コタキナバルと周辺

2月13日 コタキナバル 2220 Kotakinabaluどこか知っていますか、マレーシアですが、ボルネオ島の北部です。初印象は、大都市、中国系住民が一杯。言葉がインドネシア語。インドネシアではカリマンタン島といいます。時差は、日本よりい時間遅く、ジャカルタより1時間早い、バリと同じだ。

1マレーシアリンギットRMは、約33円、私が行きあたったホテルは、コタの中心地にある、数えきれないくらい多くあるホテルの中の一軒、De Galleria Hotel一泊118RMで4000円弱、朝食は付かない。このホテルの中では、一番安い部屋78MYR、2500円くらい、どんな部屋か知らないが、窓がないと言っていた。空いていなかった。聞くところによると、中級ホテルだそうだ。

 

今朝、2時に夜逃げの様な状態で出発、タクシーを予約しようとしたら、深夜は出せない、3時半以降なら、行きけるという。そんな、営業規則があるとは知らなかった。しかし、頼んだ運転手が自分の車で送ってやるというので、お願いした。空港まで40万Rpで、タクシーのメーター価格より、ちょっとプラスしてやってやった。

 

ターミナル3は初めてだった。エアーアジア、5;15発だが、カウンターで受け付け開始が、4;00。私が3;30に到着した時には、既に長い行列になっていた。国際線は少ないからでしょうか、イムグレが開始されたのが4;30過ぎ、搭乗時間は5:00を過ぎていた。それぞれの時間まで、係員はいない、時間になって現れた。そして、インドネシアから問題なく脱出した。

聞いていた通り、機内販売以外何のサービスもない。何種類かあるが弁当の価格が5万Rp、他人が注文したものを見たが、高いと思った。

 

到着した空港で、イミグレに出すカードはなし、両手の人差し指の指紋を押すだけ、何日入るの?目的は?などの雑談めいた話をしただけだった。空港内に、ホテル予約のコーナーがないと言われ、タクシーで市内に入ってから、一緒に捜してもらった。中国正月が近いからでしょうか、どこのホテルも、適当な価格の部屋が開いていなかったが、なんとか、満足の部屋があるホテルに行きあったった。

 

ホテルに入って、部屋の様子をしばらく眺めて、先ず、必要だと思ったのが、コンセントのアダプターでした。インドネシアのものと形が違う、近くのショッピングモールで売っているというので買いに行った、その中の一角にホームセンターの様な店がった。おいてる場所をに行ってみたら、あるある、色々メーカー、色々な種類がある、日本とインドネシアの差し込みプラグを持って行って良かったと思う。穴のサイズや間隔が違う、グラグラなもの、全く入らないもの、1個に3か所差し込み穴があるが、また、それぞれの状態が違う。いちいち、試してみて、2か所がOKだったものを二つ買った。実際付けてみると、ホテルのテレビにプラグさえ、合う穴と合わない穴がある。しっかり、差し込まないで、途中で止めて斜めに入れると良い組み合わせもあった。よく、許されているなと思う。安全上かなり問題だと思うのだが。

 

ともかく、何日間、ここにいることにする。言葉は、まったく、問題なし。インドネシアにいる時と同じだ。違いは、ほんの少しあるが、インドネシア内の方言の方がよっぽど、わからない。

 

何時間か部屋で休憩の後、どんな街は散策してみようと外に出た、海が近そうなので、そちらの方に向かって歩いた。夕方になると、今まで駐車場になっていたところは全てが露店が設置されていた。海岸の一角に、かなり、広大なパサールがあって、魚や野菜を中心に新鮮さを売っていた。そこで、地元のドリアンを食べてみた。人パック、10MYR330円くらい、美味しかった。その場で全部食べてしまった。

 

サンセットの風景もまずまずでした。

 

この旅の話とは別に、うれしい,便りが入った。尤 海明君(ユウカイミン)、私がまだ、40歳前に中国の桂林で知り合った若者で、日本語の勉強をしたいというので、日本に呼んで、6年間?だった、と思うが、学費の面倒を見た若者でした。彼も、50歳は過ぎたと思う。私の方から、疎外にした感じで、彼と連絡も絶えていたが、娘さんが私のブログを発見して、先ほど、メールと電話が入った。家族の写真を一緒だった。なんだか、うるっとしてしまった。懐かしい、私にとってのお手伝いの第一号でした。今では、何人かの内の一人になってしまっているが、忘れないで、偶に、まだ、元気ですかと、頼りを貰うとうれしい。

気楽旅 余裕 和み 

 

私のホームページ(Web site)

http://otaenplaext.net/concept1.html

よろしく!!!

2月14日  キナバル山周辺 2221 何故、今回、コタキナバルにしたのでしょうか。そうです、その通りです。ラフレシアが目当てです。会えるといいな。是非、会ってみたい。そこで、先ず、安易に選んだのが、キナバル山国定公園とポーリング温泉ツアーに参加でした。ホテルのフロントから昨日の内に予約し置いた。8;15ホテル前にバスが迎えに来てくれた。と言いたいが、約束より30分も遅かった、その後、二つのホテルで、客をピックアップ、韓国と中国の人、彼等は何時に待ち合わせ直か知らないが、向けに着いても直ぐに出てこない。結局、コタキナバルの市街地を後にしたのが9;30予定は8;30のはずでした。

10人の客、コリアが5人、チャイナが4人でした。ま、皆さん、勝手気ままな事、待ち合わせの時間を、全く気にしていない様子。やはり、ツアーは失敗だった。

 

車は、飛ばす飛ばす、道はインドネシアよりはるかにいいが、曲がりくねっていても真っすぐでも、登りでも下りでも関係ない、ぶっ飛ばす。タイヤはキイキイなるし、車体は左右に大きくダッチロール、よく、横に倒れないかなと思う。そんな、運転の中、キナバル山のふもとの峠で休憩、何もない、土産物屋が並んでいるだけ、景色?何の変哲もない山の中、次はもう昼食、山の中の中華料理、ご飯も料理も美味しくない、それに、一緒に食べる人たちの食べ方が気に入らない、ペチャペチャ音がする。皆で分けて食べるのだが、均等にという考えがないらしい。早く席を立って、添乗員のテーブルへ行って、しゃべっていたら、日本人四人組が入ってきた。向こうも私を日本人とみて、話しかけてきた。クアラルンプールに住んでいるリタイヤ組だそうで、同じ、マレーシアなので遊びに来たという。80歳平均の方たちでした。

その人たちは、ここへ来る前に、ラフレシアを見てきたという。吉報である。ガイドにその事を話したら、この後すぐに、行く予定になっていますよ、ということだった。10分程度、話をした、日本人とはそれっきりのお別れでした。

その後、ポーリン温泉という場所に行く前に、凸凹の舗装されていない狭い道に入った先にラフレシアが咲いている場所がある。30MRを払って、その家の息子でしょうか、ガイドとして案内してくれた。ほんの50mほど歩いた、普通の小道の先に有った。ところが、木の囲いが遠巻きにしてあって、近づけない、咲いて二日目くらいのものが一つ、咲き始めて数時間が一つ、その蕾からちょっと開きだした話は7~8mくらい遠くからでしか、見ることができなかった。柵の中に入って見たいと頼んだが、だめだった。どうも、胡散臭い、どこからか、持ってきたような感じがする。スマトラ中部山地のブンクルーもそうだったが、そんな場所に、こんなに、纏まって、タイミング良く咲くわけがないというより、こんなに蕾と咲いて二日目と咲き始めと、多分10日くらい前に咲いたであろう、今は真っ黒になっているものが半径5mくらいの円周上にある。あまりにも出来すぎ。おまけに、そこまで行く小道の途中に、なんと、ブンクイルーと同じように、Amorphaphollus Titanum(大こんにゃく)木の苗が植えてあった。同じ場所に自然に在るわけがない。

 

ここの種類はRaffresia Keithiiでした。パンガンダランのパトマに模様も大きさもよく似ているが、やはり、一目違うのは、色だ。赤が強くて、ちょっと、ドギツイ。パトマはオレンジに近い赤。

ここで、見たと言って喜んでおられる方には気の毒だが、ボゴールのクブンラヤと同じように移植して在るものだと思う。ただし、今日の花ではなく、このキナバル山周辺で、本当にジャングルの中を分け行って探し求めて見つけたという人もいると思う、それなら、自然の姿の本来のラフレシアと確信できるでしょう。それを知っていて蚊、元々興味がないのか、韓国の人達は、一人も見に行かなかった。

 

足湯、ぬるくて、ちょっと、硫黄の匂いもするが、実感がわかない。これも、本物か?

よく写真で紹介されている吊り橋も、渡って、どうかということはない、怖がる人を怖がらせるだけで、そこに、在る必要は全くなし、ジャングルを歩くなら、もっと、自然が良いと思うが、ちょっと、ひとが作ったものが多すぎる国立自然公園でした。

 

キナバル山の山頂の様子は、雲の中で、なかなか目に入らなかったが、帰る途中、やったと、ほんの一瞬がだけ、何とか、それらしきものを見ることができた。これは、本当に、運次第、諦めていたので、ちょっと、喜び、奇抜な形をした岩からなるいくつかの峰があるようで、この写真の中に全てが入っているかどうかは知らない。

 

ポカリスウェットがない、セブンイレブンにもない。それ何?と店員に聞かれてしまった。

 

町を歩いていて、直ぐ、気が付くことだが、人は交通信号を守らない。そして、道を渡る場所は交差点ではなく、どこからでも、キャンスを見つけて、渡る。キャンスが多い場所を知っている。日本人は田舎の車が全然来ない場所でも赤信号では渡らない、という話が本当かどうか知らないが、よく、聞く。しかし、この地で、全員が、車が来ない赤信号で向こうまで行ってしまった後に、私一人、待っているのも奇妙な光景じゃないかと、思いながら、青になるまで一人待っていた。その後は、信号のある場所を渡ることを止めて、信号がない場所で渡るようにした。これは、インドネシアで慣れている。

キナバル山 不自然 乱暴運転

 

2月15日  海岸通りチュチマタ 2222 目が覚めたのが8時を回っていた。文章書きやあれこれで、10時に外出することができた。先ず、明日の予定、Raffresia Infometion Centerへのアクセスをチェックするために、バスターミナルへ行ってみた。行き先を書いた立て看板がとう間隔で建てられていて、多分、そこから、出発するというのは分かるが、時刻表がない。近くの人に聞いたら、Tambnan行きは、あそこだと教えてくれるだけで、何時に出るかはわからないという。仕方がないから、その辺りにいたタクシーに聞いたら、バスのことは知らないとそっけない、そして、当然ながら、タクシーで行きなさいよと進められてしまった。一時間ぐらいでゆける、一人なら80MRだという。ま、いいか、帰りはバスにすればいい。予約をした。

 

その後、海岸道路に向かい、西に歩いた。新しいビル、アパートが林立している。なにが産業なのでしょうか。日曜と会って、人出は多い。車もこの時間になると、ショッピングでしょうか。メインの通りは、数珠つなぎになっていて、のろのろ運転だ。30分以上歩くとゴルフ場Setera Harbour Golfが目に入った。一見、海岸の小さな半島の全体がゴルフ場になっているようだ。タクシーの運転手が言っていた。ここのゴルフ場は、上流階級の遊び場で庶民は近づけにと、言っていた。多分、高いのでしょうね。今回は、止めにしておこう。

 

そこから、東に引き返す。昨日寄ったパサールApi-Api centerを通り過ぎると、そこからパサールの連続だ。野菜、果物、魚介類、新鮮だ。刺身でも十分に行けそう。直ぐ傍の岸壁で、仲買人が漁船から直接、魚を買っている。また、ここで、ドリアンを食べた。また、チンベダックの天ぷらも食べてみた。どれも、私に合っていて、美味しい。その場で椅子を借りて坐って食べた。変な日本人だと思ったに違いない。

 

海の向こうにかなり大きな島が見える、二つに見えるが一つでした。Pulau  Gayaと言っていた。日本人か、島、いく?と声を掛けられた。行って何があるんだ、上陸しないで周辺を見てまわるという。何時間で幾らかと聞くと、一時間で70MRという。高い、今、行く気がないし、もっと安くすれば、行く気になるかもしれない、というと50MRでどうかという。まだ、高いから、と言って、その場を通過した。

 

島行きの船のりがから30分ほど歩いて、Ochado Suria Sabahというショッピングモールまでぶらぶら歩いた。トイレを借りた、こんな近代的なショッピングモールで日本食レストランや寿司やはいっていて、日本人らしき人もちらほら目につく。駐車場にも長蛇の列ができている、多分、この町では、最高級だと思うが、トイレは、インドネシアの田舎のスタイルと同じでした。立ちション用も、ちょっとね、私は大用に入った。

 

暑い、じりじり、暑い。先ほど通った道を引き返して、島行きの船着き場のベンチで一休み、いろいろ人がこっちを見ている、私も、挨拶のように目を合せると、話しかけてく人がいる。返す言葉が同じなので、話がはずむ。面白い。なにをしているんだと聞かれる、チュチマタと答える。マレーシアでもチュチマタcuci mata(目を洗う、目の保養をする)同じだねと言っていた。簡単な日本語も教えてやる。その場で自分を撮ってみた。おじいちゃんだよ、こんな所にいるよと。

 

両替は待ちのあちこちでできる。黙ってRpを出せが、黙ってMRが出てくる。レートはどこが良くてどこが悪いのか分からない。ま、たいして変わらないか。

 

四時間ほど掛けて、ほとんど、歩きっぱなし。流石に疲れた。

散歩 暑い チュチマタ

2月16日  ラフレシア センター 2223 バイクがほとんど見当たらない、かといって、自転車も見当たらない。車だけだ。アバンザ セニアなど、車は日本車が圧倒的に多いが、プロトンも多い。トラック、バスは日本メーカー製だ。しかし、日本の文字の看板はほとんどないが、ハングルをたまに見かける。観光客もコレアやチャイナの方が多いと思う。ただし、私は日本人だと分かるらしい。それも、話ができるので、KKからかと聞かれる。KKじゃなく、JKからだという。納得。アルファベットは、こちらは、エービーシーだ。「アセー ティダッ ニャラー」と言ったが通じない、エアコンと言い直した。

 

砂浜がない、この辺りに海水浴場はないようだ。人工でも、今から作るには大変だ。海の汚染が深刻だと思う。浄化するのは、不可能ではないか。ジャカルタのアンチュールも同じだ。

 

9;00過ぎにタクシーが迎えに来る。約一時間、ガンガン飛ばす、道はいいが、上り下りとS字カーブの連続、そんなに飛ばさなくてもいいのにと思う。10時ごろ目的地に着く。受付に行くと、係の女性が一人いるだけ、「ラフレシアは全然咲いていないよ」と、いきなり、言われてしまった。蕾なら、少し見ることができるという。しかし、ここまで来て、ジャングルの中に入らないで引き返すわけにもいかないので、話の種として、トレッキングを申し込んだ。110MR高い。寄付だと思って納得。ガイドが早速案内してくれる。歩く道は、コンクリート舗装の50~100cm幅で出来あがっている。上り下りが激しく、苔が付いているので滑りやすいが、パンガンダランのチャガールアラムよりはるかにすたすたと歩きやすい。ジャングルに分け入ったという感覚がない。

 

入って10分ほどで、多分一週間から十日前に咲いた小さな花が、既に、ほとんど真っ黒な形であった。中のめしべが、ちょっとだけ赤みを帯びていた。それから、約、一時間、歩いたが、言われていた通り、何も会わない、匂いなど全くしない、ガイドは、分かっているので、すたすたと歩くだけ、私も、それに着いて行くだけ、味気ない、歩きながら、会える確率はどのくらいかと聞くと、30%だという。それも、二時間ほどの奥地も含めてだという。そんな遠い場所に在る時も、希望すれば、つれて行くという。毎日、数人が、ジャングルに入って数時間、捜しまわって確認するのだそうだ。今回は奥地へ入ってもないことが分かっているので、一時間ちょっと出ててきてしまった。がっかり、期待外れでした。結局、今回のラフレシア捜しは一個だけに終わった。最低、一か月ほど、住み着かないと、駄目だろうなと思う。

 

水色の建物の最上階左が私の部屋です。

がっかり 運次第 話の種

 

2月17日  コタキナバル雰囲気 2224 歩きまわるのは今日が最後なので、ちょっとベルト状の市街地の山側、南側、海岸の反対側を歩いてみた。小規模なバスターミナルと独立広場がある程度で、見るべきものはなかった。東に歩いて、自然に北向きの道になり、結局海岸に出てしまった。Jesselton Pointジェセルトン ポイント、この辺りが、町の発祥らしい。1900年ころからの町の様子の移り変りの様子が大きな写真で示されていた。

 

Tarapタラップ、果物のこれが名前です。得も言えぬ美味しさ、その場で食べてみてびっくり、傍に、ナンカもチンベダックも並んでいて、この果物がつるしてあった。初めてみる様子の果物、色はナンカやドリアンと同じだが、全体が、剛毛の様な、柔らかないブラシの毛のような、妙な掴み感がある。全く、初めてだったが、一個3RMだという。100円くらいだ。食べてみない手はない。その場で、食べごろの柔らかさのものを選んでもらって、手で、ぱかっと開くことができて、実を見ると、ナンカの実の様な形だが小さくて真っ白、食べてみると、種が小さく5mm程度、ほとんど果肉、柔らかい、種から取れてするっと喉に入ってしまう。ドリアンとチンペダックは確かに臭いと認めるが。ナンカと同じで全然臭くない。

インドネシアにはない?とにかく、一度も見たことも、話を聞いたこともない果物でした。感激。このパサールにもう一か所売っている場所があった。このパサール、今日で三度目だったが、今まで、目に入らなかった。

 

会う人、全て、言葉が普通にできるね、と言われる。そして、すぐに、打ち説ける。相手は、ペラペラ話してくる。そこまで、ペラペラ、それも、私からすれば、かなり、訛りがあるマレー語だ。なにを言っているか分からなくなれば、分かった振りをする。それでも、面白い。

 

岸壁に座っていた人が話しかけてきた。島へ行かないかと。日本のサッカーチームのユニフォームを着ていたので、それは、私の国のユニフォームだよ、と、言ってやったら、日本人か、50RMでいいから、行ってみないか。上陸して、私が、島を案内するからという、どのくらい時間がかかるか、と聞くと、一時間ちょっとだ、船に乗っている時間は片道10分も掛からないという。それなら、行ってみようかということになった。波は穏やか、島に近付くに従って、家の様子がはっきりしてきた。全て、水上住宅だった。上陸は桟橋の先っぽ、250mあるそうだ、岸までの長さ、岸に着くとそこに家は全くなかった。只、一か所、かなり広い、敷地と面積を占めた学校があるだけだった。その学校に案内してくれた。自慢なのでしょうね。確かに、水上住宅にみすぼらしさ、汚さ、臭さとは、別世界の清潔さ、モスジッドより、素晴らしい施設だと思う。

 

コタキナバルの沖に見える島、ガヤ島Pulau Gayaだが、コタから見ると、知らなければ、岸辺に、陸上に家が並んでいるように見える。しかし、近付くと、全てが海上にあることが分かる。遠浅になっているので、桟橋の先に上陸すると、岸まで250mある、その両側に家が並んでいる。聞くとことによると、コタと島を往復するボートタクシーの所有者は全てこの島の人だそうで。それで、生計を立てている人が多い。私を誘った人も、この島の住民で、上陸すると、全てが知り合いなので、いちいち、挨拶をしながら過ぎる、日本人を載せてきて案内をすると、いちいち言っている。案内すると言ったって、学校しかないので、学校につれて行ってもらう。それだけだが、彼にとっては、誇らしげだった。水は100mほどの山の上に大きなタンクがあり、真水をコタから海底パイプで送っているそうだ。しかし、どの家の前にも雨水を貯めるプラスチックのドラム缶が置いてあり、屋根から引きいれている。マンディは海水だそうだ。

 

近付く船から岸辺近くに並ぶ水上住宅、トイレは当然、海である。

島の学校からコタを見る。豪華客船が停泊している。ホテルやデパート、オフィスビルが林立しているのが見える。別の世界だ。 

夕方の町の中心部のあちこちが車の進入禁止になり、歩行者天国だが、その道は、急造のテント店が両側にびっしり並ぶ、あること頃が狭い、体を横にしなければ通れないほどだ。今日から学校も会社も休みになったそうで、正月になったよう。ステージも出来ていて、演奏やダンスで大にぎわいだ。一週間ほど休みになるらしい。

 

ドリアンやチンペダックの店の向こうにステージがあり、アンバランスが面白い。

 

今日のサンセット。6時半ごろでした。この向こうはフィリピン。

夜遅くまで、あちこちから、バンドの演奏や歌が聞こえてくる、先ほどは”君といつまでも“が聞こえてきた。

賑わい 活気 狭い

2月18日  コタキナバル旅終わり 2225 10;10コタキナバルから離れた。マレーシアのSabah州、どんな産業があるのでしょうか。この数日では分からない。ただし、町中に活気がある。それは、日本に比べれば、汚いし、臭いし、込み合っているし、狭苦しいし、対岸の島と貧富の差は酷いものだし、いいところはあまりないようだが、他の東南アジアの都市と比べれば、随分、いい方だと思う。一番感じたことは、親切だと思う。交通信号のあるところでは渡らないことを徹底していて、広い通りでも車の車間を通りぬけるときが多いが、人を見れば、早めにブレーキを掛けてくれるので、安心して渡れるし、込み合ったパサールや屋台村の様な場所でも。向こうから来た人は、私が避ける前に避けてくれる。道を聞くことはしばしばだった、というより、ちょっと、分からなくなれば、通りがかりの人に躊躇なく聞くことにしていた。聞かれた皆さん、結構丁寧に教えてくれるし、その人が知らないと、通りがかりの人に声を掛けてくれて聞いてくれたりした。私がしゃべれるからかもしれないが、とにかく親しげに対応してくれた。

 

ショッピングモールの中のレストランでなく、町のレストランの中で一番目だったのは、何と、マサカン パダンだった。チャイニーズレストラン、シーフードレストランが続く。私は°のレストランも、店の匂いが苦手だった。私にとって、店の外に匂ってくる匂いが臭いので入りにくい。それでも、中華料理をいくつか試してみたが、料理の匂いも味も合わなかった。それと、ご飯もぱさぱさ感だけでなく、何か味が付いていて、これも、苦手だった。

ということで、コンビニでカップラーメンやカップブブール(お粥)やパンを買って来てホテルの部屋で食べていた。カップラーメンは日本のカップラーメンに味が似ていて、辛さも控えめのコショーだった。インドネシアのような唐辛子ではなかった。お粥は美味しい。インドネシアに有ればいいと思った。ドリアンやタラップ、マンガ、パパヤなどの果物は、パサールで買ってその場に座り込んで食べていた。このそれぞれの味もいいが、その場の食べ心地はもっといい。日本人が坐って、地元の果物を食べているからでしょうか。通りがかりの人がじろじろ見ている。

 

空港を間違えた。インターナショナルではなかった。アエーアジアだけ、国内線ターミナル2を使っているのでした。タクシーの運転手にインターナショナルと言っただけなので、ターミナル1で降ろされ、どうも、着いた時の様子と違うので、聞いてみたら、間違いが分かった。タクシーでまた別の空港に向かってやっと間違いないターミナルに到着した。今度は長蛇の列、8;30過ぎで、余裕はあるが、20分以上行列に並んだ。10;10フライトでホテルから出たのが7;40くらい、早すぎるかなと思ったが、丁度良くなってしまった。ぎりぎりだったらとんでもないことになっていたかもしれない。

 

新ターミナル1と旧ターミナル2、エアーアジアは全てこちら。

 飛び立つと間もなく目には行ったキナバル山頂上。

コタキナバルとジャカルタ上空の雲の様子がぜんぜん違う。北緯と南緯5℃なのにこうも気候が違うのかと思う。赤道上を通過しパランカラヤ付近では、ベルト着用のサインが出ていた。エアーアジアなので、ちょっと緊張した。カリマンタン島上空からジャワ海に出た辺りで揺れは収まった。

旅の話とは別だが、入国の時にチョッと、文句を言われた。最初、出国のチケットを見せてくれと言われた。シンガポール行きの日が決まっているので、チケットを持っていて、それを見せた。しかし、仕事をしているだろ、こんなに直ぐ入国してくるとは、と言われた。もう、リタイヤし、インドネシアの旅を楽しんでいる、と、説明したが、そんなはずはないという。仕事をするなら、ビザを取ってこなければ、入れないという。面倒なので、いくら?と聞いたら、一万円という。値切って50万Rpで入国となった。「お互いの幸せのために、協力ありがとう」と言われた。横の同僚と目を合わせて、にたっと笑っていた。まったく、私も笑いながら、「しょうがないな」と言ってやった。

原因はやはり、申請が遅れたことでした。1か月以内にすべてが終わっていれば、問題なかった。ま、私にとっては、それほどの問題ではないと思っているが、普通の人では、相当、困ったことになってしまうかもしれない。  

 

渋滞があったが、15;00前に家に戻った。コタキナバルでは雨に降られなかったが、戻ったら、早速、大雨でした。

再入国 間違い ターミナル

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