この会社は、現在PT,NANBUに押出部門として入っている。

ひどい話。(感心してしまう話)

 頓珍漢な対応が多い。あるいは、言われたことに、いちいちプッツンして、即断で、的外れのことを言ったり、したりする様だ。だから、次の報告や要望で何をしてくれるか、どういう的外れのことをしてくれるか楽しみにしながら週報を書いている。以下は例である。

1 ある会社の粉砕室の横にシートをかぶせて保管してあるはず、と、報告したら、二三日後、倉庫の中を確認すると、言われた。倉庫などと一言も言っていないのにである。
 
2 報告書や承認を求めて私のところに書類が回ってくる。中には、賛成できないのに承認をもとてめてくるものもある。改善や改革を進めても、承知しない。しかし、私のサインがないと、現場の作業者が迷うといわれて、仕方なくサインをするものもあるので、私のサインは、承認のサインではなく見たというサインも含まれると、報告したら、その次の日から、一切の書類が私に来なくなってしまった。承認や許可ということではなく、毎日確認したかった書類まで来なくなってしまった。短絡的プッツン病なのです。中間がない。私にあらゆる書類を見せる必要はないと即断したのです。

3 現場の関係者は現場に事務所を作ってそこで,指示をしたり、ミーティングをした方がいいと勧めたら、現場の人たちが、現場どころか、私が営業の人といた部屋から営業の人を出して、現場の人が入ってきてしまった。

4 次に、品質に危機感がないという報告を出したら、どういうわけか、品質管理の連中が現場に出されてしまった。

5 QCが役割を果たしていないので、果たさせる為に製造と品菅は同格にしたらどうか、と報告したら、人事のトップがQAだかQCだかわからない部門の上司になり、人事の傘下に入ってしまった。人事マネーネジャーが指揮をしているので、アドバイスのアの字をしても仕方がない。
 
6 毎日、毎シフトで、OKと分かっている製品の拡大図を書いて寸法を記入して、提出させても無駄な作業をさせているだけですよ。と、アドバイスしたが、まったく言っている意味がわからなくで、相変わらず書かせている。勿論それは私には来ない。

7 待っている装置はいつまでたっても来ない。来ないので、聞いたことがある。普通の顔で聞いたつもりだったが、彼は私が笑いながら聞いていると見てとったのでしょう。何が可笑しい。と言われた。彼にそれを聞くこともタブーになってしまった。もう、三か月も現場のスペースは空いたままだ。
 そして、挨拶をされることがなくなった。完全無視され状態になった。それが、私にだけではなく、会社の従業員全員にである。話をするのは必要なときマネージャーを社長室に呼んでするだけ、現場に出ることもない。いつ会社に来たのか、いつ帰ったのか分からない。声を全く聞くことが無くなってしまった。

8 不思議なのは、いつまでたっても音沙汰がない、PT.KのHにプッツンしないのが理解できない。私ならとっくに何とかしろ、と、怒る。そして、契約不履行で慰謝料や受け入れ準備に使った費用を全額即刻負担してもらう。しなければ、本社に直談判する。しかし、彼にはそれができない。プッツンの相手が違うじゃないの。辛抱強いというか、多分、何らかの理由で、言えないのでしょうね、お気の毒です。

9、私の改善案は全く理解されず、採用されず、また、新しい装置が入らなければ注文を取れないので、K社からの移転を提案し、交渉してもらったが、一向に入ってこない。それがなければ仕事を増やす動きができない。
 身動きできない状態にしておいて、一年何もしていないと、言われた。こんな状態でも一ラインを満杯にしたし、可能性をかなり残している。そういう本人が何もしていないと私は評価している。他人の手柄を自分がやったといい。自分の失敗や能力不足を他人の責任だという。PT,KのHといい、PT.AのNといい、同一民族である。その二人が、交渉しているのだから、任せる人間の評価も低い。

10 これは極めつけ。K社からの従業員を引き取る条件として、最初は契約社員であることと、最終の給料を保証するの二点だった。それは、K社のHも同席していた時の話だった。しかし、実際示された給料は平均30%低い物だった。皆さんはHにも抗議したが、彼は知らん顔。Nは嘘をついたことになる。その意識がない。
 また、客先への製品価格にを示したが、これが、常識はずれの高値だった。他に引き受けるメーカーがないことをいいことに、買いたくなければ、買ってくれなくてもいいよと、言っている。内は、装置を買っただけで、客先や従業員の面倒を見る気はないと豪語した。
 この条件で、K社から来た人間がA社に協力する気なはならないでしょう。ロスの山を見て見ぬふりをするでしょう。それが人情というものです。そこらへんを見くびっている。

11 K社のHとIは出勤時間は日勤で帰宅時間は15:00前で、従業員からシフトサトゥと言われていた。A社のNはそれどころか、会社にいる時間が非常に少ない。どこにいるのでしょうか。公用で出かけているはずがないので、良くいえば在宅勤務でしょうか。
 そんなことはないでしょうが、勘ぐれば、ゴルフとか、裁判所とか、警察とかになる。会社に姿を見せるときでも、無言で、すっと通過して、社長室に入ってしまう。私にも誰にも挨拶は一切しない。いつも、不機嫌な顔や態度をしている。大きな声で怒るな、と私が、言って以来、大声は聞こえなくなったが、いつ、爆発するか、不気味な休火山のように、皆さんから、恐れられている。
 皆さんが集まるブリーフィングは朝と夕方二回ありますが、まったく、参加することはない。何の話をしているのかどういう雰囲気なのか興味が全くないようだし、自分の考え方を皆さんに披露するのにいい機会だと思うし、そのために従業員にやれと命令したはずなのに。大丈夫でしょうか。

12 この会社も冷蔵庫のガスケットやバイクの保護チューブや車のウインドヲッシャー液を送るチューブの落ち込みが大きく、おそらく二月の注文は通常の半分以下になると思うのですが、N氏、会社へ出てこない。客先の日本人とは話をしたがらない。話をした人は皆さん、同じようにN氏の話し方の丁寧さに感心する。最初から最後まで、腰が低く、丁寧語を使うと。しかし、電話を切った後、その人について文句を言う。
  部下に対する口のきき方は常にどなり声、そのギャップが信じられないほどすさまじい。
K社の初代社長H氏も普通に逢えば印象が非常によく皆さんの評判も良かったが、部下や外注先への口のきき方はやはりすさまじかった。しかし、ここの社長はそれよりはるかにジキルとハイドである。

PT,AFMIのNは、中沢 PT,KITAGAWAのHは平野 Iは伊藤である。

 PT.ASIATEC FUJISAWA INDONESIA(PT.AFMI)のホームページで紹介されている製品の大部分は私がつくった装置と金型で作られています。塩ビのチューブやガスケットは私の技術ではありませんが、馬鹿でもちょんでもできますから、ローカルを含めて競争が激しく、殆ど利益が有りません。それなのに、何故でしょうか、原料を高めで買っていて、値下げ交渉をしない。何か、理由が有るのでしょうか。
 私のホームページ

 にPT.AFMI(TPR)で生産している製品の説明を書いてあります。
これ等の装置がととのったところで、私に会社を乗っ取られるという恐怖心から、分けの分からない理由で私を追い出したのです。







2009 01 20
 試作が始まりました。K社から来たオペレーターが全てのサンプルを作ります。K社のからの人たちは二人ずつに分けられて、三シフトに入ります。合計六人になります。
 本生産はこれらにA社生え抜きの従業員男性は一シフト六人と手伝いをする女性7~8人ほど着きます。大変、賑やかですが、全部契約社員んで、いつ、辞めさせられるか分からない、身分を保障されない、危うい人たちだけです。
 価格については、すでに客先の皆さんはOKしたのでしょうか。なかなか、A社の社長からお客さまに声をかけることはないので、また、不在のことが多いし、HPに電話しても出ないことが多いので、連絡したくても出来ないようです。秘書のDINAさんに、伝言を頼むのも一つの手だと思います。居留守をつかうこともあるので、何とも言えませんが。

 サンプルはブキッ ティンギのS社向けとイジップのK社向けは既にできています。サンプルや価格のOKだ出たのかどうか知りませんが、両社向けともに量産を始めています。
 MM2100のA社向けは種類が多いので半分ほど出来ています。ついでに量産もしています。同じくMM2100のP社向けはK社でまだ、製作中です。
 スルヤチプタのL社向け、イジップのT社向け、その他は今日時点でまだ手をつけていません。勿論、P社むけもです。A社も、車、バイク関連の上になぜか冷蔵庫関連の仕事も減っていますから、新しい、その他関連の仕事を増やすチャンスだと思いますが、この会社の姿勢ではどうも疑問です。

2009 01 23
 届いたラインの内二ラインは故障中で使えない。使えない装置を直して使うと妥協したのでしょう。使えるようになるのはいつごろになるか見通しがついていない。結局5ラインでやることになる。P社向けの原料はどうも、品質が悪くなっているようで、今使っている原料は、そのまま使えない、何回か練りなおさないと炭酸カルシウムの煉りこみ不良状態で、良品ができない。
 樹脂メーカーと商社にとっくにクレームをつけて、昔のような使える原料を提供してもらうことをしなければならなかった。それを、K社は怠っていたのです。
 イジップのK社向けチューブの価格が異常に高くなったのも、ノウハウの問題です。原料が値上がりしたことも確かですが、加工費と利益率が大きすぎる、良識を逸した異常価格だと思います。
 MMのA社向けサンプル十数種類は出来上がりました。ブキッ ティンギのS社向けは、納める長さに切って両端のバリ取り作業をしています。検査せずにK社の契約社員が作った製品をサンプルとして提出し、NGになりました。
 P社向けち旧バンパーの試作と在庫作りをしています。注文を出したのでしょうか。それとも、見切り発車でしょうか分りません。

 PT.MAKUTA BINA(社長はDiki君、場所はTambunです)の準備は日本からの装置の出荷待ちです。インドネシアで調達できる装置は二月中旬に整います。目標は、二月末に三ラインすべての装置が整い、遅くても三月中旬には大きな迷惑をかける順に量産体制に持っていきます。来週中にDiki君にカラワンのA社とイジップのK社、MMのP社、を訪問させて、製品や原料のスペックをチェックするように指示してありますので、訪問の際はよろしくお願いいたします。

2009 01 27
 K社の今後について、どうするかの結論は出ているが、どこが後を引き継ぐかについて、検討に入っている。私は、もう、A社については見切りをつけているので、インドネシアの押出成形についてどうするかということは私の決断次第になっている。インドネシア人だけで、やらせるのか、今やらせようとしている会社をK社を引き継ぐ会社に合流させるか判断に迷う。
 引き継ぐのがいつごろになるかも判断材料の一つになるが、今日、現在では、はっきり、いつ、とは聞いていない。引き継ぐ会社の重役が二人、今、インドネシアに来ている。引き継ぐ計画をしている会社は今月14日付けで、日本のある押出成形の会社の株を全部引き受けて傘下に入れたばかりである。
 K社から来た押出ラインは本格注文をまだ貰っていないので、量産はしていません。試作をしているだけです。 古いほうの押出しライン8ラインの内、稼働しているのは二三台です。大変暇になってしまっているが、大丈夫?どこも同じですか?
 この会社の管理状態では新しい仕事を増やす気はありません。もし増やして客先に迷惑をかけてしまったら私の責任になってしまうからです。
 試作はL社向け以外は終わっています。おそらく、今週中には試作品を提示するでしょう。価格も決められるでしょう。本当は日本人同士で、この、一連の作業が行われることが望ましいがこの会社はしないでしょう。 
 
2009 01 30 
 この会社自体も暇になってきてしまい、K社からの装置があくびをしています。A社オペレーターで引き継ぐ客先の製品製造をしなければならなくなりますが、トレーニングの実施計画がありませんし、指示も出ていません。このまま、本生産になるのでしょうか不安です。イジップのKO社さんのチューブは待ったなしなので、価格はとりあえず妥協していただいて、昨日から本生産に入りました。そのほかはまだまだ先になるでしょう。お客様の方も、それなりに在庫をもっておられるようですし、この不景気で、在庫の寿命が延びているところもあるようです。
 まだ、P社の新バンアーの金型やプレス機が来ていないのでK社で生産していると思います。いつまでかかるかは確認してありません。また、すべての装置が移されると同時にK社の契約社員オペレ-ターもインスペクションもA社に移ってくることになているそうです。もとK社の正社員がA社から抜けてもいいようにとの対策です。しかし、彼らには出来ない製品がたくさんあるし、できても相当なロスを出すでしょう。今でもK社ではP社の製品の生産でかなりのロスが出て生産がはかどらない、終了時期が延びていうので、A社に設備が移ってこない。
MMカワサンブルイカットのT社やジャバベカのH社などまったく、無視している会社もあります。
 来週中にMU社から、何社かに見積もりを提出させていただくことになります。直ぐにではありませんが準備でき次第、試作に掛れるよう価格を決めておけば安心できるかと思います。
 価格が高くても他に出来る会社がないために、しぶしぶ注文を出す会社も出てきました。それらの会社は、どこか他でできるところがないか、以前にもまして真剣に探しています。もし見つかれば、すぐそちらに、切り変えるでしょう。

2009 02 03
 
二月 一段と生産量が落ち込むはずです。どこの経営者もどうにもなりません。特に海外生産拠点ではトップが何も手段を持っていないし、任せられていないので、人減らしをして、成り行きを待つしかありません。
 
K社はいち早く?本社が、指令を出しています。MMのYM社やタンゲランのI社向け生産は半年くらいの在庫を優先せるて、原料の在庫消化をして、無くなればクローズです。四月中旬には従業員は仕事がなくなります。組合へもその旨、伝えられました。この運命は一年ほど前から予想していたことでした。
 
ところで、この会社ですが、どうなるでしょう。P社用の新サイドバンパーの金型や手押し切断機なども間もなく移されるでしょう。在庫はどうなるのか(納品はどちらから)など、客先との打ち合わせはどうなっているのでしょか。K社の日本人はパニックになっているので、一段と従業員に怒鳴る機会が増えているらしいし、両社のトップは相変わらず、どこにいるのか分からない。
 
A社は押出しラインが16になりましたが生産しているのは四ラインに留まっています。AB社向けとKO社向けの生産は始まっています。

2009 02 06
 K社から、これで最後と思われる、P社向け製品のプレス金型とプレス機それと手押し丸のこ機が届けられた。これで、A社とK社は縁切りです。
 A社ではEJIPのTO社向けPCパイプの量産も始まった。歩留まりは50%でしょうか、粉砕品を混ぜることができないので、大変です。
 PT.MAでの準備は順調に進んでいます。三ライン、リサイクルの仕事が大変忙しく、材料が山積みになっていて、たいへん狭い、しかし、なんとか設置します。
 3月15日頃には、三ライン一杯まで量産が可能になります。そこで、カラワンのA社、EJIPのKO社、MMのPA社の三社に見積もりをださせました。了解していただければ助かります。なお、もう一社MMのABB社にも何種類か出させていただきました。
 大変、申し訳ないんですが、生産能力がこれで、限界ですので、他のお客さまに関しては、K社が、いつ、どこへ売却されるかによって、PT,MAで増設するか、買った会社が引き受けるのか判断しますが、その時期は日本からの装置が到着して、5月になるでしょう。
 いずれにしても年内にはすべての押出し製品はPVCチューブや異形も含めて、独占して、すべてのお客さんに満足していただける品質と価格でお手伝いをしたいと思っています。教え子のインドネシア技術者も全員、引き取ります。
 私は今日でPT.AFという会社を辞めました。突然ですが、必然でした。全く、経営理念が違っていた上に、仕事嫌いの経営者の手伝いは御免こうむる。私の大間違いでした。この会社に成形装置の移転を仲介したことが一番の間違いでした。早速、私が会社の秘密を漏らしたという理由で首にしたという文章がFAXでいろいろなところに発信されたようです。なにが秘密事項なのか話していただきたかった。漏らした秘密がどれに該当するのか私には分からない。プッツンさんはどこまでもプッツンさんなので、問いただすことも恐ろしくて出来ない。。

多くのお客様と従業員に迷惑をかける結果になってしまいました。大変、申し訳ないと思っていますから、それを挽回するために、もう、一働きも、二働きもしなければなりません。月曜日から帰国の手続きをして、2月中旬には一時帰国し、しばらく日本にいて、三月初めにはまた、インドネシアへ戻ります。大変、忙しくなります。HPの番号は月曜日から変わりますが、
 08119931611です。
 新会社名はPT.MAKUTA
BINAARTAです。
TEL 021 8836 3806
社長はDIKI君です。私は出勤できないので家でくつろいでいます。

 旅行やゴルフの回数が少なくなるのが残念ですが、パニック障害と年齢を乗り越えて、もう、一働きしたいと思います。
 
 2009 02 10
 
今日からは、新会社の情報です。三台の製造ラインになります。3月10日が全ての準備完了が目標で進んでいます。K社からA社に移った人のうちまず二人が3月1日から来ます。マーケティングとインスペクシの責任者になります。社長はもとK社の製造の一番弟子の優等生だった人で、日本語の勉強で二年日本にいたことがあります。事務関係責任者はK社がクローズをまって正式に入社しますが、今は土日だけ手伝ってもらっています。
 
 2009 02 13 
 13日の金曜日、ワーキングビザが取り消された私としては、家にじっとしているのが一番安全。まったく、仕事はしていません。車を洗ったり、庭の手入れをして過ごしています。この仕事が極端に少なくなっているときにそのことを気にしないで、気楽にやっているので、仕事をしている皆さんには申し訳ない気持です。仕事を明日、明後日はゴルフの予定が入っています。
 ブログにかいてありますが、20日シンガポールでビザを取って、そのまま日本へ帰ります。2月28日にインドネシアへ戻りますが、K社の近い将来についてその間にミーティングがあります。
 PT,MAKUTAの準備状況は早くもなっていないし遅れてもいません。3月10日準備完了の目標は変わっていません。原料の手配も今月中には入手可能になるよう全て前払いで交渉しています。
 
 2009 02 19
 今日 今回の仕事インドネシア最終日ですから、すべての進捗状況をチェックしました。工場を広げる工事も始まりました。巻取り機と水槽と金型は今月中に完成です。押出機二台と引取機は3月10日に完成です。押出機一台は15日です。プレス機、手押しカッターは10日です。
 3月2日からしばらくは、大手を振って、PT.MAKUTAのアドバイザーとして仕事をします。23日にK社の近い将来について、N社と落ち合わせがあります。私は私で、根拠を持ちますから、客先や従業員に心配は決して掛けません。
  
 2009 02 23

 今朝S社のN氏、T氏と押出インドネシアに関して打ち合わせをした。ほとんど決定なので、私はインドネシアへ戻って、その状況を客先関係者の方々にお伝えし、ご協力を願うことになる。本社が押出しに関して理解し、積極的であり、私以外にも押出の技術者を派遣することができる力を持っている。そういう会社が初めてインドネシアへ進出する。今まで、手伝った二社はトップが押出しに対し無知の上、理解しようとする能力がなかったし、本社のインドネシア工場担当者は私に手柄を立てされることを恐れた。自分の立場が危ないと彼らは感じたのです。そんなつもりは、まったくそんな気はないのにである。
 今度は間違いなく、日系企業の押出し製品の現地調達に積極的に適正価格で御協力で来るでしょう。PT、MAKUTAで始めますが、私自身はK社を購入する会社の応援をすることになるでしょう。お客さんにご心配をかけるようなことはいたしません。
 K社の時はPVCの押出成形はお断りしていましたが、これからはPVCについても日本規格を持って売り込み、成型をします。±0.3などという規格は公差がないと同じです。±0.15がマックスです。
 ですから、軟質PVCを含めて、プラスチック原料が何であれ、押出し品を購入している会社のすべてが、営業先の対象になります。

 2009 02 26
 
ディッキ君から、報告が入り、工場の拡張工事がはじまったことと、ロールを使って巻き取る装置が出来上がったことを知った。既にできていた金型と水槽とバキュームボックスと合わせて着々と進んでいます。引取機の三台の組み立てが始まった。
 頻繁にPT.J社の従業員から問い合わせが入る。従業員に対して、状況の説明が不足しているようです。現地の日本人が状況を知らない可能性が高い。

 
 PT.KからPT.Aに押出設備や人や仕事を移動するに当たって、工場のレイアウトについてNが仕切ってしまうことに大変不安を感じる。彼が張り切って指導権を握りたいのは分かるが、私がやらなければ、私の責任にはならないし、客先への責任も私が取ることはできない。大丈夫でしょうか。大丈夫ではないが、私はみているしかない。そして、怖くて、新しい仕事を増やすことはできない。
 この会社で、私ができることは、与えられた従業員に技術を教えることしかないが、普通の人でこの仕事ができるようになるのに3年以上かかる。だから、教えても時間が足りないので意味がないことを分かっていながらである。
My Site K,Ota
丸ごと引き受ける
2008 12 16
 もう、話題にもならなくなった。相変わらず社長は会社にいないことが多い。いったいどこで何をしているのでしょうか。PT.Kのベアチュカイ申請者が今日から出勤しているらしいので、何か動きがあるかもしれないが、噂によると、取得時の価格に関税を掛けるので一千万円以上払わなければ許可がでない。その支払いをPT.Kが拒否してるとか。
 しかし、それは当たり前だと思う、別に裏金でも何でもいない、インドネシア国内に中古で安く売るにしても、売るなら関税を払わなければならないのが当たり前だから、最低でも、簿価+関税で売らなければならなかったのです。そのくらいの知識を日本人が持っていなければならないのに、また、早く払えばいいのに客先への迷惑など全く考えていない。最悪、本社を巻き込んだ騒動になりかねない。本社の信用を失墜させることになりかねない。
 
 私が買うなら、関税をこちらで払っても安いものだと思う。ポケットマネーで七ラインも買えるのだから安いものである。A社はそうは考えないでしょう。
 もう、この話は白紙に戻した方がいい。A社に、今さら来ても、客先に迷惑をかけるばかりです。PT.KのHもPT.AのNも役不足。綺麗に元のままに戻すこともできない。できるものなら、ぜひやって見せてほしいものです。それができれば拍手をしましょう。

2008 12 19
 
情報が皆無なので、どうなっているのかまったくわかりませ~ん。A社ではK社から来た連中が暇そうにしているし、新しい客先への意味のない対応に追われている。
 A社のNは、従業員や仕事はいらない、装置だけ受け取ればそれでいいと、私の三位一体の受取提案を拒否した。しかし、今の状態は三位一体どころか、どうでもいい二つだけが来て、肝心な装置が来ていない。全く、言っていたことと逆の状態を容認している。もう、三週間を過ぎる。いったいどうなるのでしょうか。すごいことになりそうです。
 交渉している当事者やそれぞれの本社はどう考えているのでしょうか。全く見えてきません。
A社では従業員に意味のない必要がない図面を書かせているし、書かされている人達は意味がないことを分かっているので、遊びのように言われるままに笑いながら書いているだけである。皆さん楽しそう。
 K社が準備した在庫は大丈夫でしょうか、供給責任は大丈夫でしょうか。元正社員でなければ製造できないものばかりですから、現状のままでは在庫がなくなるばかりでしょう。P社とS社から新たな製品の見積もり依頼が来ているしA社からは寸法違いの製品の見積もり依頼が来ているが、装置がないので対応はできない。
 2008 12 23
 
今となっては、もう、年内の移転はあり得ない。あるとしても一月中旬以降でしょう。
 なにやら客先を除くローカルスタッフA社K社と原料供給のI社で製品や原料のストックと受注状態について打ち合わせをしたようですが、現状を知らせ合っただけで、今後、客先に迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいかという対策は話し合っていない。というより、話し合えないし、決定できない。客先を含めてA社N社の日本人が話し合いをしなければならないと思うのですが、その気配はまったく無い。
 私は、両本社にこの話は白紙に戻すことを提案した。A社に来ている従業員も戻すことを提案した。というのも、もし、A社に今さら装置が来ても品質的に保証できる技術とシステム人材がないことがはっきりしていること、キタガワから来た従業員は押出しのオペレーターや検査員に従事しないからです。また、価格的に客先に迷惑を掛けるからです。、また、試作をし、承認を得てから本生産になりますから、その期間分の在庫が既に無くなってきています。K社の契約社員だけでは在庫の補充はできません。出来るとしても大量のロスを出しながらになってしまいます。
 PT.K社にその他でも問題が多すぎるので、ベアチュカイからのOKは出そうもない。出ないことを願う。白紙に戻すためにも。
 
 2009 01 06

 皆様、明けましておめでとうございます。
 当然ながら、年末年始の長期休暇で、全く何の動きもありませんでした。装置の移転はK社に何らかの問題があって、ベアチュカイが、永久に許可をしないのではないか。K社のインドネシア人担当者はどんなことをベアチュカイに言っているのでしょうか。交渉の当事者同士が接触をしているという動きもありません。交渉しているのかもしれませんが、眼に見えた形で経過や結果が表れていません。また、双方とも、それぞれの社内の情報交換も不足しているようで、インドネシア人スタッフが日本人の顔色を窺って、行動しているようですが、一番肝心な装置がいつ来るかが分かっていないのでは、すべての動きが無駄でしょう。
 A社から、引き継ぎ予定の客先に新しい見積もりが提出されたということは聞いていますが、いずれも、予想外の価格に戸惑いを見せているようです。そして、K社では、責任を感じていません。商道徳を、全くご存じない。
 振り出しに戻すことを、明日、もう一度両本社に提案します。

 2009 01 09
 昨日、やっと、ベアチュカイのOKが出たそうです。来週中には装置の移動が実施されるでしょう。今度は確実な情報です。A社の従業員にこの情報を話したところ、また、キャンセルになるでしょう。来てみなければわからないと言われた。今度こそ、キャンセルにならないことを祈る。
 生産の移行日程は各客先毎に違うでしょうから、できるだけ早く、バックアップができるよう準備をします。緊急性がある順から、量産を引き受けることができるようにしたいと考えています。何人かずつ、何社かずつ救済をしてゆき、最終的には半年以内にすべてを救済します。白紙に戻すという私の提案は実りませんでした。
 しかし、これからのことが重要です。
 
 2009 01 13
 HからもNからも案内が客先へ行っていないと思いますが、いよいよ、15日にK社からA社にすべての押出装置が移されることに決まった。A社の製造体制が私には見えてきませんから、いったいどういうことになるのか、全く、予想ができません。NG品が出荷されるとか、納品がストップするような、とんでもないことにならないことだけを祈る次第です。
 19日月曜日から順次,試作とサンプル作りをし、客先に承認を得てから、量産になる手順ですが、どの客先に製品から進めるのかはまだ決まっていないようです。
 装置のほかに、K社にある原料や製品の在庫はどうするのかも聞いておりません。
 A社からの製品価格については、すべての引き継ぐ客先へ提出してあるとのこと、OKしていただいたのか、まだ、交渉中なのか、客先によってまちまちだと思います。”高い”と判断した時は、ローカル同士に任せないで、直接、N氏に指値を提示したらいいと思います。それに対し、反応がなければ、承知したと判断する旨、書き添えたらいいと思います。

 2009 01 16

 昨日 K社から押出装置や金型などがA社に入ってきました。昨日から、K社での生産は全てストップしています。ABAやKOHNO向けの在庫はA社で立上ができるまで十分な在庫が客先やK社に有るものと、推測します。それでなければ、いっぺんに全部の移動はできないはずですから。何日間か生産しなくても良い状態になっている証だと思います。社長同士が十分な確認をしているはずです。
 A社では、今日から月曜日に掛けて、順次、試作開始ができるように準備します。サンプルを提出し、OKを受けて注文書をいただくという段取りになると思います。
 それまでは、製品、仕掛品、後加工装置はまだ、K社にあるので、K社が責任をもって納品を続けると推測します。
 A社の社長が客先にどう説明しているか知りません。各客先に何日後から生産可能のスケジュールが知らされていなければいけません。個別に打ち合わせをされているでしょうか。

 
スラメット山
中部ジャワ
2008 10月末
人や装置の移動の今月末か来月初めに大体決まったようです。

それにしても、従業員に関してHはどういう方法でPT.Aへ行くよう示していないし、
Nもどういう段取りでPT.A来なさいと案内していない。
やめさせることができて安心と、来たいならそれぞれ応募して来ればいいという、
双方とも、無責任な考え方です。
 また、客さんについては、どういう引き継ぎになっているのか、Hは装置をPT.Aに売ってしまうから今後生産を継続できないと挨拶したらしい。
Nは売り上げの半分が利益になるような価格を示し始めた。

移動装置や書類や部品や備品のリストがないまま、売り買いの話がすすめられ、Hは客先の連絡先や担当者のリストをNに渡してないし、NはそれをHに要求していない。
まったく。機械をただ、売ってしまえばいい、買ってしまうば良い、ということしか頭にない
二人です。

私の考えは装置と人間と客先を一体に考え譲り受けることでしたが、残念ながら、そうはなっていません。
 私は、半年ほどは、両方のことに関して、無関心をよそおいます。やり方によっては、客先と従業員に謝って、PT.Aの手伝いを辞めることも考えています。
 新規の客先に対しても、このシステムこの人の扱いでは、責任を負えそうもありませんので。
 
 2008 11 20

 目標は2009年3月末です。押出工場の立ち上げをする。既に準備をさせている。Kから来たオペレーターの半数はその時に合流させる。約、三千万の投資で4ラインから始めることができる。

 
 
題名と逆になってしまった。どうしましょう。


 2008 12 02
 しかし、この話、実に奇妙で、8月末、プアサの前に申請したが、税関のOKが未だに出ていないので、装置を移せない。何回も見込みで、移動日を決め直し、6回変更になり、挙句は、現在は予定日を決めることができていない。原因ははっきりしている。交渉の当事者双方の知識不足や仕事不足と相手任せだったことです。この調子では12月1日から従業員は来ているが、半月以上はぶらぶらしているしかない。在庫も逼迫してきてお客さんに迷惑をかける心配も現実味を帯びてきた。私が3か月ほど前に提案した方法で、借りたらいいと思うのだが、そういう知恵も行動力もない。
 
 2008 12 04
 今日も社長は出勤していない。どこへ行っているのでしょうか。客先から連絡が取れないと私にクレームがある。
 装置はいつ来るかまだはっきりしていな。K社からの従業員は出てきているがほとんど何もすることがない。
 何社かにはまだ、見積もりも出していない。図面がなければ見積もれないとあらためて図面を自ら要求し、その図面を受けて二週間以上過ぎるのにまだ、提出していない客先がある。
 インドネシアもバイクと車の生産調整が急ピッチで始まった。来年は大変な年になるでしょう。工場建設や設備増強をいましている会社もおおい。気の毒である、。
 
 2008 12 09
 11月末まで、いつ来るか知らせが入っていた、それが6回キャンセルされ、今ではいつ来るかの知らせもなくいなって、2週間過ぎた。従業員の間では来年じゃないのという冗談が飛んでいるが、本当にそうなるかもしれない。
 まだ、装置がいつ入るかの情報がないが、客先は注文を出したがっている。しかし、価格が決まっていないので、どうしたらいいものか私に聞いてくる。私は社長に直接、問い合わせるように言うと、社長に連絡が取れないし、連絡が取れて、頼んでも、またいついまで待っても返事が来ないといわれる。困ったサンの社長さんです。困ったものです。新しい見積もりの依頼もあったが、私では責任ある回答ができないので、これも社長にお願いした。多分、何もしないで放って置かれて、私にまた話が来るでしょう、
 
 2008 12 12
 
まだ何の情報もない、Kから来た従業員はぶらぶらしている。
 副社長にあるお願いをした。大変難しいことで、可能性はほとんどないが、期待は捨てない。自分の決意は変わらないのだから。
 昨日 内のNは姿を見せなかった。そして、PT.Kのベアチュカイ申請者が一昨日から入院してしまっていて、退院が今日になるので、早くても。装置移転の予定探れるのは15日以降になる。PT.KのHは手も足も出ないので、仕方がない。仕方がないが、二か月以上続いている。それでも仕方がない。
 今日、副社長にお願いしたことをF本社のF氏にもメールした。何とかしなければならないの一心です。A社ではもうどうにもならない、Nは従業員任せ、私は、何もできない。

 丸ごと引き受けることが賛同の条件だったが、肝心な条件に関して、手抜きのまま装置を受け取ることになってしまった。非常に残念である。
 交渉当事者双方のの配慮が足りないので私が望んだ条件は盛り込まれなかった、これで、今後、私がこの会社に貢献しようという気持ちがそがれてしまった。客先に対して製品と価格の品質保証に責任を持てない。

 憂慮
交渉経過において、目標の8月末からずるずる遅れて、10月末になってしまったことは、(実際は今も移転はされていない。12月2日)PT.Kの日本人に原因があるが、こちらの交渉役の日本人にも原因があった。結局、どちらも、本当に関連するすべてに双方とも知識が低い上に、行動が遅い。どちらも会社に居たがらない、仕事嫌い。もし、私がどちらの立場になったとしても半分以下の期間で手続きは済ますことができたでしょう。装置や書類や備品のリストは装置が届いてもまだない。結局、無いままで、交渉をしていたのです。

 交渉当事者の手抜きや気使いの足りなさを心配して、両本社に下記のようにお願いした。しかし、結局、当事者には、通じず、お客さんや従業員に申し訳ないことになってしまった。私は何もできない立場なので、当分、静観するしかない。


H,N両氏の設備移転の交渉に関して、
PT,Kの従業員と、客先への配慮が双方とも全く頭の中にないように思います。
これらに対し、双方とも引き継ぎについて大きな責任があると思いまが、相手任せで無責任だと思います。
このまま推移してしまえば、私は仲介したこと後悔するでしょう。
 1 従業員に関しては H氏は、退職金のことだけでなく、引き取ってもらう先の受け入れ条件についても
装置を売り渡す条件の中に含ませて交渉してやらなければならない。受け入れ先の条件を引き上げることと退職金は一体の条件になることに気が付いていない。
 N氏は、せっかく長年正社員としてやってきて、技術や品質意識を持った人が会社の都合でやめるのです。
格別の配慮を持って迎えてやることが必要です。彼らの持っている、素直さと、技術力と品質管理力は
PT.Aが到底及ぶところではありません。それを何を勘違いしているのか彼らがなぐりこんでくると恐れている。うまく使うのが社長に仕事であるはずだ。それを、埋没させてしまって、評価をすることはぜひ避けてほしいものです。こういうことをHはNに言わなければならないのですが、そこまで気が利かない。
 
2 客先に対しては、どういう扱いになっているのか分かりませんが、N氏は引き継ぐ意思はないと言っている。あくまでも独自に見積もりを出して飲まなければ引き継がないと言って、価格の半分が利益になるような見積もりを客先にぶっつけはじめた。H氏は客先への挨拶で、ただ、PT.Aに設備も人も移すので生産もAFMIでやってもらうことになると説明している。まさか、客先はとんでもない見積もりが来るとは思っていなし、当然、今までの価格をPT.Aが引き継ぐと思っている。H氏はその点に付いて大きな責任がある。価格をしばらくは今のままでいくように装置を渡す時の条件としなければならないはずですが、それにも気が利いていない。
 N氏は、いきなり無茶な価格をぶってけていかにも、内は機械装置は買うが、客先を引き継ぐ義務はない、客先に対する迷惑はPT.Kが負うべきだということを主張している。
 そのことについてお互いに話し合った形跡がない、二人とも、客先に対する気遣いがない。
 
 それでは、借りている金型はいったんPT,Kは客先に返却するのでしょうか。どうもその点も頭に入っていないようです。
 
この二点について彼らではどうにもなりません。高度な意見交換と決断をしていただきたく、メールをさせていただきました。

システムの変更問題からある決定
 この会社の組織では客先に対する品質保証が不足している。そこで、製造現場が大きく変わる機会に、品質管理のシステムを大きく変更した。また、チェックシート新しくした、というより、KIIで採用してノークレームにしていた方法をそのまま持ち込んだ。今までの人たちでは知識が少ない上に固定観念があるのでうまく変更できなかった。技術的にも品質に対する考え方が格段に上のメンバーに人が変わるここで変更できることを期待したが、今のところは、構造的、組織的に優れた部分を引っ込ませてしまうようにしてしまっている。
 是では、私がココにいる理由がなくなったことを感じた。一年で契約終了を決定した。2009年10月末で、ここから去る。というより、契約はあるが、できるだけ早めに止めようと思う。
 作業標準書や検査標準書は現場に置き、いつでも誰でも見ることができるようにしなければならないし、連絡事項は現場へ行って作業者に集まってもらい直接ミーティングで話をするようにした。すべて、改革する。今までのやり方では忙しいばかりで結果は望めないからだ。忙しくない方が、すべてが順調で利益が上がっていることを感じてもらわなければならないが、この会社でできるでしょうか。できないでしょう。できるようにするには思い切った改革が必要だが、トップが反対で古い体質がある限りだめだ。全くの素人なのに、樹脂の名前も知らないのに、自分は専門家だと、キタガワからの従業員に豪語したらしい。
 日常的に客先からのクレームの話を聞かされるが、一向に減らないどころか危機感が全くない。ガスケットはNG品を納入しても大きな問題にならないらしい。客先のQCもあまり追及しないらしい。
 

 受け入れの準備
 PT.Aではこの機会に、電力、水の供給量を倍増させる。また、明かりも増やさなければならない。 排水、給水の溝や配管、エアーの配管もする。
 ガスケット以外の生産はすべて、PT.Kから来た装置で生産するので、ノズル、マンドレルなど金型類も準備しておかなければならない。ノズルマンドレルともに、一個五千円位でできるので有難い。
 排水溝の工事は8月25日から始まった。9月1日プアサに突入したが工事は続いた。9月13日と14日で一部のラインを半分終わった方への移動をした。
 K工業の副社長に何点かのお願いをした。2008-09-17時点である。
 しかし、不足がある。一番肝心な場所が暗いので、照明をお願いしたが、受け入れられなかった。なくてもいいところが明るくて必要なところが暗い。これがこの会社の体質である。
 
 

 途中経過 
 それにしても、PT.Kの日本人の対応が遅い、動きが鈍い。多分、移転したくなくてわざとではなく、考えが及ばないことと、自分たちが何をしたらいいのか分からないことと、押出し部門のことを知らないことと、商売上のミスがあるので、それを明らかにしたくないからなのだと思う。実際、彼らにとっては面倒なことはさっさと、かたずけてしまいたいが、それができないのだ。出てくるデータに間違いが多いし、不足が多かった。そのデータの使用目的を説明しても分かっていただけないので、欠落数字が多かったし、製品の説明書きも私にははっきりと間違いがわかるが、知らない人なら信じるしかない間違いが多かった。PT.Kではチェックできないのでした。
 何より、売買契約書が、有るのかないのか、確認することすらできなかった。ずっと、どうなる事やら気をもんでいたが、やっと、9月になって、全貌が見え始めた。それにしても遅い。
 客先への挨拶回りを8月から始める。契約を8月第一週に完了させるといっていた。しかし、中旬になっても客先周りはしなかった。ドイツへ発つ10日までになっても行動しなかった。下旬になってやっと行動し始めた。装置移転の期日は10月末の休日を目標にする。これらが分かった。従業員への説明はまだ先のようだ。ひどいものである。会社都合で辞めていただく従業員に対し、どう説明するのか心配でした。
 9月2日にやっと、組合と押出従業員に辞めてもらうことと退職金を二倍払うと話した。しかし、労働協約では最低二倍なので、それ以上を求めることは当然で、其のとおりにはすんなりいくはずがない。彼らはPT.Kにいるより、私のところへ来ることを望んでいるので、退職金をどのくらい出すかが、焦点だと思う。一週間で結論を出せと、最後通牒のような強引さで話したらしいので、なお、組合も従業員も態度が強硬になってしまったらしい。
 PT.Kの日本人は人の心がわからないので、もめることは当然でしょう。
 この時点(9月中旬)になっても、取引先には事の次第を話していない。まったく、気が利かない人たちである。
 9月29日、K本社を訪問し、K社長と面談、直接お会いして、お願いするのはこれが最後になると思う。毎回、持っていくインネシアの蜂蜜、今回はカリマンタンのバンジャルマシンで仕入れた物だった。
 このとき、ある重要な話をした。このことは一年以内に結果が出るでしょう。
 

 発端
 この話は、私がPT.Kの本社の副社長に、二ライン空いていたら購入したい、と、お願いしたときからはじまった。
 ここ、PT.Aの装置は三十年以上前の機械ばかりで、それも、当時としても、最新鋭の装置ではなかったように思う。また、形を決める装置のほうも、塩ビのガスケット生産用なので、他の樹脂の成型には全く不向きだった。
 新しい、仕事をとるにはどうしても、新しい装置が必要だった。会社にお願いし、まず、新しい、水槽と引取機と巻取り機を購入してもらった。しかし、その装置はたちまちフル稼働になって次の仕事を引き受ける余裕がないことも知っていた。
 そこで、副社長に半分、泣きついてお願いしたようなものだった。
 2007年末にお願いし、2008年三月に副社長から、思いがけない思い切った提案を持ち込まれた。英断だと思った。私の考えより一歩進んでいた。PT.Kの押出し部門を丸ごと全部PT.Aで引き取ってほしい、と、いうことでした。目標を8月の独立記念日辺りにしましょうと話した。この点が重要です。
 一瞬、戸惑ったが、仲介役を引き受けることを即答した。私の負担は多くなるが、やらなければならないと決断した。PT.Kの従業員の立場や現在の取引先へのサービスを考慮すれば、いずれも、私に期待するところは大きいはずです。
 現に、いろいろな、相談が舞い込んでいた。しかし、装置がなければ、お答えすることができない。PT.A自身で増設するには資金的負担が大きすぎると思っていた。

 早速、副社長とF電工のT様と会っていただいた。形としては副社長からのお願いということにしていただいたが、本心はPT.Aの方から、お願いしたいものだった。4月の中旬の時点で、交渉開始という段取りになった。
 ひどいいじめの対象者と交渉しにくいでしょうから、交渉の当事者はPT.AのN社長とPT.KのH社長である。私は影に回った。というより、私の思惑は完全に無視された。
 心配し、やきもきさせられた。というのも、Hが全く協力的でないことと押出し部門の知識を持っていないことが私には分かっていたからです。案の定、先方からの接触は全くなく、こちらから、すべてをお願いする状態になってしまった。それでも、そのお願いに対し、気の利いた返事は無く、何度もお願いするしかなかったらしい。
 私もN社長も我慢であった。引き取ってしまえばこちらのもの、それまでは、先方のご機嫌を損なわないようにひたすら、お願いするしかなかった。
 この文章も、移転がほぼ終わったから書けるので、交渉中には口に出したくても、閉まっておかなければならないことでした。

丸ごと引き受ける