パサールで写真を撮ったら、近くにいた子供連れの女性が怒ったように,なにか云っている。口の中をまっかにして、睨んでいるように感じたので、びっくりして、すぐ、遠ざかった。後で、ドライバーに話したら、もっと、もっとと云っていたらしかった。写真をもっと撮ってと言っていたのでした。
ここのベチャは多いひさしが長いのが特徴。その代わり雨の時の前面の覆いがない。
夜は照明が殆どないので、歩くのが怖い。ドライバーからも夜は危ないからであるかない方がいいと言われていたが、飲み物を欲しくなり外を歩いた。危ない目のは合わなかったが、やはり、暗い中から突然、人が見えだすとちょっと怖い。
06:30ホテルから出発。08:20テイクオフ09:40バリ着、15:30発まで時間がたっぷりあるので、土産物を買いにタクシーでキンタマニへ行く途中のジャランスカワティの土産物屋街へ行ってオランマルを仕入れた。一個というか、一体が5万Rpだった。もっと粘れば4万くらいになったと思う。四個買った。ゴルフ仲間への土産である。バリのドメスチックターミナルの前の様子が変化していた。
バリの空港でやっとフラッシュを使えるようになった。そして、待合室に唯一ある電源を使って、久ぶりにメールを眺めることができた。文明の社会に返り咲いてほっとした。
バティックはロウケツ染めだが、イカットはその意味通り、縛った場所以外が染まるようにする方法である。ここのイカットは天然植物性の染料を使うことが誇りで、手間暇がかかるということで高い。
西の端近くから、東の端に向かってもらうために、07:00にホテルを出た。6~7時間のドライブを予定していたが、昼食一時間をかけて、6時間で着いた。途中Waikabubakを通過したが、そのほかは、町らしい町はなく、景色も単調でほとんど眠っていた。目的地の東の端、PauやRendeの伝統村を見たが、いずれも期待はずれで、伝統家屋は少ない上に、トタン板で修復されていたり、トタン板で作ってあったりでした。行ってみて初めて分かることでしたが、伝統的家屋の集落で一番それらしく印象深かったのは、Waikabubakの町はずれの丘の上にある集落でした。何も、わざわざ遠くへ行く必要はない、一番近くに一番印象的な場所があったのでした。Hotel Ervinに宿泊、三日間とも熱いお湯が出ない。二日は冷たい水で我慢したが、このホテルではバケツ一杯の熱湯をもらって、たらいを借りて、行水をした。三日間落ちなかった垢が、いっぺんに落ちた。
インドネシア人は水で体を洗うが、石鹸を使ってごしごし、磨いても、垢が落ちていないことを知っていない。その証拠に、お湯で体を洗わせると、本人がびっくりするほど,ほろほろ垢が落ちる。体が臭く思うのはそのせいでしょう。男も女も体臭を大変気にする。他人が臭いから自分も臭いのではないかという疑心暗鬼である。お湯につかるという習慣がないから仕方がない。
今日、記念すべきは、Rendeで、ピナンを出された。歓迎の印である。ジャヤプラ、パプアでは緑色の実と石灰を一緒に噛んでいたが、季節が旬でないからここでは乾燥して輪切りにしたものだった。せっかくなので食べてみた。ほんの少しだけだったが、目が回って、パニック障害の時の症状に似てきたので、あわてて、口にのこっているものを吐き捨てた。それでも、一時間程にわたってもうろうとしていた。酔っ払いのような症状になるがここの人は子供の時から食べているので、程よい気分になるらしい。もうこりごりである。
Ikat Sop Babi 質素な昼食 焼き魚 Sri kaya
07:30 ホテルから出て、スンバ島の西側のWaikabubakの方向に向かうが、途中観光地というか見どころに寄りながら行く。街を通り過ぎてなお、西へ向かい海に面したホテル(コテジ風)Rezort Newaに泊まった。全く、携帯電話の電波が届いていない。このホテルの部屋にはテレビもない。何の情報も得られない、外部との接触が閉ざさされた世界に入ってしまった。停電も繰り返す。一日タクシーを使い回して75万Rp約6千円である。