Singapore Bulitung

ブリトゥン行きは三週間ほど前に決めてあったが、シンガポール行きは三日前に決まったこと、それも、手続きが順調に行ったらの話だった。行くと決定したのは18日の朝だった。無茶だが仕方が無い、決行でした。無茶苦茶疲れたが、その疲れをできることに喜びを感じる。
 三日間、いい天気に恵まれた。と言っても午後三時過ぎは毎日、スコールに見舞われたが、歩きまわるには影響なかった。真っ青な空と真っ白な雲、そして、最も期待通りだった海の色、サンゴの白浜は水の色を白み掛かった緑色にし、緑色から青に変わってゆき、濃紺になってゆく、沖に引き潮になると現れる白砂の島の付近もそんなグラデーションになっているので、海岸からの色の変化だけではない。ブリトゥン島全体というわけにはいかない、東海岸を除いた島の周囲に大石の野外美術館が並んでいるよう。西海岸は特に遠浅の沖にも芸術品が配置されている。それらの周囲を船で回り、時には上陸し、時には泳いだり、シュノーケリングを楽しんだりする。


 
7月19日  (^_-)-ビザの再修得 1646 まさかのシンガポールから戻って、今どこにいるかというとスカルノハッタ空港のターミナル1の駐車場にいる。今朝、3時に家を出て、空港に向かった、6時ちょっと前発のSQでシンガポールへ行ってきた。会社でもポジションが変わったので、ビザを取るのに、国外でなければならない、例によって、いつもの通り、シンガポールでビザを修得してきた。帰りは、向こう発、夜10時頃、ジャカルタ着は10時半を回っていた。第二の駐車場から第一の駐車場に移動したのが11時を回っていた。そして、なぜ、第一の駐車場かというと、朝5:30頃発のスリウイジャヤでブリトゥン島へ出発するからです。家の戻れば午前0時ごと着く、そして、また、3時頃に出発しなければならない。ほとんど寝る時間が無いので、駐車場一泊の予定で、旅の準備をして昨日は家から出ていた。

写真二枚4×6、背景は白、今まで赤だったのだが変わったようです。インドネシア内のイミグレはどうでしょうか、今は確認していない。一までの写真を使えないので、改めてスタジオへ行って撮ってきた。CDと写真二枚で1万5千Rp(150円)安い。

 

シンガポールではいつもの通り、10時ころから17時ころまで、時間をつぶさなければならない。約7時間である。フットマッサージが一時間半、食事は30分ほどだから、5時間、何をしようか迷う、カジノへ行く人はそれだけで時間をつぶせるが、私は、それをできない。かといって、観光をして同じ所へ行くばかりなので、したくない。ということで、ひたすら歩いて、マーライオンの対岸に行き、長いベンチで寝ていた。眠っていた。ここが一番、落ち着いていい。一年前は修理中で口から水を出していなかったが、今回はいつもの通り、勢いよく吐き出していた。

 

ところで、オーチャードのグランドパークというホテルまで空港から、33シンドルだったが、そのホテルから空港までは16.5シンドルだった。なぜだったでしょうか。逆なら、文句を言えるが。最初が高いくても、高いか安いか分からない。

 

 足裏マッサージも一時間35シンドルだったが、高いと思う。何軒か値段を聞いて回った後の値段で、一番高いところは65シンドルもした。ということで。フットマッサージを一時間したが、痛い、痛い、特に指先をつまんで引っ張るのが、痛い。何の効果があるのでしょうか、ほとんど拷問に近い、頼んでやっているし、時間も両方で10分くらいだから、我慢をすることができるが、頼みもしないのに、また、二十分も三十分もやられたら、絶対逃げ出す。逃げられない状態なら、何でも、止めてくれるなら、しゃべっちゃいそう。それほど、ぎくりと痛い。

 

ところでビザは問題なく取れてインドネシアへの入国も問題なかった。6時に受け取るという話を聞いて出かけて行ったが、実際には17時ちょっと前にホテルで受け取った。フライトが21時過ぎ、時間が空きすぎ、もっと早い時間にできなかったのだろうか、一寸不満。

 

私のチュチマタ(Cuti mata)に依ると、オーチャードを歩いている若い女性は、短パンをはいている人が目立つ、2~30%くらいなものかと思うが、印象としては半数以上と思うほど多い。だから、目が足の方に行ってしまう。皆さん、自信があるのでしょう、綺麗な足をしていると思う。しかし、が付く、足だけ、後姿だけなら、それでいいが、顔の方が、申し訳ないが、今一の人が多い。このことは、インドネシアの方が足は見せないが、顔は良いと思う、あくまでも、平均ですが。

 

チャンギのワイファイに繋がらない、何度もトライし、修正で直そうとしたがどうにもならずにあきわめて、搭乗ゲートに入ろうとした。X線の前で、まだ、早いから、入れない、一時間も早いと言われて、門前払いを食らわされた。しようが無いから、電源があるところに戻って、再挑戦してみた。すると、時間が現地時間になっていないから接続できないと説明が現れた。シンガポール時間に変更してなかったので、変更をした。するとどうでしょう。ウエルカムの表示が現れて繋がった。色々なるものですね。それで、十分一時間の時間を潰せた。

疲れ 暇つぶし チュチマタ

7月20日  (^_-)-岩の芸術島 1647 イミグレで長蛇の列、まいった。シンガポールから着いたのが23:00前、空港の建物から出たのが23:40を過ぎていた。窓口が開いていない場所もある。インドネシア人の為が3とキタスホルダー1が昔からあるカウンターにあるだけで、他は、途中の両側になっている。お金を払うカウンターは一か所しかなく、外国人用のイミグレカウンターが6あるが、先ほどは4しか開いていない。大混雑だった。キタスホルダーのカウンターはガラガラ、そっちでいいじゃないか、といっても、係員はこの行列の後ろにつけの一点張り、係員の手際の悪さ、わざと遅くしているのじゃないかと思いたくなる上に、こんなに混雑していても、開いていないカウンターを開こうともしない。

 

これでは、ガルーダの機内での入国可能は魅力があるはずだ。ただし、私の場合はキタスを入手するのでこの行列に加わらなくてもよい。また、日本からならガルーダしか使わないので短期入国でも問題ない。

 

車の宿泊場所に駐車し、ターミナルの小じんまりしたワルンでパンとポカリの食事をし、車の中で寝たのが、1:15で、目覚ましで起こされたのが、04:30、06;20発のスリウイジャヤでブリトゥンへ。着くなり、外のインフォメーションで、運転手付きのレンタカーを手に入れた。そのまま、ホテルにチェックインした。グランド ハキタ(GRAND HAKITA)一年前にオープンしたばかりで、まだ、十分綺麗で設備は整っている、日本人の団体さんでも、満足できそうだ。ブリトゥン初の4星(ビンタン ウンパッ)だそうだ、一泊7500円でちょっと高いが、バスタブに浸かれるのでここにした。

 

8;00にはホテルから出発、岩の観光に出かけた。以前行ったことがある場所が主体だが、今日のガイド(運転手)とぼけた顔をしていて、頼りなさそう、Pantai Tanjung Kelayangに最初に連れて行かれ、ここから、島めぐりをした方がいい、という。直ぐに、友人だと思うが、舟の所有者が来て、9時から15時くらいまで島めぐりをして50万Rpだという、交渉の結果45万Rpになった。この運転手、ほとんど運転しないで、料金(空港で1日55万Rpと決めてあった)をせしめるつもりか、要領がいいやつだなと思った。ところが、彼、とぼけた顔をして、一緒に船に乗ってきていた。説明を熱心にするし、いくつかの島へ上陸したときに、こっちへ来いと言って私を誘う、行ってみると、見事な岩の芸術やウミガメの保護を保護している施設だった、また、Tanjung Tinggiの後、時間が空いてしまったので、どこか、魅力的な場所に連れとつぶやいたら、往復約2時間半で南の端のTanjung Kirasまで連れて行ってくれた、ここは前回行っていなかったが、高さというより大きさで、他の海岸にはないものだった。

 Pantai Tanjung Tinggiはラスカル プランギの撮影で象徴される場所だ、以前なかった、ここが撮影の場所でしたという、真新しい看板が目立っていた。そこで、ガイドが岩を両腕で持ち上げて、というので、私は指で持ち上げて見せた。

 

Pelau Kepayangの上陸地点の島の反対側にある施設。ウミガメ(kura-kuraではなくpenyuといいます)生まれて三日ほどだそうです。この海岸に海残された卵を集めて、無事、孵るようにし、ある程度、育ったら海に離すのだそうだ。

 

1週間以内にはウェブサイトの旅行記や写真集をアップしますが、前回の案内を参考にしていただくと良いと思います。とにかく、一昨日、チカラン昨日はシンガポール、今日はブリトゥン、同じ人間とは信じられない。

 芸術 神の技 海岸

7月21日  (^_-)-お勧めミニ旅 1648 シンガポールは人工的な芸術都市、ブリトゥンは自然が作った芸術村。この対照的な場所は直ぐ近くにある。ジャカルタからシンガポールへ行く飛行機からパラシュートで降りる事が出来るなら、それでも行けそうな場所にある。

 

近年、ラスカル プランギの影響で、観光的に注目され、それなりの施設も急ピッチで整えられ、外国からの訪問者も受け入れられるようになってきている。私が乗ったスリウイジャヤにも日本人若者が数人のグループで載ってきていた。インドネシアに住んでいる人たちではなく、日本から来ているように見えた。ガイドに聞くと、日本人、韓国人、オーストラリア、カナダなどからの訪問者が増えているという。日本人が一番、やさしいと、言っていた。お世辞とは思えない。私のウェブサイトの影響も一寸あるかもしれない。

とにかく、ジャカルタから近い、一泊二日で充分、もっと滞在ならもっと満足できるでしょう。パンガンダランにはそう簡単に行けないが、プラウスリブへ行くより、ここの方が遥かに、癒しの世界に入ることができると思う。勿論、釣りやダイビングやシュノーケリングのスポットも沢山あり、プラウスリブへの目的ももっと満足できる環境だと思う。ところで、今日の行動だが、午後三時前には空港に着いていなければならないので、取りあえず東海岸へ行ってみて、見どころがあるかを確認しに行く、(前回は東海岸へは行かなかった)しかし、海岸はいくつかあるが、石や岩の幻術がない、三か所の広大な海岸があるが、見るべきものはなかった。海水浴をするのにはいい。10時頃にはラスカル プランギの作者、アンドレア ヒラタの子供のころ住んでいた家、今は、博物館(ムシウム)になっている、ところへ寄った。10カ国以上の言葉に翻訳してその国々で出版されていることを強調していた。残念ながら、日本語訳はないようだ。ヒラタというからには、親や祖父母などが日本人ではないのか、そこにいる人に聞いてみたが、知らないと言われてしまった。

誰が書いて渡したのか「広田」と筆で書いた小掛け軸が直ぐ目につくところに掲げられていた。これは間違いだよ、「平田」が正しいと、書いておいてきたが、多分無視されるでしょうね。確認するつもりもない。

 

Tanjung tinggiの隣の湾。時間が大分余ってしまったので、昨日行ったパンタイ タンジュン ティンギ辺りへもう一度行ってみることにした。昨日、何の撮影か知らないし、有名タレントでもなかったが、近づけなかった海岸へ行ってみた。ここも、海の色が何とも言えない、癒しの色をしている。

 

Tnajung tinngiに掲げられている新しいラスカル プランギの撮影場所だよと書いてある看板。

 

内陸部にある分校、撮影に使われて、その後 そのままの状態で放置されている。かなり、くたびれている。以前、行ったときに訪れた校舎は、実際には使われなかった予備校舎だったそうだ。

 

(^_-)-日本人を観察 1649 行きの飛行機に明らかに日本人の男女二人、四人組が乗っていた。彼らは、前の方の席で、最後に乗ってきた、それは当然として、降りる時は、ほとんどの人が降りてから、席を立ったようだった。10の席に座っていた私も早い方ではなかったがそれでも、残っていたのは三分の一程度だったと思う。

帰りの飛行機に私のほかに日本人が色々な形態で載っていた。それぞれ、違った事情の人たちです。一組は日本人男性とインドネシア人の奥さんと女の子の家族連れ、仲がよさそう、幸せそう。二組目は、日本からの恋人、べたべたひっついて、今、神聖なラマダン期間中などということは全く知らないのでしょう。ここは日本じゃないぞ、少しは離れているよ、いい加減にしろよ、と言いたくなるカップルだった。三組目は多分、大学生の友人同士三人組、真面目そう、待っている間、じっとしている、単行本を三人とも呼んでいる。イヤーホーン付けている。

見回せば、お互いに日本人だと直ぐに分かるはずだが、無関係の日本人同士、接触する様子は全くない、私は、ちょっと、話しかけてみたい気もあったが、あまり、意味が無いと思って、話しかけなかった。

日本人、だなと思うこと、インドネシア人の中に紛れ込まないというか、ペースが違う。私もそうだったが、搭乗のアナウンスがあっても、直ぐに立ち上がらない。何故、インドネシア人は直ぐに全員が立ち上がって搭乗口に群がるのでしょうか、どうせ、そこで、しばし、閊えるに決まっているのに、である。ほとんどのインドネシア人が居なくなってから、その列の後に着いた。降りる時も同じ、皆さんがほとんど降りた後に席を立った。日本人とインドネシア人だからそうなったのでしょうが、全員が日本人だったら、多分、群がって殺到することなく、皆さんの様子を見ながら、ゆっくり、列に付くだろうと思う、こういう様子を見ると、どんな形態の日本人でも、共通点は在るなともう。私の動きが一番早いので、飛行機から降りた後、皆さん、どこへどう散ったのか知らない。

 

何人かの日本人を見かけたが、多分一番年上が家族ずれの男性、40歳くらいか、平均は39歳にもなっていないと思う。私はすこぶるつきの年寄りである。旅行社がツアーを企画するほど、ポピュラーではないので、まだ、日本人は少ない、年寄りが纏まってでも、一人でも来る可能性はほとんどない。バリと大きく違うところで、バリより、魅力的な場所だと私は思う。魅力の質が違うと思う。バリへ行く日本人の若者とブリトゥンに来る若者とは質が違う。服装も違う。ヘアースタイルも違うと思う。

 

もう一つ、この島の産業を紹介しておく、鉛の露天掘りです。島の東西を通っている道の両側は白みがかった灰色の小高い山が不規則に続いている。低い場所に水がたまり、見事な黄緑色をしている。全てが鉛の露天掘りをした鉛をお世話になっております。掘り出した残りの土の山です。ガイドいわく、この島は今に傾いて沈んでしまう。TimahとはZinc Leadのことです。バンカ島の錫や亜鉛といい、ビンタン島辺りのボーキサイト(アルミニューム)などインドネシアは鉱物の埋蔵量が非常に多い。

自然 鉱物 展示場

main