2019年4月18日 コタキナバル 3744 5連休の二日目、4日間、ゴルフでもいいが、やはり、それではもったいない、インドネシア内で、もう、行くところがない、ニ回目になるが、ラフレシアを見たくて、コタキナバルにした。
01:00過ぎに会社から出発、以前、真夜中だから高速は、空いていると思って、3時ころ出発した、ところが、大型の貨物車で、大渋滞、結局、空港へ行けず、引き換えしてしまった、その経験から、6時出発だが、1時にでた。順調なら2時半についてしまう。3時間半待ちになる。その通りになってしまった。
国内便の乗り換え迄3時間以上にしておいてよかった。帰りも乗る次は3時間見てある。
元気 疲れ 確認
4月19日 がっかりだが 3745 前回、行ってみたラフレシア インフォメーション センターへまた行ってみた。今回は、その施設は、クローズ、無くなっていたことを確認しただけだった。
日本語で話してくれてるが、私はインドネシア語しかしゃでらないので、その女性に、“貴方、インドネシア人ですか、日本人だと思った”と、言われた。いや、“純粋の日本人だよ”と、日本語で答えた。貴方みたいに、自然にマレー語を話す日本に会ったことがないといっていた。まんざらでもない。
がっかり 無駄 遠くへ
4月20日 複雑な心境 3746 9時にインフォメーションによって、ラフレシアの状況を確認してもらったが、全滅。仕方がないから、今日は、前回行かなかったキナバルパークへ行ってみた。小雨模様で、1000m過ぎたころには、大粒の雨が降り出し、あいにく、このキジャン、ゴムホースの一部がやぶれて蒸気が噴出し、オーバーヒート止まってしまった。山の中、どうなる事かと思ったが、運転手、このことは、前にも何回もあるのでと、交換道具と部品を持っていたし、水も1.5Lを5本も持っていた。30分ほど、ラジエーターが冷えるのを待って、部品を交換し、水を入れて、再発進。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kundasang_War_Memorial
どういう事情か知らないが、事実だったのでしょう。こういう場所を尋ねると胸が痛む。明らかにインドネシア人ではない欧米系の人が大勢訪れていて、犠牲者の名前が刻まれた壁を食い入るように見ている。日本人は会わなかったし、日本人が来ることは稀だという。
結局、ラフレシアには会えなかった。コタキナバルとその周辺、駄目だね。会える確率は非常に少ないようだ。パンガンダランのわずか数平方キロメートルに中や、スマトラのブンクルーやブキッティンギの方が、よっぽど、確率が高いようだ。
戦争跡 キナバル山 残念
4月21日 インドネシア戻り 3747 この街、この辺り、それにしても、なぜ、コレアが多いのでしょうか。日本人に会ったのは、インフォメーションで一人だけだった。目にはいれば、確実に分かるが、キナバルパークにもマリマリにも、全く、いなかった。看板もハングルはあるが、日本語はない。
マリマリだが、原住民の伝統的なむらだ。何年前か知らないが、森の中の狩猟民族だということはわかるが、文化というか、技術というか、狩りの仕方、火の起こし方、家の建て方、日本の弥生式の時代の方が進んでいるように思う。ちょっと妙なことがあった。水瓶が至る所にある、釉を掛けた陶器だ。水や酒、蜂蜜などなど、大小の瓶を使っている。どこで焼いていたのでしょうか、その窯がない。
13;30にコタキナバルの空港に入った。手荷物チェックは、国内、国際も同じ、そこを過ぎると、イミグレと国内に分かれる。国内線もイミグレではないが、搭乗ゲートへ行く前にパスポートや身分証明書をチェックされる。マレーシア人のカウンターは、沢山あるが全て長蛇の列、しかし、誰もいなかった外国人専用のカウンターがあって、私はそこを通過した。
と、ここ迄は順調だったが、出発時間が1時間遅れると案内があった。それだけではない、おまけにボーディングパスのゲートで待っていたら、なかなか人が来ない、本来の出発時間が過ぎてもほとんど人がいない。どうなっているのと思っていたら、ゲートが変わったというアナウスがあった。ま、それでも、一時間も遅れているのだから、十分、搭乗時間には間に合う、それより、KLに着いてからの乗り継ぎの時間が少なくなることを心配した。
予定より、1時間半遅れの17時に離陸、KLから22時過ぎのフライトなので、十分間に合う。やはり、乗り継ぎ時間を3時間以上見ておいてよかった。
KL空港、KKからドメスティックに到着、インターナショナルに移動しなければならない。baggage claimの場所を通過し外に出るとすぐエスカレーターがある。それで、3階までゆく、ここはH型の空港ビルのKやLがある側の真ん中、Hの横棒の端に当る。その三階、ここまで来たら横棒を進んでインターナショナルのもう一本の縦棒の方に行く、その入り口がここだ。
ちょっと悔しい失敗をした。エアーアジア、飲みものを持ち込めないことを忘れていたというか、国際線のフロアーに入るときは、飲み物は持ったまま入れたので、まさか、エア―アジアの搭乗口へ行く前に、もう一度チェックがあるとは思わなかった。そこで、その手前のコンビニで飲み物を買ってしまった。買ってしまってから思い出した。以前、ヴィザを収得に来た時の事、あ、引っかかった、しまった、ともったが、返品というわけにはいかない。搭乗時間の10分前くらいまで、出来るだけ飲んだが、あまり飲むと、トイレに行きたくなるし、というこちで半分ほど飲んですてた。KLタイム21時15分搭乗。
今回の物足りない旅に比べ、前回は、もしかしたら、ラッキーだったのかもしれない。新しいことは、kundasang war memorialとキナバル山登山口とマリマリ伝統村だけだった。http://otaenplaext.net/concept82.html 前回の記録です。こちらの方が、充実している様子は明らか。悔しいから、こんなTシャツを買ってしまった。
真夜中にジャカルタへ戻った。日付が変わって1時半に家に戻った。
動いた 期待はずれ 確認不足