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2019年4月18日 コタキナバル 3744 5連休の二日目、4日間、ゴルフでもいいが、やはり、それではもったいない、インドネシア内で、もう、行くところがない、ニ回目になるが、ラフレシアを見たくて、コタキナバルにした。

01:00過ぎに会社から出発、以前、真夜中だから高速は、空いていると思って、3時ころ出発した、ところが、大型の貨物車で、大渋滞、結局、空港へ行けず、引き換えしてしまった、その経験から、6時出発だが、1時にでた。順調なら2時半についてしまう。3時間半待ちになる。その通りになってしまった。

 クアラルンプールに着いた。イミグレまでの通路が分かりにくい、四差路や三差路でどちらか、選ばなければならにが、看板がハッキリしない。やっと,イムグレの前に着くと、カンターは沢山あるが、どれの20人以上並び、後ろの壁まで一杯、横切るのも大変、ここで、40分以上掛かった。

 ジャカルタで、渡されたコタキナバルまでのボーディングパス、ゲートがK18になっていた。それを信じて、ゲートを探した。三階に真ん中がHという字の横棒のはしとすると、上の方がJ1~20がある。下の方にK1~20がある。迷わずKのずっと端に近い18まで行った。誰もいない、まだ早いからかな?そんなことを思いながら待った。その前にある電光板を何となく見たら、コタキナバルは20になっていた。そして、直ぐ奥の20へ行った。そこには30人くらいの人が、ゲートを空くのを待っていた。よくあることだ、ゲートが違うことはと、思いながら、そして20に入る案内があった。皆さん、入ってゆく、チケットにあるブーディングタイムより、50分もはやい、変だと思って、ゲートの案内をミタラ、コタキナバルではない。慌てて、先ほどの電光掲示板を見に行ったら、Kじゃなくて、Jだった。びっくりである。Hの字の上の端だ。2Kmくらいあるのじゃないか、ロングホール4つ分だ。ボーディングタイム迄は、40分ほどある。ただ、ほとんど真っすぐ、時に動く歩道を歩いて、そして、20分ほど余裕をもって、間に合った。

国内便の乗り換え迄3時間以上にしておいてよかった。帰りも乗る次は3時間見てある。

 前回 ヴィザの申請にきたときも感じたが、ごちゃごちゃしている上に、案内板が分かりにくい。初めての外国人はかなり右往左往すると思う。国際便から出て、国内便に移動するにも大変だった。インフォーメーションやセキュリティーに何回聞いたことか、言葉が通じなければ、本当に大変な場所だと思う。、

 今のホテル、ワイファイOKという条件で決めたが、これがダメ、どうにもならない、何やかや理由を言っているが、理由を聞いても仕方がない、3夜のブッキンブをしたが、明朝、チェックアウトする。投稿ができていない。

 もう一つ、残念、タラップが見当たらない。シーズンが短い、8月前後の一カ月間だそうだ。前回は、8月だったかな、チェックしてみようと思う。その代わりと言えないが、ドリアンをたらふく食べた。

 前回と同じコンセントとベルトを買ったショッピングモール、この道を左の道を向こうにゆくと、いろいろなパサールがある。

 睡眠不足と歩き回って疲れた。よくやるよ、後期高齢者。

元気 疲れ 確認

 
4月19日 がっかりだが 3745 前回、行ってみたラフレシア インフォメーション センターへまた行ってみた。今回は、その施設は、クローズ、無くなっていたことを確認しただけだった。

 しばらくの間クローズの看板。その辺りの事を、タクシーが集まっている場所で聞いてみた。全滅だった、10か程前に咲いていたという情報が、空しい。

 タラップは無い、ラフレシアも無い、何にしに来たの?である。お昼前にはコタへ戻って、ラフレシアの現状を知っているかもしれないと、インフォメーションに寄った。しかし、日本語を何とかできる女性が、対応してくれたが、結局、今日は休日で、問い合わせ先に電話してもでないので、情報を得られなかった。明日、9時に開くので、明日は、そこから、スタートしようと思う。

日本語で話してくれてるが、私はインドネシア語しかしゃでらないので、その女性に、“貴方、インドネシア人ですか、日本人だと思った”と、言われた。いや、“純粋の日本人だよ”と、日本語で答えた。貴方みたいに、自然にマレー語を話す日本に会ったことがないといっていた。まんざらでもない。

 ワイファイを使えるホテルを探しまくって、6軒目にやっとぶつかった。昼寝を2時間ほどして、海岸のパサールに出かけた。タラップをあきらめられなくて、訪ね回ったが結局、シーズンじゃないと言われた。インドネシアでは見なくなったSAWOを見つけた。こちらでは、CIKUチクと言っていた。買って食べた、名前が違っても味は同じだった。美味しい。

 チンベダックが山盛りで売っていたし、バナナの房の下にぶら下がっている、日本語で何と言うのか知らないジャントゥン ピサンや、椰子の実から目が出ているもの、これを土の上に置いておけば、椰子の木になる。その他にも、名前を知らない果物が沢山あった。

 魚も刺身で食べられそうな、カツオやブリ、アジやサバ、水揚げされたばかりの魚が山盛りで売っている。焼き魚や揚げたものも売っていて、その場でたべられるが、ちょっと、勇気がなかった。焼き鳥や目刺しのようにして焼いた魚は、その場で食べ歩いた。全て、美味しい。私に合っていた。

 板敷きになっている海岸を、以前の時に渡った沖の島々を眺めながらブラブラ歩き。浦島太郎は、こんなところまで来ているんだという実感があった。そして、一歩一歩が、いつか、この景色のずっとずっと向こうの日本へ帰ってしまう時が、近くなっている気がするし、玉手箱を開ける日が近づいている気がする。

がっかり 無駄 遠くへ


4月20日 複雑な心境 3746 9時にインフォメーションによって、ラフレシアの状況を確認してもらったが、全滅。仕方がないから、今日は、前回行かなかったキナバルパークへ行ってみた。小雨模様で、1000m過ぎたころには、大粒の雨が降り出し、あいにく、このキジャン、ゴムホースの一部がやぶれて蒸気が噴出し、オーバーヒート止まってしまった。山の中、どうなる事かと思ったが、運転手、このことは、前にも何回もあるのでと、交換道具と部品を持っていたし、水も1.5Lを5本も持っていた。30分ほど、ラジエーターが冷えるのを待って、部品を交換し、水を入れて、再発進。

 目的地の1500m以上の場所は、雲の中。キナバル山を全く見ない。キナバル山登山入り口までいってみた。

 ここから先は、歩きになるが、入山許可をされている人だけしか通れない、と、止められた。入山の人数が限定されているそうだし、申請が込み合っていて、順番待ちだそうだ。3か月以上前に申請していなければならないといっていた。

 そして、その下りの途中にある、花屋さんに寄る予定だったが、その裏の駐車場に車が一杯、パサールがあり、ミュージックバンドも賑やか、そして、何やら、お堀の石垣のようなものが目に入った。何かと聞いたら、昔の捕虜収容所だったところだという。どちらのと聞いたら、オーストラリア人やイギリス人が多く、ここで亡くなったという。是は、お祈りしなければならないと思って、中に入った。

 kundasang war memorial  クンダサン戦争記念碑と書いてある。私が生まれたばかりのころの話だ。第二次世界大戦中、サンダカンからラナウにかけての「死の行進」により命を落したオーストラリア及び英国の捕虜を慰霊するため、1962年に造られた記念碑です。と、書かれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kundasang_War_Memorial

どういう事情か知らないが、事実だったのでしょう。こういう場所を尋ねると胸が痛む。明らかにインドネシア人ではない欧米系の人が大勢訪れていて、犠牲者の名前が刻まれた壁を食い入るように見ている。日本人は会わなかったし、日本人が来ることは稀だという。

 15時過ぎ、コタへ戻る途中、マリマリという、伝統的村に寄ってみた。15時でクローズだという。明日9時にまた来てねと、受付の人から言われた。

結局、ラフレシアには会えなかった。コタキナバルとその周辺、駄目だね。会える確率は非常に少ないようだ。パンガンダランのわずか数平方キロメートルに中や、スマトラのブンクルーやブキッティンギの方が、よっぽど、確率が高いようだ。

戦争跡 キナバル山 残念

4月21日 インドネシア戻り 3747 この街、この辺り、それにしても、なぜ、コレアが多いのでしょうか。日本人に会ったのは、インフォメーションで一人だけだった。目にはいれば、確実に分かるが、キナバルパークにもマリマリにも、全く、いなかった。看板もハングルはあるが、日本語はない。

 

マリマリだが、原住民の伝統的なむらだ。何年前か知らないが、森の中の狩猟民族だということはわかるが、文化というか、技術というか、狩りの仕方、火の起こし方、家の建て方、日本の弥生式の時代の方が進んでいるように思う。ちょっと妙なことがあった。水瓶が至る所にある、釉を掛けた陶器だ。水や酒、蜂蜜などなど、大小の瓶を使っている。どこで焼いていたのでしょうか、その窯がない。

 

13;30にコタキナバルの空港に入った。手荷物チェックは、国内、国際も同じ、そこを過ぎると、イミグレと国内に分かれる。国内線もイミグレではないが、搭乗ゲートへ行く前にパスポートや身分証明書をチェックされる。マレーシア人のカウンターは、沢山あるが全て長蛇の列、しかし、誰もいなかった外国人専用のカウンターがあって、私はそこを通過した。

 

と、ここ迄は順調だったが、出発時間が1時間遅れると案内があった。それだけではない、おまけにボーディングパスのゲートで待っていたら、なかなか人が来ない、本来の出発時間が過ぎてもほとんど人がいない。どうなっているのと思っていたら、ゲートが変わったというアナウスがあった。ま、それでも、一時間も遅れているのだから、十分、搭乗時間には間に合う、それより、KLに着いてからの乗り継ぎの時間が少なくなることを心配した。

予定より、1時間半遅れの17時に離陸、KLから22時過ぎのフライトなので、十分間に合う。やはり、乗り継ぎ時間を3時間以上見ておいてよかった。

 

KL空港、KKからドメスティックに到着、インターナショナルに移動しなければならない。baggage claimの場所を通過し外に出るとすぐエスカレーターがある。それで、3階までゆく、ここはH型の空港ビルのKやLがある側の真ん中、Hの横棒の端に当る。その三階、ここまで来たら横棒を進んでインターナショナルのもう一本の縦棒の方に行く、その入り口がここだ。

 

ちょっと悔しい失敗をした。エアーアジア、飲みものを持ち込めないことを忘れていたというか、国際線のフロアーに入るときは、飲み物は持ったまま入れたので、まさか、エア―アジアの搭乗口へ行く前に、もう一度チェックがあるとは思わなかった。そこで、その手前のコンビニで飲み物を買ってしまった。買ってしまってから思い出した。以前、ヴィザを収得に来た時の事、あ、引っかかった、しまった、ともったが、返品というわけにはいかない。搭乗時間の10分前くらいまで、出来るだけ飲んだが、あまり飲むと、トイレに行きたくなるし、というこちで半分ほど飲んですてた。KLタイム21時15分搭乗。

 

今回の物足りない旅に比べ、前回は、もしかしたら、ラッキーだったのかもしれない。新しいことは、kundasang war memorialとキナバル山登山口とマリマリ伝統村だけだった。http://otaenplaext.net/concept82.html 前回の記録です。こちらの方が、充実している様子は明らか。悔しいから、こんなTシャツを買ってしまった。

 

真夜中にジャカルタへ戻った。日付が変わって1時半に家に戻った。

動いた 期待はずれ 確認不足
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Kotakinabaru 2019