1 気候
インドネシアの天気予報が面白い。誰もあてにしていないにもかかわらず、テレビでも新聞でも天気予報が書いてある。合っていたか間違いか確認する人がいるだろうか。
天気予報は意味が無いと思う、インドネシア人は必要としていないと思う。乾季と雨季がはっきりしていて、4~9月くらいが乾季、10~3月が雨季。異常気象で、はっきりしなくなっているというインドネシア人もいるが、日本人にしてみれば結構はっきりしていると思う。二月は特にムシン、バンジールと言って、洪水の月である。
乾季に雨の予報を出すことは無い、ほとんど全国晴れである。雨季は毎日何時間か降るから、雨、曇り、晴れのマークを出しておけばいい。もっとも、インドネシア人は余り傘を持たない。しばらく、雨宿りをすれば止んでしまう。それに、濡れることを余り気にしない。女性でもスコールでずぶ濡れになっても、気にしていないようだ。天気によって行事を中止することは無い。
日本の天気は西から変わる。予報はしやすい。気圧配置も前線もはっきりしているから、風の強さや向きは天気図を見ればわかるし予想も出来る。しかし、インドネシアでは天気図の解説はないし、どちらの方角から天気が変わるというセオリーがないようだ。事実、雲の動きを観察しても、方向が決まっていない。
インドネシア人はあそこは熱いとか、何処そこは寒いとか言う。海抜が高い低いで言うなら納得するが、それとは関係なく言う。私にしてみれば、熱いばかりで全く同じだと思う。
雨季の雨はお昼過ぎからが多いと思う。雨季のゴルフは早朝からに限る。午後二時ごろから雷とともに雨が降る確率が高い。
乾季の空はあまり綺麗ではない。ほこりや排気ガスでほこりっぽい。その点、雨季の晴れ間の日差しは空気が澄んでいるので、紫外線が一番強い。
地球温暖化の論議など一切無しのお構いなし。どんな排水も垂れ流し、下水道が無いところが多いし、あっても,メンテは全然していないので、詰まっていて役立たず。ゴミは捨て放題、焼き放題、何の規則も罰則も取り締まりも無いようです。分別なんていうことは夢のまた夢である。
どんな行楽地へ行ってもゴミのもちかえりをする人など皆無。せっかくゴミかごが用意されていても一杯であふれていたり、ゴミかごがあるのにわざわざゴミかごの外に捨てる。
標語や注意書きやお願い書きも全く見当たらない。私は彼らに見本を示す。
2 匂い
インドネシアの匂いは何?ココナツミルク?サンバル?それとも、その他の香辛料?生ゴミが腐った臭い、溝の臭い、塩ビを燃やしている臭い。
私は、どれもきついと思うが、レストランに入った時の匂い、ココナツミルクの匂いだと思う。ドイツへ行った時、娘のだんながナシゴレンを作ってくれた、食べて実に懐かしい匂いがした。これだと思った。
チカランの家の近所の匂いは、アヤムゴレン(鳥から上げ)、ゴレンガン(各種揚げ物、豆腐が好き)、ナシウドゥック、ミールブス、ペチェルレレ、など、カキリマやテンダレストランやワルンから漂ってくるごちゃ混ぜの匂いである。夕方、帰宅の前に、このうちのどこかによって、食べるか、ブンクスで家に持ち帰るかをする。
日本人にとって、なかなか、これらの匂いには慣れにくい。好い匂いと感じることはない人が多いのではないでしょうか。インドネシアに住む貴方、よい香りをかいだ事がありますか。
そこで、インドネシアで自然でいい香りがするものはないだろうかと、心がけてみたが、なかなかない。ひどいものは色々ある。ドゥリアンやチンボダックの匂いは味とは別にとんでもなく臭い。涙が出る。車の中は一週間以上、匂いが消えない。
花の香りはどれも稀薄で、ほとんど匂わない。ブンガバンカイは例外、臭い。
MM2100のPT.MAYORA INDAH(お菓子製造)から、風向きによって、いい香りがしてきた。そのくらいか。
それでも何とかと思う。有りました。マンガマドゥ(蜂蜜マンゴ)だ。マンゴーは数限りなく種類がある。その中で、緑に赤のツートンカラー、これは少ないが、たまに有ると、スーパーのドゥリアンの匂いの中にマンガマドゥの甘い香りが漂ってくる。味も、いい。必ず買ってしまうが、一年に一二回、雨季が終わる頃しかない。
ちょっと幹線道路からそれれば、そこは、何処もかしこもゴミ捨て場である。自由である。誰かが捨てればそこがゴミ捨て場である。そして、ある程度溜まれば火をつける。イスラムのムシュラから聞こえてくるお祈りの声と同じくらいの頻度でそれ以上の長時間、ゴミを焼く匂いが鼻を突いてくる。インドネシアの人々は地域でなんとかしようと思わないのでしょうか。環境省のもあるのですから、地方組織を充実し、外資系企業を監視する振りをするなら、民間のゴミを何とかして欲しいものです。
日本に来たインドネシア人は日本の綺麗さに感心をする。それでも信号付近の中央分離帯のゴミは恥ずかしい。これはドイツの事情も日本と同じ、タバコの吸殻、ガムの跡が汚かった。それ以外は本当にインドネシア人は恥だと思わなければならないと思う。
平気で、車の窓から物を投げ捨てる、親がやるので子供も真似する。汚いし、危ない。観光バスの後ろに付くとひどいものだ。いろいろなものが飛んでくる。
話は変わるが、カリマラン沿いにトイレの掘っ立て小屋がある。建てられているというより、在るといった方が適切だ。水洗トイレと浴場(カマールマンディー)の兼用だ。現に使われている。真っ裸の男女をよく見かける。
JL.KALIMARAN沿いに、BUSI TUA(古鉄)屋が並んでいる、ポリエチ袋の回収業者も並んでいるが、プラスチックボトルの回収業者は見ない。ぜひ、この関係の仕事を手がけて少しでも環境改善の役に立てばと思い、インドネシア人で見込みのある若者にプラスチックの再生ペレット製造工場をCIBITUNGに立ち上げてもらった。資金的に若干手伝い、技術面ではずっと相談に乗っていき軌道に乗せたいと思っている。
3 お祈りの声
正直言って、残念ながら、日本人にとっては辛い。睡眠の妨げになる。朝、四時から始まり夜まであらゆる方角から、スピーカーで流されるお祈りの声、意味が全くわからないし、男性のだみ声が多いので、騒音にしか聞こえない。しかし、それを、イスラムの人たちにいえない。小さい子供さんがいる家や病院などは迷惑を感じないのでしょうか。迷惑以上にありがたいことと教育されているから、そう感じないのでしょうか。
スピーカーを止め、なかった時代のように肉声だけにしてもらえないだろうか、子供か若い女性の声ではいけないのでしょうか。イスラムの人以外の人でも、心地よく聞こえるように工夫した方が、認められやすいし、聞いてみようと思う気持ちにさせるのではないでしょうか。宗教指導者はそういうことも考えたらいいと思うのですが、邪道なのでしょうか。
4 道端で寄ってくる人々
日本では開店ビラかティッシュペーパーを配る人くらいか。インドネシアでは車に寄ってくる人はいろいろの種類の人がいる。運転手を使っている日本人は知らん顔をしていればいいが、自分で運転の場合は、自分で対応しなければならない。信号で止まれば新聞、食べ物、飲み物などの物売り、おもちゃや地図も売りに来る。
子供がタンバリンやギター、なにやら小さい変な楽器のようなものをシャリシャリならしてなど寄ってくる、赤ん坊を抱えた母親やおばあさんが、ただ手を出してくる子供が、目が見えない人が、歩けない人がいざりながら、お金をねだってくる。あれば500Rp渡す。なければ、断る。断り方は、右手のひらを押すしぐさをする。日本のように手を扇ぐように振ったり、首をいやいやしても意味が通じない。100や50Rpしかない時、それを渡すと、あからさまにケチとという顔をされる。
ガラス窓を拭くそぶりだけして、金をねだる連中など、たちが悪い子供たちの中には、お金をやらないと、コインなどで車に傷をつける嫌がらせをする者もいる。
注意しても仕方がないかもしれないが、サイドミラーの鏡をもっていってしまう連中もいる。簡単に取れないようにカバーを付ける事をお勧めである。
子供の商売、(大人もいるが)はいろいろある。傘貸し、突然に雨で、車まで傘を貸す。Uターンや右折の手伝い、他の車を止めてくれて、Uターンや右折を手伝う。ジョッキー、3イン1の人数あわせ。坂道発進の手伝い。
高速道路でもちょっと渋滞になると物売りがどこからともなく出てくる。その人数によって渋滞が長いか今始まったばかりか分かる。朝や夕方の料金所の渋滞の中にも必ず朝食や夕食を売りに近所のおばさんが現われる。
ジャカルタなどは結構、決まった交差点でベンチョンといってオカマの物乞いが現われる。結構綺麗な成りをしているが、やはり気持ちが悪い。