○ 無から無へ
 私は二回、無になった経験がある。全身麻酔で胃がんの手術をした時。手術の前日、担当医から何か希望はと聞かれたので、部分麻酔をお願いした。しかし、気が散るのでと、それは簡単に拒否された。手術室に入って、今から手術をします。麻酔を掛けます。深呼吸をしてください。といわれると同時に、麻酔マスクが口に当てられた。一回半の呼吸で、意識が無くなった。目が覚めたときは、ICUにいた。痛さが強烈だった。
  二回目は、パニック障害で、何度も気が遠くなったり、体中が痙攣したり、脈拍が異常に多くなったり少なくなったり、自分の体ではなくなった時でした。
  無が死なら今三回目の生である。これは人生の区切り方の一つによります。我思わなくなる時が三回目の無になる時だと思っているが,どうでしょうか。

  私には転機が三回あった。先ず、大学へ入ったと同時に一人暮らしになった。二回目は、会社を興した時。
三回目は、インドネシアでの生活が始まった時である。今は四回目の生である。これも人生の区切り方の一つです。この区切り方では転機が最低もう一回はある。インドネシアから完全に離れる時である。

最近のインドネシアのイスラム世界の状況。

ラマダン前の断食(プアサ)は次第に厳格ではなくなっているようで、会社の中では皆さんの手前、食べないが、外食に出ていく者が徐々に増えているようです。近隣のレストランは、普段以上に混雑しているし、カキリマといって移動屋台にも女性の会社員が群がっている。以前は外食する余裕がなかったこともあり、外に出て行く人は少なかったし、そういう人も隠れるようにして出て行った。今は、誰はばかることはない。それができるということはそれだけ以前よりは経済的にも恵まれてきていることを意味する。ただ、こういう状況はまだ、日系企業が多い工業団地界隈だけかもしれません。

経済的に余裕が出てくれば、だんだん独自で行動できるようになり、自分の考えを自然にアピールできるようになる。またお互いのそれを容認できるようになる。日々の生活を、ほどほどエンジョイできる階級にとって、宗教は二の次になってくる。

政治と宗教は別もの、というのが日本の常識だが、ここインドネシアでは、別物どころか切っても切り離せない。イスラムはもともと支配者が作った宗教だから、憲法よりコーランのほうが優先である。それでも、争いを無くすために政治家はイスラムに十分気を使いながら、パンチャシラという国民の義務としての五原則をキャンペーンしている。その中の一つには、あらゆる宗教の融和を歌っているが信教の自由はうたっていない。

 国民祝祭日はすべて宗教関係である、それ以外は正月だけ。日本には宗教関係はプライベートと考え全く関係する休日はない。来年から、休日を増やすという趣旨で、春節が休みになる。それと、祝祭日が日曜日に重なった場合は月曜日を休日にする。また飛び石で移動できる祝祭日は連休になるようにする。これにはまったくどの宗教も一般的には反対なし、ただ、消費を増やすという点では効果があるかもしれないが、インドネシアの競争力という点ではどうだろう。

そういう状況の中で、イスラム原理主義に近い連中は焦りを隠せない。締め付けが厳しくなり、彼らの言動、行動が目立つ時期でもある。また悪いことに、それに便乗し、小遣い稼ぎの取り締まりや嫌がらせが横行する時期でもある。ゆすりたかりをイスラムが認めているのだろうか。

体験 1 群集 先日、ボゴールの山の中(サラッという山のふもと、海抜500Mほど)でゴルフをしました。そこへ行く途中の話、高速道路の終点出口を出たとたん、若者の群集がたむろしている、取り付け道路に沿って1Kmほど両側道路わきから、本線にもはみでている。ざっと見て5000人ほど入る。徐行運転するしかない。なにをしているというわけではないようで、みんないるから自分もいってみようということか、男女は半々に見えた。

いつもなら、警備の警官が何人かいる場所で、ボゴールとスカブミ方面の分岐点のゼブラゾーンで間違えて急方向転換する車を捕まえて、小遣い稼ぎをしている。その日は、警官が見当たらない、余計なトラブルに巻き込まれたくないからだろう。

 そこから、5Kmほど走ると左側にRido Resort(ゴルフ場)の入口が見えた。若者がここにも集まっていた。ここは入口からクラブハウスまで2Kmほどある、一般道ではないので若者が道全体をふさいでいた、車が通るときだけ左右に分かれる、クラクションをならすわけにもいかず、ただよけてくれるのを待つばかり。おそらく1万人以上はいるのではないか、彼らがなにをしているかわからない。ただ集まっているとしか見えない。日本でならかなり有名な祭りでなければこんな状態には出会えない。

 クラブハウスに到達したときはホットした。

 聞くところによると、日曜日の朝は、こうして近隣から若者が集まって来るそうで、朝4時ごろから8時ごろまでだそうです。それにしても、大きな町はなく見渡す限りはジャングルだけ、その中に皆さん住んでいるのでしょう。まったく、印象としては、森の中から湧き出てくるという感じ。

こういう場面に遭遇してなにを言いたいかというと、彼らがすべてイスラムで多分定職がない人が多く、普段はいつもなにを考え、なにをしているのだろうか、不気味に思う。極端なことを想像すればイスラム過激派の集会がおこなわれているかもしれないし、軍事訓練をしているかもしれない。これが、特殊な一地域のことではなく、ジャワ島全体、インドネシア全体ということを想像すると背筋が寒くなる。

インドネシアのじゃんけんは、蟻と像と人間です。これらの状況はじゃんけんの蟻のようだ。

こんな人達が、それぞれの自由な違ったさまざまな考え方をするとは考えにくい。全部の人間がほとんど同じ方向に向くのが当然です。

 体験 2 貧富の差 ジャカルタから、ジョクジャカルタまで、渋滞がなければ13時間でいけます。私は6年間に4回車で行っています。最悪のひどい渋滞にはまったときは17時間かかったことがありました。ジョクジャは学生の町、遺跡の町、スルタン王が君臨している町、という印象があります。事実、町は落ち着いた雰囲気で、喧騒や危険をまったく感じない、住みやすい町だと思う。また物価が安い。街中の一般の人達が行く店は、ジャカルタ、ブカシに比べると半値。ホテル代も五つ星でも、300,000ルピア、やはりジャカルタの半値です。一般の人達が泊まる普通の宿は50,000ルピア(ツインベッドで朝食つき)です。給料はやはり、平均給与もやはり半分程度らしい。日本で稼ぎ、ジョクジャで使えば、ほとんどただで生活がきるような感じがします。

そこで、一般の人達の生活ぶりがどうかといいますと、現状が、普通と思っているのでしょう、雰囲気は明るいし、車やバイクの流れも競り合う雰囲気はない。超高級車はないし超ポンコツもない、民衆の生活程度が平均化している様子、王室が絢爛豪華とは程遠く、やっとボランティアによって、さまざまな行事が行われているようだ。スラムは見当たらない。

私が一番好きな観光地パンガンダランも同じで、あれだけの観光客が繰り出しているにもかかわらず、危険をまったく感じない。あの山の中のゴルフ場付近の、なんともいえない烏合の衆と比較し、観光、レクレーション、リラックスという目的がそのまま、人々の表情に出ている。外国人はほとんどいないが、中華系の顔は多い。バリとはまったく違ったレベルでの平均的生活が出来ているのでしょう。現地の若者たちも、バリに負けない観光地にしようと張り切って、ごみ追放運動などをしている。決して裕福とは思えないが、人々の表情は和らいでいる。

それに引き換え、ジャカルタやその周辺の町の表情は、とげとげしい。貧民窟と高級住宅地、ごみの山と中央オフィス街、高級乗用車とぼこぼこのバス、格差がすごい。それでも、地方からジャカルタ周辺に職を求めて若者が押し寄せてくる。道端には物乞いの子供たちやいい年をした若者が交通整理の真似事や車拭きなどして小遣い稼ぎをしている。高速道路には物売りがどこからともなく出てくる、どう考えても彼らの生活はぎりぎりなのだろう。

多くのジャカルタ周辺の人達は大きな不満を抱えていて、耐えているとしか思えない。彼らがたむろしている場所に差し掛かると言い知れない緊張が走る。無警戒ではいられない。

こんな状況の中では、自分より恵まれている人や国に対して嫉妬を感じるのは自然の成り行き。自分たちの政府、自分たちの宗教が、いかにそれぞれの経済や科学の進歩の足を引っ張っているかを考える知能を持たない民衆は、方向が建設より破壊に向き、低いレベルの自分たちと同じようにしようとする力が働く。気の毒だがこの間違いを修正する手段はないと思う。

イスラム過激派の動き 

 ありもしない神を妄信している彼らには、なにを言っても通じない。逆に神を侮辱したと抹殺される。そこにどんな意味をもつのか、それが神から与えられた使命だと信じきっているから、意味など彼らにとってはどうでもいいことらしい。

 破壊によって勢力範囲を広げていったモハメッドは、後発(イスラム暦では今年1427年)がゆえに、自分の地位を確保する目的で アラーという神に登場してもらいコーランなるものを考え出した。右手に剣、左手にコーラン、目には目をというスローガンは私が小学校の頃読んだ本で知り、象徴的に覚えていた。実に巧妙は支配者である。自分の地位を固めるために宗教を利用した。闘いを前面に出した。あるのは、破壊のみだった。その考え方が今も、過激派、原理主義者という形で引き継がれているから始末が悪い。インドネシアの今の大統領スカルノプトゥリは、独立宣言をしたスカルノの長女。政党名が民主闘争党。民主党ではなぜいけないのか、そして、どの党にも党兵がいて、いつでも戦いができる組織になっている。モハメッドは現在に大きな問題を先送りしてしまった。もし、この世にイスラムがなければ、争いが少ないはずだ。現世界を見渡して、争いごとをしているのは、イスラムの関係だけといっても過言ではない。その国々は、経済的に自立できていないにもかかわらずである。イスラムは自立できない人間を作るシステムになっていることを、イスラム信者は気が付いていない。

 全宗教が共存した世界のために平和を、ではなく、他の宗教を抹殺しイスラムだけを宗教として存在させ、イスラム信者だけで争いがない世界にしようと考えているのか。

 彼らにも彼らを作ったいうアラーの神にも地球全体、人類全体を見渡す能力がない。簡単な例がある。アラーの神は地球上の場所によって日照時間が違うということは知らなかった。断食は日が昇り日が落ちるまでと決めてしまった。イスラム人達が地球上に散らばったとき、極端なことを言えば白夜の土地ではどうするの、何時から何時までと決めるのがいちばんよかったとおもうが、そんなことは子供でもわかる。また、アラーさんは何故か豚を食べてはだめだといっている。ちゃんと理由があるのかどうなのかよくわからない。安いし、栄養はあるし、牛よりも飢えから救う可能性が高いと思うのですが、アラーさんは、豚を食べるなら、飢え死にしたほうが良いらしい。一体、アラーさんと豚の間になにがあったというのでしょうか。酒を飲んでもいけないらしい。よっぽど私のように酒が飲めなかったのか、その私でも、禁止はしない。

こういうアラーが、偉大なり、唯一の神なりといっている間は、この人達に未来はない。もっとも、この世は仮住まい、アラーを信じればあの世へ行ってから、未来があると差とされているので、この世での少々の間違いや無知があっても許せるのかもしれない。

 もうひとつ、四季があることなど想像もできなかったのでしょう。イスラムの太陰暦には閏がない、ただ単に355日くらいに決めてしまった。イスラムの暦は季節がずれていってしまう。モハッメドさんが存在した地域には、四季はなかったからしかたがない。明治以前の日本も太陰暦を使っていたが、閏月を使って調整していたことは知られている。

 気の毒なくらい、人間が神を作ったという証拠をあらわにしている。それも欠陥神様。

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ジョクジャカルタ

スルガ(駿河)はインドネシア語で天国

ザビエルさん

06 07  2007

Special Report From Garmany
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クアラルンプールの三宗教

ジョクジャカルタ、中部ジャワ

4日から、7日まで、ジョクジャカルタをベースに中部ジャワの田舎を見て回りました。現地辺りまでの交通状態は、これがレバランの渋滞だ、と思い知らされた。朝4時にチカランを出発、着いた時間が何と夜の9時、17時間、それも途中で車を止めたのが、食事の30分と、給油で5分だけだった。ちょっと疲れはしましたが、体調はまったく問題なかった。レバラン休みのスタートが結局6日になりましたが、もうすでに、一日から帰省が始まっていてかなりラッシュが分散されたようでした、それでも大渋滞。帰りは7日、行き別コースで北回り、渋滞を心配し夜中の2時にチェックアウトその効果で渋滞はまったくなし、各都市のバイパスを130Kmくらいで飛ばし、なんと9時間半で自宅にもだった。帰りの様子で、まだ、ジャカルタから出るほうの車は大変な渋滞だった。逆のラッシュは10日前後からになるでしょう。

 6日はジョクジャ最大(インドネシアで最大か)の祭り、レバラン大祭がスルタンの王宮をメインにして催された。その見物が今回の主目的でしたが、これがまたすさまじい人出、芋の子を洗ってもこうはならないと思う程でした。

スンダ(中部ジャワの昔の地名)の伝統的衣装とオランダ植民地時代の衣装をまとった老若男女が時代絵巻さながらに楽団を先頭にパレードを繰り広げた。実に豪華で、これだけの道具、衣装を何処にしまってあるのと思う。

 ジャクジャ王朝の王様スルタン11世(現ジャクジャカルタ知事でもある)が民衆の中に入ってともにこの大祭を祝う。王様を見る少ないチャンスのひとつと言うことで町中は大騒ぎになる。

 いつものことながら、ジャワの田舎は良い。道中の見渡す視界はいかにものどかなインドネシア、棚田やゴム、パーム椰子のプランテーション、どこを切り取っても絵葉書になりそうな風景と、人々の落ち着いた振る舞い、一歩引いて話すような柔らかさ、日本のどこのもない独特な雰囲気です。海岸近くはインド洋の巻き上げる高く打ち寄せる波とは対照的に海岸線は白く広く長く、しかし、人はいない。椰子の大木が海側に傾いてまばらに立っている。足元には浜昼顔でしょうか、紫とピンクの中間色の花が分厚い黄緑色の葉の上にばら撒かれているように咲いている。写真ではなかなかその全体を忠実に再現することはできない。

たたずんでいると、自分がどこから来てどこの向かうのか、今地球上のどの辺りにいるのか、なぜここにいるのか、どうでもいいことながら、その意味を深く考えてみたい雰囲気に酔ってしまいそうになる。実際はあまりそんなことは考えないし、自分には似合わないと首を振って否定する。      

イセエビの食べ放題