スマトラ島の地図を見てもらえば分かりますが、南部スマトラの東にある島で、パレンバンの東です。スマトラから、Muntokまで、フェーリーで7時間スピードボートで三時間かかるそうです。
 



 バンカ(Bangak)島(スマトラ島の南東の島、ブリトゥン島の北)ビンタン島にも近いといえば近い、先日、船が沈没した場所に近いといえば近い。Bangka Bulitungとインドネシア人は云うので、一つの島と思っている人が多い。そこに来ている。バタビアエアー10:00発が、パンカルピナン(
Pangkal-pinang)の空港が雲のため閉鎖になっていて、ジャカルタへ向かう飛行機が出発していないし、ジャカルタから出発した他の便がジャカルタへ引き返したという。11:00に空港は再開されたが、私たちの出発は向こうから到着を待ってからだったので、12:30発になってしまった。インドネシアです、それも、雨季です。ビアサ(biasa,普通)である。13:30に到着、到着前,急降下を繰り返したので、機内で、お祈りしている人が多かった。 
 島の東側から西の海岸の町Muntokまで、空港からのミニバスで向った。3時間半かかった。6万Rpである。景色が良い海岸にホテルがあるかと思い、来てみたら、何もない。ホテルもない、ロスメンだけでした。それも一か所、プンギナパン アルワナ(Penginapan Arwana)でした。12万Rpだが、朝食も付いていない、お湯は勿論でない。タオルやトイレットペーパーもない、泊まるだけである。テレビは一つのチャンネルがやっと受信できるだけです。

二日目は、夜が明ける前から、雷交じりの大雨、昨日の晩もビスケット今朝もビスケットだけ、食事をする場所が、全部閉まっている。とんでもなく、何もないところへきてしまった。コアシもベチャもない、オジェックもない。一応、町だが、外部から訪れた人にとっては大変不便な町である。昨晩、ホテルで車と運転手を紹介してもらったので、08:00出発と約束をした。

 今日の成果はどうだったかというと、スマトラ辺りの雨季は昨日と云い、今日と云い、こんな状態なのかと思わされた。もう、どうしようもないので、このままの状態が一日中続くことを覚悟した。

  今は、P.Bangkaの北東に位置するKota Sungai liatの南、Tanjung Pesona beach resort Hotelに泊まっている。昨日は島の山の中を通って、Pangkal PinangからMuntok、東から西に移動したが、今日は、北の海岸沿いの道を遠廻りして、Tanjung KelianBelinyu Pelabuhan港、海岸Tanjung Remodong海岸Tanjung Samak海岸に寄って景観を楽しんだ。10:00頃まで、大雨が続いたが、それから、以後は天気が急激に回復し、澄んだ空気の中の暑い日差しがきつくなった。

 他のビーチもそうだったが、ホテルのプライベートビーチの状態は、ブリトゥン島にそっくりというか、逆か。同じ起源の島だということが分かる。それともうひとつの共通点は、島中、白っぽい小石を掘り起こした後が広だっていて。今でも、その所々で、何かを採掘している様子がうかがえる。何かというと、鉛Tambang timahを掘った後が広がっているのです。飛行機が島の上に来たとき、その白い土地の広がりは何かと思う。オランダ領時代大変重要な島だったことが想像される。至る所に、オランダ人が住んでいた高級住宅地と家屋が残っていて、インドネシア人の金持ちの別荘として使われているそうです。Timah(鉛、鈴)で財をなした人が多いようで、ニシン御殿ならずティマー御殿だ目立った。しかし、今は掘り尽くしてしまっていて、荒れた土地が広がっているだけである。

 三日目、10:00頃、ホテルをチェックアウトし、ホテルの車をチャーターし、空港に向かったが、時間があるので、途中、海岸に寄って、景観を楽しんだ。この島には、伝統的家屋の集落はなく、多くは、オランダ人の建物を模した、何の変哲もない、長方形の家で、観光として勧められたのは、鉛の採掘博物館でしたが、日曜日で閉館、土産のTシャツを買っただけで、空港へ着いた。

   今回の旅は、雨季の真っ最中ということで、天気には悩まされたが、それでも、インドネシアですから、濡れても、すぐ乾く、できるだけ、気にしないで行動をした。お陰で、何もかもがぶっつけ本番だった割に、見るべきところはしっかり、見てきたと思う。二日目のガイドに恵まれたと思う。





 ブリトゥンと比較すると、バンカは負ける。両方行って見て初めて分かることですが、ブリトゥンへ行った人はバンカへ行く必要はないと思う。

 始めて見た木が二種あった。紙の原料になる三つ又のような木と胡椒の木でした。ここだけではないので、初めてではないが、パームヤシの農園も多い。これらの産業も、オランダ時代の名残である。輸出産業だった。

胡椒の木
三つ又のような木
泊まったホテル
Bangka島
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