P,BED パネル

 この仕事は非常につらかった。こんなに難しいとは思っていなかった。何をやっても満足できるものは得られなかった。人に頼んだことが、自分の思った通りに出来上がってこなかったことも、非常に歯がゆかった。
 会社におかれた立場も、仕事に対する焦りとなっていたことも確かだった。
 振り替えると、様々な悪条件が重なっていて、悪循環を繰り返していたと思う。客先にも大きな迷惑をかけてしまった。特に、赴任してきたばかりの若い担当者には期待を裏切るようなことになってしまった。
 こういう意識も、マイナスに働いたような気がする。
 新製品に挑戦するのはこの仕事を最期にする。精神的に不安定な状態と立場が不安定な状態で、期限付きの新製品開発の仕事はもう、私の体力と精神力では出来ない。後続の若い人に任せようと思う。

 今回の製品はPPの異形だが、従来手掛けていた異形とは、形状が違っていた。開放型でなく、閉じ込箇所が何箇所かあって、外側から引っ張るだけで形を作るものだった。パイプがくっついて横に並んでいる状態である。

1 原料の入手が問題で、MIが押出用でランダムPPをインドネシアで手に入れることが出来ないので、ホモPPのMI2の原料で何とかしなければならなかった。
2 最初、インドネシア人の技術者に金型の設計を任せて、その技術者に製品になるまでやってもらうつもりでいた。断面をいくつかに割って作り、組み合わせるのだが、その割位置が間違えていた。その間違いを早いうちから消すために、正しい割位置の金型を新しく、早く作れば良かったが、その間違った金型で何とか製品にしようとこだわってしまっている担当者に強く言えなかった。
3 私の考えで新しい金型を作ったが、金型の製作時、図面通りに出来ていなかったり、注意事項を守っていなかったりで、手直しをさせることが多かったが、その修正がうまくいかなかったり、その場所が良くなっても、他の今まで問題なかった箇所が問題になったりして、なかなか、求める物に到達できず、逆に遠くなってしまい、また、新しい金型を最初から作る、それを数回繰り返した。その都度二週間ほどの待ち時間が出来てしまった。
4 上手い方法が見つからない、そして遅れの最大の原因は、私の焦りだったと思う。会社が変わって、最初の大きな仕事でした。前の会社の時に受注をして、新しい会社になって直ぐに試作をし、一ヶ月後には、売り上げに貢献する予定だったが、それが、思惑通りにならず、ずるずると、量産が遠ざかってしまっていた。売り上げ計画などのプレーッシャーは相当なもので、自分でやっていればこんなプレッシャーは無いが、一歯車としてやるにはきつ過ぎた。私の性格に全く合わない。
5 この時期、5SだのISOだのと人手を生産技術以外に割かなければならなかったこともあった。私自身もミーティングで縛られる時間が多く、現場に目が行き届かなかった。会社の初期段階なので、そういうこともいち早く会社としてやらなければならないことは分かっているが、期限がある新製品開発の時期がこの会社にとって早すぎたのかもしれない。

 とにかく、金型製作依頼書から二カ月あれば製品を納められると判断していたのが、結局、レバランを通り越して五か月掛ってしまった。

 これ等の製品で今までには無かった欠陥点は、製品表面に流れ方向と直角方向に筋模様が付いてしまうことです。いわゆるビビりと言うやつで、形を決めるためにバキュームで引っ張り金属壁に吸いつけて形を作るのだが、その抵抗で引っ張り方向に断続的なシマが出来てしまうのです。これを消すために、色々なことをした。その、色々についてはノウハウで公表できないが、こういう苦労は今までしたことが無かっただけに、この歳になって、こんな、困難にぶち当たるとは、よくよく、私に与えられた試練だったと思う。
6 もう一つの遅れの原因は、私自身にあると痛感する。十年ほど前の自分と比較すると、体の動きもそうだが、脳の回転が遅くなっていることを感じる。やることが、後手後手に回ってしまっているように後で思う。なぜ、もっと早く思いついて早く実行していなかったのだろうかと思う。
 結局、すべて私の責任であるが、こういう仕事で、責任を負える状態から総合的に後退している事を思う。

 日本の製品は非の打ちどころのない完璧な状態にできあがている。何年か掛ってそういう製品が出来上がったのだろうと思うが、私の方は、それと同等品を二三カ月以内に作り上げなければならない、それも、日本価格の0.6掛けでやらなければならない。インドネシアで引受ける仕事はこういう物ばかりです。一挙に何百万円の仕事などどこのもない。そんな仕事を求めるなら、日本から援助を頼むしかない、と言うことは、自立をさせないということになる。私の考えとは真反対になる。そんなことを考えると、なお、新製品の開発に集中できなくなる。

P、BED社向けのパネル関係部品4アイテムでした。




 開発的な仕事はこれを最期のしようと思う。これからは、私が確かに持っている、何度も経験隅の技術を皆さんに披露して行くことだけに専念しようと決心させられた製品でした。
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