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27 MAY 2007

  孫に会うためにドイツのNurnberg(ニュールンベルグ)に滞在した。成田発12:25、ミュンヘン着、ミュンヘンタイム17:15約12時間の旅だった。上の孫2.4歳は私を見つけるなり飛びついてきた。じいちゃん冥利である。ニュールンベルグまで2時間、静岡の家を出てから19時間の長旅だった。日本時間は真夜中3時を回っている、眠くてばたんきゅうだった。
 三日目はニュールンベルグの市内観光、娘と孫二人の4人づれ、バスと地下鉄で中心街へいきなり入る。もう春本番である。皆さんの服装は夏、広場には花と野菜、果物の市場に品物があふれている。白アスパラガスがこのシーズン旬で、山積みにされていた。
 孫が鳩を追いかけて走る、其れをまた追いかける、よい運動になって楽しい。周りの人が私たちの姿を追っている事を感じながら。
 城跡の高台から、市内を見下ろすと、赤茶色の屋根の家々の中に教会の尖塔が幾つか見える、ヨーロッパだなと思う。



五日目 娘の家から一時間以内で行けるので、まず、Rothenburg(ローテングルグ)へ連れて行ってもらった。二回目だったが以前来た時は一月真冬、雪景色でどんより、観光客など誰もいなかった。今回は、春たけなわ、日本人観光客が引きもきらずにぞろぞろと、列を成してきていた。それもそのはずロマンチック街道の中間地点くらいなのだから。言ったら悪いが何処も同じ景色、町のたたずまいに見える。代わり映えがしないということだ。一箇所の写真をここは何処何処と別の場所を言っても誰もわからないのではないかと思う。
Dinkelsbuhl(ディンケルスビュール)にもついでに寄った。ここも同じ、若干空いている分、多少、町自体もゆったりして見えた。特にサンクトゲオルク教会は一見の価値ありと思う。私はキリスト教会のことは知らないが、荘厳に感じたし、パイプオルガンの雰囲気がまたいいと思った。坂道を登っていくと裏門というか正反対の門に突き当たる、そこから振り返って、教会方面を見るといかにも中世ヨーロッパのたたずまいを髣髴できる。
Dinkelsbuhl(ディンケルスビュール) Rothenburg(ローテングルグ)

Bamberg(バンベルグ)水の都北のベニスというらしいが、較べたらベニスが気の毒だが、キリスト教会の佇まいは魅力があった。日本人はほとんどいなかったが、どうしてでしょうか。ロマンチック街道ではなく、別のなんとか街道(古城街道?)と言っていた。町中欧米系が溢れていた。

 色々な所へ行って、同じような雰囲気を見続けていると魅力的だったものにも、あまり感激がなくなる。そこで、オーストリアのチロル地方へ行ってみる事にした。スイスは何回か行って切るので、それほど期待はしていなかったのがよかったかもしれない。
 ペンションへ4泊、近所の山歩きで疲れたが、久しぶりにカウベルの音を聞きながら、牛の糞の臭いがするいい空気をふんだんに吸い込んで、なんとなく喉の具合がよくなったし、離尿の調子もよくなった?気分の問題か?
 Sonntag村Austria土曜日村、本当に毎日が土曜日のようで、皆さん、生計は如何して立てているのでしょうか、仕事をしている雰囲気がない。花の手入れをしたり、手入れといえば、各階のベランダに花が飾ってあるが、季節ごとに植え替えている。年四種類の花、水遣りは配管されていて、蛇口をひねれば全部の鉢に注がれるようになっている、また、雨が降ってくると、透明なプラスチックプレートで覆うようになっている。綺麗に見せようという意気込みが感じられる。
  とにかく、暮らしぶりが、私とは全く違う。
Bamberg

別にここら辺のことだけではないが、朝5時くらいから明るくなり、21:30くらいまでまだ明るい。中心が0時になっていないのは標準時の場所とずれているからでしょう。今の季節、外で何かしているとすぐ夜の8時9時になってしまう。暗くなったらすぐ寝るので、眠るのに苦労しない。

 Schwangau 地方の目玉のノウシュバインシュタイン(Neushwanstein)城へ寄ってみた。大雨降る中、ぐしゃぐしゃになりながら、30分ガイドの順番待ち、チケットに書かれている順番号が点灯されると二十人くらいのグループが入場できる。ガイドは何語か予約するが、何語でもいいからあまり待たないガイドを頼んだ方がいいと思った。城内は何でも禁止。
 裏山の橋の上からの眺めが良かったが、もっと、いい場所に行くにはそこから往復4時間掛かると聞いてあきらめた。
Wangen Im Allgan

Sonntag村山歩き

最期がMunchen(ミュンヘン)大都市である。バイエルン地方独特の南の雰囲気だそうだが私には分からない。BMWやBENZの本社が聳え立つ。教会めぐりの果てにイギリス公園へ行った。HBというビアホールの中に入ってみたが、酒を一滴も飲めない私には、我慢ならない場所で、二分いただけで直ぐに飛び出した。ノンアルコールのビールを盛んに宣伝しているし、皆さんよく飲んでもいるが、私は、また、あの苦味が耐えられない。
  
  この町もそうだが、日本に負けず劣らず、子供が見当らない町が多い、お年寄りばかりである。子供が珍しいのでしょう、行き交うお年寄りが、孫たちを見かけれと寄ってきて話したりあやしたりする人が多い。私に話しかけてきて何かを聞くが全然分かりませんと、両手を広げる。娘も、訛りがひどくて分からないと言っていたから、いいのでしょう。
今回、ドイツの町並みを沢山見たが、ゴミの分別方法や回収方法こそ日本と異なるが、ゴミはほぼ町並みから消えている。ただし、これも日本と同じで、信号待ちの植え込みの中にはポリエチ袋や空き缶が放り投げられてあった。
  ちょっと、日本よりひどいのは、チューインガムのこびりつきとタバコの投げ捨ては目に余る。喫煙比率はかなり高いのではないか。ドイツよ、しっかりして欲しい。


 爺馬鹿というか、ドイツまで行って、婿殿のご機嫌を取り、孫の世話をし、腰を若干痛めてやっと帰国した。何故だろうか、フランクフルトも今回使ったミュンヘン空港も広々としていて何もかもが分かりやすい。狭い通路が全くなく、色々な場所を自分で直ぐ探せそうな安心感を与えられる。
クロワッサンがおいしいと言ったのが間違いだった。婿殿毎朝焼きたてクロワッサンをわざわざ買に行く、喜んで食べてもらえると信じ込んでいるので、裏切れなくなってしまった。パン食が多かったので、ちゃんとした米のご飯を食べたくなった。インドネシアなら何処でもお米は食べられるわけで、やっぱり、米食人種だと思う。
  これに懲りず、暇があったらまたのこのこと,でかけていくかもしれない。なんとか街道ではなく、この次はエルベ川の川下りを楽しみたいと思っているがどうか。

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