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2012年5月22日 クンダリくんだり

 南東スラウェジのモラワ(Molawa)という東海岸のプンギナパンにいる。地図は間違えている。

ここで何をしているかというとまだ何もしていない。18:00(バリと同じでジャカルタタイムより1時間早い)頃、この町へ着いた。何故ここへ来たかというと、クンダリという名前の町があるのをインドネシア人から聞いていて、海がきれいだと言っていたので、来てみた。クンダリは最後の日に見て回るとして、二日を海のそばで過ごそうと思って、空港のインフメーションで聞いたら、北の方に海岸の奇麗なところがあって、ホテルはないがプンギナパンはあるというので、タクシーの運ちゃんに行くように言ったら、45万Rpだという、約100Km、3時間かかるという。それで、OKしてここにきている。

 実は大変だった。4:00に家を出て、空港へ向かった05:30には空港へ到着した。ライオンのカウンターへ行ったら、予約されていないという。しばらく待ってほしいと言い残して、担当者がどこ変え行ってしまった。そのカウンターで10分ほど待った。後ろについていた人が、ぶつぶつ言いながらいなくなっていった。担当者が戻ってきて、お助けカウンターの方へ行ってくれという。其方へ移動して、また、10分ほど待っていたら、別の男の担当者が来て、手違いで、8:15のフライトには乗れないので、06;00がまだ、出発していないから、06:00でいいかと聞いてきた。間に合うならいいよと、答えた。もう、06;00を過ぎていた。それから、また、10分ほど待った。その間に、私の他にもう一人同じ事情の人が私の隣へやってきた。あなたもクンダリか、という話なった。それから10分待った。今度は同じ担当者が、06:00のは出発してしまったから、8:15発でバリクパパン経由の便か、直行便があるので、どちらかにしますという。私はどちらでも、とにかく、目的地へ着けばいいのだから、承知した。それから、また20分ほど待った。その間に同じ事情の人が10人ほどになった。その人たちにも同じ説明をしている。私は、この、込んでいる時期にこんなに大勢の人をミスブッキングにしてしまったのも変だし、代替えのフライトに空きがあるとは思えないので、言っていることが変だと思いだした。それから、また、20分ほど過ぎた時には、20人以上になっていた。問題のE−チケットがカウンターにどんどん増えてゆく。そのうち、一人の男性が切れだした、もう一人の女性も切れだした。もっと上の人間を呼んで来い、と言い出した。こんなところで、1時間も待たせておいて、まだ、搭乗券をいつ受け取れるかの返事もない。何とかしろ、という感じ。

 8:15のフライトなのに7:15を過ぎていた。やっと、別の女性が現れて、PCの故障で、皆さんのボーディングパスを発行できない状態になっていたのが原因でした。今から、至急、手書きで、作りますから、その間、ラウンジでお待ちくださいということになった。ラウンジへぞろぞろと皆さんと移動した。それから、20分後にやっと、手書きのボーディングパスを渡された。一番、最初にE−チケットを私が呼ばれたのは一番、最後でした。チケットが一番下だったのです。そんなことにも気を使っていない。

 それからおまけがあって、皆さんはワンウェーなのでしょうか、E−チケットを受け取っていない。私は往復なのでE−チケットを返しと貰わなければ困る。それを、言ったら、あわてて,とりに戻った。やっと機内の人になったのは08:00でした。

 

 マッカサールでトランジット、機体も変わる。トランジットデスクでボーディングパスの新しいものを受け取った。ピントゥ3ですと、念を押されるように言われた。新築ターミナルの一方の端でした。搭乗のアナウンスがあった。ところが、ピントゥ6からと言っている。変だと思った他の人が確認した。6が正解。また、一方の端まで移動した。それも、皆さん急いで移動した。搭乗のアナウンスだったからです。ところが、6番ゲートの部屋にはいいたら、まだ、搭乗の段取りにはなっていなかった。皆さん、立ったまま。また、10分以上待たされた。

 ジャカルタからクンダリ行きの皆さんはライオンエアーに好いように、遊ばれた感じでした。そりゃ、怒る人もいて当然だよ。

 ジャカルタの中心の上空を通過した。このルートも珍しいが、スリッピ、グロゴール付近、JLスディルマンやタムリンやモナスをこんなにはっきり上空から眺めたのは初めてです。

とにかく、クンダリくんだりまでなんとか着いた。

遊び 怒り 忍耐

 

 

 

    5月23日 動けず

 モスジッドは沢山あるが、スピーカーからの祈りの声は一日中聞こえてこない、遠くからも聞こえてこない。いいことだと思う。朝は鶏の声で起こされた。

雨季がまだ続いていると、地元の人が言うとおり、一日中降ったり止んだりで、外へなかなか出ることができなかったが、昼過ぎに二時間ほど、海岸を散歩することができた。この辺りには、何もないことも分かった。実に何の変哲もない、単なるインドネシアの田舎町です。クンダリから三時間もかけてくる日本人が珍しいようで、歩いていると子供ばかりでなく、大人までどこから来たと、人懐こいというよりなれなれしく話しかけてくる。海岸を歩いていると、浸食が進んでいるようで、砂浜が狭くなっていて、緑の岸まで波が打ち上がってくる。砂浜を歩けない個所の方が多くて、草むらの中を歩いていた。そのすぐ脇に、みすぼらしい家が並んでいる。その草むらは、その家の土地の一部なのか、公共のものなのかはっきりしない、ときどき、それらの家の庭のようなところを歩くこともある。干しものをしている女性は、何者?こんなところを、変な国籍不明人が歩いているのは、という顔をしているので、怪しいものではないと私から挨拶をした。

  海岸は浸食されて無くなってきているので、岸辺のヤシの木の根元も並みに洗われ、海側に傾いているヤシの木も沢山あるが、海岸の沿いに倒れてしまって波に洗われ、大きな根っこの塊だけが海岸にたくさん残っている。景観が台無しだが、自然現象だから仕方がないし、景観を大事にしてお客さんを予防などと考える人はいないようだ。もっとも、このくらいの場所は、インドネシア中どこにでもあるし、アクセスがいい場所も沢山ある。ワカトビというダイビングスポットがクンダリのずっと南の島にあるが、スピードボートで5時間かかるそうだが、その場所に対抗するような場所もこの近くにあるらしいが、積極的に開発する気もないようだ。

農業、漁業で自給自足の生活をしている、それはそれで、いいのではないかと思う。路端で魚を売っていた女性に旦那さんは船を持っているのかと聞いてみたら、この魚は、彼が朝、取ってきた魚だという。沖の島の方へ行ってみたいが、船を出してくれないかと頼んだら、旦那に電話をしてくれて、旦那は引き受けてくれた。天気が問題だが、とにかく、明日、早朝、出かけることにした。

 

 田舎で雨で車もない、どうにもならない。

我慢 変な人 散歩

 

 

5月24日 充分動いた

 クンダリの街の中のホテルに入った。

 P,Labengka(プラウ ラベンカ)を一周して出発から3時間で戻ってくるためにMolawaの港から06;00に出発した。種を明かすと私が使っている地図は小中学校で共通で使う地理の教科書です。その地図によると、この島の周りに5個に島があるはずです。その島々を巡ってほしいと、漁船の持ち主に頼んだが、曖昧な返事だが、無理だと言っていることは分かった。地図を示して、この辺りまで一時間半かけて行ってくれ、そうすれば、港に戻るのが09:00になるでしょ。と、説明した。どうも、その説明を理解できないらしい。ポンポン船(インドネシアでも、ポンポンという、ちなみに船外機はヤマハという))のエンジンのけたたましい音と振動に中で大声を出しなお且つ、耳の傍で話を一生懸命するだが、わかってくれない。何となく、私の言うことが気に入らなくなったのか、機嫌が悪くなったような気がした。どうしても、わかってほしいので。紙に書いて説明をした。やっと、一番遠いところまでゆく時間とそこから戻って来る時間が同じだという、前提で話をしているのが分かったらしい。分かると、急に、聞いてもいないのに、家族の話しをしだした。私もホッとした。

 沖へ行くにしたがって、うねりが大きくなってきた・沖の方からそのうねりが向かってくる。次第に大きくなり、白波が立つようになってきた。船頭は慣れているから、平気だと思っていたが、どうも、相当心配になってきたらしい、戻りたいと言い出した。まだ、一時間も過ぎていない。島の向こうまではまだ15分くらいかかりそうだが、肝心な地図になる小さな島がないようだ、船頭に聞いたら、あることはあるが、こんなに近くない、もう、一時間は掛るという。そこで。船頭の緊張を解くために引き返すことにした。その代わり、島に沿って、島の北方にある小島を目指すように頼んだ。

 

その島に近づくに従って、今度は、水深が浅いから、その島を一周できないと言い出した。私が見たところそうは見えない。とにかく行ってくれと頼んだら。しぶしぶ、承知して向かった。そのうちの船の後ろの波が高くなってきた。他の子船もゆっくり進んでいるが、水を分ける波の異常に高い、こちらの船も、すれ違う船も、その波を受けてローリングが大きくなってきた。それで、船頭が言っていたことが分かった。そのうち、極端にスピードを落とし、竹竿を海底に指して漕いで進むようになった。50Cm位の水深だということが分かった。

 そのまま、漕いで、浅いところを通過したのが、出発してから2時間過ぎていた。そこから、一直線で港に戻った。一時間以上は掛るはずだったが、帰りは、波乗り状態だったので速い速い、40分くらいで戻った。Molawaの部落を沖から撮影したが、本当に小さな部落です。それでもテルコムのアンテナ鉄塔が立っている。沖からみると、海岸沿いの5kmくらい間隔で鉄塔が立っているのが見える。

 09;30に迎えの車に乗ってクンダリへ向かった。14:00前に町の中に入った。海岸沿いに安いホテルと高いホテルがあるから、そちらで、ホテルを探そうと運転手が言う。スイスホテルへ行った。クンダリ一のホテルだという。値段を聞いてびっくり、シングル部屋でなんと、1,4ジュタ(一万三千円位)、やめた。次は安いところ、ゴールドホテル、15万Rp(約千四百円)、部屋を見せてもらったら、真ん中の通路の両側に4m四方の部屋があり、ダブルベッドが入るとすぐのところに置いてあり、その向こうの総ガラス張りの向こう西洋式のバスタブが見える。便座はその横に見える。明らかに目的がはっきりしたホテルである。インドネシア人もイスラムとはいえ、好きなものは好きなのでしょうね、地方の田舎のちょっとした町にこういうたぐいのホテルは必ずある。海岸沿いにケバケバシイ塗装をした、似たようなホテルが並んでいた。スマランの郊外の様子を思い出した。

 市街地に入って、ATHAYA(アタヤ)という並みのホテルに決めた。50万Rpです。

 島巡りは今にも雨が落ちてきそうな曇天の中でした。クンダリについて青空が見えてきた。午後、2時間ほど街をぶらぶら歩いた。信号が案外多かった、それも、機能をしていた、インドネシアの街にしては珍しい。ところで、四差路に横断歩道の横線がある。その向こうに歩行者用の信号が無い。私以外の歩行者はいない、向こうに警察官がいる、車は赤信号で止まっているが、他の方向から、車が来ている。向こうの警察官にゼスチャーでわたってもいいかと聞いたら、いいという。そこで、渡って、歩行者用の信号が無いから迷うよ、と言ったら、知らん顔をされた。

  今回の旅もそうだが、ビンタン島そうだった。停電が頻繁に起きる、時間での計画停電ではなさそうだ、時間が決まっていない。自家発電で直ぐに回復するにしても、いったん電源が喪失する。バッテリーが機能をしていないラップトップは一瞬でせっかくのデータが消えてしまう。ガッカリです。私は、常にUSBメモリーにコピーしながら、オペレートをしている。バッテリーだけで、3万円する。新古PCを安く買った。そして、二台持ち歩いている。

 停電 算数 ホテル

5月25日 旅の印象

 チカランへ戻った。旅の印象というよりインドネシアの印象です。インドネシア国内の旅をしていると、私が通常生活している地域ではそういうことはないが、車の燃料、ガソリン、軽油と家庭や道端のカキリマなどで使う、3KgLPGが不足していることが、深刻な問題になっていると感じる。ガソリンや軽油は道端で、ペットボトルで売っている、リーッター6000Rp〜10000Rpする。LPG3kgの標準価格は13000Rpだが、20000Rpになっている。ガソリンスタンドには長蛇の列、その中の何台かは、今、ボトルへ移してタンクを空っぽに近い状態にして戻ってきた車である。警察が取り締まるはずなのに、警察が仕切っていると、人々は言っている。

 

 インドネシア全体というか、チカランもジャカルタもその他の場所も、今回歩いた場所も共通していることがいくつかあるが、特に例外なく共通していることがある。どこを歩いても、臭い、悪臭である。生ごみが腐ったにおい。プラスピックを燃やしている匂い。本当に、ひどい、鼻を摘まんで歩きたい、思わず、しかめっ面になってしまう。

 ポカリスウェットがささやかにポーズで海岸の清掃をして、コマーシャルで流している。こんなポーズが商品の宣伝に使われるほどインドネシアのゴミは至る所にばらまかれているし、流れている、飛んでいる、移動している、自分でゴミを投げ捨てたことはないというインドネシア人はいないでしょう。

 

 ゼニアの新車を持っている運転手を使ったが、その車に、なんと、カーナビが着いていた。3ジュタでつけたという。インドネシアで始めて見た。ちょっと感動した。しかし、このスラウェジの田舎町の人がカーナビを必要というのが不思議。勿論、CDプレーター、USBメモリーのミュージックなど一般的な機能をある。そのカーナビだが、画面が変、海に沿って走っているのに、海が無い、その代わりに山がある。田舎のジャングルを切り開いた道は曲がって入るが一本道です。偶にわき道に出会う、しかし、その道はない。

 

 こんな田舎の町で、道が沢山あるわけでもないし、曲がりくねっていて、方角がわからなくなる、てなことも無さそうだ。何故、必要なのか聞いてみたが、客を案内するのに必要だと思ったからだという。都市のタクシーの運ちゃんではあるまいし、この田舎町でいらないでしょうと思う。

  

 ホテルの朝食が私に合わない、全部、辛そうだったし、残り少なく、不潔に感じて、食べるのを止めた。外へ出てルマー マカンを見つけてそこで食べた。ブブールアヤム(鶏肉とお粥)とベベックゴレンをいただいた。テータパナスワール(熱い紅茶に何も入れない)込みお込みで、2万5千Rpでした。

 カーナビ ゴミ 燃料不足

Kendari Sulawesi Tenggara