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Belitung ブリトゥン

26日が、春節、チャイニーズ ニューイヤーでハリラヤ(ナショナルホリデー)です。今日から三連休です。この不景気、この三連休に仕事をする会社は皆無です。

今どこに来ているかと云いますと南北に長いスマトラ島の南西にある小さな島ブリトゥン(Belitung)に、来ています。何がこの島にあるかと云いますと、奇岩奇石が海岸のあちこちにあるということでインドネシアでは有名な島で、テレビドラマのロケ地としてよく登場する。

今朝、03:00起きで家を出発、06:20スリウイジャヤ航空でジャカルタを出発した。この航空会社のみ、一日一往復あるだけです。他に選ぶことはできません。チャイニーズの帰省客がほとんどでした。Tanjung pandan

いつもの通り、まず、ホテルを探し、”Hotel Lor In, Belitung Barat”夕食、朝食、マッラージ込みで、一部屋60万ルピアでした。にチェックインした。というより、ここしかない。

Tanjung kelayang  Pantai Tanjung Tinggiで写真を撮った。灯台がある島pulau Lengkuas (Mercu Suar)には、漁船をチャーターして、タンジュンクラヤンから往復した。約2時間で40万ルピアでした。タクシーは朝8時ころからあちこち回ってもらい、案内してもらい、15:00ホテルに到着まで、ガソリン込みで、50万ルピアでした。

 帰りの漁船からの海の白緑色、サンゴの砂の白、濃い緑の島々、白い雲、紺碧の空、これらのトントラストが大変素晴らしかった。写真の一画面にはおさめきれない雄大な風景だった。バリなどには見られない澄み切った海と空があるからだと思う。

 この島の成り立ちは珊瑚です。島の内陸のいたるところに石灰を掘り出した後の窪みがある。横から見ると白い小高い山が連続して無数にある。その内側がくぼんでいて水がたまって池になっている。その砂の色によって水の色がさまざまある。空から見ると、五色沼というかもっと色色の池が点在して見える。
 今は、採掘を禁止されているので、そこまで車で行ける道も消えてしまっていた。

 島をめぐりながら感じたことは、景色がユニークでそれほど人が大勢いるわけではないので、南の島のモデル撮影には最適ではないか。近代的なものは目に入らないので邪魔な建造物はない。日本から来るにはジャカルタに一泊翌日早朝出発、二泊三日で島は十分堪能できる。写真撮影だけなら、日帰りでもOK、サンセットサンライズを撮影したいなら島で一泊だけでいい。昼過ぎのフライトでジャカルタに戻り、その日の夜のフライトで日本に戻る。出発から五日目の朝、成田に着く。バリばかり行っていないで、こんな場所も楽しむことを勧めます。旅行社の回しものではないので、純粋な印象でした。

二日目、今日が最大のハイライト、と、云っても、ゆったりと、潮の引くのを海岸で待った。刻一刻と変化する海岸の風景は時間を忘れて、半分、居眠りをしながら、満喫した。

どこか、他の旅行記に書いたこともあると思うが、このまま、永久に眠ってしまってもいいような、すいこまれるようなうとうと状態だった。インドネシア語にtermenung(物思いにふける、他人から見ると大丈夫かなと心配される状態)というのがあります。そのまま、トゥルムヌングでした。

泊まったホテル(HOTEL PONDOK IMPIAH)の前の海岸の潮が引くと見渡す限りの干潟になる。どのくらいの広さか広すぎて分からない。多くの近くの人があらわれて、潮干狩りがはじまる。日本のように入場料を取って、前の日の夕方に撒くのと違い、純粋に自然のままである。私も、皆さんと一緒に掘って、近くにいる家族つれの手伝いをした。何十年ぶりかの潮干狩りである。こしが痛くなったが、二時間ほど付き合った。あいにく、サンセットの状態は満足できなかったが、砂に隠れて息をしているかぶとがにのおまけつきで、小さな男の子にあげたら大喜びではしゃぎまわっていた。

朝、二時間ほどかけて東海岸へいってみた。期待に反し、景色の奇麗なところはなかった。それでも、岩がごろごろしている海岸は多かった。海の色も西海岸ほどではなかったので、其処に泊まるのは止めにして、西海岸のこの島の首都のTanjungpandanタンジュンパンダンで泊まることにしたのが正解だった。



三日目 春節イムラック 町の中心地へオジェック(バイクタクシー)で行ってみた。バロンサイに出会うことを期待しながら8:00ごろパサールに着いた。其のわきに中国寺があり、そこで始まるのかと聞いたら多分という。時間も分からない。しばらく、パサールを散策し、出ようとしたときに獅子を持った若者連中がトラックでやってきたのに出会った。08:30ごろでした。それは先ほど見た寺の境内に入っていった。私も付いていったが、竜がまだ来ていない。来なければ始まらないのは知っていたので、そのあいだに寺で中国流のお参りをした全く分からないので、そこにいる長老ふうの人に教えてくださいと頼んだら、喜んで教えてやるといってくれた。まず、ローソクと線香の大小と何やら書いてある黄色い紙十枚以上のセットを買った。いくらでも心づくしというので二万ルピア渡した。丁度いい金額だったらしい。初めに何箇所かある神様の内外の向かい側にある祠をお参りした。ローソクを二本ずつ合計五か所で十本立てる。それが悪と、今度は線香を7か所に刺すがその前で、前に掲げておき乗りをする。お王の皆さんなひざまずいてお祈るりしていたのでそれに従った。バロンサイ若者も一緒にお祈りをしていた。それが終わって、最後に外の祠の前で黄色い紙の火を着けて燃やす。それで、終わりかと思ったら、戻って寺の前の両脇に最後にお祈りをして終わりでした。順番が分からないし、何本ずつ備えたらいいのか変わらないし、何やら、お酒のような油のような水のようなものをささげている人もいるし、まよったまま、あっと終わってしまったが、かなり、歩いたり座ったり立ったりして疲れてしまった。



町の人々が握手を誰彼ともなくしている。私も、多くの人に握手を求められた。

間もなく、竜のトラックが到着し、09:30に彼らの催しバロンサイ(獅と竜の舞)が始まった。15分くらいでした。外の町へ繰り出して行った。楽しい経験を始めてさせてもらった。