ポリカペンダント(ポリカーボネートチューブ)

  この仕事は大変面白かったし、かなりの利益を上げることができ、独立後初めて資金的心配から開放してくれたありがた~い製品だった。1970年、まだポリカーボネートが世の中に出て間もないころ、PCの丸棒や板を試作的に作り出していたころ、厚木のNさんという人が、会社に相談に来た。PCのチューブを木型に巻きつけながら接着し、半球を作り二つ合わせてボールにし、電球のシェードにするということで、そのチューブができないかということでした。できれば、ナショナルブランドで売れることになっているといっていた。ある種の発明家のような方で話が大きくて、売れるとは信じられなかったが、PCチューブの製造については興味があった。当時、江戸川瓦斯化学のユーピロンE-2000、原料価格が¥850/Kg製品にして¥2000/Kgで見積もりOKになった。カラーリング原料は¥1000/kgだった。

 製品のサイズはφ5.0×φ4.5、2000M/roll。アルミのサイジングプレートでしごくようにして作っていた。スピードは10~15M/min、一見、均一な製品が安定してできているように見えていた。自信を持って納品をしたところ、先方でボールにして傘を作り、蛍光灯を点灯してはじめて隙間があるということと、厚みムラがあることがわかった。光が漏れていたり、傘がまだら模様になっていたりしたからだ。使い物にならなかった。製造中に現象としてわからないし、最終製品にして光にかざしてみなければ検査ができない。原料や製造のロットによってまた、温度条件や生産速度の変化によって差が出るのか、生産をしながら、チェックしたが、どんな状態のとき厚さや径が変わるのか、結局はっきりした原因はわからず、そのまま納品し続けた。歩留は平均70%程度だった。どうにもならないまま生産量は増え、Nさんからはクレームの付けられっぱなし、どちらもあきらめの心境になっていた。どこか、ほかの会社でできるならそっちのほうでやってもらいたいと思ったくらいでした。問題を引きずったまま、私は会社を辞めた。この時、私はなぜ肉厚が頻繁に変化してしまうのかほぼわかっていた。改善するには水槽のデザインを変える費用が必要だった。上司は賛成しなかった。私も会社を辞めることに決めていたので、強く要求しなかった。あわよくば、自分の会社でやれるようになればいいという下心が、チラッとあったことも確かでした。                                                                                                                             

                                                  C 私がT社を止めて、T社での収率がなお悪くなってしまった。 しばらくして、この仕事は元上司のF社に移った。Nさんの気持ちは十分わかる。しかし、その会社でも同じことだった。自分の所の装置に余裕がある私としては気になっていたので、様子はお互いに連絡しあっていた。そのうちに、もっと深刻な新たな問題がでた。それは、傘に巻き上げてしばらく置いておくとクラックが発生するということだった。これも製品にして始めて発見できる不良だった。条件を散々変えてみたが深刻になる一方だったらしい。ただし、クラックについては、いつの間にかなくなったらしい。


 しかし、また、しばらくして、電話がかかってきた。またクラックが出始めた、これが以前にも増してひどくなり、ぜんぜん製品が取れなくなっているとのこと、「T社の時の方がまだよかった、原因がわかりますか、何とかなりませんか」でした。しめた!私の予定通りになってきた。そこで、私が再び試作をして見ることになった。この仕事が始まって約4年経過していた。ポリカペンダントも売れ出していて、4トン/月の生産量(歩留は60%程度)になっていた。押出用のPC消費量では当時日本ではトップだったらしい。それだけに、多くの問題は深刻だった。せっかくのチャンス、何とかしなければならない、私も独立したばかりでこれといって安定した仕事があったわけではなかった。

E まず、成形方法が今までと同じでは、問題は解決できない。ナイロンの方法ではスピードを上げれば楕円になってしまう。サイジングプレート(SP)だけではスピードは上げられるが、押出方向で外径が変化しやすい。現在では当たり前だが、当時、まだ、水を補給しながら真空ポンプで内部を減圧するバキュームボックスという成形装置はなかった。自分で設計し作った。給水しながらバキュームを安定させられるのかが一番心配だったが、作ってみれば驚くほど安定していた。我ながらびっくりだった。ただし、そのままでは、表面に気泡が付着し細かい凹みができる。つやが不足した。溶融状態でしごかなければならない。

アルミのSPでしごいた後、キャリブレーションダイに通過させながら、真空で減圧したボックスに通すことにした。SPとキャリブの間で、SPを急冷するためと、気泡の付着を防ぐために水をスプレーした。製品はまん丸になり外径も安定し、つやもOK.巻きつけたときの、隙間は全く無くなった。しかし、今度は、押出方向の樹脂量のむらが内径(肉厚)のバラツキになってしまい、相変わらず、微妙な厚さむらがあって電灯ですかしてみると色むらに見えた。この原因はSPと溶融樹脂とのすべりというかひっかかりというかそこら辺にあると考え、徹底的にプレートの材質とストレート部分の長さを換えて試作を繰り返した。結論は、材質SUSでランドは可能な限り短く、実際には0.5mmで生産した。原因はモノマーの付着によるすべり具合(抵抗)の変化によるものだったと一応結論付けた。これで、光漏れと色むらは解決した。

モノマーと称しているものとは、エアーギャップ(溶融金型と冷却金型の間)で、もやもやと、上がっている蒸気のようなもの。多かれ少なかれ、あらゆる樹脂で発生し、間接冷却(例、C.die)金型の場合には入り口に付着する。ある程度たまってくると製品が抱き込んで金型に入ってしまう。製品に悪さをする。エアーなどを吹きかけ付着を最小限にしたい。また、ある程度たまってくれば生産を止めて掃除することもある。長時間流すものは定期的に取り除く。ナイロンやPCは特に注意が必要。

 クラックの解消で、中島さんには申し訳ないことをした。原因はわかっていたが、簡単に解決できないかと考え付いたことは、ほかの樹脂を若干混ぜてクラックが入らないようにするということでした。LDPEとEVAを0.5%混ぜて作り、提出した。結果はどちらでもOK。さっそく、LDPEを混ぜた製品を量産した。これが大問題。接着力が劇的に小さくなってしまっていた。荷重を少しでもかけると接着部がビリビリとはがれてしまった。お化け屋敷の破れちょうちんのようになってしまい、大クレームになってしまった。LDPEを混ぜたことは明かさなかった。接着剤や量やその時間に問題があるのではないかとその場は責任逃れをしてしまった。悪いことをしてしまった。もちろん、MEK溶剤に強いオレフィンを混ぜては問題だった。すぐに勿論やめた。そしてまた考えた。 

 この時の経験は大いに反省材料になった。この後、色々なノウハウ(成型方法を変えたとき、何か混ぜ物をした時、原料グレードを換えたとき)を付け加えた時は、必ず、最終製品になり、使用テストの結果を確認することにした。以後、現在に至るまでお客様に迷惑をかけたことはない。

参考までに、この製品に関しては、失敗したが、溶剤で接着するという使い方をされなければ、後に、PCやPMMAなど歪でクラックが入る心配がある場合は、EVAかLDPEを外観に影響しない程度少量混ぜておくことは大変有効だった。

PS透明品も同じだが、急冷するとクラックが出やすい。とにかくクラックが発生しなくなるまで徐冷しなければならない。現象が証明していた。寒い時期にクラックが増えていたようだった。T社の時は冬場でも現場は密閉され、たくさんのヒーターを使っていたので、比較的暖かかった。F社はどうかというと富士山の山麓で内陸の山の中、冬はT社の現場より、平均10℃は低い、夜中はマイナスになった。5月~9月くらいの間はクラックの問題はなくなっていた。急冷による歪で、巻いたときの外側にクラックが発生しやすくなっていた。工場内の温度を常に20℃以上に保てばいいことはわかっているが、時間も資金も無い。そこでひらめいたことは、自分のほうに向けていた石油ストーブを巻き取っているボビンの下に置くことだった。巻取機からはずした直後、厚めのポリ袋で密封した。これが見事に成功。まったく、クラックの心配がなくなった。製品が煤で汚れてしまわないか心配したがそれもなかった。安全のために、7,8月以外は常に石油ストーブをたいていた。訪れたお客さんから、「何故だ、寒がりだな」とよく聞かれた。いちいち説明はしなかった。石油ストーブにまた救われた。

G 収率もほとんど100%近くになり、先方でも傘にする効率が格段と上昇した。これ以降安定供給が続き、ピーク時には5トンをこなした。ガラス繊維を混ぜ、スリガラスの風合いのチューブを提供し、それもよく売れた。ピークは3年ぐらい続いたが、値段が高いことと、デザインが飽きられたことから、次第に減ってきた。1985年ごろ、Nさんはこの仕事から撤退した。10数年のお付き合いでした。自分の会社は軌道に乗り、生産に追われる毎日で、あまり新しい技術を追求する余裕は無かったし、そういう要求も無かった。この仕事がなくなってしまったことにあまり関心は無かった。




  SPとバキュームボックスを組み合わせたこのときの技術は、今でも急冷できる原料で細くて薄く硬いチューブに最良の成形方法となっている。LLDPEチューブ、業務用ビデオカセットのテープガイドにPOMチューブが使われている。携帯電話のアンテナカバーはPC,POM,アロイなどが使われているが、いずれの樹脂も同じこの方法で作っている。

  F このときが、一番体を酷使した時代だった。24時間操業を二人だけでやっていたため、7時前に出勤し、20時過ぎにその日にできた製品、PCチューブとPEチューブを積んだトラックで会社を出る。沼津から厚木まで東名高速で行き、海老名の厚木プラスチックへ22時過ぎに着く、PCチューブを下ろし、22時半出発、三島郊外の自宅に1時過ぎに着く、翌朝、5時には自宅を出て御殿場のT電材に向かう、PEチューブを下ろし、6時に出発、会社へ7時前に入る。一年以上続いたが、これに近い状態はサラリーマン時代から入れれば15年以上になる。無理をしているとも、一所懸命やったとも思わない、楽しい趣味だから仕方がない。接する多くの人は、こういう姿全体を見ていないから、昼間、機械の側で居眠りをしているところだけを見ている人には、楽で儲かる仕事と、思うのは当然か?

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