劣等感

劣等感は子供のころから沢山あった。

 足について、甲高段広、上体の貧弱に比べて、足が太い、そして、両親指が天井を向いている。

 合う靴がなかなかない、結局、今は27Cmだが、そのサイズを買ったら、甲が入らない、だから、28Cmを買う。そして、その靴も紐で締めるもに限る、紐を緩めて甲の部分を広くする。だから、靴はほとんど買わないで、とにかく、10年以上は使い続ける。
 
 ショートパンツを履いて、腿や脹脛を露出するのが恥ずかしい。中高大と卓球部に入っていた。普段の練習の時には、体育の時履く白い長ズボンを履いていたが、試合の時には揃いのユニフォームで、短パンを履かなければならなかった。どこの誰よりも、デブと思う人より、私の足、特に、脹脛の太さは勝っていた、というか、恥ずかしかった。誰にも、言われたことがないし、誰もが気にしていなかったと思うが。

 親指に関しては、とにかく、靴下に、直ぐ穴を開けてしまう、そして、その穴は、大きくなる。靴を脱いであがるとき、子供のころは、大概穴が開いている状態を他人に見せていた。子供のことは、軍足を履いていた。軍手の足番だ。昔は売っていた。踵がなく、丸い筒状で生地は今の軍手(作業用の手袋)と同じだった。 何故かというと、親指の位置が固定しないから、穴が開くことはなかった。今は、左右を変えて履くようにしている。

 ただし、このことは、長所にもなっていることを意識している。

2 猫背 とにかく、他人から見ると、姿勢が悪い。子供のころから、周りから猫背を言われていた。キヲツケといわれて,キヲツケをしたつもりでも、太田、胸を張れ、とよく言われた。大概、小学校からずっと、行列の先頭いることが多かったし、大勢の前で、逆に号令をかける機会も多かったが、とにかく、顎を引いて、少し上を向くように気を使っていた。究極は、中学の3年になったばかり、修学旅行の出発前日、三年生の全員が、グランドで、何故か、行進の練習をさせられた。三年一組の委員長の私は、学校の旗を掲げて全員の先頭だった。二組担任、国語の山内先生が朝礼台で号令を掛けていた。太田,胸を張れ、と、何回か言われた。止まった状態でなら、何とか、キヲツケができるが、歩いている時には、そっくり返ることはできない。とうとう、山内先生、太田、だれだれに替われと言われて、先頭を替わらされた。仕方がないなと思った。
 しかし、実際の修学旅行の時には、私が先頭をやっていて、集合の点呼などは、私がやった。

 後に、首が痛くなった時、整形外科でX線写真を見た、医者曰く、先天性頚部ヘルニアですね。と言われた。普通は首の骨は途中から後ろに湾曲しているが、真っ直ぐ、前に斜めになっているといわれた。

 今でも、人から良よく言われる、キャディーにも直される。


3 上体が貧弱 筋力貧弱 とにかく、不思議なほど腕力がない、握力も小さい。懸垂、逆上がりが生まれこの方、一度もできたことがない、20歳のころが最後で、やってみる機会はない。小中学校の時、放課後や昼休みに、ソフトボールで遊んでいたが、ホームランはおろか、内野の頭を越えるヒットは打てたことがい、辺りは右方面、運がよければ、ぼてぼての内野安打か一二塁間安打しかなかった。
 そして、今、ゴルフ、飛ばない、ドライバーでナイスショットで150Mしか飛ばない、ショート以外は、二打目は私が最初に打つ、グリーンが空くのを待つ必要はない。私のパープレーは90だとおもっているが、そこまで、なかなか行かない。


4 フケが半端じゃない。 もう、今は、気にもしないが、矢張り,フケの量は衰えない。小学校時、坊主頭、ぽろぽろというより、毛穴が空いた皮膚がペロッと剥けたりもした。母親がフケ症で気にしていて、遺伝だと思ったのでしょう。薬局へ連れて行かれて、様々な皮膚の薬を試された。しかし、結局、効き目なしだった。インドネシア語では、クトンベという、これも、キャディーに言われて、すぐに覚えた。ちなみに、垢は、ダキです。


 口下手 何かと、皆の前で話す機会が多かったし、意見を聞かれることも多かった地位にさせられてもいた。そこで、意見を言わざるを得なくて、喋るが、喋っている途中、喋った後、説得力がないなと思う、他の人は、うまくしゃべるなと思う。で、喋る必要がない、今の仕事を選んでよかったなと思う。

 短所と自覚していることが、逆に得意に繋がっている面がある。足が強く、上体が軽いということで、歩くこと、山登りをすること、多分、年にしては、かなり楽だと思う。だから、旅は出来る。ゴルフはスコアー勝負でなく、早回り競争なら、かなり、強いと思う。
 短所は長所になるし、長所は短所にもなる。

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