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Raja Ampat

2017年3月24日  (^_-)-私もスルガへ出発 2988 平日なので、渋滞のことを考えて、18時には家から出て、空港へ向かった。チカランバラットのゲートに入ったとたんに、車が動かなくなってしまった。大渋滞の始まりは、ここからだった。MM2100通過がすでに20時、ダメだ、こりゃ、キャンセルを覚悟した。路肩を走り続けて、ブカシバラットで、20:30、そこから、不思議なことに渋滞が消えてしまった。21:30に、パーキルに入った。ガルーダドメスティックは、ターミナル3に変わっていることを送りの運転手から、知った。トニック、間に合って、ほっとした。

 

その駐車場、ブリトゥン行きの時に、既に使ったことがあった、しかし、ターミナル3の方へ行ってしまったので、また、ジャカルタ方面に引き返し、Uターン場所まで戻り、今度は、間違いなく、コンテナトラック方面に向かい、それを過ぎた場所にイナップの看板があり、車の宿泊駐車場(パーキル イナップ)に駐車した。

 

今から、機内に入る。23;30発、ガルーダで、パプア “ラジャ アンパット”というスルガ(天国)に向かう。途中、マッカサール、トランジットで、現地時間8;45(日本時間と同じになる)ソロン着、待ち時間を含めて、11時間の旅になる。戻りは,28日の夜。栗崎さんに、メールで、今度の休日はゴルフ、キャンセルと、報告すると、また、例の処?という返事が返ってくる。例の処とは、パンガンダランである。しかし、今回は、じゃなくて、パプアだよと、報告してあった。

午前三時過ぎのマッカサールの搭乗ゲート付近、結構、賑わっている。土産物店やレストランも全部、営業している。それだけ、パプア各地に行く人が多いということだろう。

静高 選抜 旅立ち

 3月25日  (^_-)-コタ ソロン 2989 マッカサール(ジャヤプラやムラオケに行くときは、必ず経由する。スラウェジ島の南部にあり、タナトラジャに行った時にはここで降りた)でトランジット、時差が1時間、バリなどと同じ時間だ。03:00到着、5;20に出発、私が乗ってきた飛行機はアンボン行きだったので、別の便に乗り換える、今度の便はソロン経由マヌクアリ行だ。

 

ソロンに到着して、さて、何をしようか考えた。観光インフォメーションを探したがない。いかつい顔をしたおじさんが、大勢、そこら辺りにたむろしていて、皆さんが、タクシー?とつぶやいてくる。適当に、その中でも、一番、体つき、顔つきが一番怖そうな人に、話しかけた。ラジャ アンパッへ行きたいことと、先ず、ホテルで寝たいと。すると、周りに数人の友達?同業者?が集まってきた。皆さんがOK.OKという。私に任せろと名乗りあげている。最初の人に、頼むことにした。先ず、港に近いらしいホテルに案内される。ワイファイを使えるというので、そこにした。70万Rpだった。パプアの物価はジャカルタと同じくらい高いことは、今までの経験から分かっていて、このくらいかなと納得した。ネットで調べても40万Rpが最低で、70万Rpは平均だった。

 

ところで、使えると言われたワイファイ、各部屋では使えなくて、ロビーでしか使えなかった。生憎、其のロビーで、結構、派手な結婚パーティーが模様されていて、その中のソファーに座って、作業しなければならないので、外出した帰りにちょっと寄って、確認しただけだった。また、持って行った、スマートフレンのモデム、圏外になっていて使いもにならない。マッカサールでは、使えた。

 ここは、日本タイムと同じだ。先ほど頼んだタクシーの運転手に、一眠りした後13時頃から、ソロンを案内してもらった。特に、これといった観光地がなく、海岸をいくつか歩いた。その前に肝心な、ラジャ アンパットへどんな方法でいつ行くか、いつ帰ってくるのか、宿泊はどうするのか、だった。このいかつい顔を運ちゃん、かなり、親切に、港へ行ったり、旅に会社に寄ったりして、色々確認してくれた。28日の昼前に空港に戻らなければならないことと、島めぐりを、できれば、丸一日することが条件だった。

 

結局、ソロンの港から、定期便が9時と14時に出る。ワイサイからも同じ9時と14時にでる。所要時間は1時間半だと確認したので、明日、9時に出発して、28日の朝、向こうから出発することにした。それで、大丈夫ということし、実際1時間半以上かかるとしたら、27日の14時にワイサイから出ようと思う。泊まる場所はいくらでもあるという。島めぐりなどの手伝いをしてくれる人は、向こうに着いてから、行き当たりばったりで、頼むことにした。いつものやり方だ。

 

5時間ほど付き合ってもらって、60万Rp払った。明日、8時にホテルに迎えに来てもらって港まで送ってもらうことにした。明日からの天気次第だ。どうなることでしょうか。ここ二日は雨が降っていないという。もう、乾季に入ったようだと言っていた。

 

何ともない、普通の海の景色、ワイサイの方向だ。雲が何にみえますか。私にはフェニックスにみえた。

天気 どうかな 明日

 

 

3月26日  (^_-)-ワイサイ 2990 9時に船が出るはずなのに、9時半にやっと出帆、そして、1時間半と言っていたが、2時間以上掛かって、11時半過ぎにワイサイの港に到着した。それで、27日(明日)の計画は全て、白紙に戻し、14時出発の船に乗ってソロンに戻るしかなくなった。28日9時出発では、ソロンに着くのが11時半を過ぎてしまう可能性が高く、12;25のフライトには間に合わないかもしれないからだ。

 

明日、一番近くの島々PIANEMOへ半日スケジュールで行くことにした。そのほかの島々は1日掛かりでないと無理だという。それに、一人でスピードボートをチャーターすると、一日にレンタル料が8ジュタになるという、半日なら4.5ジュタ、だから、明日は6時に出発、戻りは船の出発前13時頃に、戻るスケジュールで行くことにした。ぶっつけ本番、下調べ何もなし、では、仕方がない。旅の後で、こうすればよかったという文章を書くことにする。

 

ワイサイ(WAISAI)に向かう船の中、ラウラさん、アンジェリーナさん、お爺ちゃんはこんな遠くに来ているよ、一緒にいつか旅をしたいね。そんなことを考えながら、先日、亡くなった栗崎さんのことも頭をよぎっていた。曇り空だが、この海と空をなんとなく眺めていた。南の島々の天国だね。旅ができるっていいねっと。

 港近くのホテルに入ったのが12時過ぎ、島々に行くことはできないから、この島を巡ってみることにした。オジャッククで、1時間半ほど、海浜公園が意外にきれいに整備されていて、夕方にも歩いていってみた。オジェックの運ちゃんが撮ってくれた。“バッパ ダリマナ“と聞かれる。そして、続けて、マナード? アンボン?比較的近くから来たインドネシア人だと思うらしい。こんな格好で、ビーチサンダルの老人を見て、日本人だと誰も思うわけがない。

感傷 無計画 曇天

 

 

3月27日  (^_-)-ピアネモ 2991 一番近いと言ってもスピードボートで2時間近く掛かるという。インドネシアは、冬至を過ぎたばかり、一番日の出が遅い、日本と同じ時間のこの地の6時ではまだ真っ暗だ。これが、ジャカルタの6時なら、二時間後だから、明るくなっていて、ゴルフのスタートもとっくにしている。ということで、真っ暗の中、ホテルの車で出発する港へ向かった。

出発時は日の出前だが、天気が良かったので、相当明るくなっていて、朝焼けの雲が見事だった。とにかく、ひたすら、ベタナギの海を滑るようにはしる。目的地ピアノモまで1時間半と言っていた。途中、スコールに在った。その時間は、10分くらいだった。思いがけなく虹のゲートが出来あがっていて、その門をくぐるように通過すると、また、青空が広がった。

 

結局、二時間かかったが、目に入る景色は、ユニークで、ちょっと日本では見られない風景が現れた。良く、写真で紹介されている景色だ。その島?岩?の周りをぬって、展望台の下の船着き場に到着。この階段は、他のインドネシアの階段と同じように、急だし、一段ごとの高さが違うし、幅も違う。インドネシアの手作り階段の見本のようなもの、急ですよ。日本人が想像する以上に急登りですよ。流石に一挙には登れなくて、途中の踊り場で休憩をした。息を切らせてやっと展望台に到着、腿が痛いし、ふらついている。それでも眼下の景色にすぐに目お奪われた。その島々の間を縫ってきたのだが、その印象と違っていて、もっこりとした固まりが不規則に配置されている。石灰岩が土台になっているのだが、桂林の海上版、縮小版だ。

そこから降りて、また、それらの固まりをぬって、次のスポットに向かった。岩に近づくと。その尖った鋭利で、触っただけ怪我をしそうで、ちょっと怖い。そんなことをおもっていると、出来損ないの船着きがに到着した。ここで降りるのかと聞いたら、そうだという。その先に階段がない。言われるままに、登ったのだが、きつい上に、階段ではなく、その尖った岩を上るのだった。女性や高齢者では無理でしょう。一応、行き止まりのちょっとした平らなところから下を見ると、星の形をした入り江が目に入った。これを、見せたかったのだった。時間は9時を過ぎていた。

 次はどこへ連れて行ってくれるの、訳が分からないが、まだ、時間がたっぷりあるから、他の島へ行くという。30分ほど飛ばすと、何やら、桟橋に多くのダイビング客が立って居た。ダイビングスポットが近くにある島のようだ。この島の名前は、トランスウィサタだという、本来の島の名前はないのかと聞いたら、名前はなかったという。

 

次に行ったのが、パシールプティ、要するに、満潮時には消えるが干潮の時には、現れるという、白い砂浜だ。ブリトゥンにもあったし、あちこちにある種類の砂浜だ。ダイビング途中の欧米人やジャカルタからの人達が立ち寄っていた。ここで、一泳ぎ、これもブリトゥン以来、ぷかぷかと浮いているのが気持ちいい。

 

14時発のエクスプレスカパルに乗って、ソロンへ、20分遅れ発、所要時間はやはり二時間、やっぱり、明日9時発では、12;25発のフライトには間に合わないことを確認した。遅れることが、足り前なのでしょう。遅れていることに全く、御免なさいのアナウンスはない。

 

ピアネモの展望台から。ワイサイからひたすら西に走る。

 

出発時と帰港時に天国への入り口が見えた。四次元の入り口のようだ。

 

夕食はホテルの隣にあったさえないワルンでソトアヤムしかないというので、食べた。どの土地のソトアヤムも同じような味だ。ブンブがマサコで同じだからだと思う。

 

やはり負けたか二回戦、早実も負けたし、一勝一敗ならいい方だ。静高、夏は、また、頑張って!!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000016-nkgendai-life ちょっとね。 

 

http://otaenplaext.net/newpage26.html

http://otaenplaext.net/newpage28.html 同じパプアのジャヤプラとメラオケの写真です。

天国 入り口 石灰

 

3月28日  (^_-)-現実に戻った 2992 午前中は、ソロンの海岸散歩などでのんびり休んだ。水浴びを楽しんでいる家族連れが多く出ていた。

 

ワイゴWaigoホテル、西海岸道路沿い、目の前が海だが、天候に恵まれなかった、サンセットは厚い雲の中だった。ワイファイは部屋内で完璧、ローディングが早かった。ただし、最初に入った部屋で繋げようとしたが、ネットの名前が現れない、フロントに電話し、どうも、繋がらないことを理解できないらしい、ルームサービスに部屋に来てもらった。彼、納得、受信、発信機のランプが消えている。これじゃだめだという、二階だったが、三回なら、繋がるからと言い、三階の部屋に移動した次第、ここの通路にある受信機はランプが点いていた。とにかく、持って行ったデモムは、圏外、どうにもならないから、ホテルのワイファイに頼るしかない。

 11時にホテルに迎えに来てもらった。途中、トコ オレ オレToko oleh oleh(土産物の店)に寄ってもらうつもりだったが、休日でほとんどの店は閉まっていて、土産物屋もクローズ。町を素通りで空港に入った。残念、土産物を買えず、仕方がないから、マッカサールのトランジットの時に、従業員への土産をまとめて買った。コテカは、空港で売っていたが、滅茶苦茶高いし、もらっても嬉しくないだろうから、買うのは止めた。空港で写真を撮っただけだった。右端に見える4〜5本が、それです。

 

もう、何もかも、慣れたものだから、帰宅までの行動は問題なし、ジャカルタへ到着し、テンパット パーキルイナップからの迎えを頼んだ。ブリトゥンの時には、チケットを持って出なかったので、困ったが、今回はHPの番号が書いてあるチケットを持って出たので、呼び出せた。但し、待つ場所を決めていないので、傍にいたセキュリティに変わってもらって、待っている場所を決めてもらった。

 

空港からは順調、渋滞も最少、それでも、2時間かかって住処に到着、20時だった。また、日本と時差、2時間の場所だ。

 

空港に着陸態勢に入った時に、大揺れし、上下にも相当動いた。雷雨の中に突入したからだ。17時前で、まだ、明るいはずが、外は真っ暗とはいわないが、相当、暗くなっていた。空港を出る時には、小雨になっていて、きれいな虹が現れた。ラジャ アンパットでも虹を見た。その一週間前、ブリトゥンは、虹の兵隊さん、ラスカル プランギの島だった。栗崎さんが亡くなった後に、立て続けに虹をみた。朝、ソロンの海岸を散歩して、夜はチカランの田舎の家にいる。明日は、最後のお分けに行く。

順調 帰宅 現実

 

 

3月29日  (^_-)-お別れ 2993 海へ行ったのに、腿がパンパンに張って痛む、座椅子からの立ち上がりが大変、両手を卓袱台につかまった、体を持ち上げなければならない。原因は、島に上陸してから、ちょっと高台に上がるのに、両手も前について上がるような、梯子のような急は階段を上る、それを、何回か、繰り返したからだ。歳を取ると痛みは長い時間差でやってくる。

 

リッポチカランのシロアムへ行ってきた。なんというか、ついこの前まで、一緒のカートでゴルフをしていた方が、この世から消えてしまうとは、この世に習いとはいえ、言いようがない悲しみがこみ上げてくる。栗崎さんにお世話になった方が非常に多いので、私と同じような気持ちの人も多いと思う。

 計画的な行動の勧め

この地を訪れてみようなどと思う人はほとんどいないでしょうが、実際、日本人を案内したことがあるという人には会わなかった。ダイビングのツアー客が偶に来るかなとう程度。

 

まず、この地へ来る目的を、ダイビングやシュノーケリングか、風光明媚を楽しむのか、その両方なのか、決めてから、計画を立てなければならないと思った。

それと、いずれにしても、全体を見て回る、スポットの多くを持ってみるには、最低、滞在を5日以上の余裕を見なければならない。

また、個人、少人数では、結構高くつくので、団体ツアーに便乗する必要があると思った。スピードボートで長時間移動するので、チャーター料金が馬鹿にならない、大勢でシェアーする方が良いに決まっている。

そして、天候に恵まれなければならい。やはり、乾季でしょう。4月から9月が良い。3月と10月は移行月だ。私は雨季から乾季に移行時期だった。運よく、私がボートで移動するときに天候に恵まれたが、やはり、雨が全く降らない日はなかったし、サンセット、サンライズの風景は、ほとんど見ることが出来なかった。

 

私自身が再びこの地を訪れることは無いが、もし行って見ようかなと思う人は、こんなことを念頭に置いて計画してください。

 

私は、地方のインドネシア人より、多分、正確なインドネシア語ができると思うから、一人で行き当たりばったりの旅ができるが、他の人は、お勧めできないということより、私のようなことをしないでほしい。

 

パプアの人達は、皆さん、私の印象では、皆さん、怖い顔をしている。しかし、スマトラ北部のバタム族もそうだが、顔からは想像しにくい、人懐こさがあるし、親切だ。もっとも、金次第かもしれないが、根っからの悪人は少なそう、ま、それでも、一定の距離を置くことは必要だと思うが。

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