありません。
29日まで滞在の予定です。インドネシアでは花粉症に悩まされることはありませんが、日本ではシーズンは終わりに近いですが、若干心配です。桜が早く咲きそうだという予報を聞いています。期間中満開の桜を見ることができればラーッキーかなと思います。開花予想では、静岡は毎年、日本で一番早く咲くことになっているので、期待します。
何年か前に、桜の蕾の枝を濡れた布で包んでインドネシアへ持ってきたことがあったが、
半日で満開になり、散るまで、三日と持たなかった。気温は25℃の雰囲気でした。
ということで、また、一日二日投稿はお休みになります。
日本滞在、十日間
20日、13:00 静岡、丸子の自宅に着いた。早速、近くのヤマダデンキへ行ってラップトップの修理を依頼しに行った。休日とは知らず、平日で空いていると思っていったら,とんでもない、春分の日だった。15日はかかるという、いつも決った返事、なんとか29日までには直して欲しいと頼み込んだが、後で連絡するとのことで、確約は得られなかった。
ドイツの孫に送るDCDドラえもんシリーズを5枚,一枚三千円もする。馬鹿にならないが、孫が必死に見ながら日本語を覚えてくれれば、只みたいなものである。
また、コンピュターのキーボード保護用の透明シートも買った。以前、餅に醤油を付けながら、操作していて醤油を一滴落としただけで、20万円パーにしたうえに貴重なデータが全滅してしまったことがあったので、必ず、シートの上から操作をしている。やはり、結構汚れるもので、シートの上とキーボード側の裏では艶が全然違うし、シートの汚れが、モニターに移りモニターを汚してしまう。それほど、汚れ方がひどいのです。使っていなかった時、醤油や水をこぼさなくても汚れがキーボードに落ちて隙間から中に埃がいっぱい入り込んでいたんだなと思うと、恐ろしい。
また、日本で買ったのだが予備がないのでと、人に頼まれたデジカメのバッテリーを購入。そのバッテリーはインドネシアではない。
インドネシアではジャカルタのスディルマン通りのラトプラザというところが、インドネシアの最先のIT機器を扱っている店なので、そこに無ければ、インドネシアにはない。
21日、自宅の私がいつも使う純日本式部屋は南向きで、廊下があり、縁側がある。目の前にある桜はまだ蕾が硬そう。冬と春まだ寒い時期に縁側へ座り、爪を切るのを楽しみにしている。今回も、二週間前にきった爪をそのまま伸ばしたまま帰国した。そして、今朝、手と足の爪を縁側で切った。満足。
インドネシアの生活と全く違う、殆ど、ご隠居さんの世界である。ここには、別の私がいるが、三日四日が限界だろうと思う。
日本滞在十日間 3
コンピューターの修理を終え、しっかり,声が出るようになった。これで、二台のラップトップは正常に機能する。一安心である。
表面高抵抗測定器を購入した。35万円である。これをインドネシアへハンドキャリーする。丁度、ラップトップと同じ大きさで、重さはより軽い。持込で問題が発生しないことを望む。その他に、工具類も持ち込む。
PT.KGSの本社副社長の訪問を受け、押出装置の全面移転を提案された。ごもっともであるが、PT.AFMIの方はどう出るだろうか、利益と売値との折り合いだと思う。AFMIの本社の担当をしている。F氏に会って、その提案を伝えた。お二人の話し合いを設定して、私の役割は終える。希望としては、全面移転がスムーズに行われることを望む。
南部化成の佐々木会長と久しぶりに面会した。とんでもないことを頼まれてしまった。
PT.KGSの買収の仲介を頼まれた。成功するかしないかはK社の副社長の意向が大きいので、私から、佐々木会長の意思を伝えることを約束した。
もう一つ重要な約束をした。2010年、南部化成のテクノセンターで仕事をすることである。丁度、二年後である。本音は、その時、すでに私は必要でなくなっていることを願う。しかし、必要が継続していれば、喜んで、南部へ行くつもりである。それまで、佐々木会長も私も健康でいましょうと話し合った。ただし、田中さんが亡くなってしまったことや、富澤さんが退職したことなど、南部工業時代からの侍がだんだん離れていくことは寂しいと本音を言っていた。その意味でも、私が側にいることを望むのでしょう。
後は、インドネシアへ持っていく、インスタント食料品やお菓子類を購入し、バゲジを一杯にすることです。インドネシアでも売っているが、価格は5割増しなので、できるだけ向うで購入したくない。
忙しく、あわただしく過ぎていますが、30日朝、6時半には静岡の家を出発する。
24日月曜日には、K社の副社長が太田化工へわざわざ見えられ、私と面談をしました。大変重要な相談でした。私が、10年ほどお手伝いをしていた、PT.K社の押出成型部門を全部、私がいるPT,AFMIに身売りをしたいという提案でした。この話の直接交渉権は私にはありませんが、当然私がOKしなければ、話しのスタートができないことです。
私は大賛成でした。一台や二台は面倒だし、其れに関わる人たち、特に、インドネシア人スタッフに大きな不安を与えます。客先にも不安を与えます。私自身はインドネシア人スタッフト、日系企業客先に対し、責任がありますから、それらにできるだけ不安を与えないように行動しなければなりません。現在の本当の責任者はPT.K社の責任者二人にありますが、彼らはあまりにも無知だし行動力が無いので、こういう事態を招いたのです。それらに責任を取らせても仕方が無い話です。
ある時を目標にして、一括で、機械、人、仕事を移してしまう。ことが重要です。
25日は南部化成の佐々木会長と会ってきました。かなりの勢いで業務を拡大しているようですが、やはり、大変だと思う。私はできないというか、向いていないと思う。脱帽です。生き方が違うと思った。まだまだ、止まりそうにない。ただし、田中さんが亡くなってしまったことや、富澤さんが退職したことなど、南部工業時代からの侍がだんだん離れていくことは寂しいと本音を言っていた。私に、早くインドネシアから戻って、南部化成のテクノセンターに来て欲しいと頼まれた。2010年4月を目途に、ご希望に添えるようにしたいと仮約束のようなものをしてしまった。
もう一つ、重要な約束は、PT.KGSを南部化成が買収することです。その仲介を頼まれた。北川副社長にその提案をすると約束してしまった。どう乗って来るか、見ものである。現実的にそうなれば、いやいや、余計なことを臆測するのは止めよう。
26日PT.AFMI本社に当たる厚木の藤沢電工の高橋常務に北川副社長の提案をお伝えした。ぜひ、進めて欲しい気持ちを訴えた。
インドネシアの日系企業の押出成型を全部私の所に集約することになります。私の責任はなお重大になります。パニック障害などといっていられません。私の肩に重くのしかかってきますが、やりがいのあるジョブです。それを2010年4月までに完成させなければなりません。できるかな。
日本滞在十日間 4★
現在ジャカルタタイム30日22:00である。日本時間は00:00のはずです。昨日朝、06:20に家を出て、新幹線と成田エックスプレスで09:30成田着、11:00発バリ、デンバサール経由でジャカルタ着が現地時間19:40車を飛ばして家に着いたのが21:30でした。家をでてから15時間の長旅でした。JALなら、ジャカルタ直行便があるのですが、4~5万円余分にかかるので、使わない。
シャワーを浴びて今から寝ます。
寝る前にこれを書いています。昨日土曜日29日は静岡産業大学の三年になるヤント君と久しぶりに会い、インドネシアからの食料品の土産を渡した。彼の希望で、日本平へ行ってみた。桜が満開でその前の日と連続で、満開の桜を満喫した。何十年ぶりのことでした。インドネシアには全く有りません。よく分かりませんが、桜にとっては四季が必要なのでしょうね、
明日は6時起きで久しぶりに出勤です。目当てのマシンはまだ入っていない、との情報でした。
インドネシアで楽しく暮す 2-1
インドネシア語を覚えましょう。1
インドネシア語は日本語とよく似ています。RとL, NとMの使い分けが日本人にとって難しく、できないとあきらめれば、その他は、非常に簡単です。ただ、記憶をするだけです。文法など全く必要ありません。
記憶力がだめな人、記憶する気がない人、この種の人は、インドネシア語に限らず、仕事もだめな人です。ですから、仕事がだめでない人にとっては日常の生活の中で覚えてしまうのです。日常の生活の中で覚えられない人は、何年過ぎてもだめです。
学校へ何年も通ったり、通訳に頼ったりしている人で、日常会話が普通にできるように自立した人に会ったことがありません。覚えないからです。それが、分からない人は、何をやってもだめです。
仕事とインドネシア語は共通しています。その言葉の土地にいて生活しながら、仕事をしながらなら完全に共通である。両方ともセンスの問題である。
覚えること、覚えるとは自分で覚えるのです。他人に教えてもらっているときは覚えている時ではありません。覚えている時は一人でいる時です。他人がいれば邪魔です。それを、学校通ったり、家庭教師を読んだりして勉強しても、その人は、時間を浪費しているだけです。その時間、単語を覚えればいいのです。この考えに賛同しない人は、インドネシア語ができるようにならない人です。
インドネシア語がなかなかできるようにならない人で、仕事はできると思っている人は、思いが間違っています。他人から評価すれば仕事もできない人です。他人はそういってはくれませんが、腹ではそう評価しています。自分がなかなかインドネシア語が上達しない人は、仕事に関して他人からの評価も低いと自覚してください。
逆にインドネシア語の上達の早い人は、仕事もできると自覚していいのです。もっとも、ろくに、インドネシア語がブロークンなのに、通じると誤解し、自分はインドネシア語がうまくなったと思っていて、仕事もできると思っている人は何を言わんやです。
外国で住み、そこで仕事をしている人はその国の言葉を早く覚えた方が、自分の住み心地もよくなるに決まっています。現地人からの見る目が違います。ぜひ、外国語は早く覚えることが出きる人であることを祈ります。
ちなみに、私は半年で日常会話はOK一年で仕事に関する専門的な言葉表現もOK,二年以内には、冗談や駄洒落をいいながら、どこへ一人で行っても、心配することはなくなりました。
インドネシアで楽しく暮す 2-2
インドネシア語を覚えましょう。2
最近は日本も同じだと思いますが、テレビドラマやコマーシャルなどで表現される言葉が流行り言葉になっていて、それは、勿論移り変わります。
例えば、Tuh KangとかCapek Deh~~~などのようにジャカルタ付近で特に流行っている一種のジャグ言葉です。
そこまでは覚えなくても、誰もが、ふつうにしゃべる言葉については、楽しみながら、間違えても、冗談のような振りをして、どんどん使うことです。間違っていれば、必ず直してくれます。インドネシア人も日本人が一生懸命、思い出しながらしゃべろうとしていれば何とかしてあげようと思うはずですし、親しみを持ちます。
そんなことを交えながら、私のインドネシア語講座に単語を並べています。どんなものか一度覗いてみて下さい。きっと、なれない、耳障りのない言葉ですが、覚えやすいと思います。
昨日、2年、こちらに住んでいる人とジャカルタで食事をしました。カラオケでにぎわうブロックMの外にある、通称、連れ込みホテル Hotel Merawaiにある日本食レストラン”力士“でした。初めてでした。アンコー鍋を突っついたが大変おいしかった。しかし、満腹で2時間近く運転士住処のデルタマスに戻るのは大変だった。
前置きは長くなりましたが、その食事をしながら工業団地の話しになり、その人がKarawang Barat(西カラワン)というべきなのに間違えてKarawang Berat(重いカラワン)と言ってしまった。本人間違いに気付いていない。私は間違いにすぐ気が付いたが、だまっていたら、その人の連れの女性が大笑い。真剣に言った言葉で大笑いされて、本人何事かときょとんとしている。しかし、そのあとすぐに間違いに気付いた。そして、なんだったけと聞いた。教えられて、彼はその言葉は絶対に忘れないでしょう。
私も以前、雨が降り出したとき、小雨の意味で、Gratis(只、無料)と言ってしまった。本当はGrimisと言わなければならなかった。その人たちに、今でも小雨の時はグラティスといわれる。絶対に私も忘れない。
他のもこういう例は山ほどある。
バリへ観光力する人も、買い物をする時の言葉くらいは是非飛行機の中で覚えていただいて、実際に使ってみれば絶対にその言葉は忘れないでしょう。それが、覚えるこつです。
只ひたすら覚えること、そして、使うこと。覚えない人はそれをやっていない人です。
今日、今からスマトラのパダンとブキッティンギへ出かけます。戻りが9日の夜です。投稿は続けたいのですが、携帯の電波の都合で、送信できないかもしれません、その時はあしからず。
インドネシアで楽しく暮す 10-1
年金生活者の長期滞在 1
仕事をリタイヤし、まだ元気なら、日本の家に閉じこもっていては物足りないと言う人は何かと体を動かしたり、違う世界を見てみたいと思ったり、今までにない人生を送ってみたいと思うのが自然です。その中の一つの選択肢として、国内、外国での経験のない場所での生活があります。国内なら、言葉が分かるだけ、障害は少ないでしょうが、海外でとなると、夫婦のどちらかが海外生活経験があるとか、英語がある程度自信があるといった不安を取り除く何かがないと、思い切ることはなかなか難しいと思う。
それでも、今では、一度は海外で長期滞在生活をしてみたいと思う人も増えてきた。その、斡旋も商売として成り立つようになってきた。有名なのはオーストラリアかマレーシア、大体、日本人の集団生活が出来て、日本食のスーパーマーケットやレストランが揃っていて、清潔な町並みが用意されている場所に限る。日本にいるのとあまり変わらない感覚で過ごせるところが多い。それはそれで、そういう人たちにとっては外国暮らしというのでしょうからそれでいいのでしょう。
しかし、私が考える外国暮らしとは、文化も生活程度や感覚が異なった人たちや雰囲気の中に飛びこんで、日本では味わえないお付き合いをするということです。
なじむかなじまないかは、ちょっとした?人によっては大きな冒険か賭けでしょうが、一度、経験してみるのも一つの方法化と思います。案外、自分を見直すチャンスになるかもしれません。とく込むことが前提で、多少は無理もしなければならないと思いますが、だめならだめで元に戻れるわけですから、やってみる価値はあると思います。
ちょっとでも、その気があるなら、えいやっと、飛び込んでみたらいかがでしょうか。そこで、私はインドネシアをお勧めです。
インドネシアで楽しく暮す 10-2
年金生活者の長期滞在 2
日本人は単身赴任が大部分である。それだけ、三十台四十台の人が少ないともいえる。義務教育の日本人学校の生徒数全体で、600人ほどらしい。9学年だから、一学年60~70人ということになる。韓国人学校の人数の1500人を超えるという。若い世代の赴任者が多いからだ。
ジャカルタ以外に家族ずれで住んでいる日本人はいないが、韓国人はブカシやチカランあたりにでも家族ずれで来ている人たちが住んでいる。
熟年夫婦が年金で生活するなら、そのためのVISAを申請し取らなければなりませんが、その前に、一ヶ月の観光ビザ(到着した空港の入国スタンプのカウンターの手前に観光ビザの申請発行のカウンターがある)で入って、さまざまなことを事前チェックする必要があります。友人が滞在していればそこにお世話になる方法が一番いいでしょうが、気楽に過ごしたいなら、安ホテルを選ぶことです。高級ホテルは安心安全気分と交換に一泊一万円くらいを払わなければなりません。また、それではインドネシアの現実を見ることに多分ならないでしょう。ですから、賛成できません。
現実を見るには、インドネシア人しか泊まらない、あるいは、外国人の若者が泊まるホテルがいい。空港で、タクシー、ブルーバードに乗って、安宿に連れて行ってもらえばいいと思う。こんなことは危険すぎると感じる人もいます。どこで何しようと100%安全はありません。何処までが限界かは自分で判断するしかありませんが、私は、気持ちとして80%安全なら、OKとして行動します。
ジャカルタ市街地に安宿は一杯あります。高級、両高級ホテルも一杯有ります。東京と同じです。違うのは、危険度と汚さと臭さが気になることです。それを経験しなければ、下調べをしたことになりません。実際に住み続けるには、どんな障害があるのかを知らなければなりません。斡旋する会社のガイドに連れて歩かされるのでは、良いところばかりを強調されて、いやなところは覆いかぶされて見えないようなされてしまいます。
自分で行動して、歩き回ってください。身振り手振りで聞いて自分の目的が果たせるかどうかも経験です。実際に住めばそういう局面は日常的にあることです。
インドネシアで楽しく暮す 10-3
ジャカルタの高級住宅地の一軒家なら、月1500US$以上ですが、警備もしっかりしています。家族同伴赴任者、ある程度の大企業の子会社の社長さんなどが入居しています。1000~1500US$でしたら、高級住宅地ではなくて、ジャカルタの町のあちこちに林立しているアパートの月家賃です。日本人の単身赴任者の90%以上はこの範囲内で住んでいます。勿論、車と運転手は会社から支給され、お手伝いさんも雇っています。
年金生活者も家賃はこの感覚でしょうか、日本円で15万円くらいのところが値段面、安全面、利便性で無難なところだと思う。
日本の田舎に住むように家賃5万円程度では、環境面、安全面で心配することが多くなると思います。
私を標準に考えれば、街中でなく、郊外の分譲住宅地を推薦します。家賃は3万円程度で、一軒屋で二階建て、広いリビング、ダイニング、ベッドルームは三つ以上。トイレは三箇所、バスタブの部屋もある。日本なら豪邸である。いま住んでいる家は1.5万円くらいだが、間もなく、2.5万円の家に引越しする。ブカシで医者を開業している人の週末憩いの家のつもりだったが、それどころでなく、殆ど使わないので、貸し出しの張り紙を出してあったところに目をつけて、契約することにした。
折を見て、新居の紹介をWEB SITEでしようと思っている。そんな豪華で安い家に住むことができますが、条件は言葉がある程度できて、現地人とコミュニケーションが出来ることです。いつも日本食というわけには行きません。出来るだけ現地人になることです。
住宅については完全に満足しています。庭にバナナの木やパパイヤの木も植えました。また、ウサギを飼いだしました。
永住したい気分ですが、日本にいつかは帰らなければならないのが大変残念です。
インドネシアで楽しく暮す 11-1
年金生活者や一般的な仕事で赴任してきている人々は、休日は何をしましょう。
同好の会 1
私は個人で好きなようにコーディネートして動き回るのが好きで、ほかの人の計画に沿うって動くことが苦手なので、参加したことはありませんが、インドネシアを旅する会 インドネシアを歩く会どちらもジャカルタ新聞に催しの案内が出される。自由参加だと思う。
世話が好きで、自分でも歩き回ることが好きな方がボランティア的に主催しているのでしょうが、敬服します。私にはとても出来ません。
ジャカルタ近郊、いわゆるJABOTABEK(ジャボタベック)ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシの山や丘陵地を歩くことが多いようです。旅をする会は私が行っているような場所へ団体さんで行くのですが、両方とも幹事さんは下見に一度訪れているのでしょうか、大変詳しく、案内をされているようです。旅をしたい方は一度参加してみたらいかがでしょうか。歩く会は、良い運動にもなるでしょう。
将棋については出ていませんが囲碁の会はジャカルタ新聞にお知らせが出ています。ジャカルタ、スディルマンのスミタマスビルにある日本文化センターとでもいうのでしょうか二階で金曜日の夜だと思いますが同好会が開かれています。私は、7~8年前に一度行ってやって見ましたが、自宅から遠いことが最大の理由でそれ以後は行っていません。土日には他にやりたいことがたくさんあるので、行く気になれません。本当は私みたいな人間が世話役を買ってでればいいのでしょうが、見送っています。
インドネシアで楽しく暮す 11-2
同好の会 2
ソフトボールは大変盛んです。第五部まであると思います。チーム数は30を超えるのではないでしょうか。よく遣ると思います。一部二部なら、試合結果がジャカルタ新聞に載ります。若い頃野球をやっていた猛者も多く、趣味程度では上位チームでは出場機会は無いし、参加には厳しいので、趣味で遣るなら、三部以下のチームをお勧めです。まじめに本格的に遣るなら、強いチームを選べばいい。会社関係のチームが多いがそれだけではメンバーが揃わないので、なんでも、上手な人なら、何処のチームも大歓迎である。
サッカーも盛ん。ソフトボールと同じくらいに参加者は多いが、これも、構成メンバーが多いし、ギリギリのチームが多いので、試合をサボるわけには行かなくなる。
色々な人がいる物で、野球もサッカーもゴルフもまたバスケットボールも遣ってしまう人もいる。同じ日に二種目こなす人もいる。そこまで、しなくてもいいと思うのだが、それはその人次第である。それも、そう若くない人である。
スキューバダイビング、老年に差し掛かっていり方でも、張り切ってライセンスを習得する方がいます。ジャカルタに二箇所講習場が有るようです。実地と筆記のテストはランクによって厳しさが増しますが、インストラクターまで取る方もします。マナドやロンボク、プラウスリブ、カリムンジャワなどなど、もぐる場所は数限りなくありますから、年に何回かもぐりに行くようです。釣りが趣味という人は尊敬しませんが、スキューバダイビングが趣味という人は尊敬します。ただ、毎年、日本人とは限りませんが、事故が報道されています。くれぐれも、インストラクターと共に潜り、単独にはならないように注意してください。中には夜もぐる人もいます。特に注意です。
インドネシアで楽しく暮す 11-3
同好の会 3
合唱団、何処の世界にもいる物です。私の知り合いにも何人かいます。ラグラグ会、が有名ですが、他にもいくつかのグループがあり、毎週一二回は、集まって練習しているようです。大学時代に合唱を遣っていた方がリーダーになって、熱心に遣っています。団員募集の広告が頻繁にジャカルタ新聞に載っています。帰国退団する方がいるので、常に補充をしなければならないのが悩みの種でしょう。
色々な催しに参加し、日本とインドネシアの橋渡しのような公共的なことも遣っていますので、何かと催しが優先され、其れに伴って義務的な要素も出てきます。気楽に出たり入ったりが、出来ない一面があるようです。でも、好きな人は好きです。熱心な方も非常に多いと聞いています。また、公演の時は宣伝もしなければなりません。
おおきなグループが二つあるようです。
そのほか、日本文化センターへ行けば、色々な趣味や特技の人たちの集まりがありますから、参加してみたい方は、一度、訪ねてみたらいいと思います。ボランティア的な役目の仕事でしたら、さまざまな機会があると思います。インドネシア人の若者と生の日本語で話す会とか、バザーの手伝いとか、お祭りの手伝いとか、その気になればいくらでもあります。祭りのおみこし担ぎ募集や着物の着付け役募集もあります。
日本映画の鑑賞会も頻繁にやっているようです。無難な日本の観光バスでやるようなものばかりですが、日本人向けというより、インドネシア人に日本文化紹介の要素の方が大きい。
生花やお茶の席とか、染物の会とか、バティックの会とか、女性の愛好者を主体に集まる会も沢山あるようです。インドネシアで何も遣らなくてもいいと思うのですが、遣りたい人は何処でもやりたいのでしょう。自然に集まるようです。
同好の会 4
ゴルフの会は数え切れない。とにかくコンペだらけである。何処のゴルフ場へ行っても一つや二つの日本人関係のコンペが催されている。そこへゆくと、不思議なことに韓国や他の国の人たちのコンペは殆どない。インドネシア関係も殆どない。私がメンバーのJababekaでは警察、軍、政府、行政関係者のコンペが二ヶ月に一回ほどある。
それはそれとして、なぜ日本人のコンペティションはこれほど多いのでしょうか。
女性のゴルフ熱も大変旺盛で、平日、ジャカルタの真ん中のポンドックインダー辺りで、女性と割引が二つ重なって、メンバーより安く出来るらしい。奥様がゴルフやお稽古事、旦那は会社で仕事、是が一般的な家庭です。土日に奥さんと一緒にゴルフというのは非常に少ない。奥さんも旦那と同じく高い金額を払わなければならないので、損をした気にさせられるからでしょうし、奥さんは平日やっているので土日は休養でしょう。
多くの奥さん連中は、生活をエンジョイするために仲間を作り、普段はお手伝いさんと運転手を使い、日本にいたら出来ない、贅沢感あふれる生活が出来る。閉じこもりは少数だと思う。旦那が、帰国することになった時、奥さんが残念がる。「貴方だけ帰って、わたしはのこりたい」と言う奥さんが多いという。そういう方たちは将来またインドネシアへ来る可能性が高い。
講演会やスポーツイベントも結構多い。ジャカルタを中心に、スナヤンの競技場や見本市会場や各種ホテルで催される。日本の地方に住んでいた人たちは日本ではみる機会がない催しが多いと思う。先日もバドミントンの試合で潮田選手などが来ていたようでした。
インドネシアで楽しく暮す 14-1
安全、安心 1
土曜日は近くのジャバベカでゴルフを楽しんだあと、火山ガルングンというところに行ってきた。バンドンの南、ガルットとタシクマラヤに真ん中に位置する。
この手記は、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/index.htm
で。紹介しています。
ココ何年かの日本は決して安全、安心な国とは言えなくなっている。イスラム過激派の自爆テロはないが、わけのわからない、心理的に理解のできない犯罪が急増していて、安全な場所は少なくなっているように外から見える。どこで、何が起きるかわからないから、町を歩く時は周囲を注意しなければならなくなった。日本は大丈夫でしょうか。日本は精神が病んでいるようだ。そういう点ではインドネシアのほうがよっぽど安全です。
それは日本のこととして、インドネシアはどうでしょうか。無差別殺人は聞いたことがありません。精神が病んでいることが原因でなく、貧困が原因の犯罪がおおいような気がする。
他の日本人には安全、安心と思えないだろうことを私はやってしまっているので、あまり、言えた義理ではないですが。一般的な安全安心について書きます。NHKの海外安全情報をたまに見ます。同じことを繰り返しているし、情報が古いし、当たり前のようなことを言っているし、直接、自分の住んでいる地域には無関係なことが殆ど、などなどで、役に立たないと思っている。この番組を制作している人は、ご苦労様です、と、言いたい。
インドネシアで楽しく暮す 14-2
安全、安心 2
日本の工事現場に“安全第一”の看板が大きく出ています。こちらでも、“Utamakan keamanan”と書かれています。同じ、安全第一の意味です。Safety Firstですね。万国共通です。
日本のトラックの後ろに車間距離注意と書いてあります。こちらのトラックにも
Jaga Jarak”距離を見張れ”という意味です。
しかし、その標語がこちらでは全く意味をなしていない。車の事故と渋滞は日本にも勿論ありますが、こちらは、感覚として頻度は二倍、酷さも二倍、だから、四倍の死者と怪我人を出していると思う。物の損失も四倍だと思う。40フィートコンテナがひっくり返っている頻度はジャカルタ、チカンペック間だけでも一日一台ではあります。
その、高速道路を最低毎日朝晩往復しているのです。私は二区間だけですが、それでも二日に一回は道路から飛び出して横倒しになっているトラックやバスに会います。ちょっとした追突事故は事故に入りません。
日本人は是に対処しようがありません。ただ、無事を祈るだけです。事故に巻き込まれた日本人は日本人の比率程度はあるので、日本人だから特におおいというわけではありませんが、私自身、人身事故の巻き込まれたことがないのは、本当にラッキーだと思っています。あわやと、一瞬思ったことは三回あります。これはインドネシアだからではなく日本でも同じことです。
インドネシアで楽しく暮す 14-3
安全、安心 3
日本人は安全と水は只だと思っている、というのは、すでに一昔前の話しだと思いますが、ここインドネシアでは、両方とも本当に只ではないと最初から印象付けられています。とにかく、水はボトルの物しか飲めません。公共の場所でも家庭でもそうです。水は買って飲む物です。レストランでもお茶が只で出てくるところはありますが、水が只で出てくるところは殆どありません。もし、出てくるなら、その分はメニューの価格に上乗せされているはずです。水の価格も種類によって、場所によってまちまちです。一般的に私たちが町のそこらへんで買うのは600mlボトルです。安いのはやはりスーパーマーケットです。
水は買ったものが絶対細菌など入っていないと思うことは錯覚です。安心できません。しかし、私は信じて安心だと思って飲んでいます。体調や体質にも依るでしょうが、また、飲む時の容器の消毒にも関係あるでしょうが、よく、お腹を壊したという話は聞きます。 知っている人で一番水に気を使う人は日本食スーパーで日本から輸入のボトルの水しか飲まない。歯を磨いたり、口をゆすいだりする時もその水しか使わない。お手伝いさんが食器や野菜を洗う時はボトルの水を使わせる。水道からの水は洗車や植物への水遣りにしか使わない。
インドネシアで楽しく暮す 14-4
安全、安心 4
日本食レストラン以外では食事をしない。そこでも、生野菜や生魚は食べない。ちゃんと火を通した物だけしか食べない。道端で買って食べることなどとんでもない話。用心には用心を重ね、是だけ気を使っていれば大丈夫かというと,案外そうでもない。
そういう人に限って、インドネシアの細菌はいたずらをする。無菌室で栽培された実験動物のように、一旦、出会ったことが無い、それほど強くない細菌に出会ったとき体が対処できなくて、酷い症状になる。
インドネシアの細菌に侵されて再起不能になった人はいない。私は、何も恐れることは無い、どんどん、現地食に挑戦した方がいいと思う。免疫を早く作ってしまえば、インドネシアの細菌におびえる事は無くなる。ま、人によりけりですが。
日本食レストランは冷蔵庫を持っている。だから、安心、でしょうか。そうは、私は思わない。調理の道具や食器皿など熱湯消毒でもしているのでしょうか。そこまでしていない。水道の水で洗って、放置して乾かしているだけである。どこが、現地料理レストランと違うのでしょうか。何も違いはしないと思うのだが、日本食レストランなら安心と思っている人が多い。出張者、特にお偉いさんが来た時には、皆さん大変気を使う。年を召した本社の社長さんなどの場合は、万が一でも帰国してから下痢になったなどという報告はもってのほかなので、気の毒なくらいピリピリする。
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安全、安心 5
日本の食品管理に対するストレスは大変な物だと思う。食品の偽装問題が後をたたない。何処もかしこも信用できない。外国産の食品、食材に対しても厳しいが、ほんの一部しか検査が出来ないのが現状でしょう。だから、輸入業者を信用するしかない。自給率について言われだしたのは何十年も前の話で、いまさら、自給率のことをいっても、対策しても無意味である。
安全保障上問題だ、という人も多いが、いまさら、持久戦もあるまい。戦争もあるまい。外国産を食べればいい。自給率にこだわることが変。世界はみな兄弟の精神で。
ここ、インドネシアに住んでいれば、否応ナシに外国産100%に近い食事をします。チェック体制、そんなものは無いと同じです。それでも、心配な人は日本食材スーパーで調達しますが、これとて、売っている大部分はインドネシア産である。包装が綺麗なだけで、中身はどこのローカルのスーパーマーケットでも同じである。
安心感を少しでも高めようとする考えは、現実を見ていないで、思い込みだけで占めている。無農薬野菜と言ったって、日本ですら信じがたいのに、インドネシアで信じて良い訳が無いのにである。
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安全、安心 6
交通以外は日本よりインドネシアのほうが安全だと思う。それは、置き忘れたものが落し物として届けられる確率は確かに日本のほうが上だと思うが、車上狙いやサイドミラーをあっという間に持っていってしまう子供たちもいるが、貧困が原因の犯罪である。
セキュリティのシステムは日本のほうが進んでいると思うが、セキュリティを使う場所や人は圧倒的にインドネシアのほうが多い。全ての会社で警備員を使っている。例外は全くといってない。どんなに小さな会社でも使っているといっていい。特に外国企業、中華系企業は厳重である。
何処の工場でも三交替でセキュリティがいる。出入りの車は全部チェックする。社長の車でもトランクを開けてみる。従業員の持ち物も門の手前で、チェックをすることが普通である。ざっとではあるが、効果のほどはしらないが、やらなければ物が無くなることは確かである。
セキュリティも完全に信じることは出来ない。彼らは一種の権限を持つわけで、何かを誰かが持ち出すことを見過ごすことも出来るのです。実際、その逆で、従業員が会社のものを持出したり、外部の物の侵入を見てみぬ振りをすることも出来るのである。一般的に、会社で雇った警備員は長くいると必ずそういう誘惑に負けてしまう者がでてくる。近頃は、警備会社から警備員を派遣してもらう会社が増えている。自前で雇うよりは高くなるが、是も信頼できるかどうかである。日本のセコムもおおく使われている。警察や軍でも警備会社を経営していて、派遣業をやっているので、それらを使う会社もおおい。
インドネシアで楽しく暮す 14-7
安全、安心 7
一般的に分譲住宅地は、外国人専用や金持ち専用の高級地でなくても、セキュリティは大勢雇っている。私が住む地域は、一般小金持ち向けの分譲住宅地ですが、分譲地全体のセキュウリティもいれば、その中のコンドミニアムとでもいいますか、一角を所有し貸し出したり売り出したりしているしゃれた名前がついた塀に囲まれた分譲地もある。それぞれ入り口に守衛が何人かいて24時間体制で出入りをチェックしたり巡回したりしている。
彼らとは必ずといっていいほど顔なじみにある。会えば必ず挨拶をする。車が家から出る時に彼らがさしかかれば、誘導もしてくれる。
自治会で、当番制で見回りとか、アパート地域の出入りチェックはあるが、日本にはこういうシステムは全く無いし、警備のために分譲住宅地の管理者が警備員を配置することはまれである。その点、こちらでは全く当たり前である。
だからといって、泥棒に入られたという話をまったく聞かないわけではない。極まれにはある。そういう場合、ひんぱんに起きたりすれば、警備会社を替わることもあるので、警備会社もいとう真剣である。
年金生活者が長期滞在する住宅地も必ずこういう場所になるはずです。
インドネシアで楽しく暮す 14-8
安全、安心 8
ショッピングセンター、モール、デパートの館内、駐車場も含めて敷地内、警備はどうか、何処にも必ず目に付くところにセキュリティはいます。どこにいても、セキュリティが見えなくなる場所はありません。トイレの中以外。
何階建ての建物ならどこの階にもいます。
車が駐車場に入る時、大概、チケットを受け取ります。その時、車のロックをフリーにしてそこにいるセキュリティがトランクや横のドアーを開けてチェックします。もう少し、厳重なところは鏡で車の下をみます。
手荷物、バッグなどは売り場に入る時、カウンターで預けます。そのまま無視して持って入ろうとすれば呼び止められます。スーパーマッケットは100%そういうシステムです。デパートへ入る時はいいのですが、その中のスーパーマーケットへ入る時は預けます。
会計は必ずカッシールと書かれたカウンターで支払います。品物はそこで受け取ります。これは、スーパーマーケット以外です。購入したいものが決ったら店員に請求書を書いてもらいます。それを持って、支払カウンターで支払います。先ほどの店員がその品物を其の場に持ってくれば、そこで受け取りますが、持ってこなければ、領収書を持って、先の売り場に戻って品物を受け取ります。売り場とさらい場所が遠ければ店の中をうろうろさせられます。
完全に、買う人を疑っているし、店員も疑っているシステムです。
インドネシアで楽しく暮す 14-9
安全、安心 9
レストランの支払いは食べ終わったら、店員を呼んで、請求書をテーブルまで持ってこさせます。そこで、伝票を確認し、払います。店員が支払いカウンターへいって払ってきて、領収書を持ってきます。お釣りがあれば、その時わたされます。
日本のように伝票があらかじめテーブルに置かれることはありません。
支払いカウンターにはその店のお金の責任者が座っていて、常に店中を見ています。
日本のレストランチェーン店のように、テーブルにおいていかれた、伝票をもって、帰るとき誰もいないカウンターで店員を呼んで支払うなどというのは、どうぞ、払わないで帰えってしまっても良いですよ、と、言っているようなもの。こちらでは有り得ない話しです。
サービスが良いのか疑っているのか良く分かりません。ときには、テーブルにクルプックというせんべいのような物や袋詰めのお菓子がおいてある場合は自由に食べていいのだが、店員を呼んだときに自己申告です。これは客を信用しています。
ま、インドネシアのレストランで食事をした時は、お金の支払いより、お皿が汚れていないか、サジやフォークが汚れていないか、汚れていれば置いてあるティッシュで拭きます。良く見られる風景です。汚れていなくても習慣で拭いている人が多い。
トイレットペーパーが真ん中から引き出して使える様のプラスチックの容器に入れられておいてある店も多い。
インドネシアで楽しく暮す 14-10
安全、安心 10
経営側の安心という意味で、工場のセキュリティについてすでに触れているが、いても、工場の盗難も多いと聞く、コンピューターが何台か一編に事務所から消えていたとか、プラスチックや金属材料が倉庫からごそっとなくなっていたとか、製品がなくなっていたとか、ボールペン製造会社や化粧品会社など大物でなくて、直ぐ売れる製品です。
長期休暇中、特にレバラン休暇中の盗難は毎年、恒例のように聞く。私がいた会社の例では、プラスチックの原料が5トンほど消えたことがある。結局、セキュリティが見逃したか、手引きをしたかに決っていますが、誰が犯人か、いつなくなったのか特定できなかった。そこで、長期休暇の前には、原料の袋を追跡しやすいように、赤のスプレーを大量に吹き付けた、その上、透明シートで何個かの一トン積みパレットをがんじがらめに巻きつけて一つの大きな塊にした。それ以後は盗まれる事はなくなった。
私の会社では、その他に、良品の在庫をNG品と入れ替えたり、きれいに梱包してある製品の梱包を外部から傷つけたり、明らかに、嫌がらせの事件が頻繁に起きた。是も、誰がいつやったのか特定できない。そして、これは、内部の人間の仕業なので、いつまた起きるか分からない、忘れた頃に起こるかもしれない。それも、日本の客先で発見されるので始末が悪い。
会社の雰囲気が最大の原因である。労使関係とか、日本人のインドネシア人に対する接し方などで恨みをかうとか、日本人の精神的不安定などが陰湿な嫌がらせを招く。
家族が一緒に赴任していて、金を渡さないと奥さんや子供を誘拐するぞという脅しをかけられた日本人も知っている。しかし、その日本人は、若いが怒りっぽく、私が一緒の時でも運転手をしかりつけていたくらいだから、私がいない時、ほかの人がいない時にはもっと辛らつに怒るだろうなと想像できる。
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安全、安心 11
楽しく暮すがテーマだから、不安は出来るだけ少なく安心して生活できることが前提です。大使館の情報や注意は人がおおく集まるところには出来るだけ近づかないこと。と、いうのが必ずある。もちろん、人だかりがしているところに、興味深げにのぞきこみに自分から行く日本人は少ないでしょう。しかし、私は、人だかりになっているところは何かしてしるか、何かあったかの場所ですから、通りかかれば、興味しんしんで何事かと近づいて見たいという衝動にかられます。実際、止まって見るか、中まで入っていくかはその時の自分が急いでいるかいないかによります。時間に余裕があれば、みます。写真も撮ります。これから事故や事件が起きるのではありません。既に起こったことですから、もう安心です。だから、大使館の注意は通り一遍の原稿書きに過ぎないと思っています。
お祭りでも結婚式でも、ワヤンの上演とか、パサールマラームと言って、移動遊園地付きの夜の安物大売出しの集団です。皆、賑やかです。
今、政党のキャンペーンが解禁になって、国会議員選挙運動が始まっています。これも賑やかです。危険を感じたことはありません。むしろ安心して近づきますし、中に入り込みます。無関係の人間でも歓迎してくれて、どうぞ一緒に楽しんでいってくださいという雰囲気になる。
インドネシアで楽しく暮す 14-12
安全、安心 12
静かなところで、一人読書とか、アパートのプールサイドで居眠り、時々泳ぐとか、そういう過ごし方もある。
何でもかんでも動きまくって見てやろう聞いてやろうとすることばかりでは精神的に余裕がなくなると、のんびり過ごすことも必要だと思う。
だが、しかし、のんびりばかりしている人は、動けない、動きたくない、の言い訳で言っているにすぎないと思う。やはり、動き回ることができ動き回って、しばし休憩なら、生活の幅は広がるし、楽しみからもいろいろできるようになり、もっと、インドネシアで楽しく暮らすことができるに違いないと確信している。
インドネシアは安全安心だし、住み心地はいい。日本よりはるかに住み心地はいい。
事実、インドネシアで仕事をした人は、必ずインドネシアへ戻りたいと思っている。そして、何割かの人は、仕事が終わっても、何らかの形で、またもどってくる。私もそのうちの一人です。
ただし、その人たちは全員活動的な人達です。
インドネシアで楽しく暮らす 15-46★
斜めからインドネシアを眺めよう 46
三か月ぶりにジャカルタへ行って実態を見てきた。
ジャカルタの日本食スーパーマケットが食糧庁の中国からのメラミン問題のチェックが入ったことを機会に、日本からの輸入食料品が当局の許可を受けていなかったことが明らかになり、輸入品全商品を没収されてしまった。
コスモ、パパヤ、カモメ、ココの四点全部が対象になり、営業はしているが、インドネシアで入手できるものしか売っていなかった。店内は閑散としていて、気の毒な状態だった。相当な打撃だろうと思う。いつになったら、輸入再開ができるのでしょうか。
日本食レストランも嘘つきでない真面目な経営をしているところは食材の仕入れに窮すると思う。しかし、一般的な日本食レストランはインドネシア産の材料しか使っていないはずである。それで、大儲けをしていると思われている常識であるのであまり困らないだろう。
それにしても、20年近く許可なしで輸入して販売していたスーパーの日本人経営者もたいしたものだが、それを、ずっと見過ごしていた、該当当局もたいしたものである。また、6~7年前に、お米の輸入販売の許可が取れていなくて輸入米が3カ月ほどスーパーから消えたことがあった。その時、米以外のものはOKだったのが不思議である。
韓国スーパーや地元のハイパーマートやヘロで日本からの輸入食品が何事もなかったように売られていることも不思議である。
インドネシアらしい話です。もしかしたら、アンダーマネーの効果が無くなったのかもしれない。
インドネシアで 楽しく暮らす 15-67
斜めからインドネシアを眺めよう 67
昨年の一年目は外国へ出てビザを収得し、入国をしなければならなかったが、二回目から五回目までは国内の住んでいる場所の一番近いイミグレで更新できる。二年目に入ったので、カラワンの町中にあるイミグレへ行って、ワーキングビザと身分証明(KIMS)とマルティリエントリーパーミットの更新手続きをしてきた。着くと会社が頼んだエージェントが待っていた。空いているので、待ち時間はほとんどなく、写真撮影とサインを済ませ終了。5分もかからない。一週間以内にエージャントが会社へ届けてくれることになっている。
カラワンの町は久しぶりでした。三四年前にはマリアさんがBNIという専門学校に通っていた。学校の友達と催し物に出かける送り迎えをしていたので、よくいったものでした。ジャカルタ特別州、ブカシ県、カラワン県と東に並んでいます。コタ、カラワンは若者の街です。旧市街地は昔ながらのごちゃごちゃした臭い、汚いところですが、バイパス沿いにできた新市街地は官公庁や学校が新たに作られ、催し物広場やスポーツ公園などがあり、洗練された、若々しい雰囲気の町です。ブカシほどには周りに対して警戒する必要はないような気がしますが、どうでしょうか。
インドネシア人と結婚した日本人が多く住んでいます。各工業団地に通うのに便利だし、インドネシア人の奥さんも過ごしやすいからだと思います。
9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-120
斜めからインドネシアを眺めよう 120
インドネシアのテレビの番組は一応番組表があるが、時間どおりに終わったり、始まったりすることはない。一分二分は当たり前、10分以上遅れたり早くなったりすることもある。それは、日本のように時間ぴったりの進行が不思議に思えるほどだ。
テレビの番組で時間を知ろうとしては失敗をします。朝の番組でも、ニュースの時間帯でも、画面の片隅に時間が示されることはありません。インドネシアは三つの時間帯があるので、示されないのでしょうか、いや、地方毎に示そうと思えばできるはずです。しかし、番組が時間どおりにならないので時間は示めさないのでしょう。
私がテレビを見るのは朝の6:00~7:00(日本時間8:00~9:00)NHK、夕方、帰宅してからは、NHKは見ません。インドネシアのニュースを最優先し、コメディやバラエティ番組を中心に見ます。ドラマは筋書きが決まっていて、ヒロインがいじめられる、それに耐える、そして、お祈りする。そんなものばかりなので、全然見る気になれない。学園ものも多いがこれも筋が決まっている。
夜が長い時はHBO(映画専門)が何チャンネルかあるので、アクション物を主体に見る。インドネシア語の勉強になる。日本映画はインドネシア語字幕付きなので、字幕を見ていることが多い。つい最近は長澤まさみ(あっていますか)の幼友達がらみの物語を見ました。その前は、サーファーが亡くなってしまう大沢なんとかと伊東美咲主演のものを見ました。HBOは時間どおりに進行します。
19日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-130
斜めからインドネシアを眺めよう 130
道端のいろいろな写真は会社への往復やゴルフ場への往復、客先やサプライヤー訪問などの時,自分で車を運転しながら撮ったものです。速度はある程度落としますが、後方の車に迷惑をかけないほどの速度ですから、近い景色はぶれてしまうことが多い。ハッキリ言って危険ですから、決して真似をしてはいけません。もっとも、自分で運転すること自体、してはいけません。厳重注意です。
私はバッグやカバンは持っていません。リックサックとラップトップのケースを常に持っています。車の後ろの座席に置いてあります。カメラはその中に常に入っています。ク車から降りるときにはリックサックを背負っております。大体、左片側の肩にかけています。リックサックにはポケットが十以上あります。何はどこという具合に決まっています。貴重品も必ず持っています。真ん中の底のちょっと上に入っています。後ろからナイフでリックサックを切られても落ちないようにしてあります。10何年、そういう被害にあったことはありません。
普段の服装は、見た目は汚いが洗濯をしたブカブカの短パンと襟ナシTシャツの上下で、履物はぴらぴらのビーチサンダルです。このスタイルはインドネシア人のおじさんそのものです。100%インドネシア語で話しかけられます。もっとも、話をすればすぐに日本人と気付かれますが。
車の中には貴重品は絶対残しません。どんなにセキュリティがしっかりしていそうな場所でも、セキュリティは信用してはいけません。実際に車上狙いに狙われても彼らは見てみない振りをします。日本人の商社マン風な人は特に気をつけましょう。ドライバーも信用してはいけません。狙われる機会を与えてはいけません。
2月21日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-160
斜めからインドネシアを眺めよう 160
20日朝インドネシアからでました。そして、シンガポールで労働ビザを入手した。私のホームページに2007年11月に入手した時の状況を紹介してある。
今回は超特急だった。というのもビザを取り消された日からその日と出発日を含めて、14日以内にインドネシアから出なければならないからです。9日に取り消しに必要なパスポートなどを渡し、終わって木曜日12日にパスポートが戻ってきたと同時に私のビザ申請に必要な書類を全部かえしってもらった。その足でエイジェントへ行きビザの申請を頼んだ。PT.MAKUTAからの書類は13日金曜日に全部エイジェントに届けた。15日月曜日に申請して、17日にはイムグレからのOKが出たと知らされた。18日には、シンガポールへ行けば取れることになった。しかし、私は旅先だったので、戻った19日にエイジェントから写真など必要書類を受け取り、シンガポール経由成田行きのチケットをインドネシア戻りも含めて入手した。
20日朝3時に家を出て、6:15発で8:3着チャンギ。オーチャードの高島屋前のパークホテルのロビーで待っていたエイジェントにパスポートと写真と委任状を渡して外に出た。7時間の時間つぶし(この内容はせっかくですから旅行記に紹介します)、17:00にパークホテルに戻って、ビザを張ったポスポートを受け取って終わり、成田への出発は23:45なのでまた、7時間つぶしは空港内でコンピューターいじりと食事、居眠りでした。
普通なら、一か月かかる手続きをたったの三日でやってしまった。もう、何年もお付き合いしているエイジェントなので、積極的に応援してくれたし、何といっても、辞めた会社の社長さんの意向を聞かないで、自分の判断で辞めた日を三日伸ばして申請し、次の申請に必要な私の書類と写真のネガをそろえて準備しておいてくれた。インドネシア人担当者に感謝です。経営者にお伺いを立てればこうは絶対行かなかったでしょう。今日昼には静岡の家に落ち着いた。
3月2日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-169
斜めからインドネシアを眺めよう 169
非常に忙しい一日でした。装置の出来具合の確認と遅れそうな物の催促、そして、HPの新番号の収得とフラッシュの接続、などなど。また、今週末に行く、スンバ島までのエアーティケッの入手、もっとも重要なのがエイジェントにパスポートを渡して、KITASの手続きをお願いすることだった。これらのことは、早ければ速い方がいいのです。ブカシバラッやリッポチカラン、チビトゥン辺りを走り回った。
三月に入って雨季も終了に近付いたのでしょう。今日はカンカン照りの暑さで、インドネシアにまた来てしまったと思わされた。
話変わって、SQ エアバス A380-300かなりの大型機である。アッパーデッキの方はこちらから直接と言われて導かれて行った先が747の二階と違って、総二階になっていて、入ったところがビジネスクラス、そこを眺めて、この席?と、首をかしげたところ、席番を聞かれ、指示されたのが、ずっと奥、一番後ろから二番目だった。ビジネスとは大きな違いだがそれでも、広々としていて快適だった。良いことばかりではなかった。ヘッドホーンの差し込みが壊れていて、音が聞こえなかったことと、コンピューターの電源に電気が来ていなかった。それらは隣の席が空いていたので、そちらから引っ張った。座席を変えたくなかった。
日本からターミナル3について、ジャカルタ行きはターミナル2に移動しなければならない。余裕は40分である。迷ってしまっては、間に合わない。スカイラインモノレールで大通りの向こう側に移動し、ひたすら走る。歩く。日本からの半分くらいはその大移動に参加している。彼らについていけば間違いないという安心感はあるが、だれも彼もそのような気持だと思う。3月5日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-172
斜めからインドネシアを眺めよう 172
四日 カラワンのイムグレへ行って、住民票(キタス)の申請に行ってきた。この作業は、一年ごとに必要ですが、勿論、今回は新しい会社に移ったのですから、はじめてということで必要でした。今回は初めての会社なので、手の指10本の指紋を採取される。昨年11月にはまだ、墨を使って、取ったが、今回はマウスのようなものに押しつけるだけだったので指が汚れなくて出来るようになっていた。聞くところによるとイミグレへ行かなくてもインターネットでサインや諮問を登録できて、キタスもプリントすれば出来てしまうらしい。イムグレまで遠い人(地方に住んでいる人)にとっては大変便利になったはずです。少しずつではありますが、いろいろなことが便利になり、時間が短縮できるようになっています。
また、今晩から、フラッシュというものを使って、携帯電話とコンピューターを繋げて、
電話線がなくても携帯に電波さえあれば何処でもメールを開けたり送ったりすることができるようになった。そして、40時間で20万Rp(1600円)というパケッで契約した。そして、携帯電話番号も変わった。
08111007012 大変覚えやすい。最後の012だけ覚えればいいだけです。
海外からは628111007012になりました。
3月6日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-173
斜めからインドネシアを眺めよう 173
プラバイダーのCBNにPT.MAKUTAをつなげようと思って行動をした。いろいろ検索して探してみたが結局、最後は、PT,Kの者に問い合わせた。誰とは言わないが射出の関係の人だ。会社の秘密を漏らしたとして首にならないことを祈る。
K社、A社のトップはピリピリしているのが各会社の従業員から、絶えず、報告がある。
CBNの電話番号を教えてもらって、電話した。申請書と必要書類の一覧表が早速、ファックスされてきた。それらを用意し、ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの国会議事堂の向こうの角を左に曲がった大きなビルにあるcbn本社へ行ってきた。書類は全部整えていたので手続きは簡単でした。会社と自分のメールアドレスを申請した。二年分前払いで、57万Rp(四千五百円)でした。一週間後に接続ができるそうです。来週末に新しいメールアドレスを皆様におしらせしますが、それまでは、 kota02@y6.dion.ne.jp
を使っていただいています。
それは、それで、OKでしたが、問題はジャカルタへ行ってくる時間でした。13:30にチビトゥンのMAKUTAを出て、チカランの家に戻ったのが17:30でした。CBNにいたのは30分以下でした。全行程100kmの間がほとんど渋滞の中でのろのろ運転、あきれてしまう。だから、ジャカルタは好きになれない。
明日出発のスンバ島までのティケッを受け取りにサクラトラベルへ行き、できればキタスも受け取りたかったが、まだでした。ベンケルサンジャヤへ寄って、バアキューム水槽の出来具合をチェックした。OKでした。
3月12日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-179
斜めからインドネシアを眺めよう 179
インドネシアにいられなくされた私が、これ幸いと、日本へ戻って、新会社について打ち合わせして、そのついでにVISAも手に入れて、悠然とインドネシアに戻り、インドネシア人のためのインドネシア人による会社を立ち上げる準備をし、一か月で、押出しの生産準備が出来上がった。そして、間もなく、何社かのサンプルを作って提出します。価格は日系企業価格ではなく、ローカル企業価格を出させるつもりです。
この、速度を感じて、当てが外れて驚く日本人が何人かいることでしょう。自分で仕事をするということはこういうことです。他の人にこんな早技は絶対に出来ない。だから、私を使う立場の人は自分の能力と比較できないので、私を使えないのです。
その人たちが、気が付かない間にマジックのように仕事をしてしまうので、何もしていないように見えるのです。独立した頃、他の会社の経営者(すべてが私より年上)が来て、「太田の仕事は何もしないで儲かる仕事でいいな」と、よく言われたものです。
インドネシアらしい話。押出機を乗せたトラックがチェンカレン(ジャカルタ空港の手前)10:00に出発したので、遅くても14:00にはチビトゥンに着く、という知らせが入った。13:00過ぎにまだジャカルタに入ったばかりだから16:00頃には着く、と言われた。外に出ていた私は16:00にPT,MAKUTEに入ったがまだ、着いていなかった。どこにいるか何度聞いてもマシジャラン(運転中という意味)どこにいるのか運転手が分からないらしい。18:00になってポンドックグデといってジャカルから出るゲート辺りにいることが分かった。結局、チブトゥンの会社に着いたのは19:25だった。途中で、パンクをしてタイヤ交換をしたとか渋滞とか、言い訳をしていたがどんなにかかっても3時間の道のりを9時間以上かかったことになる。
インドネシアではこれで腹を立てては生きてゆけません。腹お立てる日本人はストレスが増すのです。怒鳴りたくなるのです。
5月13日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-239
斜めからインドネシアを眺めよう 239
日本にあってインドネシアにない果物は栗が一番印象的でしょう。柿も珍しそうです。種類が違うもので、柑橘類でミカンは種がないのに驚かれます。ブドウもそうです。甘栗は殻を割って食べることと味がインドネシア人好みですから、よろこばれます。珍しさで、印象的に受け取られますが、おいしいかどうかは彼らの反応は微妙です。
インドネシアの果物の種類は豊富です。日本には全くないものが多いので、名前も知らないものが多い。ブログやウェブサイトでそれらを写真付きで紹介していますが、私が、おいしい、もっと食べたいと思うものはドリアンとチボダックだけです。但し、これらをおいしいと思う日本人は稀です。そのほかの果物は、それほどおいしいと思わないし、食べるタイミングが難しい、食べどきが短いのです。固くて味がない時期が長く、おいしい時は短く、すぐ腐ってしまう。バナナもそうですね。こちらでは、買って,三日過ぎれば腐ってすてなければならない。冷蔵庫に入れておいても同じです。家の庭のバナナも良くなるのですが、多すぎて、食べないうちに腐ってしまう。日本が輸入するバナナはそれを考えると不思議です。まだ、緑の状態で出荷するのは知っていますが、それ以外に、何か長持ちをさせる処理をしてあるに違いいありません。
さまざまな果物を日本へ持って帰って、皆さんに渡しました。おいしいと言われた果物はない。普通に食べられれば、おいしいというのですが、言わないということはどちらかというと口に合わないのです。当然だと思います。慣れない味だからです。
皮をナイフで剥く必要がないものばかりなので直接、手で皮を剥がして食べるので手軽に食べられると思うのですが、種が大きいし種から実が剥がれにくいし、向いた皮も厚くて、実の大きさの半分以上を捨てるものが多いので、食べた後の方が、ボリュームが大きくなってしまう。
日本のスーパーに南国の果物が並ばない理由は、バナナ以外は保存が難しいことと、やはり、日本人好みに味ではないからでしょう。
椰子の実も、珍しいが特に美味しいということはありません。皮が厚くて自分で、鉈で切って(割って)飲み口を作るのは大変です。一般家庭向けの果物ではない。
やはり食べ慣れた果物がおいしい。フジリンゴはおいしい。
5月20日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-246
斜めからインドネシアを眺めよう 246
インドネシアで仕事をしている日本人の平均的費用(給料や生活費)現地採用者ではなく、日本の会社から出向者として派遣されている人達です。国から派遣されている公務員はそれらの平均以上が普通です。
給料は日本で受け取る分を多くし、インドネシア人の手前と、節税のために、インドネシアでの給料を少なくするのが普通です。
項目 費用US$/月
住宅 1500
給料 3000(手取り)日本の口座に入る給料と賞与は別
税金 1300(手取りの30%とイミグレに100)
緒手続き 300(エージェントと申請など)
渡航 300(年二回の帰国)
テレビ、電話 300(NHKや携帯電話)
車、運転手 700(リース、ガソリン、)会社で買って雇っても同じ。
保険 100(医療、車輛)
接待? 1000(昼食、夕食、アルコール、カラオケ、ゴルフ)
8300US$/月±3000US$
ですから、年間では10万US$になります。日本でもらう給料,手当やボーナス合計で、15万US$は優に超えるでしょう。これが平均ですから、ゴルフのメンバー費や毎日の日本食昼食費が会社負担にしている所もあり、もし、家族同伴となればこれの1,5倍が普通です。グローバルの不景気で給料を自動的にカットされてこの状態ですですから、いかに海外組が優遇されていて,ぜいたくな暮らしを認めているか分かります。
いつも書いているように、何もしない、いない方が会社にとっていい日本人でもいるだけで、インドネシア人平均の50倍以上の負担をするのです。日本人を二人減らせば20万US$(2千万円)の利益アップに貢献できるのです。
もっとすごい例として、奥さんの車やガソリン運転手代、私的なパーティーの参加費用や開催費用を会社負担にする人もいる。自宅の調度品や電気器具、カラオケやチップその後のホテル代、裁判沙汰になればその費用や裏金、インドネシア人妻の住宅費、生活費や家族への援助、一族を従業員として優遇するなど、こういう日本人は知っているだけでも10人以上はいる。
昨日の続きで、ちなみに、JODCの派遣金額は大体、15万US$/年です。だから、推測ですが、JODCの公務員職員は、20万US$は受けとっているでしょう。日本に何人の職員がいるか知りませんが、常勤ではない人も多いはずです。それ以上の給料と退職金をもらうことになっているのでしょうね。推測するだけで、熱いインドネシアで寒くなります。そういう方々は、休憩時間もおしんで仕事に打ち込んでいることでしょう。仕事があるとは思えませんが、多分、たくさん仕事があるし、気も使うのでしょうね。他人が持っていない技術も持っているのでしょう。私がこちらで仕事をしている以上にはるかにきつい難しい仕事をしているのでしょう。
とにかく、JODCで派遣されてきている人達はどういう審査で来ているのか知りませんが、居るだけの人が多い。仕事をしていない人が多い。というより、受け入れ企業にとっては日本人がいるということが重要なのです。短期間では何も残してもらえないことは分かっています。日系企業への売り込みが最大の名誉でありステータスなのです。そのために日本人が指導しているといえることが重要なのです。余計なことはしないで、会社に居てコンピューターゲームでもして居てもらえばいいのです。日本人も分かっています。報告書を書くのが唯一の仕事のようなもの、結果をチェックするシステムはない。
本当に技術指導に行きたい人は、本当の素朴な技術社は申請書の書き方が下手なのです。
書類審査に通る文章をかける人はそのものの技術を審査されるわけではないので、いかにも自分はできるという文章をかけるのです。会社に所属していない人はこの制度を使えないのも変である。
そのうえ、この制度で受け取ったお金に税金がかからないし、実際には現地企業からプラスアルファの接待を受けている。
JODCにいくら予算が付いているか知らないが、90%以上は削っていいと推測します。なくした方がいい。こういう、機構や制度は他にも沢山あるのでしょうね。だから、税金を払いたくない。
昨日の続きで付け加えますが、JODCに提案です。職員と審査官をなどを規模を半減し、一人当たりの派遣費を三分の一にし、会社に属さない年金生活者だけに対象を絞り、派遣に人数を5倍にしてください。絶対、有効な役に立つ応募者が多いはずで、派遣対象国の若者の技術アップに貢献できるはずです。日本の大企業のリストラの援助をしていてはJODCはない方がいい。公務員と天下りが考えることはNGO的ボランテャア的とはかけ離れている。海外で技術指導を長くやっているとこういうことがはっきり見えます。
私に対する会社負担
項目 費用US$/月 J社時代 B社時代 現在住宅 0 200 0
給料 3500 1500 500
税金 1500 600 120
緒手続き 0 300 0
渡航 0 100 0
テレビ、電話 0 0 0
車、運転手 0 0 0
接待? 0 0 0
保険 100 0 0
5,100 2,700US$/月 620US$/月
J社に対しては、いきなり、グループ全体に対して2万US$/月の利益を与えた。もちろん技術指導により無形の利益潜在利益、国内売りでの利益、自分で評価すれば、最低でも、5万US$/月の利益に貢献し、社内の雰囲気を明るくすることにも貢献した。
B社に対しても、現地採用社員の待遇より低い報酬で仕事をしていた。要するに報酬はどうでもいいのです。高給をもらって遊んでいる日本人をうらやましいとは思わない。逆に、数年間、竜宮城で生活し、また、厳しい現実に戻らなければならないと分かっている人達に同情をします。13年間どうにもならない仕事を引き受けたり、新技術や装置を手に入れて、いきなり、3万US$/月の利益を上げることができる状態にした。しかし、この会社も前の会社も可哀そうに、それを理解できないので、ばかばかしく逃げ出した。
6月3日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-260
斜めからインドネシアを眺めよう 260
私のWeb Site(ホームページ)のPHOTO ALBUMが充実してきました。多くの皆さんにインドネシアの雰囲気を楽しんでいただけると思っています。旅行記とセットで、眺めていただくと、眠れない夜もすぐ眠れると思います。よろしく。MM2100内のSAKURA旅行社に私のWeb Siteを日本人の皆様に紹介していただくように頼んだ、というより、それを見ていただいて、国内の旅行をしてみたくなればサクラ旅行社の売上向上にも繋がる。
それほど、急がれていなかったので、今日になってしまいましたが、カラワンのB社向けのLDPEパイプの試作品を納めさせていただきました。この仕事も、もともと、私が受注して、技術を指導したのですが、やはり、現在は高値で購入せざるをえない状態になっているので、間もなく、PT.MAKUTAから、高品質で安価な製品を提供し始めるようになるでしょう。
専門的になるが、今の工場の水は、含まれている気体が経験がない想像以上に多くて、水を減圧すると気化する量がおおく、炭酸水の状態になり、製品に気体が付着し、その部分の冷却速度が遅くなるので、小さい凹みができてしまって、外観的にNGになりやすい。45年この仕事をしていて、こんなことは初めての現象だった。この年になって思わぬところで悩まされるものだと思う。今までの常識では装置を改良しないと製造できない樹脂があることが想像される。最も、長くて、半年後には場所が変わるので、自然に解決する。
私がある会社をある日突然クビになって、VISAを取り消され、国外に出なければならない期限内にシンガポールでVISAを取ってしまったことを余りの早業で信じられない方に、証拠の写真です。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00072.html
の中の2月6日の15-147からその様子を詳しく書いてあります。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
のインドネシアで仕事をするための必要手続きと証明書について書いてあります。
参考にしてください。
8月4日 インドネシアで楽しく暮らす 15-324
斜めからインドネシアを眺めよう 324
日本からブリトゥンへという御夫婦の方のエアーティケットを手に入れた。間もなく、ジャカルタのホテルで、渡すことになっている。これで、何組くらいのお手伝いをしたことになるでしょうか。旅慣れた方たちが多く、旅行会社がセットしたツアーは望まない人達ばかりです。ですから、旅行案内書にない、私が持っているような情報を求めているのだと思う。ついつい、お手伝いしてしまうことになります。
何日間か、予算はどれほどか、旅慣れている人か、言葉のていどは、何人か、構成は、乗り物に苦手はあるか、などの情報をだしてもらえれば、インドネシアのどこがお勧めか紹介ができます、目的地をいくつか指定していただけるなら、そこまでの手配やら、注意事項もアドバイスできます。
私自身は、ここに二ヶ月、日本以外にはでていません。会社のことがちょっとプレッシャーになっていて、旅を楽しむ気分になれそうもないし、予算も厳しい。
8月21日辺りからプアサ(断食月)になり、9月20日辺りがプアサ明けになります。
その日前後一週間から10日間が休暇になります。
9月のラマダンの時は、仕事のことを考えても仕方がないので、5日間ほどの旅行をすることにしています。その時期の乗物すべては予約で既に一杯にちかいです。日本でいうならお盆と正月が一緒に来たような帰省ラッシュになるからです。私は予約をすでに済ましてあります。
話は、外れますが。この時期、インドネシアにいても仕方がないので、日本に帰る人も多い。インドネシアはそれほどではないが、今年は特に、日本の経済危機によって、日本の本社の事情によって、家族連れ帰国させ、戻るのは本人だけになるというケースが多いようです。
会社は家族の面倒の面倒までみることはできないというわけです。日本人学校の生徒数が劇的に減るという情報もあります。
8月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15-329
斜めからインドネシアを眺めよう 329
昨日は一旦発表されたかの印象を持って、喜んだが、実はまだ、DNA鑑定を行っておらず、N.M.TOPと確認できていない。
基本的にNHKは見ません。朝の連ドラだけは見る週間になっています。日本のテレビ番組に興味はありません。インドビジョンと契約しています。月に2000円ほど払うだけです。NHKミレミアムは勿論、各国の番組や世界のニュースや映画(HBOその他)スポーツ専門など50チャンネル以上あります。見たければですが、日本の映画も映画専門チャンネルで放映しています。
インドネシアの番組の方が面白い。ニュース、コメディ、ドラマ、歌番組どれを見ていても自然に面白いです。それに、言葉の勉強になるし、従業員などインドネシア人との話題が共通になります。インドネシアのはやりの歌なども一緒に歌うことができるので、自然に環境が和みます。冗談も理解しやすいし、冗談を言うこともできる。
ネットで日本のテレビ番組をみる手段を知っていますが、電話代が高いので、ネットでみようとは思いません。ジャカルタなどに住めばアパートのLANを使って電話代はかかりませんが、その分はしっかり部屋代に入っているわけで、1200US$/月以上の家賃を払わなければなりません。私の家は田舎で200US$ですからホームテレホンかハンドホーンでしか接続できません。日本のテレビ番組を見たい人はそれなりの支払いをしなければ見ることができません。
日本の様子は朝見るNHKニュースだけで十分です。酒井法子のこともオンタイムで知っていますし、長梅雨のことも夏休みの渋滞のことも、渡辺みっちーのことも知っています。
8月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15-330
斜めからインドネシアを眺めよう 330
断水、ここ数日、昼間断水をする。夜8時過ぎに水が出て、朝8時ころには水が止まる。飲み水や料理用の水はガロンボトルを使っているので、これは普通で問題ないが、洗い物、洗たく、風呂や洗顔やトイレは水道水を使うので、これらは大問題です。水が出だしてもチョコレート色をしていてなかなか消えない。茶色の風呂に入る。風呂の水を抜いた後、錆びの粉が風呂の内面に付着している。シャワーで最後に体を洗うが、拭いたタオルは茶色になっている。
多くのローカルのお客さんが訪問してきてくれるが、いずれも、彼らが台湾や中国、日本から、輸入して販売している物である。それを、ぜひ、MAKUTAでやってほしいというのです。よく聞くと、彼らの売り先が日系お企業なのです。ブローカーである。日系企業からこういうものを欲しいと頼まれると、なんでも、捜して来て売るのです。金属部品でもプラスチック部品でも、中には、特殊なペンとか、それぞれの会社の製品保管用のいろいろな形、大きさの棚とか、なんでもです。便利屋です。それの中に、継続して納め、納める量が増えていって、大きな金額になっているものもある。中に、私なら、簡単にできて、手伝いができるものもある。皆さんには、そういう製品を海外の会社の規格品から適当に取り寄せて、サンプルとして持ってきて、使える物を使ってもらうというやり方なので、納める製品の特性や使う場所、などは全く知識がない。原料の名前や規格は全く分かっていない。
とにかく、量が多いものから、考えるから、その製品の切れ端を持ってきてくださいとお願いしている。それがあれば、同じ原料で、同じサイズの製品をすぐ作ってやります、そして、見積もりも出します、と。
もうひとつは、使い道が分かれば、値段と性能を検討して、客先に安く提案できるようにもしてあげられると話している。
とにかく、今の工場ではできないので、もうしばらく待ってほしいとも付け加える。
ムナラスナヤンへ航空券をとだけに行ってきたが、行きは余裕を見過ぎて早く着いてしまい、スリッピから高速をでて、裏から入った。6:15位で約束の7:00より大分早く着いてしまった。本人が部屋に戻っていてくれていてよかった。直ぐに航空券を渡し、ちょっとだけブリトゥンについて話をした。45分にホテルをでて、ジョッキがまだいるのを見て、しまった、と思った。まだ、3イン1が終わっていなかった。しょうがないからジャランスディルマンに出る、100mくらい手前の路肩に停止して7:00になるのを待つことにした。こういう状況は初めての体験だったが、同じような車が沢山あるもので、私の車は100台以上の内の一台に過ぎないことがすぐに分かった。7:00を過ぎたらいっせいに動きだし、今の今まですいすい流れていた車の列がたちまち大渋滞になってしまった。スマンギから高速に入ったが、いきなり高速も大渋滞。スマンギからポンドックグデティムールまで、一時間半かかった。家に着いたのは9:00を過ぎていた。
10月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15-396
斜めからインドネシアを眺めよう 396
ジャバベカのハラパンクルアルガ(インターナショナルから変わった)病院へ行ってきた。病気ではなく歯の治療のためだった。前の下の真ん中の歯の歯茎がほとんど消滅して、歯を支えることができなくなり、グラグラし、ちょっと引っ張ればとれてしまいそうな状態で、食べ物をちぎることができないし、何より、話をしにくくなってしまった。
この病院は総合病院で、一つのフロアーに沢山の小部屋があり、それが、各医者の診療室である。他の病院との掛け持ちなので、求める担当医がいるかどうかを電話で確認しから行く必要がある。
私は、昨日、歯医者は何時から出勤してくるか確認済みで、9時から診療開始といので、9時に家を出た。海外では歯の治療は保険が効かない。ジャカルタのキョウアイなど日本語を話せる看護婦がいる歯医者にかかると、一回、一万円以上はかかってしまう。差し歯などをすれば3~4万円は覚悟しなければならない。
9時に受付を済ませ、待つこと一時間、渋滞でDr,の到着が遅くなったと云っていた。さすが、インドネシアである。この、医者、日本が普通に話せた。まず、日本語で、待たせたことを謝っていた。噛んで、とか、グラグラですね、とか、歯垢を取らなければならない、とか、出来るから、日本語をしゃべりたいのです。インドネシア語で返事をしても、日本語で、話しかけ続けた。結局、歯は抜いた。一週間後にまた、行くことになった。料金は、2600円くらい、日本で30%払ったのと大体同じです。しかし、インドネシア人にとっては大金です。
病院はすいています。ガラガラでした。
日本人の皆さん、この歯医者(Dr.Ruskandy)はお勧めです。
ある会社へ閉めた会社の従業員の再就職のための、個人の必要書類を10人分まとめて、提出してきた。其の会社は、EPTEですが、日本の景気に左右されることなく、日本への輸出が、順調に伸びている。
11月5日 インドネシアで楽しく暮らす 15-417
斜めからインドネシアを眺めよう 417
松井の活躍については一人興奮をしてしまった。先制のホームラン、二球目にホームラン性の大ファウル、その何球か後に、ファーストの右に二塁打性の惜しいファウルを打った。こういうときは三振前の馬鹿辺りと言って、三振するものとばかり思っていたら、見事に、打った瞬間ホームランという辺りだった。二打席目は満塁、ロドリゲスが三振の後、二球続けてファウル、ツーナッシングに追い詰められてからのセンター前ヒット、また、二打点。映像をライブで見たのはここまでだった。もう、勝てばMVPに決まっていると感じた。相手のペドルマルテチネスは、球界きっての大投手、彼は、淡々と、静かな表情で投げる。以前は速球主体だったが、最近は次第に変化球の切れで、勝ち星を重ねていた。その彼も、第二試合に勝ち越しホームランを打たれるなど、なぜか、松井にはコンシリーズよく打たれた。松井一人にやられたと思っているに違いない。
その後の二塁打で二打点、四打席目は」打点の新記録がかかっていたが三振だった。もう充分である。外国で働く者は,外国で活躍する人を応援したくなるものです。
前の下の歯が入った。一か月前から、治療していた場所に入れ歯が四本取り付けられた。10年ほど前に、一本無くなってしまって、そのまま放置しておいたら、その場所が塞がれ、三本で隙間がなくなっていた。今回、三本抜いただけなのに、医者は、四本欠落しているとすぐわかったらしい、歯の種類が、その四本の両側の歯と違うから、すぐわかると言っていた。
歯医者のラスカンディさんとはもう会うことはないでしょうが、日本語が上手で、多分、日本人を安心させると思う。保険はどこでも利かないわけだから、ぜひ、ハラパン、クルアルガの歯医者をお勧めします。三本歯を抜いて、形を取って、取り外しができる入れ歯を入れて、四回通って、支払った合計金額は二万円ちょっとでした。日本で、治療して、30%負担の金額と同じくらいだと思います。
ジャカルタの 日本人がよく行く医者はその5倍以上は払わなければならないでしょう。
、カート道の反対側から打ってオンした場合やエッジに付いた場合はグリーンを通り過ぎて取りに行って、また、グリーンまで戻らなければならない。そういう状態のとき、何もしないで見ているわけにいかない。私が、その人たちとカートの間にいるなら、私が、カートまで行って、皆さんの要望を聞いてパターなり、ピッチングなりを、持ってきて渡すことになる。他の人が、そういうことをやる、やらない、ということは考えない。自動的に、私はそうしてしまうのです。だから、鼻水を垂らしながら、かなりの距離を走るのです。それでも、暑くはならない。ただ、寒く、ただひたすら、早く、終わってほしいと思っていた。
そんな日で、二度とやりたくないが、結構、楽しかったし、終わった後の温泉が極楽々々でした。
静岡市の平野部には雪が降れば何年ぶりという話になるが、上空に雲ひとつない快晴で、かざはな(風花)は、何回か舞う、降るとは言わずない、舞うという。小学校の頃、授業中に校庭にかざはなが舞うのを見て、皆で大騒ぎをしたものでした。積ることはない。手のひらに乗って瞬時に溶けてしまった。
地元の人間でなければこういう景色を見ることができない。安倍川の西、吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)という、遠足の行き先になるちょっとした名所から、静岡市の平野部を見下ろしている。手前が安倍川餅で有名な安倍川です。子供のころ褌姿でよく泳ぎました。
インドネシアで楽しく暮らす 15-537(長い付き合い)
斜めからインドネシアを眺めよう 537
来週から、二週間ほどかけて、客先回りをするつもりでアポを取っています。旧知の方々が多く、日本人に会うよりインドネシア人担当者に直接会って話をする方が多くなります。実際に大きな会社では、入れ替わり立ち替わりの日本人より、その商品の歴史やいきさつを承知しているし、和気あいあいと話をしやすい、皆さん、電話すると、どこで何をしている?と必ず訪ねてくれる。私も懐かしい。
実際、インドネシア人任せで日本から輸入している製品を話題にするので、日本人はその製品について知識が無いし、問題にしたこともない。上司に当たる日本人に電話し、製品の説明をし、その製品の輸入担当インドネシア人を紹介してもらい、直接話をするという許可を取って、インドネシア人スタッフに電話し、アポをとる、其の方が、日本人にとっても、知らないことに首をつっこまないで、現地調達できればその方がいいに決まっている。
私もそうだが、従業員皆さんの自分の携帯電話に頼っている。電話がいつ使えるようになるのか、はっきりしないうえに、使える電話の場所までは200m位歩かなくてはならない。FAXが困る。本当に200m先までとりに行かなければならない。ネットもまだなので、これも、個人が使っているXLかフラッシュなど、個人の携帯帯電話からアクセスしている。これに関して、何の、指示や手当もない。要するに、そういうことに気を使っていないのです。電話が無くて、既に生産や納品をしているのです。なにか、そこで、ありそうなものですが、何もない。
家探し、4月末で、今のところの契約が切れるので、新しい住処を早く探して引っ越しをしなければならない。一か月の家賃が1万5千円程度のところを物色している。しかし、どちらかというと借家より売り家の方が多いし、建物も、新しい。二百万円前後で、200㎡の土地に120㎡位の建物(一階建て、2LDK)が手に入る。収得税は5%かかるそうです。借りるのではなく,買うことに決めた。
家賃は二万円と設定して、会社から毎月二万円補助してもらうことにする。平均的日本人に掛けるお金は、家賃十二万円プラス電気代や、NHK代、お手伝いさんなど、家だけで、15万円以上になる。それを私は二万円だけでOKと言っているのです。あまり、書きたくないが、運転は自分ですし、車も自分で買ったものです。車関係に私個人に関する会社の負担はナシです。完全にボランティアです。PT,KITAGAWAの時もPT,AFMIの時もそうでした。それでも、こういう人だから、パワハラの対象になるのでしょうね。嫌味な奴と思われるのでしょうね。
監獄島のネサカンバンガンからパンガンダランの半島を振りかえる。インド洋に面しているが波は穏やか、ここで、沖まで泳ぎ仰向けになって空を見上げてポッカリ浮いて流れに任せる。このまま、沈んでしまってもいいような気になる。実際に眠くなる。鼻から水が入って我に返る。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUから押出製品の出荷が始まりました。新たに5ラインが入って10ラインになりました。10日にもう二ライン入ります。
射出はオリエンタルキョーワから購入した成形機を点検整備中です。今月いっぱいかかりそうです。
斜めからインドネシアを眺めよう 538
その私の車は、納品や原料を買いに行くときにも使う。会社の運転手がいないときには私が運転手になって、納品することもあるし、ちょっとした急ぎに部品を買いに行くこともしばしばである。
事務関係の人や営業関係に人達は、会社の仕事で外出する時、自分のバイクを使っている。まだ、従業員が使う車が無いからです。総務がコントロールして、日本人が使う車を早く買ってそれを従業員の仕事での外出に優先的に使わせればいいと思うが、これも、考えているのでしょうが、結論が出ていない。
一週間過ぎただけだが、PT.MAKUTAに比べれば場所の余裕がある。色々な物の置き場所は、これからぼちぼち決めてゆく、当然、ISOの関係でも、場所については全員に分かるように表示もしなければならない。その他にも、立ち上げたばかりです。いろいろ、あれもやらなければ、これもやらなければと、思いは、焦りますが、やらなければならないことは分かっているので、一歩一歩、進めようと思う。
そういう点で、部下が楽しく仕事をしているかどうかいつも気にする。インドネシア仕事を手伝った会社の全ての日本人はそういう点では、全く、私と正反対で、部下に緊張感や恐怖感を与えるようなことしかしないし、冷静を欠いて、怒鳴ってばかりいた。
今が、実に楽しい。
インドネシアで楽しく暮らす 15-542(ブロックM)
斜めからインドネシアを眺めよう 542
タンゲランまで遊びに行ってきた。インドネシア人スタッフにまず挨拶をして状況を確認してから、日本人に接触するという方法もとる。この会社については、どんなものがインドネシア内から調達されているのか、どんな製品が未だに日本から輸入しているのか知っているので、特に日本人に様子をうかがう必要が無い。詳しい話はインドネシア人と話をして敬意を払うことが彼らたちをプライドを満足させる方法だと思う。
そこで、彼ら方頼まれたのは、自分たちに会社内で作っているチューブの検査ジグであった。その検査ジグを入手するのがインドネシアでは難しいことは分かっている。そこで、私は自分で加工屋に特注している。それを作って欲しいというのです。それは、出来ない。現在、他の会社に一部の生産を任せている。其の会社にそのジグを渡されては、その会社の問題点を解消してやるお手伝いになってしまう。私は、其の会社へ注文しているものも含めて日本から輸入しているもの全てを生産したいのですから。丁重にお断りして、PT,NANBUから見積もりを出すことにした。
今、ジャカルタから戻ったばかりです。23:00、ブロックMの丸福という日本料理レストランで、射出成型の関係会社の食事会が行われた。元気会といいます。三カ月に一回の割で、集まります。いつも、同じようなメンバーで、変わり映えはしないが、今回は、PT.NANBUの紹介ということで、皆さんから注目されていた。かなりの商売の機械になると、皆さん期待しているようです。メンテナンス、周辺機器の会社が特に興味を示しているようで、一度、挨拶に行きたいと言っていた。PT,NANBUの進出についてはかなりの期待を持っているようでした。
インドネシア以外にいる日本人にはどうでもいい場所で、知っている人はいないと思うが、インドネシアにいる日本人にとっては超有名な場所です。毎晩通う人もいるようです。かなりの金額を注ぎ込む人もいるようです。ブロックMは久しぶり、一年以上前だと思う、いつかは記憶が無いくらいだ。様子が変わった。新しい、カラオケやレストランがあり一番変わったのは、パサラヤ側の何というショッピングモールでしょうか、以前、カップやトロフィーを買った店が、全部その中に吸収されて、なおかつ,高層になっていた。駐車スペースが変わっていたことと、たこ焼き屋が路上に屋台だったのが、店の奥の方に入ってしまっていて、外からは見えなくなっていた。その、店の奥へはいって行ってたこ焼きを買った。一パック、二万五千Rp10個だった。
22:00丁度にレストランからそこに出たが、駐車しているこる車は一杯だった。客は少なくなったと聞いていたが、それほどではないようだ、やはり、皆さん好きなのでしょうね。
インドネシアで楽しく暮らす 15-545(ゴルフ場雑感)
斜めからインドネシアを眺めよう 545
ジャバベカゴルフの永久会員になっているが、それでも、年間8万円くらい払います。会員としてのプレー費は20万Rp(2千円位)払う土日でも平日でも午前午後でもこれは変わらない。というのは、キャディフィーとカートフィーだけでプレー費は無料だからです。非会員との差は、7500円位ですから、年間12回ここでやれば非会員よりお得になるという計算です。
どこにもあると思いますが、1年会員制度があります。年会費18万円払えば、永久会員と同じ権利を与えられます。ですから、年25回やるなら元が取れることになります。私のジャバベカゴルフでの友人の多くはおそらく、月平均4回はプレーするので、年会員になって十分に恩恵を受けています。各いう私の、運動のために、三連休以上にはやりませんが、普通の土日はやることが多くやはり月平均4回以上はプレーします。十分、元は取っています。私がプレーする日に必ずプレーしている人たちがいます。そういう人たちは、私がいない日にもやっているはずですから、おそらく、月平均6~7回来ているのではないかと推測する。本当に好きなんだと感心する。
他のゴルフ場でやる時は、コンペに参加するときです。カラワンインターナショナルが多いのですが、会員ではないので、プレー費が8千円くらい、チップやコンペの参加費を含めると一万円三千円くらいの出費になり、ジャバベカでやる時より、一万円余分に出費してしまう。それでも、月一回はコンペに参加せざるを得ないので参加しています。付き合いですから、仕方がありません。
ジャカルタからボゴールへ向かう高速道路の両側や高速道路の終点からその先を含めて、10位はあると思う。軒並みプレー費はビジターで一万円以上です。遠いこともあって、コンペに誘われても参加しません。コンペで表彰式や食事がゴルフ場から出て他の会場でやる場合がある。そういうときにも参加をしない。他の人は、運転手を使っているので、負担にならないが、私の場合は、自分であっちへ行ったりこっちへ来たりでは負担が大きい。
ジャバベカの場合、11:30から午後扱いになり、プレー費が五千五百円になる。多くの韓国人は食事をしてからスタートする。彼らは普通に喋っているようだが、日本人に比べると大声なので、目立つ。時には、大声で怒鳴る風景もある。日本人はプレー終了後の昼食とかち合うので、レストランがほぼ満席になる。
タンゲラン方面の空港方面、ジャカルタ周辺に多分20以上はあると思う、アンチョールやハリム、1,2,3やスナヤン、ポンドックインダー、名前は忘れたが、ラグナン動物園の近くや北部の見本市会場の近くなど、これらは比較的安くて平均5千円くらいでできるのではないでしょうか、ただし、キャディーが男の場合が多いし、臭かったり、手入が悪かったり、狭かったり、なにか、不満を感じることがある。
http://www.nanbu.co.jp/index.shtml
意味があるのかないのか考えさせられる情景です。バンカ島です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
3月14日インドネシアで楽しく暮らす 15-546(ゴルフの楽しみ方)
斜めからインドネシアを眺めよう 546
以前の繰り返しです。インドネシアの日本人の中で、一般的に行われているお遊びの賭けがある。これは単に勝負の面白さを増して、ゴルフの勝負的要素を増すためである。お互いに賞金を出し合うようなものである。
ショートホール以外のハンデキャップを一にするとかニにするとかに決めて、毎ホールごとに勝った負けた引き分けとか判定し全体で何点負け、何点勝ちで一点2千Rp,3千Rpにし、賭けをする。お遊びの賭けである。前半後半で勝ち負けと全体の勝ち負けでそれぞれ5万Rp賭けるのもある。これも、ハンデを決めておく。
日本なら1点100円が相場だがインドネシアでは20~30円ということになる。
その他に、必ずする勝負がある。オリンピックです。ワンパットで入れば得点します。遠い人から金、銀、銅、鉄で4,3,2,1点です。ゴリーンの外から直接入れれば、ダイヤモンドで5点です。その他にショートホールのニアピン賞です。ワンオンで、パー以内で上がれば3点を獲得する権利ができます。しかし、消防隊とか消しゴムと言って、ワンしていない人がパーで上がれば、ニアピンの権利を持った人はバーディーで上がらなければ権利が消えてしまいます。ワンオンしていない人が、ダイヤモンドで入れてバーディーを取れば、その時点で消えてしまいます。ニアピン賞は持ち越されます。最終的に4階建てになって、12点になることもあります。
砂1はバンカーから一回で出して、次の一打で入れば、3点獲得できます。
竿宣言で、一発で入れば3点獲得できます。ただし、3パット以上たたいた場合は-3になります。これだけが自由選択の権利です。オンしていなくても宣言はできます。
多い得点ケースはニアピン4階建てで、ワンオンして竿宣言して、オリンピックが一番遠くて金、バーディーで上がれば12+3+4+3=22点です。また、砂1でダイヤモンドで竿宣言し、バーディーなら3+5+3+3=14点です。私は、
私はショートホールのワンオンの可能性は少ないが、バンカーから一発で出して竿宣言しオリンピックの得点を足し7~8点を取ることは良くあります。グリーンまわりのバンカーは気にしないというより、得点のチャンスだと思います。
その他にも、色々、勝負の種類はあるようですが、あまり、複雑にしても意味が無いので、一般的にはここまでです。
日本静岡カントゥリー島田の10番の冬景色とジャバベカの10番です。やはり、ジャバベカの方が良い。
四人の時の最終計算方法 (各人のポイント×4)-(A+B+C+D)
ゴルフでかっかとして、キャディに当たったりしないでください。自己責任が基本です。
インドネシアで楽しく暮らす 15-554(再びビザの収得)
斜めからインドネシアを眺めよう 554
03:00起き、デルタマスの家を03:30出発、空港へ向かい、04:45にターミナル2に着いた。06:19発でシンガポールへ出発。PT.NANBUとしての労働ビザを収得するためでした。前回、PT.MAKUTAとしてのビザ収得の時と全く同じ行程でした。オーチャード通りの高島屋の近くのホテルのロビーで待ち合わせて、受け取った書類とパスポートを渡し、17:00に同じ場所に戻って、ビザのカードが張られたパスポートを受け取った。問題はその間の時間をどう過ごすかである。シンガポールに知り合いは何人かいるが特に呼び出して、話をすることもないし、食事を共にする間柄でもないし、彼らは町中にいないので遠くから呼び出すのも気が引けるので、一人で過ごすしかない。
タクシーに乗る前に、空港で、Rpからシンドルにチェンジしてみた。できた。何となくうれしかった。五十万Rpだけだったので、オーチャードと空港往復で五〇シンドルを使うので土産物を買うには足りなかった。町中で一万円を両替した。150シンドルを受け取った。67円が1シンドルということを知った。
どう過ごした方かというと、ニュートンサーカスへ行ってみることにした。20年ほど前だったと思う。太田化工の社員旅行で、シンガポ-ルにきた。そのとき、高島屋付近のホテルへ泊まり、ある夜、私、一人で、ワニに肉を食べて見なくなり、地下鉄に乗って、ニュートンサーカスまで行き、ワニの肉のスープなるものを食べた。鳥のささみのようで、ワニかどうかを確認する方法はなかったが、とにかく、これは正真正銘のワニだとレストラン(屋台に毛が生えたようなもの)の親父が言っていたので信じた。その日の夜中に、従業員に話をしたら、嘘でしょう、本当ですか、と、疑われた。現在の社長や工場長です。しゃくに障ったので、じゃあ、明日、連れて行ってやると約束した。もし、明日、ワニが無ければ、嘘になってしまうところだった。実際、5人ばかり連れて行って、そのオヤジに昨日のようなワニをと頼んだ。
メーニューには載っていない。その時、そこに店に準備もしてなかった。困ったと、思ったが、親父さんが、30分待ってくれ、近くの知り合いのレストランに有るはずだからといて、取りに行ってくれた。皆に、本当だ、うまいうまいと言われてほっとした。
そういうことが有ったところへ、今日はいってみた。全然雰囲気が変わってしまい、昔の素朴さが無くなってしまい。ジャカルタにもどこにでも有る。個店が並び、そのうちの一軒や二軒に注文し、テーブルまで持って来て貰うシステムになっていた。丁度、昼ごはん時だったので、近隣のサラリーマンで結構にぎわっていた。場所は変わっていなかった。
その中の、一軒でサトウキビの絞り出しジュースを売っていた。子供のころ、家の裏の畑にサトウキビが植えられていて、良くかじったものでした。その時の甘さと青臭さが入り混じった、飢えてた頃の懐かしい味を味わった。今回はワニではなく初めてのサトウキビのジュースでした。
サトウキビジュースと湾岸埋めたて地の新名所?
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
各種必要申請について書いてあります。
3月23日インドネシアで楽しく暮らす 15-555(流石のトイレ)
斜めからインドネシアを眺めよう 555
地図はなく、昔の記憶で、広い道に沿って右へ行けば、着くことは分かっていたが、その他に別の記憶があって、手前で、右に曲がれば、斜めに最短で行けることになっていた。それが、迷う原因になってしまった。後で分かった事だったが、シンガポールの道は、曲がりくねっていて、意識できない状態で、方向が変わってしまうことを意識していなかった。ドンドン遠のいていってしまったのでした。道端の測量や工事をしている人に道を聞こうとしても、知らない人が多く、また、英語もマレー語もできない人ばかりで、全く当てにならなかった。表示もほとんどなく、あっても、何メートルとか何キロという距離は全くいてない。看板によって、まっすぐ行けば行けるとわかった後でも、三差路が出てくる。そこには右か左かの案内が無い。
最後に、500m先のこの道の右側にあると言われて、そのつもりで、行くと、400mくらい先で、道が右側に直角近く曲がっている。その道の右側は、住宅地が続く、実際にはその道の左側にあった。しかし、さっき、教えてもらった場所からの方角はさっきまっすぐの状態の道の右側になる。人の見方や思い方は違うんだと、思って、首をかしげた。決して、彼らが言ったことはまちがいではない?のかな?
到着して、食事をし、オーチャード通りへ戻るときには、昔、従業員とわいわい言いながら帰った道をそのままだったので、まったく、問題なく、30分でイセタン辺りに戻った。それにしても、昔はその通りの両側に目立つ高さのビルはなかったが、現在は、全部が高くなってしまっていて、緑が少なくなり、イギリス領だった紳士的な町並みは消えてしまっていた。ラッフルさんもビックリでしょう。
サトウキビの搾り機、ステンレス製の製麺機の様なもの、30cmほどに切りそろえた、サトウキビを三四本掴んで何回も通す。手つきは鮮やかである。
インドネシアで楽しく暮らす 15-561(日本から土産)
斜めからインドネシアを眺めよう 561
最近、日本からの出張者が多く、何かと、差し入れを持ってきてくれる。一番うれしくないのが、雑誌新聞類、なんの役にも立たない、全く読まない。読んでも、表紙の文字だけである。直ぐに、捨ててしまう。雑誌は、経済的なもの、政治的なもの、芸能的なもの、スポーツ的なのも、どれもこれも読んでみる気はしないし、保存しておく気もない。日本に関する一般的な必要情報は、NHKの朝のニュースとインターネットで十分だし、特に知りたいことがあればインターネットでチェックします。ファション誌ならインドネシア人の女の子が写真を見て喜ぶ。
二番目にうれしくないのが、過剰包装で長持ちはするが、いかにも空港の待合の近くの免税店で買った、という食料品、それも、どこかの名物のようなもの、量は少ないし、人の好みで評価が分かれる、私にとっては高いばかりでおいしくない物がほとんどである。味が濃かったり、塩辛いものが多く、インドネシア人にあげてしまいたくても、彼らにとっても、全く、迷惑になる。お礼を言ってその後捨てることになりかねない。自分の好みで選んでもらってもわたしないには合わないことが多く、いわんや、インドネシア人におやである。
日本からの土産物で一番うれしいのは、多分、自宅の近所のスーパーやコンビニや百円ショップで買ってきてくれた味噌汁やお吸い物、ラーメンやうどん、そばなどインスタント食品です。若干嵩張るが軽い。長期で、少しずつ使えるし、インドネシア人にも食べてもらうことができる。日本人好みの味がどんなものかわかるので、少しずつ試してもらうことができる。あまり、分けてやると自分の分が無くなってしまうので、ちょっと、みみっちいいが、必要分は確保しておく。
渡した本人がまた持って来てやりたいという気持ちになるように、受け取ったときの、うれしさを前面に出して、本当に、ありがたいと、お礼を言うことができる。
これらのインスタント食品はインドネシアのジャカルタでも日本食品スーパーで買うことができるが、日本の値段の三倍する。バカバカしくて買う気がしない。
先日、静岡から見えたお客さんがあって、私が、バリバリの静岡人ということを知らず、その人は、静岡県外人で、静岡へ二年ほど前から出向で来ていた人でした。静岡の名物というか特産品というか、魚の角煮の真空パックを買ってきてくれた。確かに好きな人は好きだが、私は好きではなかったし、物心がついたときには、もう、食卓にはいつも有ったので、特に、有りがたいもの,うれしいものではなかった。スーパーで売っている価格を知っているので、この包装では、倍ぐらいしただろうなと思ってしまうのでした。ごめんなさい。静岡らしい土産の生シラスや生サクラエビや黒はんぺんを港の近くの市場で買って来て貰うのが飛び上るほどうれしい。いずれも、日持ちがしないので、産地以外では売っていないし、インドネシアへ持ってきても、一日以内に、要冷蔵である。
うなぎパイを買って来て貰うなら、やはり、フリカケトかお茶漬けのもととかおにぎりに混ぜる物の方がいい。ちなみに源氏パイはインドネシア製がある。
焼酎が少ないし、めちゃくちゃ高い。多くの日本人はアルコール類を土産にもらうことが、一番、うれしいのではないでしょうか。私が日本人のために持ち込むのは酒類です。私は一滴も飲みませんが、だれと誰にやるということを想定して持ってきます。
写真はインドネシアでも日本でも有りません。ドイツのニュールンベルグの郊外の娘たちが住んでいる場所に近くです。ニュールンベルグの遠望と其の場所の麦畑の風景です。
インドネシアで楽しく暮らす 15-571(消費税?還付)
斜めからインドネシアを眺めよう 571
私には関係ない話。
付加価値税(VAT)還付制度がジャカルタとバリでスタート。対象者は滞在期間が二カ月以内で、外国のパスポートを持つ個人。還付には、対象店一店で一回の買い物の合計額が、税抜きで五百万ルピア(約5万円)以上であることが条件となる。商品購入の際、店舗でパスポートを提示し、『税支払い証明書(ファクトル・パジャック)』を受け取る。10%還付される。免税品や飲食品、たばこ、機内持ち込み禁止されている銃や爆発物などは税還付の適応外となる。出国前の一カ月間の買い物に有効で、船便や輸送サービスなど機内持ち込み以外の輸送手段を用いる場合も対象外となる。
申請は国際空港で申請者はスカルノハッタ空港かングラライ空港から出国する際に、空港内に設置されたVAT還付カウンターで、原則的にはチェックイン前に申請を行う。店から受け取った税支払い証明書とパスポート、また機内に預ける対象商品を提示する。還付は現金で行われるが、還付額が五百万ルピア以上になった場合、申請者は申請用紙に振り込み先の銀行や希望する通貨などの必要事項を記載し、一カ月以内に還付されるとしている。ングラライ空港では出国検査後にもカウンターが設置されている。
払い戻しを請求できる人
・インドネシア人以外の観光客
・滞在が2カ月以内の人
・ジャカルタ、バリの国際空港から空路で出国する人
・航空会社乗務員でない人
・申請を1カ月以内に行うこと
買い物の仕方
・「VAT REFUND FOR TOURISTS」のロゴがある店で買い物
・1日1店舗での支払いが、税抜きで500万ルピア以上になった場合、税支払い証明書(ファクトゥル・パジャック)が発行される
試作の結果がおもわしくなく、頭を抱えている。打つ手が少なくなってきた。今夜は、徹夜になりそう。だから、
インドネシアで楽しく暮らす 15-573(清潔?、不潔)
斜めからインドネシアを眺めよう 573
日本食レストランはどうか、割箸は製造もとで、パッキングするので、まず、衛生的には問題が無いと思うが、ナイフやフォーク、スプーンは道端のテントレストランや会社の食堂のように飲めない水道水で洗っているし、食器類も同じこと、ただ、ティッシュや布でふいてあるので、乾いているだけ、ばさばさに濡れているのを使う人が、自分でチィッシュでふいても同じ不潔さである。日本食レストランの食器類は熱湯消毒をしているところは殆どないので、これも、道端のテントレストランと何も変わらない。ですから、当然ながら、日本にない、免疫が無い、雑菌にやられる。どんなに、気を使っても、こんなに用心をしているのにと、思っていても、やられる。会社のコーヒーを飲むとき、コーヒーは熱いから、熱湯消毒と同じでカップの雑菌は死んでしまうと思うのも、間違いで、取っ手や、カップの縁の雑菌は元気のままです。必ず、どこかに、雑菌が体内に入り込む可能性はあります。
インドネシアにいて、100%安心はありません。AQUAといって、飲料水の最大で、一番信用されている水のメーカーがあります。値段も、ここの水が一番高い、しかし、圧倒的なシェアーを持っている。ボトルの大小、カップ、ガロンボトルなど、どこへ行って、あります。AQUAのガロンボトルは空のボトルも高い、そのボトルを持っていかなければ、ボトル代を払わなければならない。そのボトルを持って行けば、AQUAの水の入ったアクアのボトルごと、買うことができる。他社のボトルを持っていってもAQUAをボトルの水はボトルの価格を足さないと買えません。そんな、信用がある飲み水です。
偽物があります。AQUAのボトルにどこかの水道水を入れて、ラベルをまいて、巧みにシールをするのです。シールがしてあれば、疑う人はいません。巷で、売り出されている150Lや100Lの約半数は偽物という説もある。インドネシアですから、当然でしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.htmlヤント君のヤフーブログです。
せっかく、私たちを信頼していただいて、試作依頼をしてくれた、客先の若い担当者に迷惑をかけたくないという意識があって、この製品の試作品納期が一週間遅れていることに多きい責任を感じる。
母親の七五三の時のドレスを着た。姉妹仲好くね。
今日は、早く帰って、ゆっくりバスタブに浸かる。といっても、23:00ごろか。明日は、朝から、ゴルフで、昼過ぎから、新しく買った住処への一部引っ越し、全面引っ越しは、18日を予定している。こちらは、大安や友引や仏滅が無いので、いつでも、都合のいい日が大吉日です。
インドネシアで楽しく暮らす 15-581(ピンダーハン)
斜めからインドネシアを眺めよう 581
ピーターパンではありません。引っ越しという意味です。1996年インドネシアへ初めて引っ越してきて、二日後に覚えた言葉です。
予定通り新しい家にいる。住所はチカラン(cikarang)とだけにして置きます。インドネシアで四回目くらいになるでしょうか、ピンダーハンが、最初の時には、友人に、転居案内を出しましたが、方法はハガキでした。今回は、メールで案内をしています。グログやウェブサイトでは公表しません。
昨日今日に引っ越しすることは公表しました。面白いことに、車が二台、後を追っていたそうです。私の移転先を知らされない人で、どうしても、知りたい人がいたのでした。一台は、引っ越し先を通り過ぎた処で、停車し、30分ほど、止まっていて、立ち去ったそうです。もう、一台は、三回の往復で三回とも、引っ越しの車の後を着いてきたそうです。止まれば止まり、動き出せば動き出したそうです。わざわざ、土日で、二台も使って、私の移転先を知りたがって人がいたことが興味深い。
日本の場合はどうでしょう、幾ら外国人でも、住民票と実際の住所が違っていれば、数々の恩恵を受けることができないし、権利を行使することができないので、一致させなくても構わないでしょうが、自分の利益のために一致させる必要がある。
私が好きな写真で、私は大傑作だと思っています。パンガンダランの宣伝写真に使ったら、多くの皆さん誘うことができる写真だと思います。
最近の製品です。樹脂名は書きませんが、この樹脂で、この形状は、インドネシアでは私の部下しかいない事を断言できます。バリを取ってないなどと無粋な上げ足を取る人は其の人にはできないはずです。
斜めからインドネシアを眺めよう 582
元気に会社へいったはいいが、下痢の状態が改善されておらず、大変、難しい状態になっている。それでも、朝から、ミーティングや会社訪問が続いて、多忙な、一日でした。商売につながるような話はあるのだが、いずれも、価格が問題で、可能性が低いことが分かった。多分、客先は、現在の製造会社に対する値下げ圧力の材料に使うに違いない。そんなことは百も承知で、安い値段をぶっつけようと思う。どこの会社も、目標価格は原料費の1.2倍くらいの価格である。とんでもなく安い価格でまともに相手をしていられない。そっちがそっちならこっちもこっちである。
新製品の金型の発注をした。確実にできる方法で進めることにする。余計な苦労をしたくないから、斬新的で実験的な方法は避けた。これが、10日位で完成したら、改めて、生産速度や寸法公差の改善を考えようと思う。
パパンダヤン(バントゥンの南の山、エーデルライズの一種が群生している、温泉保養地も近くにある)
遅延、他人事、安価勝負
4月20日 注文の出し方
斜めからインドネシアを眺めよう 583
風邪も下痢も治った。健康体に戻って元気に仕事をしている。
気が早い会社があるし、遅い会社がある。なかなか注文が入らない、フォーキャストは三か月分以上来ているのだが、直近の納入以来というか注文書をなかなか、よこさない会社がある。そういう会社に、幾らしつこく請求してもなんだかんだと理由を言って、なかなかよこさない。ある日突然、明日納品という注文書が入る。こういうことが毎月のように繰り返される。
かと思うと、逆に、早々と注文書をよこし、今か今かと納品の催促をしてくる会社もある。使う数量がそう増えているわけでもなく、一日に使う量は殆ど決まっているのに、催促をしてくる。よっぽど、心配性に担当者なのでしょう。どちらも、こちらの担当者から、私に、先方に日本人に話をして、一般的には10日位の余裕のある注文を出すようにしてくださいと、懇願される。
先方のそういう担当者は、別に、内へだけのやり方ではないので、特別意地悪をしているわけではない。聞くところによると、どの、注文先へも同じような出し方で、困らされているという。
その他に、日本人の私にとっては、温水器は必要。インドネシア人は基本的に水浴を普通の水です。
それと、もう一つ、卓袱台の様な足が短いテーブルが必要だと私は思う。インドネシアは床に座って食事をしたりテレビを見たりする大きめな部屋がある。私がテレビなしの子供のころ経験したスタイルに似ているが、折りたたみの卓袱台と座布団を使っていた点が大きく違う。そこで、卓袱台を買ってきた。座イスは日本から持ってきたものがあるので、丁度良い。
インドネシアの風景から、一変して、ニュールンベルグの孫たち、最近の様子。
卓袱台 鉄格子 注文
ご近所情景
斜めからインドネシアを眺めよう 589
トライの結果が思うようにならず、今日も先ほどまで会社にいて仕事でした。何とかしなければならないという焦りで、いいアイディアが浮かんでこない。起死回生のひらめきがあるのだが、今回は、なかなか、それが出てこない。参った。
こんなときにブログどこころではないだろうと思うが、金型の修正をしているので、明日の10時過ぎまで、トライができない。今は、何もできない状態なので、気分転換に、ブログを書いているのです。
引っ越したばかりの我が家の殺風景な様子です。壁が接している建売住宅です。完全にインドネシアの典型的な分譲住宅です。40平方メートル位のメインの部屋です。この部屋の隅は台所になっている。冷蔵庫や水のディスペンサーもこの部屋の中にある。写真の、向かって左右に一部屋ずつ15平方メートル位の寝室がある。トイレ、水浴、洗面所兼用の部屋は、5平方メートルの部屋がある。
床はこの様に、全面、30cm四角の白いタイルが敷き詰められている。日本の畳部屋、木の床は、インドネシアでは全部タイルです。板の間という考えは貧乏人の家という印象なのでしょうか、全くと言って新興分譲住宅にはまったく採用されていない。
ご近所は若い夫婦と小さい子供の家族が多く、あちらこちらから、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。中流の上、この程度の住宅に住む人は皆さんメイドやベビーシッターを使っているようです。朝、車を洗ったり、ちいさな子供と公園で遊んだりしているのはそういう人たちです。私が出勤時刻にそういう姿を良く見ます。のどかな風景です。
小学校が近くにあり、毎日、学校の前を通りましが、子供達は自転車通学が多い。勿論、親が車で送り迎えする姿も多いが、自転車を一所懸命漕いで、校門へ向かっている子も多い。日本の様に集団登校という姿はない。
朝、勉強の前だと思うが、一クラスの子供たちだと思うが、学校から外に出て、集団でランニングをしている風景にも会う。女の子が一人、集団から抜け出して、2.30m先を必死で走っているのがほほえましい。
私が子供のころの姿を思い浮かべてしまう。
何よりの喜び、モスジッド(イスラム教会)からのスピーカーからのお祈りの声が全く聞こえてこないのが一番心地よい。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page101.html
エッセー集です。大まかな項目別に分けました。
小学校 お祈り くつろぎ
6月8日 (^_-)-☆日常的なこと物価
斜めからインドネシアを眺めよう 632
旅から帰って毎日一つの試作に取り組んだがまだ完成していない。もう少しと言うところまで来ていて、それを直そうとすりと他の良かったところが悪くなる、それを直そうとするとまた他の処が気に入らなくなるということを繰り返している。しかし、今月は良いことがある、と、決めているので必ずこの製品は物になると思ってやっている。
水曜日に日本からの原料と新しい金型が届く、木曜日からそれらを使って試作をする。土曜日までに、完成させる。月曜日に客先へサンプルを提出する。
これが、第一弾だが、来週木曜日に日本から別の原料が届く、それでも、試作をして、どちらの方が、条件が良いか比較する。
今日は、また、ある会社から、仕事を出すかどうかのオーディットがあった。製品のサンプルはとっくに出してあって、OKになっている。今回は、工場の環境とシステムのチェックである。書類的には整っているので、実際との比較に来た。
今まで、タイから輸入していた製品のインドネシア国内調達に替えるお手伝いです。
自宅の改修を始めている。と言っても大がかりなものではなく、日本なら当然付けられているはずのもの例えば、湿気や臭いを外に出すためのトイレ兼浴室(カマールマンディ)の換気扇。それから、窓、電気をつけなければ昼間でも真っ暗になる設計は誰がするのでしょうか。台所の換気扇などである。換気扇は売って入りのだから、付ける人もいるのでしょうが、一般的には、付けられていない。これ等の総工費は材料、人件費が八千円です。日曜日からガレージというか、家の前の駐車場所に屋根を付ける工事も始まっている。今は乾季で雨は少ないが雨季には確実に必要になるので、今が安い。片側に1.2m高さの塀を付けて片側持ちの丸屋根を付ける。三万円で頼んだ。男性三人と女性二人の合計五人で仕事をしている。今日で、三日目、後二日はかかりそうだ。五人で五日、材料費も込み、これで、ほどほどの利益になっているらしいのが不思議である。
裏の庭に、ドリアンやアボガドやマンガ(日本ではマンゴー)を植樹した。自分の持家なので何でも自由に出来る。そのうち、ナンカやチィムベダックの木も植えようと思う。近所にそういう木や草花や肥料や土を売っている店が沢山ある。私だけが特殊ではなく、インドネシア人もそういう余裕がある家が増えていることを感じる。これらのインドネシアで一般的な木で1mくらいに成長したものは五百円位である。
今人気上昇中の車はイノヴァ(トヨタ)という1200ccクラスの車で全く同じ車でゼニア(ダイハツ)があります。価格は130万円、百万円です。エンブレムが違うだけです。一か所で作って最後にマークを付けた時に30万円の差ができます。キジャンより以上の大衆車になりつつあります。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage122.html
ポンティアナックの写真アルバムです。
日本では見たことがない花です
暮らし 物価 人並み
(^_-)-☆Makan malam bersama
斜めからインドネシアを眺めよう 644
先ごろ、日本人夫妻が、元従業員に殺された。日本人が現地の人を殺したという事件はあったが、日本人が殺されたという事件は、私の記憶では13年間無かったことでした。
ジャカルタの西のタンゲランというところです。日本人学校も近くにある。新聞で知っただけですが、かなり、広大な敷地に、大きな屋敷を構えて住んでいたようです。どんなかたかは、まったく知りませんが、何か、恨みを買ったのでしょうか。
インドネシアでは、日本人が殺されたということは、特別扱いにはなりません。単なる殺人事件です。日本人だから特に狙われたということではないと思います。在る人が事件にあってしまったということだけです。
日本人だからということではなく、誰でも、思うことは、恨みを買わないように心掛けることです。怒鳴りつける性格の人は、ご用心です。恨みをかいやすい。
大変な一日でした。会長を迎え、食事会を夕方開いたのは良いが、予想通りと言うか、思いがけないというか、私が望まない方向に展開して、食事が喉を通らなった。こんなになるものかと思う。厳しい世界である。
経営者とはこういうものかと目の当たりに見てなるほどと思う。私は経営者ではないな、と、改めて確認した。もともと、サラリーマンには向かない性格は分かっていた。だから、自分で会社を作って社長になるしかなかったが、やってみると、自分は経営者ではなく技術者だということを知った。子供のころから、30~50人くらいのグループなら、皆さんを纏めることが出来たし、皆さんを満足させることができた。しかし、100人となると、皆さんと私の間に何人かの人を置かなければならなくなる。その人たちのそれぞれが、私が30~50人の人たちをまとめたり幸福にしたりしたように出来ればいいが、出来ない場合が多い。だから、中間の人を私はうまく使えない。100人を満足させることができない。それが、経営者になれない原因だと思っていた。だから、ある程度の規模になったときに、手放してしまったのです。
サラリーマンは出来ない、経営も中途半端にしか出来ない、それでは、どうすればいいかと思いながらも自分のペースでやりたいと思って、今の状態になっている。でも、経営とは大変なことだと思う。
厳しさと言えば、今日の仕事も厳しかった。帰りが遅かったので、これまで。
Sop BakutとLTC(リストゥリック トレード センター)Glodokです。
サラリーマン 技術者 経営者
斜めからインドネシアを眺めよう 645
どういう関連があるのでしょう。初老の域に入った事を感じさせられる。
睡眠時間は5時間くらいになっている。原則として、22:00にベッドに入る、そして、多分、5分以内で眠ってしまう。それからが忙しい。01:00頃に目が覚める、原因はトイレに行きたくなることです。それから、04:00くらいに目が覚める、これもまた、トイレに行きたくなるからです。その後は、眠らない。トイレへ行きたくならなければ、もしかしたら、眠り続けることができるかもしれないが、そのことで、医者に相談をまだ、していない。
(起きているのは連ドラまで06:15まで)日本時間06:00のニュースをやっているので見る。それら、パソコンをいじり、05:00からソファーで寝てしまう。連ドラの前くらいに目が覚める。不思議に睡眠不足と言う感じは無い。昼間、眠くなることもあるが、この歳になって、睡眠が短くなって、眠くなることが多いというわけではない。どちらかと言うと、若い時、睡眠を十分とっても、まだ、昼間眠くなる、ということの方が多かった。歳を取ると、体が睡眠を求めなくなるようです。
完全に年寄りに典型的、睡眠状態ではないかと思う。夜、22:00には完全に眠くなっていて、横になりさえすれば眠ってしまう。
メガネは高校の時から近眼を長い間使っていたが、この、二か月前から、近眼のメガネを使わなくなった。ゴルフの時も車の運転の時も、近眼のメガネを使わない方がはっきり見えるようになっている。パスポートやこちらの運転免許の写真もメガネをかけていない。
50Cm以内を見るときだけ、老眼メガネを掛ける。だから、状態としては高校の時の近眼のメガネを掛ける前の状態になっている。この方が、煩わしさがないはずだが、メガネを掛けていたときには気を使っていなかったことに気を使わなければならなくなった。例えば、暑い蒸気、また、風が強い時の埃、火花、熱いプラスチックの飛び散り、気を使わずに危ない目に会いたくない。グラインダーを使っているときにはとくに注意である。もっとも、老眼鏡を掛ければ問題ないのだが。
衰えと言うより、歳を取ると若い時とは違った状況になるので、違うと言うことを意識しなければならないが、ついつい、忘れてしまう。他人に言われて、気が付く。やはり年かな~~と。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage112.html
先日、北ジャカルタから南下した時の写真です。
ジャカルタを南北に貫くGajamada Tamurin Sedirman通りをアッチチの像まで、ラトプラザによってちょっと北上し、スマンギからガトゥットゥスブロトを東に向かい高速道路に入るまでです。
ゴルフのカートを運転しているとき、メガネを掛けていないことを感じる。
四葉のクローバの葉が一枚離れてしまった。私が住む地方の一風景です。
老眼 睡眠 防護役
(^_-)-☆記念にふさわしい話題
斜めからインドネシアを眺めよう 671
昨日寝ている間に私のWeb siteへのアクセスが50000を超えました。多くの皆様に色々なジャンルで参考にしていただければ満足です。2007年からの書き込みですから、技術的なことはその時の事実で今それが変わっていることは在りませんが、その製法は日進月歩しているでしょうから、現在は別の方法の方がいいよ、という、こともあるかもしれません。旅の記録についても、当時の事で、今は、変わっているよ、ということも多いと思います。一つ人いつ、検証されて、指摘されても、私としては、対応に困ることもあります。現在どうなっているか、繰り返して行って、確認をしませんから、その時限りです。
文章的にも、転換間違い、誤字、脱字、いろいろ不備もあると思いますが、ブログもそうですが、書いたものを読み返す作業は一切していませんので、どこがどうだと、言われても、そうですか、と思うだけで、確認できません。いつごろ、どこに書いたかも本人、覚えていません。無責任のようですが、その時その時の走り書きです。あくまでも、参考にしていただける人に参考にしていただければと思います。とにかく、丸三年弱の千日くらいでしょうか。一日平均50回、すごいと思います。最近は60回以上になっていると思います。自分の記録です。まだまだ、これからも積み増してゆくつもりでいます。こういう人間もいる事実をみていただければ良いと思います。
話は大きく飛んで、まったく別の話。カマール マンディの水をためておく場所、名前は何というのでしょうか、Bak Mandiと言うらしい。
一般的平均的家庭のトイレの一隅にある。深さ70~80cm60~70cm平方である。上の水道の蛇口から水を入れる。使い方は、手桶柄杓で水を掬って、トイレの汚物を流す。用を足した後、左手で水を掬って、自分の汚れた部分を洗う。体を洗う時には普通に柄杓で掬って洗う。インドネシアは、トイレと水浴は同じ部屋で同じ水を使う。
ところで、その部屋の不潔か清潔か、もし、日本人が、その部屋を使うとしたら、たじろぐでしょう。なに、これ?と思うでしょう。私も、清潔に使われているなと思った家にであった事がりません。どこも、薄暗い、コケが生えたような部屋だし、タイルの眼ジはカビで真っ黒、いつも、びしょびしょになっていて乾燥することはない。臭い、湿気がきつい、滑りやすい。出来ることなら入りたくない。
水をためておく場所の水の状態もうす暗くて見えない。どんな水だろうか、気になるが確認しようがない。
自宅のバク マンディは、一週間に一回は全部の水をドレーンから出してしまい。底を雑巾で拭きとって乾燥させる。それから、水を入れる。
綺麗に透き通った水である、と言いたいが、そうではない。出てくる水の中に細かい黒いものが混じっている。水より比重が重いので、底にたまる。いつも水を一杯にして置いて上の方だけを使っているので、底には、黒いものが溜まっていって、それらが、なんとなく集まって細い黒い紐のような状態になる、それが、無数に溜まってくる。ゆらゆら揺れて底に漂う、黒い細長い生き物が揺らいでいるように見えて気持ちが悪い。底まで、明るいから見えるのです。一般的に暗いのはそういうものが見えないようにしているからなのでしょうか。
水浴で使った後は、床の水をゴムの板状の道具で排水穴に流し込み、ファンを常にオンにしておき、すぐに乾燥するようにしているし、臭さも消すようにしている。既に書いたが、明りとりの窓も作って、電灯を消した時も明るくなるようにしてある。
給湯器を付けてお湯が注ぎ込まれるようにもしてある。近代的な清潔なモデルカマールマンディにした。右の水鉄砲のような物は、右手で扱うヲシュレットのようなものです。これも、当り前のように付いています。
工場のリサイクルペレットを作る装置です。
水浴 記念日 続く
7月20日 (^_-)-☆スンバコ
斜めからインドネシアを眺めよう 672
今日は臨時のお手伝いさんに来てもらっている。7時前から来て貰って、洗濯だけしてもらい、また、洗濯ものが乾いたころに来て貰って、掃除とゴミ出しとアイロンがけをしてもらう事にした。同じ町内の奥さんである。
帰りは遅いし疲れているので、自分でやるはずの掃除や洗濯、アイロンかけ等をやる元気が無い。先週の木曜日から、なにも、手を付けていないので、隣の奥さんに紹介してもらった友達にきめた。一日一杯掛る仕事ではないし、毎日の必要ではないので、気が向いたときに、前もって電話をしてもらって来て貰うことにした。食事や買い物は自分でやるか、準備をするか、道端のテントレスタランである。
今日も家に戻ったのが、21:00を過ぎていたので、彼女と会うことはなかったが、全てが綺麗に片付いていた。
再掲載出す。
断食月に会食が多くなる。多くの会社もその手伝いとしてスンバコを従業員に送る。
その準備がそろそろ始まる時期です。ボーナスとスンバコはセットで準備するのが普通です。ボーナスは一年務めた人に一カ月分、それ未満の人には勤続月×十二分の一が最低だと思う。スンバコは全員平等にが原則です。
Sembilan barang pokok (スンビラン バラン ポコッ)“九種類の基礎的品物”の意味です。 ミニヤクウゴレン(揚げ物油、マルガリン)ブラス(お米)グラ(砂糖)ダキン(各種肉)トロール(卵)スス(ミルク)ジャグン(トーモロコシ)ミニヤクタナー(灯油)ガラム(塩)”を略してSembako(スンバコ)という。なぜか、口に入らない灯油が含まれている。そういえば、灯油は町の食料品の店で売っている。
言葉の印象から“寸箱“と解釈する日本人は多いと思う。実際に箱や袋に入れて、従業員に会社からプレゼントすることや、地方や国の政治家や金持ちが折々にスンバコを配る風景が紹介されている。大統領が配ることもある。現金を配ることもあり、噂を聞きつけた群衆が殺到して、犠牲者がでた例もあるほどだ。
イスラムの習慣らしいが、不公平な奇妙な習慣だと思う。結局、世渡りのうまい人が得をするシステムです。一種の金持ち意識を満足させるものだし、もらう方は誇りを傷つけられるとう傾向もある。今回の選挙の場合もこの扱いが選挙違反と絡んで難しいことは書いた。金持ちは、どうせ、巧妙な方法で金集めをしている傾向があるインドネシアです。税金を確実に納入するモラルが定着することが大前提です。
前大統領のメガワティがスンバコを安く安定させる政策を取ると公約している。スンバコの本当の意味が分かって納得したが、日常的によく使われるsembakoは辞書に載っていない。
リッポチカランの風景です。EJIP工業団地の入り口と左側のコタリッポチカラン
のホテルサヒッドリッポです。泊ったことはないが、何度か打合せ、待ちあわせでレストランを使ったことがル。
プアサ 日用品 食料基礎品
8月10日 (^_-)-☆便利なIDカード
斜めからインドネシアを眺めよう 693
最終の新しい金型は13日に出来上がる予定で進んでいる。14日(土)に試作し、独立記念日明けに最終サンプルを提出する。
ISOのインターナルオーディットが無事終了した。14日のアウターナルオーディットとクローズイングミーティングの予定である。
Surat keterangan diri
インドネシアで便利なのは、住民票や戸籍謄本といったたぐいの書類を必要としないことだ。写真入りで身元が証明できるカードなら何でも通用する。住民票(カードで写真入り)を皆さん携帯している、これがあれば、自分を証明する他の物はなにもいらない。日本もIDカード制にすればいいと思うのだが、何か、不都合があるのでしょうか。
年寄りの呼吸が止まった時、または、心臓が停止した時、自動的に住民票や戸籍から取り消されるシステムがあれば年金の支払い続けが無くなると思うのだが、それより、そのシステムで、現在どこで生活しているかも追尾出来ればいい。年寄りの徘徊によって、多くは行方不明になり、捜査願いを出されている老人も多いはず。子供の所在を確認するためにGPS装置を持たせている親もいると思う。渡り鳥の体に発信機と鼓動センサーを取り付けるようなものだから、プライベートの侵害になるという考えもあるでしょうが、そういうシステムがあれば、それを望む本人も家族も多いと思う。実際、やろうと思えばすぐできることです。私が、ボケれば、その兆候を自分で感じた時にそういう装置を付けようと思う。それが、カードになっていれば、身分証明書になる。
インドネシアでの問題は、地方から出てきた若者のIDカードの住所が出身地のままになっている場合が多いことである。住所がはっきり固定していないこともあって、変更の申請をしていないのです。学校へ通うことや就職するに当たっては不自由しないので、そのままなのです。現住所に変更または近場の住所に変更してあれば、バイクや車の免許証、銀行口座の開設は問題ないのですが、変えてなければ、まず、変える手続きから始めなければなりません。それをまた、エージェントを使ってやることになる。一週間くらいは掛ると思う。
外国人はそれが、KITAS(Karut izin tinggal terbartas)(期限がある住民許可証)です。インドネシア国民と同等の権利と義務を持ちます。一部、特別扱いの例外があります。これを提出すれば、パスポートなど他の証明書は要求されませんし、インドネシア人料金を適応されることが多い。例えば世界遺産ボロブドゥールの入場券売り場では、外国人ツーリストのロケットでなく、一般インドネシア人と一緒に同じ安い料金で入れます。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
125歳になっているはずで、生きていれば、現在の最高齢者を10歳以上上回る人の所在が確認できないと今頃行っている。どうなっているの。だって、とんでもない最高年齢者でしょ。何年も前から日本一の最高年齢者だったのでしょ。それを、市が把握していないとはどういうことでしょうか。それが一人や二人ではないと言っている。年齢の統計は取っていないのでしょうか、住民票は何のためにあるのでしょうか。バカバカしくて、笑っちゃいます。
ソプイガとテンペとタフに魚の蒸し焼き、合計250円の昼食。会社から出て300mくらいのところにフードコートがあります。奇妙な朝焼け。
証明 カード 出身地
2 8月12日 (^_-)-☆バイクのこと
2 斜めからインドネシアを眺めよう 695
グロドックへ買い物に行ってきたがいつものことで、大変疲れる。
日本ではオートバイとかバイクというがインドネシアではモートルという。日本でいうモーターもモートルである。正式にはスペダ モートルで、モーターで走る自転車という意味です。
インドネシア人の若者が自分でバイクを買う場合は、現金がないから、クレジット払いの契約をしなければなりません。価格は現金で買ってもクレジットで買ってもあまり変わらない。せいぜい、1%違うだけである。三年払いになるので、標準車13万円を36で割ると3千円ちょっとの毎月支払いになる。これなら、皆さん買いたくなるはずです。
バイクの登録をしてナンバープレートを付けなければなりません。免許証が無ければ免許証も取らなければなりません。IDカードがこちらの住所になっていなければ、全行程、三週間ほどかかってしまうでしょう。バイクを買っても、三週間は運転してはいけません。もし、交通警察に捕まれば、バイクを没収され、すべてが整ってから、罰金をもって、受出しに行かなければなりません。
バイクについてのヘルメットや免許証については、常時どこかで取り締まりをしています。結構、山の中の道でもやっている。バイクだけを対象にやっている。
それにもかかわらず、子供もバイクに乗っている、それも、二人、三人乗りである。中学生、高校生のバイク通学も普通である。たまに捕まっている子供もいるが、大多数は見逃されている。学校はOKしているのでしょうか。中高生のパチャラン(デート)もバイクを持っていないとなかなか成立しないようです。ゴルフ場の近くの道端や広場の木陰までは、バイクを使って来なければならないらしい。親はどう思っているのでしょうか。
インドネシアの道路は車で一杯である。車では身動きできない道路をすいすいと進めバイクは収入とも絡み合って、一番、適した乗り物だと思う。渋滞も何のその片側交互の関係なしに前進できる。日本では全く想像できない風景である。日本にはこんな時代はなかった。
メーカーはヤマハ、ホンダ、ススキ、カワサキで殆ど95%以上その他の外国製は殆ど見ることはない。どこまで伸びる台数、年15%位ずつ増えている。そんなに遠くない時期にバイクバブルは弾ける。それを、予測しながらも、各社は、下請けを巻き込んで増産増産と唱えている。それにしても、異常な売れ行きる。私は、後5年が限度だと思う。今に急ブレーキがかかる。
グロドックの様子。金属丸棒の店、ここまで来ないと緊急には手に入らないし、商社を通すとかなり高価になってしまう。