Indonesiaの病気事情


これは19年以上前に書いたものです。現在は、外国でビザを収得した人は、空港のKITASのカウンターで、指紋と写真を撮れば、終わり、その後、パスポートをエージェントに渡せば、後日、キタスが届けられる。本人がイミグレへ行く必要が無くなった。

 サインを幾つかし、写真を撮って、指紋を全指取られて終り、待ち時間は無くたったの5分だった。相変わらず、職員の対応は横柄だった。ジャカルタに住んでいればこんな簡単な分けにはいかない。
 まだ、手続は続く。パスポートをチカランのイミグレから受け取って、今度は警察へ登録します。ブクビル(青い表紙の手帳)を手に入れなければなりません。この手続もサインや指紋の押印が最初だけ必要で、何らかの質問も受けなければなりませんから、警察へ本人が出頭しなければなりません。

9日 シンガポールでワーキングビザ(C)を取得した。12日(月)にチカランのプレシデント大学近くのイミグレへKITAS(身分証明書)とブクビル(青い表紙の小冊子、住民登録所)の申請にいった。14日に両方とマルチプルリエントリーパーミット1年で更新、KITASの延長と同時に更新、これがないと自由に出入国できない)のスタンプを受け取った。他は一年だがこれだけは半年更新である。期限切れを気づかず空港で指摘され出国できなかった日本人を何人も知っています。残念ながら、そういう日本人は自分の確認不足を責任とせず、インドネシア人スタッフの責任にする人が多い。こんなことは自己責任です。

 そこから、日が開き、26日JABABEKA工業団地(1)の近くで、JL,カリマラン沿いの運転免許証の発行場所に行き、指紋とサインと写真撮影を済ませ10分ぐらいでSIM入手した。こんな場所にあるとはまったく知らなかった。三年前はブカシの警察だったので、往復時間を含めて、3時間掛かった。

 銀行口座もリッポバンクに開設した。いつでも給料が振り込まれるようになった。

これで、必要なものは全てそろったことになる。一ヶ月も掛からないですべてが終わった。私の新記録だった。インドネシア人スタッフの強力な手伝いのおかげでした。ただし、有ってもなくても良いような警察カードの入手はまだ。

これはこれでいいのだが、インドネシアで、二週間足らずで、私のコンピューターにウイルスが侵入し、インターネットやメールが出来なくなってしまった。修理屋へ入院させ,治してもらったが、さまざまなソフトを消さざるを得なかった。そのうちのホームページビルダーも消された一つでした。インドネシアでホームページを更新できなくなってしまった。日本へ帰る12月22日以降の更新になった。

 早速、12月1.2日の土日はパンガンダランへドライブ、旧友たちとの再会を楽しんだ。この旅の話は、エンジョイの方で!!!

 初ゴルフは11月18日でした。JABABEKA GOLFでした。2007年はメンバーズフィーを払っていなかったし、休眠費用も払っていなかったが、レセプショニストは私の顔を見るなり、メンバーと信じてプレー費をメンバーとして要求した。私は黙って、15万Rp(約二千円)払った。本当は82万Rp(約一万一千円)払わなければならない。そのまま、帰国するまで四回プレーをしたが、全てメンバー扱いだった。

2008年の会費は七百六十万Rp(約十万円)は支払ったので、2008年は堂々とメンバーとして、プレーできる。

  一番簡単な方法の例ですが、10月28日に30日間の短期滞在ビザで入国しました。本当は勿論仕事をしてはいけません。もし、仕事をしている事が密告などで、イミグレにばれてしまえば、かなり、高額な罰金を払わなければなりません。用心深くやるには、日本に居る間にビザを収得する事です。
 どうしても、短い期間で、ワーキングビザを収得しなければなりません。多くの必要書類は前の会社に保管されていたので、受け取ってもらっていたし、パスポートのコピーや写真は日本を出る前に送ってあったので、私が到着する前から、エージェントを使って、申請を進めてもらっていた。インドネシアに到着後12日で申請が完了し、11月9日にシンガポールのインドネシア大使館でビザを受ける段取りになった。期間的には充分な余裕がありました。
 日帰りで済ますことにした。9日03:00に住家を出発、06:15ジャカルタ発08:50シンガポー着、10:00ちょうど、シンガポールショッピングセンターのVISAエイジャエントのオフィスに到着、パスポートと書類を渡し、写真を撮られ、それで終わり16:00時ちょうどにVISA(タイプC)INDEX VISA 312(このタイプと番号が重要)が張られたパスポートを受け取った。此の間が6時間、なにもすることが無いから、昼食時以外は公園の木蔭で昼寝をしていた。間違えて申請して、現場にいて摘発された人が多いと聞いています。知らなかったと、言うことがないように、再確認してください。
 また、16:00にタクシーに乗ってチャンギに16:30に着いた、早い便に変えてももらうように頼んだが満席で駄目だった。4時間待つ事になった。また寝て時間を過ごした。結局、予定通りの24;00一寸前に住家に戻った。
 結局、考えてみても、みなくても、本人が大使館へ行く必要なく代理が行けばいいのだから、書類とパスポートと送り、また、VISAがとれたパスポートを送り返してもらえばいい。100US$くらい高くてもそのほうが簡単である。ただし、万が一の紛失の心配をしたらできない。
 
 この後、まだ、インドネシア内での手続は続く。以前は、カラワンまで行っていたが、月曜日、今回は新しくできたチカランのプレシデントユニフェスタスの直ぐそばのイムグレ支所へ行った。非常に狭いが、申請者も少ないのでそんなものでしょう。また、エージェントが待っていた。



一月30日にやっと最後のSKLDという警察からの届出証明カードが届いた。最後の最後で、もう何もない。もっともこのカードは今まで一度も見せろと言われたことがない。

 海外健康障害保険、私の場合はAIU保険是は最後かどうか、早いほうが良いが、自分や会社次第である。申請が遅かったが、申請から二週間でカードが届いた。日本で入るのと同じ保障なら、インドネシアで入れば半額です。皆さん、試してください。私の場合は自分で払うので、切実です。

 NPWP納税者番号票
 今年2009年から、FISKAR(インドネシア人の出国税)が、1ジュタから3ジュタに上がった。申請すれば戻ってくる性格のものだが、申請をして戻される金額より、その時に難癖をつけられ、ペナルティーを払わされる額の方が多くなると聞いている。
 本当は、勤めていた会社から事務的に私に渡されていなければならない物だったが、そのことを知らされず渡されてもいなかった。そういうことを知らされないヒドイ会社だった。二月末に、会社を辞めて出国する時はビザを取り消されたので、払わなくていいので、その時も知らなかった。
 三月初め入国する時も知らなかった。三月末に帰国する当日(日曜日)の朝、ゴルフ仲間からその話がでて、初めて知った。帰国当日だったから、どうしようもない。その日の顛末は3月29日  インドネシアで 楽しく暮らす 15-195斜めからインドネシアを眺めよう 195で紹介してある。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page107.html
 次に出国する時にしか使わないが、とにかく、すぐに申請して、入手した。黄色いプラスチックのカードのはずが、写真のようなカードが届いた。黄色いカードは選挙で忙しいので8月にならないと出来ないと言われた。それも変ですが、このカードも同じだとわれた。
出国する時、搭乗券とパスポートとNPWPを免税窓口に提出し、フィスカル免除のスタンプを登場券にもらう。出国する都度そのセレモニーが必要です。
 イムグレでは、その免税証明とKITASとマルティプル リエントリー パーミット(今は一年有効になっているが期限切れに注意)をチェックされます。

2010 8
観光ビザ(短期間ビザ)30日から60日まで手続きをすれば延長できるようになった。また、2010 8月から、ステーッカーを張る儀式が省略されている。また、ガルーダに限って、機内でその手続きは済まされる。


2019年3月 この10年前の事情とかなり違って、簡素化されている。今は、キタスしかない。それも、外国でビザを収得してきた人は、空港で写真と指紋を済ませるので、その後の申請は、本人が、イミグレに行く必要がない。

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