Nias ニアス島

夕食(お米を餅のようにしてピーナッツと辛子を混ぜたようなドッレッシングを掛けてある、サテアヤムも添えてある)をとった食堂。

 03:30夜逃げのようにして家から出発。当然ながら道は空いている。記録的に早く空港に着いてしまった。04:00でした。06:40離陸。

同じ飛行機、同じ航空会社ではないので、ガルーダとムルパティ、鷲と鳩である。メダンからの乗継が心配で、朝早く、ジャカルタを出発し、メダンには8時過ぎに着いた。ニアス行きは12:40過ぎの発なので、メダン市内へベントール(バイクベチャと考えたらいい、オジェックより、二人乗りなので安い)。タクシーを使えば倍以上はする。メダンは三回目だったが、過去二回は目的地がトバ湖だったので、通過するだけだった。選挙当日で繁華街も全部シャッターは下りているし,閑散としていて、ニュピのバリのようでした。投票所の前に来ると人が集まっている。日本のような学校や公民館などの屋内ではなく、ちょっとした店の前の駐車場とか、公園に特設投票箱を並べて、町のあちこちでやっている。

メダンの空港に到着し、出てすぐ右に出発入口があることを確認して、町へ出て戻ってきて、其の入口に入ろうとしたらここはインターナショナルだという。ドメスティックは向こうの端だと、教えられた。私は7~80m先にこのビルの端かとおもっていったら無い、おしえられた時は見えなかったが、まだ先に別の新しいビルがあった。そのビルまでは50mほどあった。そのビルについて出発口が見つからないので、聞いたら、このビルの向こうの端だという、100mはあった。その端へ着いておない。見回したら、其の端を左に回ってまた左にやっと見つけた。ビルの裏側というか中に入って戻る方向にまた、50mいって、荷物チェックの入口に着いた。ドメスティック用のビルが新しいので、案内板が不足している。到着は国際、国内便とも同じで出発ロビ-だけが、別なので、初めての人、特に外国人には悩ましい空港だと思う。そういえば、オジェックが近づいて来ては乗って行けといっていたのが不自然ではなかったのでした。

グヌンシトリには13:50到着早速、帰りの航空チケットを予約した。これで、一つほっとした。タクシーを決めた。あまりにも、衝動的にニアスと決めてしまったので、どこを、どう歩いていいのか事前のリサーチをしていない、今日は空港からホテルまで移動しただけで、無いもしていない。海岸の風景を撮影したが生憎の海岸工事中で台無しだった。

2004年と2005年のメモリアルアートがあった。
山の中の家にはカカオの木があり、自分達で乾燥させてココアとして飲んでいる。私も一軒の家に立ち寄って、カカオの実を売ってもらった。左の写真のように、黄色いのが熟れている証拠だとか。
カンチルという小さい鹿です。トヨタキジャン(鹿)にちなんで、ジャカルタで一時、入っていたミゼットのような小型三輪自動車の名前が、カンチルでした。

 4日間の休みがあったらまた行ってみたい。間もなく、西海岸も安心して行けるようになるでしょう。Riau airが毎日三便メダンから出ているし、プロペラ機だが、100人位は乗れる大きさである。

 あこがれのNiasは期待を裏切らなかった。見どころは南の半分であることが分かった。二日間降り続いた雨は止んでくれた。
 桜満開の日本から、三日目にはこの地へ来てしまいました。朝からレンタカーで南の端のTELUK DALAMに向かう。途中、できるだけ多くの観光スポットへ立ち寄ってもらうことにした。とにかく、下調べがないので、ドライバーの知識に任せるしかなかった。地図を見ると石の彫刻像があちらこちらにあるはずだが、それらは、全部無視して、ひたすら、トゥルックダラムへ走る、そこを通過してしまって、北に曲がり山の中に入って行った。8:00に出発して11:30に最初のスポットに到着したようだ。その場所の名前はBabo mataluo(バボマタルオ)伝統的な集落である。例に石の跳び箱を飛んでみせる場所である。以前の何年か忘れたがお札に印刷されていた。飛んで見せるのが一人15万Rp。値切って三人で30万にして実演してもらった。そのあとサーフィンスポットのSorake Beach(ソラケ ビーチ)へ行った。こんな所を見ても仕方がないが食事をそこでとった。
 
 サーファーは欧米人に交じって日本の若者も三人見かけた。どこにでもいるものです。結局、求める伝統的集落は一か所だったし、他に何もなかった。多分ドライバーははずれだったと思う。ソラケ海岸のソラケホテルに泊まったがエアコンだけで、お湯が出ないしテレビもない。25万Rpでした。何年前に建てられたのでしょうか、立派なコテージがいくつもあって、津波の前はにぎわったのではないかと思う。今は閑散としていて、レセプションに若い男女が一人ずついるだけ、それで十分のようです。ホテルに面した海岸は珊瑚の死骸でできた遠浅の向こうは怒涛にインド洋で、大津波の時はさぞや豪快に見舞われたのだろうと想像する。



電線はなんとか許せるが、古典的な家屋に大きなパラボラアンテナがそれぞれ、セットされている。写真を撮るとき、邪魔でしょうがない。日本と違って2mくらいの直径で真上の赤道を向いているので、バドミントンのシャトルケットやボールなどいろいろ乗っかっていて見苦しい。なんとか共同で一か所にすればいいと思うのだが。


最終日にして、始めて、まともなドライバーと車に当たった。それが面白い、泊まったナショナルホテルの向かいにあるトカンギギ(入れ歯屋)が所有しているキジャンとドライバーだった。たまたま、ホテルの前で、そこにいる人に話しかけたら、私が案内してやるという。それでは、明日、空港へ行く前に、グヌンシトリの近所の伝統家屋を回ってもらいたいと頼んだら、OKした。その時はトカンギギとは知らなかったし、本人が運転手としてくると思っていた。翌朝、7:30に出発と約束したのに、その時間になっても本人が現れない。電話番号も聞いてなかったので、心配になった。すると目の前に突然彼が現れて、車のアイドリングをはじめた。年をとった、と云っても50歳位か、歯医者だと思った。しかし、違っていた。若い昨日話した男が歯医者で年をとった人が運転手だった。

 その歯医者がNias島のことをよく知っていて、ちゃんと、案内するように運転手に注意していた。

 朝、早くから出発して、山の中の伝統家屋を巡ってくれた。道が狭く、崩れ落ちている場所もあって、木で補強をしてある橋がいくつもあった。一度は、前輪を溝に落として、立ち往生したが、近所から若者が出てくるものです。大勢で持ち上げてもらって事なきを得たこともあった。

 歴史博物館(民族博物館)にも案内してもらった。館内写真撮影禁止だった。

三日目のトゥルックダラムへ行くときにこのトカンギギに会えていたら、今回の旅がもっと満足出来ただろうと思うと残念だ。Niasへ行く人はぜひナショナルホテルの向いにある歯医者に島の案内を頼むといいと思う。

 詳細は私のWEBSITE で楽しんでください。普通の人がツアーで行くには難しいでしょうが、秘境好きや伝統文化や習慣に興味がある方はぜひ一度訪れることをお勧めします。

 南(柱の組み方)の方と、北(円形)の方では家屋のスタイルがはっきり異なる。また、両方とも、どこの影響を受けていることもないし、独特の建築様式である。近代の建築設計士にも眼あたらしたとして参考になるのではないかと推測する。

道が崩れ落ちている

口の中が赤くなるピナン




アクセスが不便なので、外国人の観光客は少ないが、独特の文化を持っている島と聞いている。伝統的な行事が多いし、海岸の風光も魅力的、サーファーにとってはあこがれの場所とも聞いている。日本人に会うことはまったく考えられないほど、日本人が訪れることはまれだという。欧米人はホテルで見かける。
 中華系の住民が多く、スマトラ北部共通だが、カソリックの信者が多く、多分この島はイスラムと半々ではないかと思う。当日はGood Flidayでナショナルホリデーだったので、特にキリスト教会付近は大勢人が集まっていた。住み分けはうまくいっているようだ。
 ニアスは2005年の地震と津波で500人以上に犠牲者が出た。その前の年2004年には例のアチェの大地震と津波の時も近かったニアスも大きな被害を受けた。二度の災害で、大きな打撃を受けたが、現在はほとんどその跡がない。道路の凸凹はないし、十分な広さだし、申し分ない。 津波の後からだと聞いたが、国連機関の施設が目についた。また、意識的だと思うが、津波の跡をそのままにし、修復していない建物もあった。
 グヌンシトリは小さな町で、自転車のベチャで回っても30分もあれば十分、スーパーマケットやインドマレットのようなコンビニもない。町中の人が知り合いのようだ。


main