Gunung Ijen イジェン山

 

9月9日  バニュワンギ 2794 チカランから1000Kmほど東、ジャワ島の東端、ちょっと東向こうに、バリ島がみえる。ここは、バニュワンギBanyuwangiです。今朝、5時前に家から出て、ちょっと、ここまで来てしまった。スカルノハッタ空港のターミナル3がガルーダのドメスティックになっている。以前、コタキナバルへ行ったときに、エアーアジアAir asiaでここに来たことがあったが、様変わり、広すぎるし、案内板が私には読みにくい、大体、ガルーダのカウンターが、やたら沢山あり過ぎて、どこのカウンターへ行ったらいいか分からない、私が預ける荷物は持っていないから、バゲジを預けない、エコノミーカンターに行けばいいが、それだけでも、多すぎる、結局、聞いてしまった。どこでもいいよと言われた。

 

次に、搭乗ゲートに行くにはどこからか分からない、広いフロアーの人の流れを見ても分からない、分からないはずだった、ずっと向こうの端で、それも、そのあたり、レストランやショップを建設中で、簡易の壁が沢山あって、ゲートへの入り口に、その20mほど手前まで行かないと見えてこない。

 

渋滞を見込んで、余裕を見て、早く、家から出てきた良かったと思う、渋滞はなく、空港へは早く着きすぎたが、空港内で、いろいろ、うろうろ探すのに時間がかかってしまった。聞いてしまえばいいのだが、聞かないで、自分で探そうとしたからだ。それも、また、旅の始まりとしては良いかなと思う。

 

スラバヤ、トランジットでバニュワンギ、12時には到着した。何も、決めてないので、先ず、インフォメーションらしき、ちっちゃなカウンターで、ホテルを探していることと、今晩、イジエンの火口に行きたいと話したら、一人のタクシードライバーを紹介してくれた、彼が、全ての世話をしてくれるでしょうと。AJIさん、41歳だそうだ。聞くと、結構、詳しく、私の行動を提案してくれる。結局、彼の世話になることにした。私が、移動する度にタクシーを使ってほしい、それが、彼にとってのメリットになる。先ず、ホテル、一泊40万Rp以下を指定した。そして、今、泊まっているホテルスラメットHotel Selamet

https://www.traveloka.com/hotel/indonesia/hotel--resto-selamet-3000010003524?spec=15-9-2016.16-9-2016.1.1.HOTEL.3000010003524.

に落ち着いた。一泊、30万Rp,三日で90万Rp、私にとっては十分すぎる状態のホテルだ。プンギナパンPenginapanとはいわないではない、ちゃんとしたHotelだ。場所的に、町の中心よりちょっと北になるが、イジェンの登山口までは、ほとんど真西に向かえばいい場所だ。

 

朝食付きだ、今晩、11時にホテルから出発し、戻りは明日朝、7時ころになる予定だから、戻ってから食べられる。先ほどの夕食は、表の通りを散歩しながら、ウビバカールUbi bakar焼き芋を500g、1万Rpで買って、歩き食いをしていたら、バソマランの屋台を見つけて、それを食べた。バソマランはインドネシアでバソとしては、一番有名で、私は、本場Malangで食べたことがあるが、確かに、私に合っていて美味しかった。バニュワンギのバソマランはいかにと、美味しかった。マランで食べた時の味がこんなだったと思った。

プロペラ機、久しぶりに利用した。乗り心地は、良し。ブーンという音が良い。それほど高くないところを飛ぶので、下の景色がよく見える。今晩 登る山の北側を通過、左の高い方だ。Gunung Ijen

バニュワンギの空港に着陸する前の下の景色、畑や田んぼがパッチワークのように広がっていて、これも、きれい。

 

眺め バソ 旅

9月10日  イジェン山 2795 Bunung Ijen2799M 頂上まで登った分けではないが、その西、直ぐ傍のKawah(火口湖)の周辺まで行った。そこで、山頂すぐ下の稜線から上るサンライズを拝んだ。その場所に背中側に火口湖が壮大に広がっていた。タンクバンプラフの形に似ているが規模はその三倍以上と感じた。真っ暗のうちにその脇を通って、サンライズスポットに向かった時には、左側が落ち込んでいることは分かっていたし、もうこの時には、完全近くに、体力と足や膝の状態が限界に達していて、ちょっとふらっとしただけで、よろめきそうで、出来るだけ、右側を歩いていた。明るくなって、サンセットを撮り終わり、多くの人が反対側を覗き込んだり、写真を撮ったりしているので、何があるのかなとちょっと登ってみると、なんと、豪快な火口湖があるではないか、或ることは知っていて、ガイドに、この次は火口湖を見に行きたいと言おうと思っていたところだった。しかし、ここは、危なそう、タンクバンプラフのような、柵がない、カワに向かって、下がっていて、滑りでもしたら、当然、落ちてしまいそうだ。写真を撮るのも及び腰、足が、それでなくても、既にガタガタになっているから、こらえようがない。

 

今朝からのことを、最初から書く、9日23時に、タクシーに迎えに来てもらった。車の駐車場というか、そこからは、バイクや車は使えないという場所まで1時間ちょっと、タクシー料金20万Rp弱、0時ちょっと過ぎに到着、早速、ガイドを運転手が気にいっている人を頼んだ。1時に出発で、7時頃戻る、そして、青い炎とサンライズと火口湖を見るコース、これが、一番ハードで、ほとんどの人は、青い炎一か所、或いは、日の出と火口湖、どちらかだそうだ。私は、甘く見ていて、フルコースにした。防毒マスク、懐中電灯、ガイド代合計25万Rp前払いだった。

 

 歩き始めた、世間話をしながら、30分ほど、それほど急ではないが、砂と小石の間くらいのちょっと、滑りやすい道だった。10分ほど、余裕で満天の星の空を見上げながら、あれがオリオンだなどとのん気に歩いた。ところが、次第に急角度の上り坂になった。例によって、インドネシアの登山道は日本のジグザグよりはるかに直線に近いジグザグになる。そこに差し掛かって10分もしない内に、腿が急に張り出したのを意識した。こんな坂が続くようだったら、リンジャニの時の時のように、下りの心配をしなければならなくなると思いつつ、上り続けた。早い時間の登り始めだったらしく、登山者はまばらで、ほとんど、追い越したり、追い抜かれたりしない。真っ暗の中、無言で、黙々と上る。時々、道に縦割りの窪みがある。雨で浸食されているのです。青い炎まで二時間だと聞いていた。一時間ほど登ると、ポイント5という地点に着く、富士山の何号目かの山小屋というか休憩所があり、コーヒーなどを売っていた。そこのあかりが妙に眩しかった。私が到着した時には10人ほど先着がいたが、20分休憩ということで座っている間に、続々と後続が到着する、あっという間に、50人ほどでその場で立ったまま休憩したり何かを飲んだりしている人であふれてしまった。

 

 再び登り始めて、そこまでの道より、石がごつごつするようになり、狭くなり、急になった。もう、最初に作ってもらった杖が邪魔になるほど、手をついて上がらなければならない場所がふえた。完全に無心状態で、ただ、ひたすら上る。後500mほどで、青い炎が見える場所に着く、と、言われながら、また、黙々と上る。登り始めて2時間くらい、やっと、あれが青い炎だよと、言ってもらえた。着いた、やっと着いた。と、ちょっと、感激しようとしたが、青い炎、ずっと、ずっと、真下に近く見える、先にかすかに見えるだけ、ここまでで終わり?そんなはずがないでしょ、と言いかけた。ガイドが、ここから降りようと、目の前の真下を指した。

 

懐中電灯で照らすと、ここから?としか思えない。道があるように見えない。そして、ずっと下に掛けて、懐中電灯の光が点在していた、先行者は、それほど多くの人ではない。ここから、滅茶苦茶試練が始まった。もう、どうにでもなれ、足や膝が壊れて立って居られなくなるまで行ってやれ、破れかぶれになった。降り始めて直ぐに、ガイドが、察したのでしょうか、左手を出して手をつなごうと言ってきた。もう、急なんて言うものではない、真下に向かって、ちょっとジグザグに降りるが、大きな岩が至るところで行く手を塞ぐ、そのたびに、右か左か聞く、手を引っ張って、方向を示してくれる。足は行く方向に向いていない、横向きにして、降りるしかない。延々と続く、青い炎が、逃げ水のように、なかなか、近くならない、時々,硫黄を担いだ人が上げってくるので、よける。聞くところによると5〜60kgを担いでいるという。ガイドもこの仕事をしているという。1kg1000Rpだという。50kgでたったの5万Rp(400円くらい)一日4回以上往復するそうです。24時間、いつでも働きたいときに働いていいという。稼ぐ人で、一日26万Rp、260kg(2000円)くらいだという。ガイドをできる人は、恵まれている。

 

下るということは、上るということだよなと思いながら、30分以上掛かって降りたところが青い炎の30mほど手前、ちょこっと、平らなところあがって、私は座れる岩を探し、座ってしまった。そこに多分一時間以上いたが、その岩を他人に譲ることはなかった。ガスマスクを必要かなと思って、つけ方を確認した、結局、つけなかったが。

 

光景は、神秘的というしか、適当な言葉がない、既に、足がどうなっているのか分からない、それでも、そこから、何回は、炎に近づいて写真を撮った。フラッシュを使ってはうまく撮れないことが分かった。その後、続々、大勢の人が到着した。ちょっこっとした平らな場所も立って居る人で一杯になり、その周辺の急な岩の崖のようになっている場所にも多くの人が立ちだし、写真を撮りだしていた。外国人(欧米系)が一杯だ。私も一応外国人。言葉が面白い。真っ暗な中、日本語は全く聞こえてこなかった。ガイドと入れ替わりで写真を撮った。そこにいる間は、こんな場所なら、急に目眩でもして、そのまま、眠り続けてもいいかなとも思った。

 

5時には日の出を見る場所に行かなければならないから、ここを4時に出発した。落ちてきた道を上り始めた、5分もしないのに、腿がもうだめだと言い始めた。しかし、上るしかない、ガイドが引っ張ってくれていた。降りてくる人が多く、その人たちとすれ違いで止まることが多く、その時、ちょっと、助かったと思った。硫黄を担いだ人が、追い抜いてゆく、行けども行けども、頭上にランプの明かりが見える。まだ、あんなにのぼるの?そして、その距離は全然減らない。そして、気がつかない内に、先ほど止まって見下ろした場所も通過していて、なお、険しい登りだった。そして、歩く道の足元の様子が変わった。岩のごつごつがなくなり、滑りやすい、砂、小石の道になった。そして、行く手がほんのり明るくなった。緩やかな登り、私の足と膝にちょっと余裕が出てきた。どんどん、稜線の先に近づくにしたがってイジェンの山のすそ野が明るくなって、5時20分くらいの日の出だった。ここに、この時間来る人はまばらで、私たちは稜線からちょっと降りてサンライズを見ていたが、振り返って稜線を見上げると、一列にまばらに並んでいる人々が見えた。よく、昔、西部劇映画で、インデアンが岡の上に急に現れて、下を見ている姿に似ているなと思った。

 

日の出を拝んで稜線に戻ると、向こう側にカワKawah火口湖があって、びっくりした。タンクバンプラフのような柵がない。写真を撮りながら。下山し始めた。私が一番心配したことは、下りだった。上りでは膝ががくがくすることはないが、下りでは、リンジャニの時に経験しているが、膝ががくがくしてしまい、歩けなくなってしまったことがあって、休憩を長時間しなければならなくなった。ポーターに負ぶってもらう羽目になった。情けなかった。その状態は、どうにもならなく歯がゆかった。それを心配したが、大丈夫だった。急な下りでは滑って転ばないように杖を使って細心の注意を払った。下る人は青い炎からの人、カワの端まで来ていた人たちが合流したので、にぎやかだった。いろいろな言葉、いろいろな人種、誰かが転びそうになって、危ないという言葉や気を付けてという言葉がとびかっていた。そして、7時前に駐車場に戻った。やれやれ、よくやったなと思った。

 

余談、上り始める場所に、小型のリアカーを持っている人が大勢いた。その人たちも、三々五々登り始めていた。何か?タクシーだという。ローリーとも言っていた。カワまでの往復で70万Rp.片道なら、上りでも下りでも40万Rpだという。私にも声を何回も掛けられた。そして、万が一の時には私も世話になるかもしれないと思った。道中、どこにでもリアカーを持った人が客待ちをしていた。面白かったのは、普通、一人が引っ張り一人が押す、二人で一台を扱う、しかし、私たちが下ってきて、ポイント5に差し掛かった時、そのリアカーに100kg以上はある女性が寝転ぶように乗っていた。二人が引っ張り、二人が押していた。こりゃ70万Rpじゃ済まないでしょう、私のガイドが、倍以上は、払わなければならないと言っていた。利用する人は結構いるが、勿論、青い炎の場所に行けないし、サンライズのスポットまでにも行けない。

 

偶に日本人のツアーも来るという、青い炎まで行ける人は、ほとんどいないと言っていた。そりゃそうでしょう、パンガンダランのジャングルなど、問題にしていない私が、参ってしまったのです。ガイドは、私はすごい、参ってしまうと思っていたが、最後まで歩き通したと、運転手に報告していた。観光気分の普通の人では絶対無理です。リヤカータクシーのお世話になるでしょう。それでも、ここのうりもの本来目的のblue flameには近付けないでしょう。

 

とにかく疲れた、体はガタガタ、頭が痛い、ふらふらする。8時にホテルに戻って、朝食の後、爆睡してしまった。目が覚めたのはお昼過ぎ、まだ、頭が痛かったし、左足が強烈に釣ってしまった。そして、今は20時過ぎ、もう、大丈夫だ。一人、やったね感に浸っている。

200枚以上は撮った。どの写真を添えるか迷った。

blue flame api biru 青い炎

 

9月11日  プラウ メラー 2796 Pulau Merah赤い島という意味です。バニュワンギから南西、車で2時間余りかかる海岸にある、ちょっとした島だ。岩山と言った方が良いかもしれない。一応、この辺りでは、数少ない観光スポットの一つで、本当は、二日目も、イジェンに挑戦したいと思っていたが、とてもじゃないが無理だ。タクシーの運転手が、いいところだから、行って見ないか、P.Ppulang pergi 往復70万Rpでいいからというので、どこにも当てがないので、行って見ることにした。時間つぶしで、全く、期待していなかった。東ジャワのトゥアーのコースになっているらしい。スラバヤ、ブロモ、イジェン、プラウ メラ−、バリというコースがあるらしい。外国人も大勢来るよという。

 行って見た。私が思った通り、何もないところだった。この辺りでは、多分、唯一に広い、そして、長い砂浜を持った海岸だろうと思う、そして、その真ん中あたりに多分、引き潮なら歩いて行ける岩山がそびえている。緑の山だ。何故、これは、赤いのだろうか。そして、それだけ。バニュワンギから観光客が往復4時間以上かけてくる場所ではない。三連休の中半だというのに、外国人観光客を運んできただろうバスは全くないし、当然、一人たりとも合わなかった。インドネシア人の若者が多分、パンガンダランの20分の1くらいだろうか、ざっと見て、結構、広々とした海岸に1〜200人ほど、散らばっていて、マングローブの林の中に1000人ぐらい、座り込んでマカンやパチャラン(食事やデート)の雰囲気だ。

 

 私は高齢者一人で、どうしたか、4Kmほど海岸を歩いて、それ以上先には人がいないし、足跡も無くなる場所まで行って、先と後ろの写真を撮って、戻った。10時にホテルから出て、12時には、着いた。ソプサユールSop sayur野菜スープで食事、岩山の左側までいって、様子を眺め、戻って、既に書いた行動をした。車に戻って14時には、そこを離れ、ホテルに着いたのは16時。行かなければよかったが、行って見なければ、行かなければよかったと言えない。

 この途中、ブアナガBuah Naga分かりますか、知っていますか。果物ですよ。ドラゴンフルーツの大産地でした。日本語ではなんというのか知らない。想像の世界の竜の鱗に似ているからでしょう。日本で栽培しているのでしょうか。非常に変わった木というのでしょうか、サボテンにも見えるし、花はどんなでしょうか、全く知らない。変な果物ですね、中身はキューイーフルーツに似ているという人もいる。白か赤の実の中に小粒の黒い種?が、沢山埋まっている。

 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html リンジャニ ロンボック

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0406.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.html バトゥール バリ

ところで、昨日の後遺症で、両足の人腿が滅茶苦茶痛む、階段を一歩でも降りるのが大変になってしまった。上りや平地は感じないが、ちょこっと下るだけでも痛みが走る。バトゥールの時は日帰り、今回も日帰り、翌日に痛みが出た。高齢者の痛みは時間差があると言われる。翌日以降に本格的な痛みが現れるという。リンジャニの時には、山で一泊しての下山だったから、負ぶってもらう羽目になったと思う、今回も、今日、下山なら、多分、自力ではだめで、リヤカータクシーのお世話になっていたと思うほど、痛い。サロンパスチールを買って塗っているが、直ぐには治らない。

暇つぶし 痛み ブアナガ

 

 

9月12日 チカランに戻り 2797 あっという間の4日間でした。今日は、何もなし、ひたすら、チカランへ戻っただけ、バニュワンギの町の通りから見える場所にポトンカンビンの場所があって、既に生贄にされた牛やヤギなどの肉が刻まれて並んでいた。11時過ぎで、ほとんどが持ち去られて、残り少ない状態だった。町は閑散としていて、シャッターを下ろしている店が殆どだった。空港へは早くついてしまって、搭乗まで2時間待ち、ちっちゃい飛行場、待合室は狭い、搭乗手続きの後、外に出て時間が来るのを待っていた。見ていると、ギリギリに来る人が多い。真面目に二時間前に来る必要はないな。今までの経験から、地方の空港は特にそうだと思う。が、性分で、2時間以上前に着くように出発してしまう。

 

 スラバヤ、ジュアンダ空港では、搭乗まで1時間待ち、ゆったり、居眠りをして待つ。順調に移動、17時半に家に入ったが、一つだけ、ターミナル3は、表示の数が少ない、何が何処にあるか、いちいち、そこの人に聞かなければならない。行きも帰りも、無駄な時間を使わされた。

 

 ところで、体全体の痛み、特に、太ももの痛み、あれほどどうしようもなく、痛かったが、家に着いた時には、全く痛くなくなっていた。昨日の夜のマッサージが効いたのか、一時間半くらい、足を主体に全身マッサージをしてもらった。15万Rp,その時は、痛みに耐えながらで、あまりに痛がるので、マッサージの女性が心配して、弱くしようかと、言っていたが、そのままでいい(ビアルカンbiarkan)と、返事をした。それが効いたのか、サロンパスが効いたのか、元々、何もしなくても治ったのかは、確認しようがない。

 

 今回の旅、旅とは言えないし、旅行とも言えない。なんというのでしょうか。冒険とも違う。登山には違いないが、登山が目的ではなかった。もの好きの行動、ということでしょう。最近、旅をしていなくて、ちょっと、禁断症状になっていて、そこに、飛び込んだのが、イジェン情報でした。予備知識はほとんどなしで、衝動的にチケットを買ってしまった。そして、結果、行けて良かった。

 

バニュワンギのターミナル。管制塔がなければ、ターミナルに見えないどこにでもありそうな建物が野原の真ん中にあるだけ。この空港でちょっと残念だったこと、硫黄の塊を取り上げられた。可燃物だから尤もだが、売っている奴は、そのことを言わない。飛行機で帰る人は、気を付けよう。バッグに入れないで、悪いことだが、身に着けていれば通過できると、その時、すぐに思った、失敗した。結構、匂いが強いからばれても知らないが。

 

昨日書いたドラゴンフルーツ、日本のスーパーにも最近は、たまに、並べられているのではないでしょうか。今は、旬ではなく、普通は雨季に入って一か月後、11月が収穫時だそうだ。本当かどうか、運転手がそう言っていた。

 

 昨日の夜食べた,スープ ソプ セハットSop Sahat健康スープとメニューに書いてあった。なるほど、豆腐、ソーセージ、ニンジン、白菜、ホウレンソウなどなど、色々な食材が入っている。バランスのある栄養が取れそうだ。その名も“健康スープ“ですから。

 思い付き いい加減 もの好き

 

追記

バリや日本からのツアーは、おそらく、バニュワンギ、イジェンだけということないと思う。コースとしては、ちょっと書いたが、スラバヤか、もっと遠くからでしたら、ジャクジャやソロからスラバヤそしてブロモとその周辺、その後バリを経て日本にかえる、これが一般的でしょうが、ブロモからイジェン、そして、バリというコースがあると思う。勿論、その逆もあるかもしれないが、バリからでもやはり先にブロモへ行ってイジェンによってバリに帰るというコースになると思う。要するに、イジェンとブロモに行くなら、ブロモが先になるということです。

ブロモは一般的に、周辺の町から、多分、四駆で夜中に出発し、サンライズスポット近くまで行き、歩きはほんのわずか、登りと言えないくらいの坂を200mほどだけ。日の出を拝んで、見下ろしていた、砂の海Pasir lautにやはり四駆で降り、馬、ロバ?がいるところまで行き、馬にまたがり、階段の下まで行き、真っ直ぐな階段を上る、100mくらいの高さだと思う。(身延山久遠寺や久能山東照宮の階段の方が遥かにきつい)ブロモの火口の周りに出る。簡単、体力を使う時はほとんどない。それでも、その階段の上り下りでへばる人がいると思う。

 

次の日にバスでバニュワンギに向かい、イジェンにはその日の真夜中に青い炎を見るために上ると思う。ブロモと同じようなものと、皆さん、思っているに違いない。相当な高さまでバスが行って、歩くのはほんのわずかと思っているでしょう、また、2時間は歩くと、言われていても、そんな急で、滑りやすいとは思っていないでしょうから、いざ、歩き始めたら、すぐに、とんでもないところに来てしまったと思うに違いない。歩きはじめの時に、周囲に小型リアカーを引いている人が一緒に登り始めるでしょう。そして、その人たちにお世話になることになるでしょう。

 

行く前に一応、ネットで、体験した人の記録を数多く確認した。しかし、リヤカータクシーのことに触れている記録は一切なかった。だから、それを見た時、声を掛けられた時、まさか、人を運ぶのではなく、硫黄の塊を運ぶ道具かと思った。体験を書いて紹介している人は、多分、そのことには触れたくなかったのでしょう。リアカーが、ざっと見ても100台以上あることを書かないでしょう。多分、その人は、お世話になっているからでしょう。

 

イジェンに行く人は、登山の訓練をしてからにしてください。普通のおじさん、おばさんが箱根の大涌谷に行くような気分では無理です。ヨーロッパ人が大勢来ています、一見、私より年上の人はいません、皆さん、若い人たちばかりです。インドネシア人は、もっと、若い人達です。それでも、おそらく、五分の一くらいの人は、特に、下りにお世話になっている。随所々々にリアカーが待っていて、声をかけている。高齢者が行くなら、70万Rp払って、最初から使ったほうが良い。何も、恥ずかしがる必要はない。ここまで来て、目的を果たせないとか、痛みに耐えられなくなって、次の行程がつらいものになることにならないように。

 

青い炎、本当に、神秘的で気持ちが洗われる、しかし、そこ迄の下り、登りは、修行です。その後のサンライズ、火口湖は、ほとんど、天国です。鍛えてぜひ行って見てください。ブリトゥンとは、全く別の意味で、印象深い場所だと思う。

 

バリのバトゥールBaturロンボクのリンジャニRinjaniもフローレスのクリムトゥKelimutuもバンドゥン手前のタンクバンプラフTangkuban Perahuもジャワ島西沖のアナッククラカタウAnak Krakatauもバンドゥン南のカワープティーkawah petihやガルットゥのパパンダヤンPapandayanもスケールでは、全く、ここには適わない。

 

疲れ切った、体全体が、痛んでいるときには、二度と行きたくないと思ったが、しばらくの後、明るいうちに青い炎の場所に行って、暗くなるまで待って、また、明るくなるまで待って、その炎の状態を是非観察してみたいと思ってしまった。行くかもしれない。ただし、入山時間(真夜中1時から明け方7時)に制限があるらしいので、それを、するには、特別な許可を取らなければならないと思う。また、ブリトゥンやパンガンダランへは何回も行きたくなるように。

 

最後に一つ注意、硫黄で作ったもの、飛行機には乗せられません。買っても、家まで持って帰れないでしょう。写真を撮るだけにしましましょう。どうしても買いたいという人は、値段は1万Rpです、ガイドに買ってきてもらうと、必ず、高く言われるから、ガイドに買ってもらったりしないで、自分で値段を聞いて、それより高ければ、そこで、買ってはいけません。溶かして固めたものだから、純粋な硫黄ではありません。そこら辺りに落ちている硫黄の塊なら純粋です、拾って持ち帰る人がいますが、これも、X線チェックで引っかかります。係りの人は、慣れたものです。取り上げられた硫黄が山になっていた。

 

 

 チカランからの私、お一人様でかかった費用です。これは、SIM(運転免許証)と、言葉の効果で、全てがインドネシア人価格です。

ジャカルタ、バニュワンギ 飛行機 往復         3,5ジュタ、

チカラン、スカルノハッタ空港 タクシー 往復      0,6ジュタ

バニュワンギ空港、ホテル、タクシー 往復        0,2ジュタ

ホテル、イジェン登山口駐車場、タクシー 往復      0,4ジュタ

ホテル、プラウ メラー タクシー 往復         0,7ジュタ

 

入山料、ガイド費用 チップ               0,5ジュタ

食事 飲み物 カキリマ コンビニ 合計         0,4ジュタ

マッサージ                       0.15ジュタ

ホテル 3泊×0,3                                                              0.9ジュタ

                                                                                                 7,35ジュタ

130Rp=1円として                                                       約5万7千円

結構安上りだと思いますが、どうでしょうか。

イジェン火口湖(Kawah Ijen)だが、この写真、朝、6時過ぎですが、どうですか。火口湖を見下ろし、左の向こう側で、水蒸気?が上がっている。そのあたり、硫黄で黄色くなっている。そして、よくよく見ると、黒い点が見える、もっとよく見ると、人だった。底まで降りる途中の崖にも点々と蟻のような黒い点が見える。写真を撮ったが、最初の一枚では、その黒い点が見えない、拡大していって、見えるようになった。

夜中の3時ごろから4時まで、この下にいた。人が小さく見えますね。この崖を、真っ暗の中、下って登ったのです。知っていれば、怖くて、行かなかったかもしれない。ここから、その様子を見て、びっくりでした。まさか!あんなところだったの。日本なら、有毒ガスや崩れ落ちそうな崖、絶対、進入禁止だ。有毒ガスがなくても、鎖場になっているはずだ。青い炎を見に、こんなところへ行っていたのでした。


























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