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Bali 2018 4
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4月22日  (^_-)-☆またまた、バリ 3383 朝からゴルフ、14時に終わり、16時に会社からタクシーで出発、フライトは21時だが、例によって、日曜日の夜でも渋滞が心配で早めに出た。タクシーの運転手に任せたところ、ブカシバラットを過ぎたところから北のプルがドン方面に向かう高速道路に入った。たらしく開通したタンジュンアプリオク港に向かう道だ。三車線で広いうえに、まだ、交通量も多くない、スイスイお進み、チャワンからの今まで使っていた道と合流し、アンチョールへ向かった。これは速い、今後は、この道を使うことになりそうだ。空港へ着くまでに、自動車道料金は5回払った。合計、35000Rpだが、それを含めて、45万Rp以下なので、安いと思う。

 

予定より、一時間遅れて、デンパサールに到着、ホテルに入ったのは1時だった。空港からクタのホテルまで25万Rp,高いが深夜だし、OKするしかなかったが、どうだろうか、今日の朝から、タクシーを一日中、チャーターしようと、その運転手に値段を聞いた。一日、最大12時間で、ガソリン代込みで、60万Rpだという。これは、安い。早速、明日、朝、ホテルに来てもらうことにした。友人のホテルは近いから、6時半には、寄ることにした。バリにはメータータクシーは無いといわれた。

 

何回目のバリだろうか、またまた、バリ。

バリ 深夜 新有料道路 

4月23日  (^_-)-☆お決まり 3384 まず、友人がホテルにタクシーで訪ねて来てくれた。9時過ぎだった。バロンダンスを見る。10万Rp,それたから、タナロットヘ、15時前にクタ海岸、その辺りを徘徊、お決まりの観光コースに付き合った。全て、行っているし、見てもいるので、その場所自体には興味がないし、ぜひ、又行ってみたいという場所でもなかったが、行ってみると、なんとなく、雰囲気が変わっているのに気が付いた。

 訪れている人たちの人種が割合が変わってきたいる。人種の目だち方が変わってきた。今、一番目立つのは、日本と同じ、中国人、人数も多くなっているが、喋りと動き方が目立っていた。良く、大声でしゃべる。集団で歩きながらは、勿論だが。食事をしているときでも、バロンを鑑賞しているときでも、賑やかで、周りを気にしていない。中国語の表示が増えているし、看板も増えていた。

 

人数が一番増えているのは。インドネシア人だ明らかに地元の人ではなく、他の島から来た人たちだ、そして、イスラムに人たちだ。店やレストランや物売りが彼らと話しているのを聞くと、ジャカルタからだという人が多いが、ジャワ島からが多い。そして、若者が多い。女性のジルバブ非常に多くなっていると思う。インドネシア人観光客が一番多いが、目立っているには中国人。

 オーストラリア人など欧米系は、相変わらずだが、彼らの行動で目立つのは、レンタルバイクで行動していることだ。彼らの中で流行りのようだ。

 日本人はどうか、というか、日本の存在はというと、とに角、日系の関係商品、店、カタカナ表示も多い。しかし、日本人の数が減っている感じだ。タナロットでは、日本語で話をしている人に全く会わなかった。

 日本が連休前で、海外観光に出かける人が少ない時期なのかもしれないが、それにしても、日本語が全然聞こえてこない。老人が増えている日本人、バリは老人向きではないのかもそれない。

ジャカルタやリッポチカランにもあるパパヤがあった。覗いてみた。日本人の客は三分の一程度、ここでも、日本語が目立たなかった。クタビーチ、ここでも日本人を見かけなかった。

 彼らは、初めてだから、すべてに興味深かったと思うが、歳だから、動きが鈍い、わたしが、案内しようのも、付いてこない。先に行って待ったいる場合が多い。なかなか来ないから、戻って、探すことも多かった。疲れた。

中国人 お決まり 疲れた

 4月24日  (^_-)-☆南方面巡り 3385 何故か、希望によって、南方面の海岸巡りの一日だった。海の上の高速道に乗って、ヌサドゥアNusaduaへ、ここでは以前、パラセーリングをした場所だ。10年前には、それと、バナナボートと水上バイクくらいしかなったが、今は、10種類以上ある。潜水服を着て、海底歩きが、お勧めのようだったが、値段が高いといって、誰も何もしなかった。

 パンダワ海岸Pantai Pandawa、新興海水浴場、岩山を切り開いて、路を作り、海岸に至るようにしている、そして、大規模なホテルやアパートを建設中、近い将来、ヌサドゥアに匹敵するような観光地になるかもしれない。

 ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナGaruda Wisnu Kencana Cultural Park、山の中に、やはり、岩山の切り開いて、新興ヒンドゥー名所を建設途上だが、既に、ヒンドゥーの神々の大きな像が完成している。建設中のものも、まだまだあるらしい。

 ニュークタゴルフと同じ場所のドゥリームランドDreamland Beach、私はここで、ゴルフをしたことは、有ったが、海岸に大きなホテルがって、その前が海水浴場?になっている。そして、何故でしょうか、欧米人が多い、80%以上だ。インドネシアの他の海岸、クタやブサドゥではほとんどいない、水着の人が多い。日光浴をしている人が多い。

 最南端に近いウルワトゥヒンズー教寺院Pura Luhur Uluwatuまで、ここで、ケチャックを見ながらサンセットも見るという予定ったが、ケチャックは、ソールアウト、残念、サンセットだけの鑑賞になってしまった、それでも、満足できた。

 この花は何?

 夕食をとジンバランjimbaranへ直行した。なにこれ、シーフードレストランへの入りかたが、変、前に止めるのではなく、クルマが一台が入り込む。下ろされて、海岸方面、奥に案内される。テーブルについて、飲み物を注文した後、先ほど車が入った場所にある海産物置き場い戻らされて、選んで量をいって、料理法もいう。要は、そこで注文をする。その形式も気に入らなかったが、値段票を見てびっくり、高!!!パンガンダランの三倍以上だ。異常だ。キャンセルして飛ぶ出してしまった。食べるのを後にすることにした。

  空港の近くのクリスナ土産物屋Krisna Oleh Oleh Khas Bali、私は何も買わないが、みやげものを買ってもらうことにした。そして、その隣のホテルHotel Puri Nusantaraに入り、荷物を置いてすぐ、向かい側のレストランMen Tempeh, Ayam Betutu Asli Gilimanukでやっよ夕食、ここのメニューになぜか、寿司の何点かがあって、試しにサーモンとツナの海苔巻きを注文してみた。そして、止めておけばよかったと思った。

 インド人が大いのに気が付いた。場所によって。中国人より多い。

 観光 買い物 食事

 4月25日  (^_-)-☆旅での印象 3386 10時過ぎ、残る友と空港で分かれる。また、いつかといったが、高齢者同士、会わないかもしれない。ジャカルタへは14時前に着いたが、平日、マチェット(タクシー運ちゃんに言わせると、これは、アントレらしい)で家に着いたのは18時を過ぎていた。

 日本人の日本語はほとんど聞こえなかった。聞こえてくるのは、インドネシア語と意味不明に言葉ばかりだった。特に、ウルワトゥの人出は、凄まじかった。猿が、多く、観光客は、カメラや眼鏡、HPなど、持ち歩かないように中止される。しかし、今回、サルが殆どいなかった。人が多すぎて、サルの方が恐れたのかもしれない。そして、ざっと見ると、明らかにインド人が多い。観光バスにもインド語だと思うが、それらしき文字が多い。

 ホテルHotel Puri Nusantaraの朝食、非常に貧弱で美味しくもない。7時からで、8時にレストランへ行った。ごはんはあったが、二種類しかないオカズの一つがなくなっていた。もう一つは、テンペイとタフの角切りを味付けして煮たもの、これは、見るからに辛そうで、手を出せない。今、作っているという。仕方がないから、トーストにバターを塗って、紅茶で食べていたが、10分過ぎても、オカズは出てこなかった。他の人は、その辛そうなものだけでご飯を食べていた。評価ゼロのサラパン パギでした。エクストラベッドやカマールマンディなどの不満を含めて、格安ホテルだから、こんなものか。

 このホテルの直ぐ側に昔からある、彫刻像、真っ白で良く目だつ、クタの方とは反対、空港の北端の外の道にある。Satria Gatotkaca Park Taman Satria Gatotkaca 交通量が多い、ロータリーの西側。何回か、ここの周りを様々な友人と写真を歩きながら撮った記憶は蘇る。

 空港の南に見える塔のようなもの、像自身も高いが、丘にあるので、かなり遠くから、見える。完成すれば、もっと高くなるから。もっと。目だつようになる。Garuda Wisnu Kencana という名前の像だとか。この周囲の地域は、まだ、未完成でしょう。岩山を切り開いて作る彫刻公園は、ヒンドゥーの最大寺院になるのかもしれない。

ジャカルタに戻って、空港で二つ、一つは、自動販売機、この自販機だけかもしれないが、おつりが出ないということと、コインは使えないと書いてあった。もう一つ、ブルーバードタクシー乗り場があったので、行ってみたら、係の人が、順番待ちのカードを出して、呼び出し迄まって、という。タクシー待ちらしい人が、写真の大勢いる。妙な事に、見ていると、タクシーはブルーバード以外にも来て止まり、その辺りにいた人たちが乗ってゆく、かと思うと、複数の何種類かのタクシーが来ても、乗る人がいなくて、タクシー入ってしまう。なお変なのは、呼び出しをしていない。10分ほどして、たまりかねて、係に番号を示して聞いてもた。そしたら、これにすぐ乗りなさいと言われた。え、良いの?大勢待っているし、順番が来たと思えなにの?ま、いいか、乗ってしまった。インドネシア、わかりませ~~~ん。早く乗れたはいいが、タクシーの中で、膀胱が一杯にならないように祈っていた。結果、大丈夫だった。

 しばらく友と過ごた、貴重な時間だった。インドネシアでの旅はもうすぐ終わりにする?ここへは今回が最後と思いながら、行く。

印象 記憶 再会