Travels
スマランから
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Batu Tumpak Sewu  Bromo

2020年3月16日 (^_-)-マラン起点 4077 5時に会社からタクシーで出発、ブカシティムール辺りまでは順調だったが、突然の渋滞、電光掲示板で、その先、チャワンも渋滞、アンチョール方面へも渋滞と出ていた。しばらく行くと、タンゲランを通ってタンジュンプリオク方面への有料道路が空いてそうだったので、北周りに進路を変えた。それが正解だった。7時半にはターミナル2に着いた。もし、そのまま、渋滞の跡を着いて言ったら、間に合わなかった鴨居知れない。分岐点の手前からの渋滞で良かった。

チティリンク(ガルーダの子会社)のカウンターで殆どの人がマスクをしていた。やはり、ジャカルタは、危険地域と指定されたことに寄るなと思った。オンタイムで離陸、順調に11時前にはマランに到着した。飛行機から出てターミナルに入る手前で、体温センサーを向けられた。ここでも、警戒を一応しているなっと思った。しかし、ターミナルから出ると、マスクをしている人がほとんどいなかった。

 近くのタクシードライバーにコロナのことを聞いた。気にしていない、と言われた。マラン大学が閉鎖になったことを話したら、そんなこは、知らないと言われた。

 半日タクシー、35万Rpで頼んで、以前行ったことがあるバトゥのチョバンロンドに行ってもらった。懐かしい、もう10年以上前だ、その時は、良い天気だった、ところが、今日はまだ雨季、毎日、夕方には雨が降っているという、雨が降らないうちにと、山を目指してもらった。間に合った、雨にはなっていなかった。まだ、滝が見えない場所まで霧雨が降っているような雰囲気だった。以前と変わらない水量で、豪快に落下していた。チョバンロンドとは、未亡人の滝という意味だそうな。何やら、難しそうな伝説を話そうとしてくれたが、途中から、突然の大雨になって、由来は聞き終わらなかった。

http://otaenplaext.net/newpage151.html

下山して、マランからちょっとそれて、チャンディ(ヒンドゥーの遺跡)に寄った。ここも、以前,寄ったことがあった。雨の中、5分くらい、写真を撮っただけだった。以前の時は天気が良かったし、一日だったので、今日には物足りなかったが、一応、満足。

 マランのAria hotelに宿泊、ここを起点に、明日、1日でTumpak Sewuトゥンパックセウ迄往復する、そして、明後日は、ブロモへ往復をする予定だ。

順調 コロナなし チョバンロンド

 3月17日 (^_-)-トゥンプックセウ 4078 ジャワ語で「千の泉、滝」という意味をもつTumpak Sewuを目指す。

 6時にホテルを出発、南ぬ向かう、ブリタールやスンダンビルへの案内板が出る。どちらも、既に何回か行っている場所だ、途中で、東に曲がる。ルマジャン方面だ。S字カーブの連続で、行く途中右手、北側にスメル山がそびえているのが見え隠れした。その道、石や岩や砂を満載したダンプカーとすれ違う。帰りは、そのトラックが遅いので邪魔だった。スメル山の麓から持ってくるのだという。良質だそうだ。

ホテルを出て2時間半、案内ゲートがある右側の狭い道に入るCoban Sewuと書いてある、途中の案内板もトゥンパック セウとは書いてなく、チョバン セウと書いてあった。10分ほど進むと、駐車場が左にあり、ドリアンの大木が目に入る。ワルンやホームステイなどの施設があり、一角で。入場料を払う場所があり、そこの人が話しかけてきて、滝までゆくのか、行くなら、一人10万Rpということで払った。すると、ガイドが出てきて、あそことココとそこへ行くには3時間掛かる、ガイドが絶対必要だと強調する。1時間半10万Rp、だから20万Rp払った。

直ぐに、降り口に向った、5分ほどで、展望台に付く、このが、いろいろなガイドブックやネットで紹介している写真の場所だ。見ろりしながら、あの滝の下まで降りる覚悟と、下りた時と同じ斜面を登ってくる覚悟を決めた。

 とにかく急だ。垂直の崖を、ちょっとした隙間に梯子を掛けたり、手すりで仕切ったり、ロープで、仕切ったりしてある。ただただ、つかまるだけ掴みながら降りてゆく、しかし、上から見えた滝はなかなか見えてこない、斜めの遠ざかっているのだった。途中から、崖からしみ出してきている水の沢が現れる。現地の人やガイドは靴を脱いだ方が寝れないし滑らないからと言って、ほとんどの人が靴も靴下も脱いで、裸足になっている、女性もだ。私は、裸足になったら裏が痛くて歩けないから、そのまま、靴はぐしゃぐしゃになった。仕方がない。そして。足もふらふらに、既になっていた。

滝からの水の沢に岸に迄降りた時、また、ここから先は有料と、1万Rp払った。そこで、コロナの関係で、今日が最後だから、運がいいねと言われた。そこを通ると、100mほど、先の寮側の崖の間に部分的に、あの上から見た滝の一部が見えてきた。

 来た来た、流石にある意味で。インドネシアNo1の滝だと私も思う。富士山の南、白糸の滝の幅3倍、高さは5倍以上ありそうだ。水量は10倍以上か。とにかくすごい、大変だったが来て良かったと思う。

 

帰りは、下りてきた道ではなく、滝の水に沢沿いに少し下ると、また、かなりの規模の滝が目に入った。ここも、別の場所になれば、相当、有名な滝になると思う。その脇を上ると、その滝の途中に、鍾乳洞があった。ゴア テテスGoa tetesがあり、そこにもよったが、これが、また大変、階段状になった滝を上るからだ。足だけでなく、頭から水を被りながら、登る。も~~、いつ、登れなくなるかもしれないと思うような疲れだ。足が上がらない。もう無理やり上っている。どうでもなれと。滝を見上げながら、ここをまだ上るのかと聞いたら、ここは、これで終わり、一旦、下に下りて、帰りの登り口に行くという。何?せっかく上ったのに、下りるの?

滝の数々で感激はしたが、もしかしたら、登れなくなってしまうのではないか、したの沢迄行った乗りて、新しい登り口の下に着いた。階段になっていた。一段一段が高い。途中、休み休み何とか上って、途中、何か所もある休憩所、全てで休んだ。やっと、下り始めてから3時間半後にオジェックが待っている場所に到着した。歩けば、まだ30分ほど掛かるぞと言われ、オジェックに乗った。1万Rpで5分ほど緩やかだが凸凹の狭い坂を上って駐車場に着いた。

 ドリアンをすぐに食べた。美味しい、いつも食べている滅茶苦茶高い一個3千円位のモントンよりおいしいのじゃないかと思った。、色も濃い黄色、種も小さく食べつ部分が大きい。地元の種類だという。一個6万Rp500円もしない。一個,丸まる食べてしまった。

 年齢を聞かれてビックリされた。ここ、60歳以上は、入場禁止ななっているよだった。15歳もオーバーだ。

そういえば、日本のジェットコースター、60歳以上お断りが多いようですね。

 疲れた、帰りの車の中、ほとんど眠っていた。でも、ホテルに着いたときには、疲れも足の痛みもなおっつぃ待っていた。明日は、ブロモを目指すために1時前の夜中に出発をする。

ブロモは閉鎖だよという情報が入っていたのでドライバーに電話で確認してもらったら、今週はまだ閉鎖のけっておになっていないという、バニュワンギのカワイジェンは、今日から閉鎖になったそうです。

トゥンプック テテス 足

 t3月18日 (^_-)-ブロモ 4079 真夜中12時に出発、以前は、プロボリンゴからだったり、マランからでも北からブロモの展望台に行っていたが、今回は、ドライバーの知人の関係で、南から入った。というのは、四駆のジープのような車でなければ、国立公園内に入ることができないため、ジープを持っているガイドを頼まなければ入山できないシステムになっている。1時にその友人の車で途中から出発、3時前にブロモの南の外輪山から、急坂を降りて、パシール ラウトゥに入る。まだ、真っ暗の上に濃霧の中、10mほど先に迄しか私に見えない、凸凹、それに、雨水の溜まり、ガイドは、なれた場所とは言え、水溜りの位置や深さ、それに、川になって流れた後の位置や深さも知らない、とにかく、勘で進んでいる、他の四駆も偶に接近、追い抜いて行くが、それに就いて行けないから、矢張り、右往左往、車体の傾きがきついときは、倒れてしまう恐怖を感じだ。

恐怖の中、50分ほど、走る、南の端からブロモの東側をぐるっと回って、ブロモの北西の展望台に上がる場所まで着いてほっとする。急坂を上って、展望台のしたの道の脇に駐車する。あれ、登り口の直ぐ脇だ。4時ちょっと前、過去の2回は、ずっと下にしか駐車できなかった、2~300m道を上って、登り口に付いたが、今日は、10mほど降りる形で登り口に入った、ということは、ガラ空きだということだ。昨日の夜、聞いた話では、マランの町の観光地や遊園地、博物館など人が集まる場所は全て今日から閉鎖と聞いた。ということで、ここは閉鎖ではないが、欧米人のカップルが何組か、中華系のツアー客は見なかった。

5時にはかなり明るくなって、5時半のサンライズだった。以前は、押し合い圧し合いで場所取りが大変だったが、今日は、最前列の柵の柱にカメラを置いて動かないように撮影できた。ブロモは雲海の下に隠れてしまって、水蒸気が上がって見えているだけだった。その向こうのスメル山、時折、水蒸気が噴出していて、頂上の真上に雲はできている。雲海で、パシールラウトが上から見えなかったのも初めていた。これはこれで、魅力的な景観だと思う。

 登ってきた道を下って、また、雲海の中に突入した。雲海の上の太陽の周りにうっすらと虹のリングが見えていた。

 日が差してきたので、少しづつ、霧が晴れてゆく、ブロモの下に着いたときには馬が近づいてくるのが見えた。往復7万5千Rp、そして、乗馬の場所が。ヒンドゥー遺跡より遠くなっていた。駐車場が遠くにされていた。馬で階段の下まで行き、急な一直線の階段を登った。昨日の急坂の下り登りで、腿の筋肉が痛む、それでも、何とか、

 足が攣らずに到着できた。ま、変らない景色だ。霧の覆われていた下の景色が徐々にはっきりしてきた、30分ほど上にいて降りてくるときには、ほとんど、雲海は消え,砂海になっていた。階段の下から、馬に乗って駐車場まで、そこから、今日早朝通ってきた場所を引掛けす方向に向った。全く、見えなかった景色が、ハッキリしてくると、黄色い花の海になっていた。Bunga Ades Sabanaブロモ側もプロボリンゴ側も、斜面の途中まで黄色い絨毯が登っていた。

 その一部の写真、ネットで紹介している写真と私の写真です。

 その一角にあった、テントレストランで食べたバソマランBaso Malang,ボリュームがあって、出汁Bunbuが美味しかった。2万Rp、安くてお腹いっぱい。

早朝の道を引き返す途中、Coban Pelangi虹の滝に寄った。ここが、またちょっと下りが厳しかった。だから、登りも急、もう、どうでもなれて、下って上った。チョバンロンドに似ていたが、高さも幅もこちらの方の規模が大きかった。で、訪れている人は誰もいなかった。

 車の中で眠っている内にホテルに着いた。14時前、直ぐに眠ってしまった。目が覚めたのが18時、腿の筋肉の痛みが増していた。ベッドから降りる時、よろけてしまった。

 とにかく、三日間の強行旅の強行部分は終った。あった人、一所に行動した人、皆さん、私の年齢を聞いてびっくり、それと、どこから?と聞かれて、答えないと、インドネシアの中の町の名前を言うから面白い。日本人というと、信じられないという顔をする。インドネシア人にしか見えないようだ。外国人と料金が違う場所でも、疑われることは全くなかった。キタスやシムを出す必要はなかった。

Magelang, tvOnenews.com - Untuk mengantisipasi penyebaran virus corona atau COVID-19, PT. Taman Wisata Candi Borobudur, Prambanan, dan Ratu Boko (Persero) menutup taman wisata candi untuk sementara bagi wisatawan. Wisatawan kini untuk sementara waktu tidak bisa berkunjung ke salah satu

 ゲラン県は、コロナやCOVID-19ウイルスの拡散を予測する、PT.タマン・ウィサタ・チャンディ・ボロブドゥール、プランバナン、ラトゥ・ボコ(ペルセロ)は、観光客のためにしばらくの間寺院ツアーパークを閉鎖します。旅行者は一時的に訪問することができません。

雲海 砂海 花海

 3月19日 (^_-)-戻った 4080 昨日のブロモのバソマランとマラン空港のバソマランこちらは3万Rp、こちらの方がバソの数が少ないし、小さい、その他にもボリュームが小さい、味はほとんど同じ、場所代が違うのでしょうか。

 とにかく、どこもかしこもスピーSepi寂しい、ガラガラ。マランのホテルも、空き室が殆どのようで、ロビーにも人がいない、駐車場も車が殆どない。部屋からの景色です。Gunung Kawiカウィ山が大きく広がっていて、その真ん中の下にGunung Batuがある。初日に行った場所だ。

 9時に出発、40分ほどで、空港に到着、アブドゥール ラフマン空港という、4代目の大統領、印象としては、イスラム宗教の一派の長、目が見えているのか不自由なのか、いつも、目を瞑っているようで、車いすに座っている印象があった。大丈夫かなと思う、人だった。

 車いすと言えば、この空港のツティリンクのカウンターで、運転免許証(SIM)を出したら、じっと見て、車いす(クルシロダkurusi roda)を準備するかと、聞かれた。え?さや?生年月日を見て言ったと思う。76.5歳だ。でも、おいおい、SIMを持っているだろ、それに、こうして、前に立っているだろ、っと、思った。ウガッと答えた。多分、年齢を見て、聞くことになっているのだと思う。ま、インドネシアでは、この年齢なら半分以上、この世にいないし、まともに歩ける人もいないから。

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