特技と趣味で会社を作って、挙句の果てにインドネシアで2019年現在、23年押出の技術指導をし、製品を使う会社にもとめられれば、提供し貢献している。

 私の長所は、器用。子供のころから、共同で何かを作らなければならない場合、私一人がやってしまって、他の人は、ちょっと手伝うか、見ているだけ、そして、出来たものは、他のグループより良い物と評価されたことが多かった。
仕事は趣味と特技が待ってしているが、趣味と特技が一致しないものも多い。

特技

1 書道 小学校の二年の時に塾へ通わされた。直ぐに、当時、雑誌に投稿した。小学校六年まで続けた。学年ではいつも優秀賞をもらっていて、その時の学年で、級や段がまだない時に、私が上のクラスを開拓していた。例えば、4年の時、まだ、段になっている人がいなかったが、私が、先ず初段になった。そして、塾を止めるときには三段になっていた。席書大会にもよく行かされた。県でも賞状をいろいろもっている。中学になると書道部には入っていないが、頼まれて、展覧会に出品をさせていた。
 高校の書道の時間に野球部の連中が一緒だったが、彼らに頼まれて、ちょっと、へたくそく、彼らが書いたように、書いてやっていた。
 大学では、3年から書道部に入って、何やかやの展覧会を主催して仕切った。県知事賞や教育委員長賞などの各賞状を手書きして、それらの秘書を訪ねて、印鑑をもらったりしていた。
 就職してから、安全衛生週間などののぼりや看板を書く役目を頼まれていた。
年賀状も筆で書いていたが、今は、書いていない。


2 そろばん 小四年から六年まで、塾に塾に通っていた。日本珠算連盟の1級にほとんど最年少でなって、止めた。暗算や応用問題(貨幣の換算など)も得意だった。商業高校の人達と一緒に、珠算選手権などにも出かけさせられていた。
 今でも、ちょっと、ボケてきているが、三桁くらいなら、足し算引き算が暗算でできる。オリンピックの結果計算も、皆さん、最近はスマホのソフトを使っているが、私は、頭の中でできる。ゴルフのオリンピックの支払いの計算は、暗算で簡単にできる。


 囲碁 多分、地方によって異なると思うが、アマ4~5段と言って打てると思う、思うというのは、インドネシアに来てしまってからは、全くと言っていいほど打っていないからだ。大学の3年の時、卓球の練習場の直ぐそばに、和室があって、囲碁や将棋部があった。卓球の練習は台が限られているので、練習できないときがある。その時、囲碁部の初心者の相手をしていた。そして、何となく上達して、囲碁部の上位とも打てるようになっていた。段や級はなかった。
 就職してからは、上司に、何かと誘われた。親会社だった臼井国際や極東貿易の人が、泊まり込みで訪問してきたときには、旅館に呼ばれて、囲碁の相手をしたし、近隣の企業の対抗戦にも、その時だけ参加させられていた。
 静岡へ戻ってからは、公民館の囲碁クラブに参加した。その時に初めて、あなたは3段で打てるよと言われた。インドネシアに来てしまう前は、一応、仲間の間かでは4段で打っていた。

  職場対抗や公民館対抗なども4段で結構通用していた。
中学校の時、私の猫背を叱った、山内先生、当時、校長になっていた。よく相手を頼まれた。


 卓球 中学から大学を卒業するまで卓球部に所属していた。個人では、トップというわけにはいかなかったが、中学と高校では団体の一員として、市では優勝経験があり、中部でも準優勝や三位になっていた。大学では、キャプテンをやらされ、その中で、一番の成績は全国国公立選手権で、ベストエイトまで行ったことだった。

 就職して、一年二年目には、近所の大東精機の卓球部に呼ばれていって、職場対抗に補強された。静岡東部の職場対抗選手権の個人戦で、準優勝し、県大会の参加資格を得た。私は、個人戦だけだと思っていたが、団体戦の補強選手にもなっていたらしい。当日、今の妻と横浜で会うことになっていて、すっぽかいした。翌日、出勤したら、労務から呼び出された。そこで、初めて、団体戦のメンバーになっていたことを知った。全く、しょうがないなと呆れられた。

 インドネシアでは卓球台を会社に寄付をして、皆と一緒に遊んだ。社内選手権も主催してやった。もっとも、これも、当時の現地社長や取り巻きに、嫌がられた、パワハラを受ける原因の一つにもなった。

5 スキー スケート どちらも、得意だ。梨大の時、冬には、盛んに、行っていた。スケートは、武田神社の横の竜が池、スキーは信濃四谷駅近くの峰方というスキー場へよく行っていた。

 40歳代の時には、従業員数人と会社の福利厚生費を使って、長野地方スキー場に年数回は、出かけていた。八方の兎平や志賀のジャイアントが好きだった。

 アイススケートは、ボーリングと共に、ジャカルタのタマンアングレックなどに従業員2~30人、連れて行った。これも、パワハラの原因になったようだが。

6 文章を書くこと

 人前や人と話をすることに、苦手意識を持っている。機械や装置と話をするのは好きだ。そこで、書くことは、多分、多くの人より得意だと思う。
 子供のころか、日常的に日記をつけていた。大学当時の日記は、恥ずかしいくらいだ。そして、仕事ができなくなってしまった一時期から、ブログやウェブサイトをアップし始めた。ボケ防止にもなるだろうし、日常的に、書き続けている。書かなくなった時は、肉体が書けなくなった時だと思う。 

趣味
1  日本で会社を経営しているころから、妻の学校の休みと会社の休みが一致していなかったので、一人旅を良くしていた。また、夏休みには毎年、家族旅行をした。最初は北海道や沖縄など国内だったが、海外へもよく出かけて行った。東西ドイツの壁がなくなるちょっと前に、東ドイツに行った。北欧にもスイス、イタリアにも行った。30年ほど前の事だった。
 インドネシアへ来てから23年、国内の主な島には全部行ったし、スマトラ島のもっと北の島ウェー島、北西端のサバンから、パプアの最南東、ムラウケそして、そのもっと東のパプアニューギニアとの国境の町、ソタまで行っている。パンガンダランにか70~80回行っていると思う。ウェブサイトに満載です。

 旅のついでに、登山もかなりやっている。ジャングル歩きもいいね。

泳ぎも、全く、問題なし、インド洋の大波をかいくぐって、沖へ出て、うねりの頂上で、空を見上げてぽっかり浮いているのは、得も言われぬ快感だ。



2 ゴルフ これこそ、特技からは程遠い。1998年の大暴動の時、1っ週間ほど休みなってしまって,やることがないので、空軍基地のハリム2のゴルフ場へ行ったのが初めてだった。

 1999年にジャバベカのメンバーになった。その当時から、ほとんど毎週、土日、旅に出ていなければ、あちこちのゴルフ場に出かけて行った。暇つぶしをしながら、様々な会社の他人と親しくなり、情報交換もでき、インドネシアでは、ゴルフの必要性を感じたし、年々、年を取ってくると、体力維持になるし、健康のバロメーターにもなっている。

 今は、ジャバベカゴルフにしか行っていないが、毎週土日には、昼過ぎまで、ゴルフ場にいる。多分、メンバーとしては、私が最長だと思う。私は、それほど多くの人の名前は知らないが、皆さん、私の名前は知っている。
  ゴルフを終わって、会社へ行って、特技でもあり趣味でもある仕事をすることもある。


3 写真を撮る
インドネシアに来て、常にデジカメを持つようになった。何時でもどこでも、取ることができる準備ができている。片手でポン、という感じ、いい加減に撮っているが、ブログやウェブサイトに乗せている。案外、評判がいいので、気をよくしている。とにかく、自然にやっている。








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特技と趣味
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