2016年 3月25日 (^_-)-☆申請ビザ 2626
今回、初めて、日本で、ビザを取ることにしている。9に相当する「VSB」がやっと届けられたが、まだ、書類が足りない、問い合わせたら、こんなリストが送られてきた。自分で、ネットで調べれば出てくることは出てくる。
6と7に相当する。インビテーション レター、招請状ですね。勤める予定の会社からのものです。ワーキングビザを取るときに必要な書類の一つです。会社に頼んであるが、まだ、それを受け取っていない。
1 Passport (original)
Visa
during the remaining period of validity is visa field blank page that
continuously for more than 18 months is three or more pages
2 Copy of passport Data surface (A4)
3Application form The distribution at the window at the time of application application form sample
4 English curriculum vitae The
distribution at the window at the time of application resume sample
5 ID photo Color 3x4cm (taken within
3 months) one
6 English letter of recommendation (not copy) And fill in the details of
the letter travel purposes from affiliation (company-size-company seal, job
title by pressing the mark. Use the paper with a letterhead)
7 Invitation (copy not accepted) Letter from the local guarantor (Indonesian /
English) * In the case of the company and that the destination is in the
Japanese company. Applicant's name, purpose of entry, that the stay has been
described. Issuance date, the issuer name, has indicated job title company mark
(rubber stamp) which is are pressed. Use the paper with a letterhead.
8 Round-trip ticket copy (E ticket Allowed) Yes
in one way if the return path open Allowed 12 months or more of the permission
has come out that the ticket number is entered
9 Visa issuance authorization Permission from Jakarta Immigration Bureau (copy
available)
10 Stay possible dates 1
month to 24 months (extendable at the local immigration office)
11 Visa fee \
5,650 (within six months) \ 10,750 (within 12 months) \ 18,410 (within 24 months)
12 Acquisition dates Two days later of the application date (Saturday, Sunday and holidays the two countries is not included)
13 Visa validity period The
entry within 90 days
9を、届けられてから、その有効期限が90日ということですね。
東京へ二往復しなければならないようだし、面倒くさいことになりそうだ。シンガポールで取った方がよかったかないと思う。
4月2日 (^_-)-☆祭り 2634 インドネシアの会社から招請状invitation letterがやっと、届いた。エージェントからVBSは、10日ほど前に届いているのに、これで、必要書類は全部大使館に届けられていると判断し、大使館へ行って申請できるか聞いたら、インビテーション レターが必要だという。会社の担当者もエージェントもそのことを確認していない。こんなのものです。すぐに頼んだが、なかなか来ない、それが、何とか届いた。来週中には、大使館へ行ってこようと思う。この調子だから、大使館へ行って、問題なく申請ができるか不安は拭えない。
VISA申請で、必要らしいので、ジャカルタまでeチケットを手配した。
4月4日 (^_-)-☆申請準備完了 2636 朝から、かなりの大雨、水溜りの庭。ゴルフは中止。よかった。そこで、ビザ申請に必要な書類の準備ができた。
申請をするには、予約が必要だといわれていたので、まず、東京のインドネシア大使館に電話した。そんな必要はないといわれ、9:30から11:30の間なら、いつでも対応しますといわれた。ということで、早速、明日行ってみることと決めて、まだ、用意してない、書類の準備にかかった。
太田化工へ行って、パスポートのコピーをしてきた。それから、ネットで、申請書と履歴書のフォームと記入見本を取り出し、記入をしてみた。インドネシア語、英語、どちらでもいいようで、記入はそれほど難しくないし、履歴書は日本の一般履歴書と全然違っていて、学歴や職歴や賞罰を細かく書く人必要がない、案外、簡単なもの、履歴というより、予定だ。これらは、窓口でブランクの用紙をもらって、書くことにするので、その練習だった。
これで、準備が整った。インビテーション レターや写真40×30やVSB(Indonesia imigrasiからの承認、Visa Berdiam Sementara=暫定滞在ビザ )のコピーとフライトのe−チケットのコピーなど、必要書類が整った。一応、インドネシアの住処住居の契約書や大使館への地図も用意した。
卒業証明書はいらないのかなとか、経験証明などは、どうなのかなと思うが必要ないらしい。もっとも、私の個人的記録は、インドネシアのイミグレーションにプールしてあるはずだ。パスポートを見るだけでも、私の経験は明らかになるはずだ。
これで、明日、行けるようになったので、善は急げ、で、行ってみようと思う。
準備 申請 書類
10分ほど待って、自分の番号になった。カウンターは二か所に日本語ができるインドネシア人がいる。その内の一人と、話し始めた。インドネシア語で、ワーキングビザの申請に来たといいながら、準備したドキュメントを全部見せた。それらに目を通して、パスポートを見せてほしいというので、すぐに渡した。シンガポールで今まで、取っているのに、なぜ、今回、日本で?という。もう、インドネシアでの仕事を止めて、日本に戻るつもりで、帰国していたが、どうしても、と、呼ばれて、仕方なく、また、引き受けることにしたので、片道チケットだけで済むように日本でビザを取ることにしたと話したら、20年ですか、大変ですね、と、言われてしまった。書類に問題はないようで、例の申請書と履歴書のフォームを持ってきて、これに記入して、書いたら、ここに戻ってくださいといわれた。5分ほどで書き、写真を裏側に貼って、カウンターに戻った。
ちらっと簡単なチェックをして、奥の方にそれらの書類を持って行き、戻ってきて、呼ばれるまでちょっと待ってくださいという。今度は、5分くらい待った。別の担当者が、私を呼んだ。請求書を見せながら、アチラのベンダーでこの金額を払って、領収書を持ってまた来てくださいという。10750円21番と書いてあった。自動販売機で何か買うのと同じだ。10750円券を買うようなもの、これも、簡単。すぐに、カウンターに戻ると。パスポートを受け取れる日と時間が書かれた水色のカードを渡された。7日の15;00〜17:30と書かれていた。全てが完了。何の問題もなし、順調でした。ホッ!
五反田駅周辺を少し散策して、帰途に就いた。こだまで帰ったが、家に戻ったのは14:00前だった。東京の街を少し歩いたのも、やはり、数十年ぶりかもしれないが、だからと言って、あちこち歩き回る気もしないので、用を済ませて、さっさと帰ってきた。
1996年の時には、エージェントにパスポートを渡しただけで、一年のビザが、なんとなく、貼られていた。卒業証明書も渡したような気がする。そして、その後は、継続の時はジャカルタやカラワンやブカシバラットのイミグレーションに行くだけだった。何の書類も請求されなかったし、私の方から頼むこともなかった。会社が変わった時も、短期ビザで入って、その一か月が過ぎる前にシンガポールのエージェントに会って、パスポートと写真を渡せば、夕方には、受け取っていた。そして、それから20年後2016年になって、初めて、私自身が手続きの準備をするために、書類のお願いをし、自分でも用意し、申請をしてみた次第。出来た!!
申請 完了 順調
4月6日 (^_-)-☆ビザVISA 2638 また、何もない日 そろそろ、インドネシアへ持ってゆくものの準備に掛かろうかと思う。
ワーキングビザの収得や必要届けなどについて2009年に書いたものです。しかし、既に変化しているものが多いので、そのことについて、書いてみる。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
シンガポールなど、インドネイアから郊外に出て、その地のインドネシア大使館でビザを取る場合、「結局、考えてみても、みなくても、本人が大使館へ行く必要なく代理が行けばいいのだから、書類とパスポートと送り、また、VISAがとれたパスポートを送り返してもらえばいい。100US$くらい高くてもそのほうが簡単である。ただし、万が一の紛失の心配をしたらできない。」
この文章は間違いでした。パスポートにその国へ来ているという証明が必要だから、本人が行って、エージェントに渡さなければならない。
ブクビルは、今はない、と、思う。
「マルチプルリエントリーパーミット( KITASの延長と同時に更新、これがないと自由に出入国できない)のスタンプを受け取った。他は一年だがこれだけは半年更新である。」
これは、今は、マルチプルリエントリーパーミットも一年有効でとれる。
「今年2009年から、FISKAR(インドネシア人の出国税)が、1ジュタから3ジュタに上がった。」
これは、今は,ない。
「観光ビザ(短期間ビザ)30日から60日まで手続きをすれば延長できるようになった。また、2010 8月から、ステーッカーを張る儀式が省略されている。また、ガルーダに限って、機内でその手続きは済まされる。」
これは、既に、無い。一か月以内は、ノービザで入国できる。
最後に赤で書いてある文章は、日本で手続きは済ませましょう、です。今でも、同じです。しかし、私が書いておいて、今まで、これをしたことがなくて、今回、2016・4・5初めてやってみた。
ビザ 修正 ノービザ
「Letter of Appointment」 「Invitation letter」 「VSB」(Indonesia imigrasiからの承認、Visa Berdiam
Sementara=暫定滞在ビザ ) 「Round-trip ticket copy (E
ticket Allowed)」 「English curriculum vitae」 「Application form」 「photo」 「Passport (original)」 「Copy of passport」
4月8日 (^_-)-☆ビザ受け取り 2640 昼過ぎに家から出て、パスポートを受け取りに、東京のインドネシア大使館へ行ってきた。15:00前に着き、しばらく待って、パスポートを受け取った。家に戻ったのは、17:30でした。これで、インドネシアに戻ったら、エージェントにパスポートを渡せば、多分、その後、一週間以内に、ブカシのイミグレに行って、写真、指紋、サイン。その二日後には、KITASとマルチリエントリーパーミットの印が押されたパスポートが戻ってくる。
私は、インドネシアに短期ビザで入って、一か月以内にシンガポールへ行ってビザを取ってくるという方法にしている。手続きは簡単だし、安心だと思っている。方法は、仕事をする会社からエージェントに依頼し、すべての書類を整えて、エージェントがシンガポールのインドネシア大使館にVSBを送ってもらう。本人は、それまで何もする必要がない。写真を一枚(40×30)背景無地白(なぜか背景色指定が変わるときがある)とパスポート(当たり前)を持ってシンガポールへ行けばいい。朝、待ち合わせに場所でシンガポールのエージェントにそれらを渡して、何か所かにサインをすれば、あとは、エージェントがする。夕方5時ころになると思うが、指定された場所に戻れば、ビザが貼られたパスポートを受け取る。何度も行っていると、時間つぶしが厄介だ。私がどう過ごしたかは、ウェブサイトに紹介してある。
しかし、リスクがある。私には、それらのことはなかったが、聞いた話では。
1 一か月、ぎりぎりでシンガポールへ行こうとした人が、イミグレで、仕事をしていただろう、と言われ、1万円払えと言われて払った。
2 シンガポールで、カジノへ行って時間つぶしをしようとして、10万円程、マイナスだった。
3 インドネシア人スタッフの無知や仕事が遅いことによって、一か月以内に、テレックスをシンガポールに送れずに、結局、国外に出て、一週間後に、インドネシアに戻ったら、出国のエアーチケットを持っていないことで、入国拒否をされたて、チケット代だといわれ、二万円程取られ、入国した。最初、インドネシアに入った時の持っていた出国チケットを使って出て、再入国時には、往復チケットを買わなければならなかった。しかし、この人は、出国だけのチケットを無効にして、キタスホルダーのように、インドネシアからの往復チケットで行動をしてしまった。
4 シンガポールのエージェント(代理人)を使わずに、会社のインドネシア人スタッフやエージェントから、持っていけばいいといわれて、持って、大使館にいったところ、書類が足りないといわれて、手続きができず、インドネシアに戻れず、結局、シンガポールのエージェントを紹介され手続きをしたが、2泊し、エアーチケットもキャンセルと再購入をしたという。
これら全てが、会社のインドネシア人総務スタッフと会社が依頼しているエージェントの責任だと思うが、それを言っても仕方がない、インドネシアだから。
注意 リスク 不備
4月9日 (^_-)-☆選択ビザ場所 2641
何故、今回、日本でビザを取ることにしたかというと、未確定事項が、多くて、インドネシアに戻るタイミングを掴むことが難しいと思い、日本で、待つことにした。そして、日本で待ちなら、シンガポールに行かないで、日本で取ってしまおう思った。
金額のことを考えた。ビザがなくなって、インドネシアから出るときに、はっきり、いつ、シンガポールに行くか分かっていれば、日本への往復航空券とシンガポールへの往復券を買えばいい、そして、当然、いつから、仕事ができるかも分かっているのだから、ベストだ。1300US$くらいだ。バカにならないのが、日本での交通費、この場合は、静岡東京二往復なので、200US$近くになる。
何もかもはっきりしていない場合、シンガポールで取るなら、日本へは片道チケットで帰って、インドネシアに戻るときに、日本からの往復チケットが必要、そして、シンガポール往復、それに、交通費を合わせると、2500US$(28万円)くらいになってしまう。なおかつ、インドネシアに戻って、一か月以内にシンガポールへ行けなければ、また、いったん、国外に出なければない。その場合は、エアーアジアを使ってでも200US$くらいは余分になる。イミグレでのリスクも高くなる。
そして、日本で、いつとれるかはっきりしていれば、日本への往復チケット(日本のインドネシア大使館にビザの申請するときに入国チケットだけを示せばいいし、ビザが取れていれば、インドネシア入国の時に、インドネシアから出るチケットはいらない)だけで、いい。これなら、航空券1000US$静岡東京三往復300US$になる。これが、ベストの金額だ。15万円くらい。
しかし、今回の私のような方法は、手続きや書類の不備で、なかなか、日本で取れない心配があって、とりあえず、片道チケットで帰国した。これが、800US$,そして、インドネシアには片道チケットを買えばよかったが、ネットで格安をチェックしたところ、往復でも500US$というのが見つかったので、それにした。静岡東京三往復300US$を足して、1600US$ということになった。今のレートで約18万円、22ジュタRpだった。今回はラッキーだった。
どうでしょうか、自分と会社の担当者と代理人、合計の能力次第ですね。初めての何かも他人任せの場合は、やはり、金額は会社負担だろうから、日本で、しっかり取ってくることです。
どこで 動き 桜絨毯
4月10日 (^_-)-☆VISA知識 2642 日本で取ったので、インドネシアに戻って、次の何種類かは、エージェント(サクラ)に行って、パスポートを渡せば、申請をしてくれて、イミグレ(私の場合はブカシ)写真撮影、サイン、指紋をして来れば、その三日後くらいに、ほとんど、全て、終わる。
日本からインドネシアに戻るチケットは、ビザ申請の時に必須だが、その出発日をいつにするかが問題で、その日を決めるのは、インドネシからVSBが大使館にテレックスで届けられ、私の方にe-mailで入ってくることが大前提になる。
しかし、今回の場合は、招請状について、全く、エージェントも会社の担当者も、必要という認識がなくて、私から、エージェントに、聞いたところ、VSBのコピーとパスポートとそのコピー、エアーチケット(e-tiket)と写真を持ってゆけばいいと言われた。ちょっと変。「それだけでいいの?招請状や履歴書はVSBと一緒に大使館に送ってあるのか」と聞いた。 「送ってない、会社から、太田さんは受け取っていないのですか」と言われた。会社の担当者、「そんなことをエージェントから、聞いていなかった」と言う始末。それから、エージェントから会社にフォームが送られ、コピーではなく、オリジナルを郵送してもらわなければないので、また、確定できない何日か日数がかかることになってしまった。
これでは、いつ、インビテーションレターが届くのか分からないので、インドネシアに戻る日を決められない、エアーチケットの手配もできない。それから、私が持ってゆく書類の種類やまだ、足りない書類の入手方法や大使館で渡されるフォームへの記入方法を確認した。インビテーションレターを発送したという、メールを、5日待ったが、どうなっているのか、連絡がない、私の方から、催促のメールを入れた。返事は、書類のコピーと共に、昨日、送る手続きをしたということだった。こちらから、聞かなければ、知らせないのかよ、という、気分。
発送日を確認したが、まだ、信用できない。何日かかるのか、その書類が、正しいのか分からない。だが、チケットは手配しなければならない。10日の出発という目標を変更し、それから10日後にした。10日の余裕があれば、間に合うだろう、と、思ったからだ。もし、まだ、問題が有って、申請できなければ、もう、その日にビザなしでインドネシアに戻ればいいと思った。そういう意味もあって、格安だったし、往復チケットにした。
2種類の書類が、送ったという日から4日後に、届いた。これで、ビザを申請できて、予定日に余裕をもってインドネシアに戻ることができるようになったと思った。ここまで、漕ぎつけるのに、会社の定款を変えてから、3か月近くかかった。無知とチェック不足と連絡不足が、エージェントと会社の担当者の能力不足で、余計な時間がかかってしまった。私が催促や確認を促さなければ、いつまでも、出来なかったかもしれない。インドネシアです。
東京へは申請と受け取りで2往復した。交通費はシンガポール日帰りと変わらなかったが、順調にビザ312を取ることができた。もう、増刷ページの方だ。
チェック 確認 疑い
4月26日 (^_-)-☆イミグレ 2658 また、無免許運転でブカシ バラットのサッカースタジアムの裏側にあるイミグレに行ってきた。ここも、多分、5回目になる。ちょっと分かりにくく、入り難い道の奥の方にある。運転手が連れて行ってくれる一般の日本人には、どうでもいいことでしょうが、私にとっては、行くには、狭いので、ちょっと、面倒だ。また、駐車場が狭く、今日は、入り口の前の路肩に駐車した。私の車だけではないし、係員がしっかり料金を4000Rp前払いで徴収していた。サインと写真と指紋、5分もかからない。
ところで、昨日の夕方、スンチンさんから、電話があって、“太田さん、カオスはダメですよ、スパトゥなら何でもいいよ”と、わざわざ、言ってきた。今更、妙な事を言いうなと思った。イミグレに出入りの規則があって、そう書いてあるということだ。Tシャツやサンダルで行ってはダメだということだと思う。もともと、そんな恰好で行ったことはないし、行こうと思ってもいないので、私にとっては、何のことはないが、多分、Tシャツや突っかけなどで、行く人がいるのでしょうね。
で、そのときの電話で、カオスはダメだと言われたときに、Tシャツはダメだよと、言われたと思った。一般的に、Tシャツのことをカオスあるいはカウスと言っているからだ、観光地へ行くと、しつこく、Tシャツを待って、追いかけてくる人種がカオスと言っているから、ずっと昔に覚えていた。また、カウス カキは、靴下、カウス タンガンは、手袋ですね。ところが、スンチンさん、靴ならどんなものでもいいと言っている。ということは、カウスの意味は何だ?と、思ってしまった。カウスに肌着、下着という意味もある。しかし、まさか、裸足という意味があるのかなと思った。まさか、裸足で行くやつはいないだろうし、で、裸足の足でサンダルやビーチ草履などのことをいうのだろうと、解釈し、ビーチサンダルなどはダメでしょうねと、返事をしたら、ブナールと言われら。皆さん、イムグレに指紋を取られに行くときには、Tシャツ、サンダル履きで行っては、いけませんよ。
5月2日 (^_-)-☆再びKITAS受取り 2664 やっと、キタスを手に入れた。ビザの申請手続きを始めてから、3か月近くかかった。原因は、この会社の責任者からの必要各種書類の発行が後手々々だったことでした。“後で気が付く寝小便“で、前もって必要書類を確認し、準備し、必要な段階ですぐに出せるようにして置けばいいのに、必要な時に、「そんなものも必要なの?知らなかった」と、言う始末では、遅れるに決まっている。
KITAS、ワーキングビザなど、長期滞在者の住民票だ。これがあれば、インドネシアに住民と認められる。外国人には違いないが、これを持っていれば、インドネシア人と同じ条件でサービスを受けることができる。キタスホルダーはインドネシア人と同じ入り口から、インドネシア人と同じ料金で入場できるとか、ホテルの宿泊代や旅ツアー料金なども、インドネシア人として扱われる。ただし、運転免許証SIMは、KTP(インドネシア人の身分証明書)ホルダーは5年有効だが、1年ぽっきりである。料金も割高になる。そして、KITASは、手に入れたが、SIMを買いに行くには、もう一つの書類が必要、住処の最寄りの警察への住民登録書のようなものが必要。これは、キタスの受取から、すぐに届け出をするが、1週間後くらいに、登録書が届く、それを、キタス、パスポートと一緒に、持ってゆく。今回の私の場合は、水曜日に受け取れる予定だが、木、金がナショナルホリデーだから、早くて、来週月曜日になってしまう。結局、四連休は無免許のまま運転しなければならない。ゴルフには、また、早めに行かなければならないし、大丈夫だとは思うが、遠出は自粛する。
仕事をするに必要なものはSIMだけを残し段階まで来たが、もう一週間かかりそうだ。
気まぐれで、KITASやパスポートをチェックする人物がいて、持っていないと、いちゃもんをつけられ、幾らかを払わされる時がある。運が悪いと思うしかないが、常にすぐに提出できる場所に持っていた方がよい。私の場合は、リックサックにいつも入れていて、持ち歩いている。ただし、盗難には、細心の注意が必要だ。車からちょっとでも離れるときには、担いで出る。命の次に大切にすることです。
5月4日 (^_-)-☆思いがけなく 2666車の免許証を買いに行くには、パスポートとKITASとSTM(SURAT TANDA MERAPOR,最寄りの)警察への届け書)というものが必要だということは知っていた。STMができるのが水曜日、今日ということも知っていたので、9日、月曜日にカリマランの発行所へ行くことにしていた。
ところが、そのSTMを申請しているサクラエージェントから、昨日の夕方、「明日、発行所に12時に来てほしい、警察のエージェントが案内してSTMが無くても発行してもらえるから」と、言ってきた。それは、いい、連休中に四日間運転するので、それなら、安心できると思った。余分に払うことになるだろうが、それでもいいかと思った。
それで、今日、12時前に発行所へ行った。それらしき人物がいない。昨日電話してきたサクラに、その人物は、どんな人か電話して聞いた。まだ、来ていないと思う、と言ったら、確認の電話を本人にしたようだ。暫くして、電話がかかってきて、「その本人、他の仕事で、出かけていて、すぐ、そちらに向かうと言っているが、しばらく待ってほしい」ということだった。20分ほど待った。12時半になっていた。再度電話した。何時になるか分からないが、そっちに向かっているということしか言えないという。「そんなことでは、今日はキャンセルにしよう。もし、その人が15時前に到着して、手続きができるようだったら、会社に戻っているから電話してほしい、10分もかからないから、ここまで」と言って、その場を離れた。会社に戻って、16時ころまで待ったが、何の音沙汰もない、そこで、私から、また、サクラに電話して、一言、文句を言ってやろうと思ったが、止めて、STMができているはずだから、メールでコピーを送ってほしいと頼んだ。暫くして、届いた。結局、最初の予定通り、4連休なので月曜日に一人で申請し、買うことになった。
思いがけなく、インドネシアらしい、無意味な行動をさせられた。想定内とはいえ、やはり、呆れる。
5月10日 (^_-)-☆運転免許証5年物 2672 インドネシアはシステムがコロコロ変わるので、いろいろ代わっても、あまり、びっくりはしないが、KITASホルダーにも5年有効の免許証を発行するとは、インドネシア人(KTPホルダー)に話したら、やはり、日本と同じように誕生日が期限になっているそうだ。だから、初めて取る場合は、誕生日が過ぎたばかりに取った方が、有利だという。
書類が整ったので、無免許のまま、運転免許証の発行所に9時に出かけて行った。いつもは手伝いの人間がうろうろしていて、私のような外国人を見つけると、手伝おうか、と、言いながら、寄ってくるのだが、今日は、そんな人物がいなかった。仕方がないから、普通に申請書を出しているとことに言って、聞いたら、向こうで、免許証の種類による申請金を払ってから、ここに来なさいと言われた。別の窓口で払うと、領収書と申請書をよこした。今度は、何の費用12000Rpか知らないが、次の窓口で、払いなさいと言われた通り、12万Rpを払い、また別の空欄が多い書類をもらい、全てに書き込んでから、申請窓口に行きなさいと言われた。STMに書かれていることを、ほとんど、映したようなものだった。すべて、書き込んで、よし、これでいいな、と思って、ロケット2という窓口に持って行った。
ところが、窓口で受け付けた爺さん、しげしげと書類をチェックし、何やら、足りないという。わけがわからないから、書いてくれと頼んだら、住んでいる場所の市役所の出張所のようなところへ行って、書いてある住所に住んでいるという証明書をもらって来いという。その書類(スラット クトゥランガン ドミシリ)がなければ、申請を受け付けないという。
こんなことを求められたのは初めてで、戸惑った。大体、その私の最寄りのデサDEASがどこにあるかも知らない。戸惑った挙句、住んでいる場所に戻って、セキュリティに、この辺りのDESAはどこにあるか聞いた。そして、そこに行き、書類を作ってもらった。暇そうな役人風の奴らが、10人ほど、三つ四つの見通しが良い小部屋で、うろうろしていて、私の動きを見ている。10分ほどで、その書類ができた。10万Rp要求された。シム発行所を出てから40分後にその足りなかった書類を持って、ロケット2に戻った。そして、やっと、何やら、その書類に書かれている事項が足りないようなことをその爺さん、ぶつぶつ、言っている。隣の若い人が、もういいよ、これで、と、言ってくれた。わけがわからないが、呼ばれ迄待つように言われた。
10分ほど、大勢座って待っている中に座って待っていたら、何やら、多分、ポジションの高い人物だろうが、私を一人呼んでいる。来たな、こいつ!と思いながら、写真や指紋、サインの場所のそのまた奥に案内された。思った通り、雑談から始まって、有効期間5年にするから、50万Rpでどうかという。良いも悪いもない、5年物が50万Rpなら、文句なしだ。外国人はずっと以前から、今でも、1年でしか取れないと思っている。そして、払うと、そのまま、写真の場所に戻り、5分もしないうちに、写真と指紋とサインが終わった。そして、先ほど座って待っていたところに戻って、また、5分もかからない内に、OOTAと呼ばれ、5年物の運転免許証が渡された。大勢のインドネシア人が、じっと待っている中、私一人が、ロケット2に書類を出してから、15分くらいで免許証を受け取った。
最初、9時半ころ、ここについて、支払いや書類を書いて、ダメで、別の場所に書類を書いてもらいに行って、戻るまでが、1時間半くらいかかってしまったが、戻ってからは、滅茶苦茶早かった。
そして、疑問が残ることは、私だけ特別に5年にしてくれたのか、そうではなくて、1年物制度は廃止して、外国人もインドネシア人と同じように5年にしたのか、そこは、はっきり確認していない。
そして、そこから出ての運転は、何やら、開放感に浸っていた。そうですか、日本人の方、こんな動きができますか。適当な緊張感とやってみればできたという満足感、仕事で新製品を作り出すのとは別の自己満足がある。
これが、2021年、五年後の誕生日まで(だから、実際には5年半ほどになる)有効な運転免許証です。顔はやはり、年相応に映っていて残念。サインもへたくそ。Aが自動車です。バイクはBになる。Karena
sudah dapat SIM, Tidak perlu khawatir tentang apa saja運転免許証の手に入れたので、何も心配することはない。ゴルフにも滅茶苦茶早い時間に行く必要がなくなったとにかく、これを持っていれば、KITASなど、いちいち出さなくても、どこででも、IDカードとして使える。
また、ビザなど、いろいろ、斡旋会社の人から、聞く話だが、法規の筆記テストや運転テストが課せられる、という話だが、今日の場合は、大勢の人がバイクと車の免許証を取りに来ていたが、それらを課せられたと思われる人は一人もいなかった。テスト場は、以前、目につくところにあったが、実際に受けている風景は見たことがなかったし、今日は、そのテスト場だったところは、事故車の置き場所になっていた。
それから、もう一つ、どうでもいいことだが、以前は、ジャラン カリマランから直接入ることができたが、今は、ジャバベカ2へ入って、くるっと回って、カリマラン川と反対側からしか入れなくなっている。
とにかく、これを持っていれば、KITASなど、いちいち出さなくても、どこででも、IDカードとして使える。
14日にインドネシアに戻って、次の日15日(金)にサクラへ行って、パスポートを渡してきた。ところが、会社からの書類が届いていないので、イミグラシにキタスの申請がすぐには出来ないと言われ、その書類の請求をするので、それを待って、申請すると言われた。また、ここで、無意味な時間が過ぎてしまう。20日に会社からの各種申請書類が届けられた。そして、26日にイミグラシへ行くことができた。そして、5月2日パスポートとキタスを受け取ってきた。5月3日銀行サインの登録をした。私のサインで、会社の財産をすべて動かせるようになったと言いたいところだったが、これも、いったい何をしているのか、一向に進まない。だから、ダイレクターになっているが、お金の管理をすることができないでいる。5月9日、ついにというか、やっと、私に、預金通帳が渡された。
もう一つ、運転免許のこと、なんだかんだ、これも、やっと、5月10日に手に入れた。