プラスチック押出成形
隙間の中の隙間産業、隙間の仕事だから、誰も知らない。知らないから評価せれない。評価する人がいない。技術試験もない。一級二級などの資格もない。技能オリンピックのようなコンペティションもない。伝統技術のような匠として、顕彰されることもない。神業的、手品式技術を持っていても、なんとか勲章の対象にはならない。そんな、目立たない影の仕事、これが、プラスチック押出成形です。
1 人本位
いまさらと思うが、何度も書く。“弘法は筆を選ばず“ということわざが有りますね。私は、子供のころから、ソンナワケネーダローと思っていた。墨だって、硯だって、もちろん筆だって、自分が満足できる書を書きたいなら、全てを選ぶ。下敷きも紙も文鎮も、だった。弘法さんは、それらを、自分に合ったものを選んだり、作ったりすることの達人だった。だからと言って、ほかの人がそれを使ってうまく書けるかといえば、そうもいかない。やはり、それなりの技術が必要だ。人それぞれのやり方、道具の使い方がある。千差万別です。しかし、スポーツなども同じだし。以前、中学校から学業の成績に差が付き始める、と書いたが、もう、素質、遺伝、の問題です。努力する、しないも、天性です。
押出も装置を自分に合ったものを作らなければなりません。その人も装置や道具です。人優先だから、それを自覚し、システムすべてを。その人なりに作らなければならない。日本で採用した人の中で、残念ながら、私の後継者と認めるのは、たったの一人だ。大卒の工学部出身者ではない、機械や化学の出身でもない、普通高校卒だ。
インドネシア人では、ナンブとエンドオタに一人ずつだけだ。彼らも普通高校と大学出身だ。一応、適正テストを通過した百人以上に、指導し、一緒にやってきたが、私が任せると売るのは、それだけ。ちなみに、インドネシアには20年の間、できる日本人に会うことはなかった。勿論、他の国からに人もいない。私が認めた筆は、三本しかない。
2 速度重視
成形速度ではない。押出の仕事すべてに求められることは、誰よりも、どこよりも早いスピードです。同じ結果を出すなら早い方がいい。遅ければ、どんどん離される。挽回することは、ほとんど、不可能だ。急に早くなることはないからだ。倍のスピードでできるなら、失敗して、振出に戻っても、結果は同じ時間でできるし、その、失敗から、一つ学んだことにある。4倍の速度でできるなら、一回失敗しても、半分の時間でできる。後の半分は、次のほかのことができる。遊んでもいられる。一見、一生懸命やっている人と、遊んでしまっている人、どちら、結果を出しているかといえば、遊んでいる人だ。
人の余裕は速度次第
その日のうちに、ちょっと遅くまでやってでも、結果を出してしまう人は、次の日は、遊んでいられるし、勉強もできる。次の日まで、仕事を持ち越している人とでは、長期的に大きな差ができる。一般的には、一つのことだけでなく、いろいろなことに対応して、10年かかることを五年で済ませれば、5年、遊んでいられる。遊ばなければ、もっと別のことでも、普通にやれば10年かかることを5年でできる。10年で20年分ができる。可能性が高いのは。スピードが速い方だ。ゴルフでも野球でも、遠くへ飛ばすことができる人のほど、可能性はあるのと同じだ。一見、遊んでいる人、何もしていないように見えても、もともと、早くできる人は、頑張らなくても、早くできる。頑張らなければできない人は、いつかは、息切れがするし、継続できない。
学校の勉強も同じ、外見、一生懸命やらなくても、吸収が速いし、吸収量も多い、応用も聞く、当然テストの結果も良い,そういう人は、他の趣味やスポーツなどで、生活の世界が広がる。一生懸命のガリ勉で何とか、勉強が追い付いている人は、可能性が少ない。がり勉を辞めれば、すぐに、着いてゆけないし、あきらめざるを得ない。他の向いていることを探した方がいいことになる。頑張らなくても、できることが、ほかに知るかもしれない。
仕事の速度が速い人は、他人に頼らないし、押し付けない、責任をかぶせない。だから、遅い人より自然に責任が大きくなる。
以下のことも、早ければ早い方がいい。
3 他人をあてにしない。自分の仕事は自分でやる。人に頼らない。人の助け、人のアドバイスを受けたときは、その時点で、自分の責任から逃げている。うまくいかないときの逃げ道を無意識のうちに作っている。人に頼むことがいけないと言ってはいない。それぞれの分野において得意、不得意があるし、分業ということは大いに利用すべきであり、それは、責任逃れにならないし、むしろ、自分の責任でほかの人に任せるし、その人の能力向上の一助にもなるでしょう。
自分が持っている技術を武器に何かをするとき、他人に手出しされることに抵抗を感じなければならない。手伝ってもらうことが邪魔だと思うようにならなければならない。手出しされることに拒否感を持たなければならない。それは、他人が手伝いたいという気持ちを無視したり、拒絶したりすることとは違う。手伝ってもらっていいのです。その人のためになるからです。
皆で協力して何かをするとき、あくまでも分業という意味で助けてもらうことになるが、結果には自分が責任を負うという考えでなければならない。このことについても、失敗を恐れてはならない。速度につても忘れてはならない。
4 独特な仕事
押出は独特である。他の仕事と違う。似たような仕事として、ほかの仕事を上げることもできない。
例えば、N6エッジングやグロメットの製造で冷媒に灯油を使っている。水ではできない。説明してわかってもらえる人は、ほとんどいない。まったくいない。POMの細い丸棒、1mm角とか1mmφ、冷媒としてポリエチレングリコール(沸点が高い液体)を使います。これも、説明しても無駄です。説明を始めても相手は何もわかりません、それでも、分かったふりをさせることになる。だから、説明しない方がよかったなと思う。こういう、製品はほかにも沢山ある。
普通の人が思いもよらないことをするのだから、説明は無駄です。違うということは、全てが違うのです。全てです。押出を何かと同じようにやろうとする人は、エッジングを、水を使ってできると思いう人です。ふつうの人です。
もっと簡単な、安価な装置で、空冷、水冷で、透明でないエッジングを作ってしまう人がいたら、私は、尊敬します。すごい人がいるなと思うでしょう。
押出成形は、非常に狭い分野に位置するが、形や樹脂は無限にある。「できる」というなら、どんな製品でも対応できるように、できないなら、何が足りなくてできないのか、説明できるように、非常に広く、深い知識を持っていなければならない。この点は。射出でも、どんなことでも。技術と知識を裏付けとしなければならないといえる。だから、スペシャリストになるという、意識を持つこと。多くの人ができるもの、できているものを追いかけても、スペシャリストになれない。他人と同じでなければ。安心できない人には、この仕事はできない。自分独自の方向、目標、方法にこだわること、他人ができることは他人に任せればいい、他人ができないことをやればいい。他人が逃げることをやればいい。
他人から、変わり者といわれることを、誇りに思い、うれしく思う。自分は他の人と違う、自分は自分だと言い切って行動できればいい。私と同じだね、と、言われると、違うよ!と、言い返したくなる人が適している。
私は、どんな話題でも、話していて、私も同じだよ、私もだよ、と言われるのが、嫌いだ。
こういうことを書いても、分からない人がほとんどだと思う。
5 要領よくやる
頭を使い、体を使い、時間を使う。考える。早くやるにはどうすればいいか、早く考える。目先のことから考える。次々と考え、次々と実行してゆく、うまくいかなければ、元に戻る。また、別の方法を実行する。結果が出たら、経過を振り返る。それを、次に考えるときの参考にする。これらのことを、無意識のうちに繰り返し、自然に、以前より、要領が良くなってくる。早く、うまくやれるようになる。自信がついてくる。自己満足の機会も多くなる。
他人から見て、気が付かないうちにやってしまっている。やっていないように見えて、結果は他人がやるより良くなっている。結果が見えない人には、単に遊んでいるように見えるし、何もしていないように見える。だから、分からない人は、評価してくれようがない。それどころか、一見、一生懸命やっている人からは、何もしていないと、批判される。
押出は、機械の側で、何かをしているときには、行ったり来たり、忙しそうに何かをしている状態は、生産が出来ていない時、不良品を作っている時だ。原料ロスが多くなっているし、粉砕や再生ペレットを作る仕事を増やしている。何も、しないで、時々チェックしているだけの時はOK品が順調にできている時だ。その時、やろうと思えばほかの仕事ができる、他人の手伝いもできる。見た目、暇にしている人の方が仕事をしているのです。そして、その人は、ほかのことで、忙しくすることができるのです。
私が沼津の貸工場で仕事を始めたとき、向かいに名取製作所という射出の会社があった。そこの社長さん、私の会社を窓の外から、覗きながら、太田君、お前は、暇そうにしているのに儲かっていいな、と、よく、言っていた。うらやましい仕事をしているなと。
5−1 どこの世界でも、問題を周りにバラまき、いつも、周りを巻きこんで、大騒ぎをしなければ、仕事ができない人がいるものだ。その反面、ほとんど、周りを巻きこまないで、淡々と、仕事をこなしている人もいる。
はっきり言って、性格の違いだと思う。神経質、よく言えば神経が繊細、もう一つは、要領が悪い。何でもかんでも、がんじがらめにやらないと気が済まない。それを、自分だけに収めることができない。必ず.周囲を巻きこむ。仕事以外の生活においても、何かと問題を提供する。そんな、がんじがらめにしないで、後で、調整すればいいのにと思うことが押出では沢山なる。柔軟性に欠ける人は向いていない。
5−2 問題を起こさない人は、なんとなく、起きないための準備ができている。何も、対策をしていないようで、しっかり対策ができている。
例えば、原料が入荷しなくて、生産が止まってしまい、装置や人があそんでしまう、納期にも、間に合わなくなってしまう。原料が入っても。本来やる必要がない残業で作る。原因は、原料入荷が生産に間に合わなかった。最低、最悪である。
原料在庫 生産量 納期 入荷日
製品在庫 生産速度 納期 出荷日
これらの確認と手配は、どこの会社でも、十分かどうかは別にして、システムはある。しかし、それが、確実に機能し、問題が起きないという保証はない。緊急に製品を欲しいとか、受注量が変化したとか、何らかの日常的でないことが起きたとき、問題は起きるし、システムを頼りにできなくなる。
日常的であっても、他人に頼らず、常にすべてを把握していれば、緊急時にも対応しやすい。それには、独自のデータが必要。このデータをどう入手し、保管し、必要な時に必要な量を出すかが、人によってやり方が違う。
本当に書いたもののデータが必要なら自分で作るか、その担当者に作ってもらうか。とにかく作らなければならない。ただし、規模にもよるが、データを書いて作らなくても、朝、工場をぐるっと見て回れば、何が、どのくらいあるのかを含めて、生産状況まで掴めてしまえば、こんな、簡単なことはない。何か、問題が見つかれば、担当者に指示するか、自分で解決する。
納期についても、自分で把握し、担当者に任せていいのか、自分で、先方に事前に連絡しておくとか、原料の入荷が遅れそうな場合は、原因を自分で確かめ、処置を指示するか、どうにもならない場合は、自分で取りに行くとか、別のメーカーから手配するとか、その原料を使っている会社があれば、借りるとか、あらゆる手段を講じることができる能力がある。
システムがあっても、それはそれ、システムを言い訳に使っても仕方がない、自分の能力(行動、記憶)不足を言い訳に使うなら意味がある。システムはできない人のための言い訳に使うのは便利だが、できる人は、システムを無視しているのが現実だ。システム至上主義の人からは批判されるでしょうが、そうでなければ、できる人にはなれない。
6 柔軟な頭脳
6−1 図面通りに作ったら使えない。図面通りに作ったらNGになる。よくあることだ。
現在に至るまで、50年近く、カタログの寸法表と中心寸法が違っているが、使えないという話を聞いたことがない。アメリカから持ってきたサンプルと図面も違っていた。P.BEDのサイドバンパーもトヨタ紡織のトリムも日本からの図面と違う。寸法公差も違う。図面を現在の使える寸法に直してくださいと頼んでも客先は直さない、仕方がないから、自分のところで勝手に作って、それを基準にする。客先は、使えるものを作ってくれれで、いいという。受け入れ検査をしないのです。
押出製品はストローのように、そのもの、単独で使うことはほとんどない。何かとセットで使う。その相手の寸法公差が変化しても、それに、対応しなければならない。
これらのことを承知の上で、不具合を指摘されたとき、いちいち驚かないこと。相手が感情的になっても、それにまともに反応しないこと。相手が持っている情報が少ないのです。押出製品の知識が少ないのです。その人の社内的立場など、事情もあるのです。
客先に合わせる柔軟な考えとそれに対応できる技術があることと信頼される人間的余裕を欠かせない。数字一点張りで、相手も追い込めようとしても仕方がないことです。
こちらでも、相手側でも、担当者が変わった時に、しっかり、説明し、引き継いでもらう。その後は、その人たちの考え方でやってもらうしかない。トヨタボウショク(旧ABA カデラ)が受け入れ検査用の図面を頼んできたのは、担当者が変わった時でした。
6−2 成形でも原料や装置や金型の常に変化しているので、今まで通りにやっていれば、いいということはない。いろいろな条件が変化していることを感じて、それに、対応しなければならない。対応策は、それぞれの技術と知識による。問題にするかしないかは、本人の能力次第だ。
原料メーカーや商社を巻き込んで、客先の要求に逆クレームをつけたり、周囲の人を巻きこんで、問題を大きくしたりし,騒ぎ立てても、何の解決にもならない。技術と知識次第だ。
7 批判される側
批判されれば、受け答えはするが、納得する人はいない。わからない人が、批判をする。その分からない人に説明しても仕方がない。やる側、できる側は、常に批判の矛先になる。
基本的には、批判せれる側にいなければ、仕事ができない。批判するには、多くのうちに一点を突けばいい。どんな広い範囲の仕事をし、目配りし、多くのことで、順調に切り回していても、他の人からの批判はある。そういう時、自分では。十分、承知をしていることを、批判する側は、なんだかんだと、突っつきたがる。批判する側は、自分がやるわけではないので、簡単である。
結果を出すのは、批判せれる側、批判される側の方が能力は高いし、実行力がある。能力があるから、自分がやるしかない、自分でやってみようと思う。ますます、範囲や深さが大きくなる。差ができる。例えば野球でも、他のスポーツでも、守備範囲というものがある。同じ場所にとんだ球を簡単に処理する人と、ファインプレーに見える人がいる。どちらが上か明白である。また、飛んで来た球を見て、こりゃだめだと、ヒットにしてしまう人と、取れそうだと追いかけ、やっと追いついて、取り損ねて、エラーになってしまう人とでは。エラーした人の方が能力は、遥かに上である。それを見て、解説者が、もし、エラーの人を判断が間違いと批判するなら、その解説者は、自分の能力が足りないことを認めているようなまの。解説者ができないことを彼はやろうとしているのです。
押出成形も同じこと、分からない人から、批判されるようなことをしないと前に進まない。そんなに言うなら、自分がやって見せろよ、と、思うのが押出だ。口には出さないが、サラリーマンの時に、何度、思ったか、そして、頭を冷やすために、その場から離れて、工場の周りや隣のグランドを回った。
8 決断する勇気
必ず、未経験の仕事はやってくる。その仕事を引き受けるか、断るか決めなければならない。引き受ける決断をする勇気が人用。引き受ける裏付けは何か、勢いである。速度である。そんな無責任な、と、思う人は、この仕事に向かない、批判する側の人である。もし、手こずれば、それ見たことかという人だ。勇気を持っている人の決断を応援できない雰囲気は、押出に向かない。
9 最後に 押出成形は、成形条件標準書、作業標準書通りにはできない。樹脂によって、大きさによって、厚さによって、オープンか閉じたものかによって、成型方法が違うし、温度条件や速度も違う。変える要素が無限にある。同じ原料でも、ロットによって、条件が違う。また、OK品を流していても、刻一刻と条件が変わる。それらを見抜いて、条件を変えなければならない。機械、装置、金型が製品を作るのではない、人間がそれらに適切な条件を与え続けなければならのが、プラスチックの押出成型ができるといえる、条件だ。
インドネシアには、プラスチック押出製品なら、何でも、引き受けるといえる人は、私しかいない。
2017年6月12日
実績は、以下です。