1月9日 初出社だが 約、一か月ぶりに出社、場所が違う。グラハから出て,以前には、右に曲がったが、左に曲がって、踏切の方に行った。こちらからの方が近いからだと思ったからだ。踏切を渡って、国道を、方向は右(東)だが、曲がれないから(それは分かっていた)一旦、左(西)に向かい、Uターンして戻る。それほど遠くないところにUターン場所があるはずだと思っていたからだ。有ったはずのUターン場所が、ことごとく閉じられていて、3Km先、もう、チカランの町近くでやっとUターン、戻ってきて、先ほどの踏切前を過ぎ、1kmほど行くと左に曲がって別の踏切を渡らなければならないが、そこも、曲がれず、なお1kmほど行ってUターンし、もどって、左に曲がり、やっと、国道から離れることができた。想定より6km以上遠かった。
次からは、出勤の時には、ゴルフ場の側を通ることにする。しかし、今の住処は、そんなことで、会社が遠くなってしまったので、近い場所に変えることにした。いま、家賃、一年35ジュタ(月2万5千円くらい)の一軒家を交渉中。
今日から、稼働の予定、ヒートアップの状況だった。納品は、在庫の消化で、順調にいっている。皆さん、よくやって切れている、今やっているものは、私がいなくても十分やって行けると確信した。
ということで、12時半ごろチバトゥのインターから高速道路に入ってしまった。日本からの友人が、どうしてもというので、私も、仕事に戻るのを三日ほど遅らせることにして、パンガンダランに向かってしまった。道中は順調で、車から降りたのはトイレと給油で15分ほど、19時にホテルに入った。6時間半、最短タイだった。今、パンガンダランにいる。勿論、中国高速鉄道路線沿いの高速道路を通ったが、その、雰囲気は全く感じられなかった。
また、橋脚の傾きで、大型車(バスもトラックも)は通行止めになっている。昔使った、曲がりくねった一般道は同じ距離、高速道路を使えば一時間以内でバンドゥンに着くが、4時間かかっていた。それが、大型車は全てその道を使うしかないので大渋滞、聞くこと個による6時間かかっているとか、バスは、パンガンダランまで、以前の13時間以上、掛かっているという。で、その橋脚、いつ治るの?これが、また、はっきりしていない。
そんなところで、もし、高速鉄道の工事が始まれば、大型車が入り込まなければならない。出来るわけがない。工事は始まるわけがない。大変ですね、中国。
ここで大型車は出なさいという場所では、本線上に長い行列。
バンドゥンバイパスの145Km地点、この辺りの右(南)の高速鉄道の取りあえずのバンドゥン駅が出来るはずだが、雰囲気は全くなし。
発出勤 順調 大渋滞
1月10日 疲労困憊 私がよく行っていたヌサカンバンガン、今は、近づくこともできなくなっているとか、パシールプティに座礁船が放置されて、もう、8カ月以上過ぎるが。まだ、どうするか,決まっていないそうで、当分、このままになるだろうと言っている。いわゆる、ナルコバ(麻薬)の密輸入船だという。それに関係あるかどうか知らないが、ヌサカンバンガン島が密輸船の上陸に利用されていることが分かって、地元の人間以外は、上陸は勿論、接近することもできなくなっているという。以前、カララピアックから、ボートで、ヌサカンバンガン島の北側の水路を通って、チラチャップに行ったことがあり、その時、往復で、刑務所の200mほど沖を通過し、写真を撮っていた。しかし、今、そのルートには、進入できなくなっているという。
また、ヌサカンバンガンの刑務所から麻薬犯2人が脱走して、今、まだ、捕まっていないという。ジルバブをかぶって女装して抜け出したという。そんなこともあって、厳しくなっているという。
ロブスターを食べに一緒に行って見ようと言ったから、そんな話になった。
8時からチャガールアラムに入った。いつものように、ブンガバンカイを探すためだ。雨季は、ジャングルの中を歩き回るのは難しいうえに、水に弱いラフレシア、期待薄ということは知っているが、とにかく探してみた。やはり、無かった。蕾が一個見つかっただけだった。それにしても、腐ってしまって、金網で保護されている、真っ黒になった花の跡が、結構あって、どうも、それらは、人が摘まんだり、触ったりした形跡があったのは残念、10年ほど前までは、見張り櫓があって、許可された人以外は、ジャングルへ入ることを禁じていた。そのため、見通しが良いように一部、開けた場所を作った。その見通しが良いエリアは今もそのままだだ、櫓は腐って見る影も無くなっている。
http://otaenplaext.net/newpage33.html
疲れた。いつもと違う場所を4時間かけて散々、探しまくったうえに、一時、何処辺りにいるのか分からなくなって、開けた場所を探し、ジャングルをかき分けながら、登り下りを繰り返したので、足はつるし、腰はガタガタだし、ゲートに戻った時には、歩くのが、立って居るのが、やっとの状態だった。イジェンの時にも、結構まいったが、今回の方が長時間だったので、それ以上に、参った。ここのも、この時期、友人を連れてくることはできない。
シーフード、カンクンは付き物、カカッ メラーのバカール、1,2kg ウダン アッサム マニス 0.5kg チュミチュミ トゥプン ゴレン 0.5kg ご飯やジュースも一緒で、3千円くらい。高くなったものだ。ガイドは、貪るように食べていた。地元にいても、高いから、食べる機会は無いようだ。彼らにとっては、大変なご馳走だ。魚は半分ほどブンクスして、兄弟に上げるのだと持ち帰った。
三日前の日本とは、異次元の世界だ。
ジャングル 疲労困憊 ラフレシア
1月11日 疲れと腰痛 朝、8時ころの西海岸、平日の海岸は空いている。向こうに座礁した難破船が見える。
まだ行ったことがなかったJOJOGANという場所に行って見た。方向はグリーンキャニオン、途中から、海とは反対方向の北に向かう。インドネイアの田舎の典型的なヤシやバナナの木に囲まれた田園地帯を通って、山に入る。曲がりくねった、急なアップダウンで、狭くて、すれ違い場所が難しい、道をひたすら進むと開けた丘の頂上に着く。パンガンダランから1時間半ほど掛かった。景色がいいと言われていたが、生憎の曇りで、海まで見通せるが、はっきりしなかった。下を見ると、はるか下に沢がある。グリーンキャニオンのような、奥行きのある洞穴のような状態の場所もありそうだし、ラフティングもできるらしい。チュルック(滝)も、いくつかあるようで、下まで降りてみた。これが,また、厳しい。急な階段が延々と続いていて、なかなか下まで到着しない。これを、また、登るのかと思いながら、降りてゆく、20分以上掛かって、滝の下まで降りた。なぜか、だいぶ昔に見た景色だった。いつだったか、覚えていないが、見覚えがあるような気がした。連れがいうには、私とここへ来たことがあるという。その時には、車は、ずっと遠くの下に置いて、1時間ほど歩いて。下から来たという。向こうからだよ、と、沢の向こうを指したが、覚えていない。以前の記録をいつか見てみようと思う。来たことがあるなら、ウェブサイトに紹介しているはずだ。
次は、Pantai Madasariマダサリというビーチ、山から下りてきて、西に向かい、グリーンキャニオンを通り過ぎ、なお西に向かい、パンガンダランからなら35Kmの処を左折し、南に向かい、また、5km以上行った所の海岸、途中の田園風景が、矢張り、南国らしい。海岸は、石灰岩の岩がごつごつしていて、遠浅ではないので、押し寄せる波は高い。サーフィンスポットしては最高だと思う。石灰岩の小山が浸食された風景も一見の価値はあると思う。バトゥカラスまで、来るなら、もう、10ほど走って、このマダサイまで、足を延ばすことをサーファーにはお勧めする。
ヌサカンバンガンへ行って、ロブスターを食べられないので、ここの海岸にあるワルンに頼んで、ロブスターを手配してもらって、焼いて食べた。久しぶりに、ロブスターを頬張った。この魚、1,4Kgとロブスター、1Kgとターなどの飲み物、ナシ ウドゥックで4000円程だった。
1月12日 チカランに戻った 東海岸のホテルに三泊したが、雨季の今、まともなサンライズを一度も見ることが出来なかった。また、西海岸のサンセットも雲の中だった。
今朝の日の出から一時間以上過ぎた時の東海岸。
西海岸の私が言っているウミさんのレストランでミーゴレンを食べた後、 8時半に出発、9時半、バンジャルサリを通過、順調に10時、バンジャールを通過 両側の広大な田園地帯は、今、実りの時期だ、沿道のバナナの木?には、バナナの大きな房?を見ることができる。パパヤも今が時期のようだ。典型的ンインドネシアの田舎の風景が続く。順調にチアミス、タシクマラヤのバイパス的道を通過、チレニーの高速道路入り口近くに着いたのが、五時間後の13時半、しかし、ここで、予期せぬ渋滞になってしまった。ここは昔は十字路になっていて、当たり前だが、直進、左折、右折ができた。今は、左(ゲートの方)にしか行けなくなっている。といことは、直進、右折の車も左折して、右側の車線からUターンしなければならない。その辺りがいつもちょっとした渋滞になっていることは知っているから、いつもは、左に曲がったら、一番左車線の通っていた。ここで、車が動かなくなることはなかった。今日は、車が動かなくなる時間が長い渋滞だった。平日なのになぜだろうか、トラックやバスが通過できない場所があるから、それが、遠因なのか。とにかく、高速道路に入っても芋虫渋滞が続いた。このバイパス的自動車道、パジャジャランまで、20分くらいで通過できるのが、1時間近く掛かってしまった。そして、ここへきて、渋滞が無くなってしまった。原因が分からないままだった。
すぐ、左側の大型車の列が始まった。チカムニンから一般道に降りなければならないからだ。その5分後。大型車通行不可の原因になっている橋に差し掛かった。急降下から急上昇する道に最下部に当たる。いつ頃、治るのか表示はない。どんな補強しているんでしょうか、道に下なので、これも分からない。こんな場所ですよ、中国製に高速鉄道予定地は。
チバトゥゲートで出て、グラハタマンに戻ったのは。15時半、途中、給油で止まっただけだったが、往路より30分長かった。無事に戻った。明日は幾つか約束が入っているので、どうしても、今日には戻っていなければならなかった。
そして、疲れた。こんなに毎日疲れてまで、どうして、こんなことを止められないのだろうかと思う。自己満足。爆睡。
写真集です。道中で撮った写真の半分ほどです。殆どが運転しながらです。どんな道を通っているか、わかってもらえると思う。