2012年5月29日 いつも来る場所
また、パンガンダランに来ている。他に行く当てが無い時には、ここが一番いい。ゲートを通るとまっすぐ伸びたジャラントール、地元の人はそういう。お金を払って通る道だからです。突きあたりが西海岸です。中央分離帯のある、片側二車線の広い通りです。その西へ向かって海岸に突き当たる前、左側のホテルにいる。このホテルに泊まるのは初めてです。何故ここにしたかというと、反対車線を隔てて50m位のところにテルコムの中継鉄塔があるからです。このホテルの前で、電波の具合をチェックしたら、フルだった、いつも、東海岸のホテルを使っていて、馴染みになっているが、ネットのローディングが遅くて無駄な時間がかかってしまう、今回は、電波の強さ優先で選んだ。しかし、部屋の状態は良くない。トイレは臭い。アクアガロンボトルのデュスペンサーがない。何より、広い道に面しているので、バイクの騒音が大きい。
真ん中の地図は位置が違ったり、名前が違ったり、無いものがあるように書いてあるので、鵜呑みにはできません。
西海岸の肩に近い部分まで50mほどの距離、17:00頃部屋から出て、西海岸へ行ってみた。平日というのに、夕方の人出は多いと思った。サンセットが近いので、恋人同士でしょう、お互いに写真を撮り合っている風景が目に付いた。久しぶりに天気が良い日に当たった。
まだ、乾季にはなっていないと言うが、グリーン キャニオンやバトゥ カラス方面へ向かう道の補修工事が始まっている。アスファルトを剥がして、土を露出させ、ローラーで固める工程になっていた。そのデコボコたるや、半端じゃない。多分、アスファルトが完全に敷かれるまでに3カ月以上かかるでしょう。本当に毎年のように同じことを繰り返しているように思う。なぜ、雨季になると、穴ぼこだらけになって+しまうのでしょうか。
インドネシアの道路工事をする人や会社はそれで平気なのでしょうか。10年以上、穴ができない道路を作って見せると思わないのでしょうか。毎年、補修することを恥と思わないのでしょうか。インドネシア全土で言えることです。
写真より遥かに実際の方が美しいし、スケールが違う。サンセットと既に沈んだ後。
ルンバープトゥリからのパンガンダラン、ウェブ サイトの表紙になっています。10年以上前の写真と今日の写真と同じですね。
天国 ローディング サンセット
5月30日 現地の仲間達
パンガンダランの三人の友人と一緒にチャガールアラムへ入ってラフレシアを探した。残念ながら、開いている花に会うことはできなかった。その代わりにユリの花そっくりな大きな花に会った。名前は知らないが、十何年も前からこのジャングルへ入っていて、初めての発見だった。
イワン君、サーファーで、西海岸でインストラクターをしながら、特に欧米オーストライアからのサーファーの面倒を見ている。6月にオーストラリアから戻ってくるラシッド君のすぐ下の弟です。日本人がたま〜〜に来るが、その相手もする。
アケオ君、ライフガードの幹部です。十数年前、私がパンガンダランへ行きはじめたころ、西海岸にライフガードが生まれた。バリのクタ海岸のライフガードが手本だった。その最初の数人の内の一人だった。今は50人以上いる。この前の四連休は一日、ざっと、四万人は来ていたという。忙しくしかったという。今日から、金曜日まで三日間OFFで、私のラフレシア探しの手伝いをしてくれた。日本語も片言、できるようになっている。
アウェン君、イワン君の弟、水泳が苦手、水が怖いらしい。今、22歳だが、彼が15歳の時、嫌がったが、経験だと思って、初めて、ヌサカンバンガンへ連れて行った。ところが船酔いで散々だった。それ以来、誘わない。ヌサカンバンガンへ行こうというと、おなかが痛いと言い出す。
その彼は、チャガールアラムのガイドをしている。私の評価では、彼の鼻が一番、敏感だと思う。何人かの手伝いで入るが、彼が、匂うというのが一番早い、どちらの方向から匂ってくると、指摘する。それに従って、みんなで探せば、必ず見つかる。大木の根っこの向こう側や急な登りの向こう側などはその場所まで行かないと見ることができない。匂いが頼りである。
この前の四連休の一日に日本人夫婦をチャガールアラムに案内したそうです。日本でイチゴ園を経営している人だという、色々聞いても、仕方がなおので、何も聞かなかったが、ラフレシアになかなか会えなくて、何とかしてあげたくて、匂いを頼りに一生懸命探したそうです。一つだけだったが、発見することができてよかった、特に、奥さんの方が、子供のころからの憧れだったようで、大感激していたとか。
そんな彼らとジャングルから出てきて昼食、カカップメラ(鯛)のゴレン(唐揚げ)、カカップヒタン(石鯛)はバカール(焼き)、チャーカンクン、チュミチュミ(イカ)はバカールとゴレントゥプン(小麦粉をまぶしてフライ、てんぷら)、ウダン(エビ)はバカールで食べた。飲み物はテーパナスタワール、全部で4千円(44万4千Rp)でした。
ラフレシア がっかり 仲間たち
5月31日 私の天国
あさ07:00頃、西海岸から出発してチラチャップへ行ってみることにした。車で、マジンクラックまで行って、そこから、ボートを借りて、ヌサカンバンガンの北側の水路を通ってチラチャップへのルートでした。特に目的は無かった。一緒に行動していた三人が行ってみたいと言うから、それなら、行ってみようか、という感じ、しかし、海が苦手なアウェン君は来なかった。
このコースは私にとっては二回目だった。例の監獄の前を行きも帰りも通る。チラチャップの街は上陸して歩いたことがあるので、上陸は止めて、川(海だか川だかはっきりしない)を北上して、石油コンビナートに近づいてみることにした。パンガンダランでサーフィンをやってばかりいたり、ライフガードとして、浜辺や海を見回ってばかりいる人たちに、石油コンビナートを見せてやりたいと思ったからです。私が知る限りではジャワ島の西の端、ムラック(Merak)にエチレンなどのナフサから各種、石油製品を作るコンビナートがある。PPやPEもつくられている。
チラチャップでは原油を各種油に分ける仕事をしている。ガソリンや軽油や灯油、各種重油、ナフサなど、蒸留によって色々な成分に分けるのです。その生成物を作る各種蒸留塔と保管する円形のタンクが多くみられる。何年か前にタンクの一つが爆発炎上して、夜はきれいだったという話をされたことがあるが、表現がインドネシアらしいと思ったことがあった。
そのまま、来た道(水路)をそのまま、マジンクラックまで戻るのも味気が無いので、ヌサカンバンガンの西海岸へ寄り道をした。パンガンダランから真東に向かって二時間ほど掛けて、十数回、行ったことがあるが、マジンクラック側からは一度、試みたが、外海からの風と高い波の為に断念したこと上がった。今回も行けるかどうか心配したが、何とか、2Mくらいの穏やかなウネリだけの場所がったので、そこを通過して外海へ出て迂回してヌサカンバンガンのお馴染みの広い誰もいない海岸へ行くことができた。ジャングルの中やパンガンダランの西海岸の波の具合しか知らない同行の若者を私が案内したようなものだった。船の持ち主も川で漁業をしている人なので、今回のルートについては知識がなかった。私の指示に従っただけである。
帰りはそのルートを逆に走るだけだったし、波乗り状態で快適だった。ヌサカンバンガンまでの波の状態はどこのコースを通っても2m以上のウネリの中を小さい船で進まなければならない、事故があって、何人死んだという話も何回か聞いている。つい、二年前にも、大きな事故があったという話は書いたことがる。実際、何人かの日本人を連れていったことがあるが、何人かは途中で引き返したことがあった。ウネリの中をゆったり上下するだけでも、恐怖を感じるようだし、高い波で船が跳ね上がったり、ドカンと落ちたりの繰り返しにたまりかねて、もう、引き返そうというのです。インド洋の日常的な大波は日本ではなかなか見ることはできないし、ジャカルタ辺りやプラウスリブへ向かう東シナ海では、この波を想像できない。サーファーが魅力を感じるわけです。
でも、私は日本人の皆さんに是非お勧めです。十何年か前に初めて行って、その魅力は消えることがない。何度行っても爽快な気分に浸れるし、安い値段で、海の幸を海岸で堪能できる。何よりも誰もいない海岸と海を一人占めした気分は最高である。ジャングルの滝壺で泳ぐのも一興だが、ヌサカンバンガンの海で泳ぐ(プカプカ浮いている)のは、ずっとこのままになっていたい気分である。
6月1日 (^_-)-☆紙一重
1234 09:00出発でチカランへ向かったが、着かれていたのか、バンドン南の高速道路に差し掛かったころ睡魔がやってきた。何回か、はっとして、キュウブレーキを掛けたり、車線をまたいで走行してしまっていたりしていた。顔に水を掛けたり、メンソレタームをかいでみたりしたが、効果は無かったようだ。しばらく、居眠り運転をしてしまったが、途中でサービスエリアに入ることができた。どういう状態で車を駐車したのか覚えていない、多分そこまで、4時間以上運転してきて、途中ガソリンスタンドに寄ったことと、ウビを買ったときにちょっと車から降りただけだったから、13:30頃だったと思う。直ぐに眠ってしまって、目が覚めたのが、なんと、3時間後の16:30だった。目が覚めて、すぐ出発し。高速道路だけを走って家に着いたのが、18:00でした。ほぼ日没の時間でした。それから、なんだかんだ、片づけを終えて、20:00には、眠くなって寝てしまった。目が覚めてしまったのが、先ほど、02:30だった。
疲れていたようだ、自分では、そう思っていないが、今回の運転距離は往復の他の現地での移動を会わせて750Kmでした。ジャングルへ入ったり、海で泳いだり、小舟で何時間も移動したりで、疲れることばかりしていたが、私にとって、こんなことは普通のことで、疲れるから、大変だから。止めようと思ったことはない。
しかし、今回の行動は。今の私にとっては、無茶だったことを体が教えてくれたような気がする。
仲間と一緒に行動しているときには、それでも、何かあれば、彼らが助けてくれると思っているが、一人で、運転している往復時には誰も助けがいない。万が一の事故に遭遇した時のことを考えると、自分の疲れ具合に注意を払おうと思う。無茶をしているなと思う、レベルの判断基準を下げなければならないと思う。体は正直だと思う。無茶はするなと言っている。分かっている。パニック障害に掛りやすい人だということも分かっている。
とのかく、無事に家に到着して良かったと思いう。
ラフレシアに会えなかったことが残念だったが、2日はウェーティングだったゴルフの予約ができたとレスプニストから連絡が入ったので、今朝のジャングル入りは断念した。
途中の風景、田植えが終わったばかりの田んぼ。全部、手で植えます。