Singapore 09

2009年  チャンギ空港に第三ターミナルができていて、タクシードライバーからどのターミナルへ行くのか聞かれた。わからない。フライトナンバーを見せたら、多分,第三だろうといって到着した。もし違っていたら、無料のスカイライン(モノレール)が第二へ行っているから使うといいと、教えられた。実際には運転手が言った通り第三だった。チャンギですから、広い、綺麗、新しいからなおのこと、手荷物チェックもなし、簡単にイミグレは通過した。それから、時間つぶし、まだ、6時間半あった。コンピューターは二時間でバッテリー切れ、電源を聞いたがないという。食事は時間をかけて一時間、その他は居眠りと考え事で過ごした。
 ANAとの共同運航で、機内のようすがガルーダとは雲泥の差、座席の前の雰囲気がまったく違う。モニターで結構遊べるし、何といってもコンピューターの電源がひじ掛けの先端に付いていることでした。早速、再び使うことが出来て感激した。




シンガポールへは仕事とビザの受取で何度も訪れているが、観光をしたのは多分20年以上前に太田化工の社員旅行でした。当時は毎年アジアの各地を旅行し、全額会社負担の福利厚生費として、利益を減らす手段としていた。
 その時にはどうも、今回使ったパークホテルに三泊したような気がする。三泊四日が経費で落とせる最大でした。それ以上ですと、過剰福祉として社員の給料とされるようでした。それはそれとして、その時は、マーライオンは傍へ行って見た記憶がありますが対岸からは見なかった。観光バスは対岸へは行かない。今回はホテルからオーチャードストリートを海に向かって歩いた。途中ラッフルズホテルを過ぎて、なおまっすぐ行くと出来たばかりなのでしょうか綺麗な貝殻のようなドームがあるコンサートホールに出会った。


 マーライオンを近くから撮影したのち、歴史のある橋(20何年か前にはこの橋しかなかったが今は広い橋がかかっているので、観光バスがこの橋の上にも駐車していた)を渡って引き返すことにした。その着きあたり、昔のシンホニーホールでしょうか、中からオーケストラの練習の音がこぼれてきていた。その前に庭にラッフルズさんの銅像が建てられていた。私の恋人ラフレシアのなずけ親でもあることはブンクルーやパンガンダランの旅行記に書いてある。
 このあたりの景色は昔とまったく様変わりである。高層ビルが林立し、なおマーライオンがある湾を塞いでしまうように、オフィスビルでしょうか何棟も建設中である。対岸には野外音楽堂があり、ライトアップされたマーライオンが、多分、ステージのバックになるに違いない。日本が占領した三年間でしょうか、その時の戦没者慰霊の塔がなんだか目立っていたのが、気まずい思いだった。昔はバスで通過してしまったところを歩いたので、さまざまな徐協が分かる。人の動きや日常的な習慣も目にはいった。ゴミは少ないが、タバコの吸い殻は予想外にまき散らされているし、歩きたばこも多分禁止されていると思うのだが、気になて仕方がないほど多い。女性のスタイルは多分アジア一、開放的ではないでしょうか。その中に非常に少ないがイスラムのおばさん達がいると目立つことは確かである。


 暑かった。日陰を求めて歩いたが、それでも熱い。雨季のインドネシアは寒く感じるのでなおのことである。暑いので涼しいホテルやデパートに入るのだが、これがまた、今度は寒すぎる。どうして、どこもかしこも室内は寒すぎるくらいに冷房を効かせるのでしょうか、インドネシアもシンガポールも同じである。飛行機の機内も同じである。
 だから、それらの施設の入口にしばらく立っていてちょっとだけ涼気を感じてまた歩く。


main