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Pangandaran

刑務所

パンガンダラン、Pangandaranの紹介です。
PANGANDARAN(パンガンダラン)聞いたことがありますか。インドネシア人で知らない人はいません。それほど、有名な場所です。行ったことがあると言う人がほとんどです。行ったことがない人は、一度でいいから、行ってみたいと言います。
  日本人で知っている人はインドネシア通と言えるでしょう。行ったことがある人はもっと通かもしれない。インドネシア滞在16年間、60回以上当地を訪問した。これからも、何度か訪れるでしょう。私にとってはそれほど魅力的な場所です。今、68歳ですが、70歳までは行くつもりでいる。

 色々な楽しみ方ができるのが一番の魅力です。食、風景、ジャングル探検、山歩き、泳ぎ、ダイビング、喧騒、静寂、日の出、日の入り、インドネシア人との会話、早朝から真夜中まで、その人の趣味、得意不得意に合わせて楽しめる。あの事も、このこともやろうと思えばできます。
 バリは外国人のためのリゾートでパンガンダランはインドネシア人のためのリゾートという印象が強い。家族、会社、学校、大人だけ、女性だけ、一族などあらゆる形体のグループでも何かを楽しめる。そのうちの多くに人は。西海岸で波と戯れるのが一つです。私が必ずすることは、チャガールアラムへ入ってラフレシア(ブンガ バンカイ)を探すことです。必ずです、行って、ジャングルへ入ったことがないということは一度もありません。

どうです。同じ西海岸です。

位置 中部ジャワの南西端チラチャップの西、西部ジャワの南東端に位置する。インド洋に突き出た、周囲5Kmほどの半島、これを頭とすれば、その細い首根っこと肩、胸からなる地域をパンガンダランと言う。ジャカルタから平均9時間(途中給油や昼食で一時間を含む)余りかかる。私がベースにしているチカランから最速で6時間半だった。チアミスからあと200キロという看板があらわれ、10Kmごとに看板があるので、確認しやすい。以前は、10時間11時間当たり前だったが、現在は凸凹も少なくなり、バンドンを過ぎてからの山道が拡幅されたり、タシクマラヤ辺りはバイパスができたりで、だいぶ時間が短縮された。
 なんといっても、バンドンまで高速道路が通じてチレニーまで、高速道路だけで行けるようになったことが大きい。

  ウビの店群を過ぎると、急な下りになる、途中でチパナス、パパンダヤン、ガルット方面との分かれ道に差し掛かるが、真っすぐ、タシクマラヤへ向かう。この辺り、豪快な棚田が左右に現れる。日本人にとっては魅力的なインドネシアらしい風景だと思う。
 タシクの街へ入る手前で、バイパス(チアミス方面と書いてある)に入る。いつも空いているこの道は、スピードを出したくなる。道なりに行けば、チアミスの街に入る。そのまま、一方通行の広い道になる。帰りは、この道の南側の道を使うことになる。
 しばらく、山また山の中を通るとバンジャールに入る。真っすぐ行けば、ジョクジャカルタ方面になる三差路を右折して南へ向かう。ここから、残り、60Kmで一時間半で着く。バジャルサリという町を通過する、ここからは一時間である。マジンクラックやカラピアックの看板、カランニンジやルンバープトゥリの観光スポットを通りすぎ、パンガンダランの入口前の交通信号に至る。目の前に、ゲートが見える。車の種類によって金額が違う。以前は真面目に払って入っていたが、今は、現地人の振りをして、軽くクラクションを二回鳴らし、手を挙げて、合図し、通過してしまう。
支払った場合は、領収書を見せれば、何度でも出入りできる。キジャンで二万七千Rpだったと思う。

真ん中の地図は分かりやすいが、間違いが多いので注意。私の地図の方が分かりやすいし、正確です。

Peta Pangandaran
Map of Pangandaran
パンガンダランの地図

 

半島を中心に東西50km南北20kmの地図ジャカルタからパンガンダランへの道程

ジャカルタと周辺の町から直通バスが出ている。日本から行く場合は、ジャカルタからバス、10時間、バンドンからバスで5時間、ジャクジャカルタからバスで7時間、ほんのたまに日本から来た日本人に会うし、来たという話を聞かせれる。日本からでは、かなりの旅マニアだと思う。バリ経由、ジャクジャ経由でおそらく最低、二泊日でたどり着くところだ。

 
  道中
 チカンペック、パダララン関の高速道路は、カーブが多く、坂道が異常に急である。車の速度差が大きい、また、必ず、どこかで、補修工事をしていて急に一車線になるので、注意です。バンドン、チレニーを過ぎて、タシクマラヤ間の大部分が上り下りの山道、登れないトラックが立ち往生していたり、それでなくてものろのろなので、見通せない曲がりくねった道で追越を連続でかけなければならない。危険といえば危険、充分注意が必要だが、追い越さないで行ったらいつ着くかわからない。所々で後ずさりをする車を止めたり押し上げたりする事を仕事にしている子供たちがいる。帰りのほうが急な登りが多いので、そういう場所で若干緊張する。渋滞しやすい場所も、今はこのあたりだけです。

 以前は雨季になるとアスファルトがはがれ凸凹がひどく(特にバンジャールからパンガンダラン)、避けることができないほどだったが、いまは、舗装が上乗せされほとんど凸凹はなくなっている。ただし、グリーンキャニオン方面はまだ改良されていない。

 ガソリンスタンドが途中どんどん増えている。最近オープンしたガソリンスタンドにはミニコンビニが併設され、以前のように燃料切れの心配をすることが無くなった上に、トイレにもまったく困らなくなった。レストランやサービスエリア、ドライブインも道中次々と通過する。特に高速道路を下りて、チレニーの街へ入ったところのタフ スメダン街道、タシクマラヤ県に入って直ぐのウビ(サツマイモ)街道は有名です。ざっとみて百軒以上の店が並んでいる。

 休憩や食事は、出発時間によるが、気が向いたときに、いつでも、ハートマーク、トップとニュウトップから 写真集や旅行集をお楽しみください。どこでもできる。コンビニもひっきりなしに出てくる。

 バスの運転の荒いこと、乗用車並みのコーナリング、バスの上部は大揺れに揺れている。抜き方も半端ではない、強引さは感心するほど、其のバスと道中ずっとファイトしなければならない。日本人の心配性の人なら、この状態を恐ろしいと思うでしょう。  

 

 バンジャール辺りから、荷物ではなく人間を満載したトラック(トラック パリウィサタ、観光トラックと言っている)が増える、そうしてまで、パンガンダランへ行くのである。ふちに乗っている人間はつかむ所があるが、中ほどの人は大変だろうと思う。でも不思議なのはそのトラック達は何処に駐車しているのでしょうか、現地ではまったく見かけない。多くのインネシア人は、夜に走って、明け方到着し、夜明け前から、海岸で遊ぶようです。だから、朝、6時頃の西海岸が一番に賑やかだと思う。バスはパサール パリウィサタの裏側に駐車しているので、一般観光客はそこを見ることはない。百台以上は駐車している。

インドネシアの道は何処でも同じだが、道路標識は主な分岐点の手前にしかないし、その看板が木の葉で隠れて見えにくい、道沿いに何処方面という看板がないので、その道が正しいのか間違っているのか確認できない、怪しいと思ったら聞いて確認したほうがいい。私は看板など必要はない。店や公共施設の看板に町の名前が必ず書かれているので地図を見ながら通過する町の確認ができる。

   
状態 西海岸は海水浴場で広大な砂浜が広がっている。朝早く行ってみると、混んでいるときは、夏の湘南も真っ青といった雰囲気、はるかずっと向こうまで人が点のように見えるところまで、人人で大混雑(何万人)、泳がないで、海岸でうろうろしている。海へ入る人間は5%もいない。最も泳ぎが達者でないと危険、インド洋の荒波は半端ではない。これがインドネシア人の楽しみ方、ここに来ているということが満足なのでしょう。以前はタイヤの貸し浮き輪が多かったが、最近は貸しボディーサーフボードが増えている。マリンジェット、サンドバギー、おまけにハーレー族、なんでもありのごちゃ混ぜ状態、しかし、日本の暴走族のようなやつはいない。

 こんなに人がいても、日本人にはまったく会わない。聞くところによると、私が特別で、何回も来る人はいないし、日本人にはほとんど会わないらしい。

 ジャワ島の人なら、ほとんど誰でも知っている。しかし、日本人はほとんど知らない。何故でしょうか、情報源は、観光ガイドブック、旅行会社の広告、ジャカルタ新聞、カラオケ。これらから、パンガンダランは出てこない。知っているのはプラウスリ(インドネシア、ジャランジャラン入門編)、まずリゾート地で行くところはそこ。インドネシア人からパンガンダランについて教えられたり、行きましょうと言われることはない。とにかく、遠い。飛行機はスシエアーのセスナがハリムから出てりるが、知る人はいない。。車で半日がかりである。小さい子供は、耐えられないだろうし、男ばかりででかけてもしょうがないし、ゴルフ場がないので、そのついでともいかないし、とにかく、日本人のおじさん族は行きにくい場所だと思う。直行バスは、ジャカルタからは勿論、ちょっとした町からも出ている、ただし、危なそうでバスで行く気にはなれない。バスの運転の乱暴なこと、あれでは事故が起きても不思議ではない。其のバスと、勝負しながら、自分で運転ですから、他人には進めることができません。日本人以外の外国人(欧米系、オーストラリア)にもほとんど会いませんが、たまにバスツアーできています。オーストラリアからサーファーが常時、何人か来ている。

 人出の様子はここ独特で、こんなに朝早くから夜遅くまで賑わうリゾートは他にない、インドネシアで唯一、無二ではないでしょうか。バリが外国人のためならまさしくここはインドネシア人のためのリゾートである。二人乗り、三人乗り、余人乗りまである、貸し自転車が人気なのがほほえましい。インドネシアのひとにとっては、そこでなにをしたとか何を見たと行くことではなく、学校時代に行ったことがあり、また、もう一度来たというのが、ステータスになるらしい。 

 以前は西海岸通りに乗用車、観光バスが何百台と駐車していたし、みやげ物の小さい店が場所を奪い合うように両脇に出ていた。今は、首根っこの北部分、入り口に近い場所にバスは駐車するようになっているし、土産物屋も同じ場所に移転させられている。ただし、土産物屋は立地条件が悪く(ホテルや海岸から離れている)、そこまで、買い物に行く人はごく少なく二百件以上ある店は閑散としていて移転させられた人達は不平たらたら、当然だと思う。またもとの西海岸に戻りたいといっているし、実際少しの店が戻ってしまっていた。それも、2006年の津波で流され、それ以後は店を出すことは禁止された。
 ところが、また、今は西海岸のワルンや土産物屋やテンポラリの刺青屋が津波以前以上に完全に復活している、おまけに、今までは無かった、サーファーのためのカフェが何軒かある、欧米人と地元のサーファーの交流の場になっている。

 東海岸は漁船の停泊場所、満ち潮のときは海岸が消え、波が海岸道路に打ち上げている。おいしいレストランや魚市場はこちら側だが、人出は少ない。夜、波の音が気になって眠れないという人もいた。私にはドドドーという音は、睡眠薬代わりになる。ヌサカンバンガンからの日の出は勿論こちら、天候次第だが、ここの日の出も感激の一つである。というのは2006年以前の話、今は、完全に砂浜は無くなってしまった。

僅かに昔の面影があって漁船が停泊しているが、ずっと向こうまで、防波堤の突堤が出来てしまっていて、竹製の桟橋も風情が無く作られ、そこから、バナナボート出てゆく、また、海側に竹とヤシの葉でできたワルンが並んでいる。賑わうのは日の出の時刻だけだ。シーフードレストランは東に多いが、金持ちの中華系の客が多く、一般インドネシア人は西海岸のワルンで飲食をするので、賑わいはやはり西海岸の方が遥かに上だ。

食べる これが楽しみの半分。とにかくシーフードである。日本人にとっては、また安い。ジャングルの東入り口近くのレストラン?が一番の人気、やはりおいしい。ただし、夕食時はいつでも込んでいる。早めに行かないと席が取れない。二番目はパサールイカンの入り口右側のレストランここもおいしい。この店から満席になり、次第に他の店も一杯になっていく、8時ごろには、20軒ほどある店がほとんど一杯になる。昼食時の賑わいも同じよう。そのほか、ホテル内やまんなかの通りにも何件かあるが、総じて高いし時間がかかる。ちなみに、生きているウダンムティアラ(真珠海老、ロブスター)が10万ルピア/kg。鯛やカレイやイカ、カニは高くても3〜5万ルピア/kg。ジャカルタの四分の一以下。バリ、ジンバランなどは40%値切ってロブスターを15万ルピアにしても喜んでいられない、秤が40%重く出るようになっていたりする。その点ここは本当に正直。値切る気になれない。食べたい海老や魚やカニなどを選び、重さを言う、料理方法を言う、わからなければ、お任せでもいい。カンクンとナシは当然のようにたのむ。1人当たり1kgくらいが適量か。ロブスターは別腹。         


  どんな食べ方でもおいしいが、私は、醤油と山葵を持ち込んで、サンバルやケチャップの代わりに付けて食べる、これが格別うまい。一般には、料理方法として、バカール(焼く)ゴレン(唐揚げ)ゴレントゥプン(てんぷら)アッサムマニス(甘酸っぱい)の四種類です。
 どれも手掴みで食べるべし。何回目かに、小ぶりのロブスターをぶつ切りにしてもらい、スープを作ってもらった。特別メニューでこれまた絶品。ここでの食事は、多分、日本人なら誰もが味も値段も大満足すると思う。

 クラパムダ(若い椰子の実)もはずれが少ない、そのままの味を楽しめる。この界隈は、広大な椰子の木のプランテーションがある。

満腹、もう結構、ベルトを緩めながら、ミンタボン(請求書お願い)。一人当たり、5万ルピアに届かない。

宿泊 ホテルやロスメンは相当数あり、いつでもどこかで新しいホテルやプンギナパン、ロスメンが県瀬中になっている。価格は季節や休日の具合によって異なるが、30,000〜600,000ルピア、地域が狭いので、どこに泊まっても雰囲気は同じ、私がよく利用したのはブミヌサンタラ、パンタイインダティムール(一番宿泊料は高い)とバラットでした。一人の値段ではなく、一部屋の値段ですから、大勢泊まれば割安になる。しかし、今は、電波と価格安さが優先で、お湯が出るとか、ACがあるとかは、関係なしです。

 連休は空きがないし、空きがあってもかなり吹っかけられるので、予約をしておいたほうがいい。社員旅行で使うようなロスメンは30,000ルピアからある。一部屋三人が適当だと思う。

 大通りだけを通っていると気がつかないが、網の目のようにある路地という路地すべてがロスメン。線ではなく面状にあるから、その収容人数は膨大だと思う、あの海岸の人出が真夜中には全て収容できることが納得できる。

 一部を除いて、ほとんどの宿泊施設は、ジャカルタやバリのホテルを想像したり、期待したりしてはいけません。バスタブがあるホテルに泊まったことは無い。あるかどうか、確認したこともない。

始めて 名前がいかにもインドネシアらしいと感じ、また西ジャワでの海岸リゾート、プラウスリブやプラブハンラトゥ、アンニョール、チャリタ、タンジュンルスンはいまいち満足していなかった。広い白い砂浜がある。泳ぎができ、ジャングルの中にも踏み込むことができるらしいと聞いて行ってみようと思った。何よりラフレシアを見ることができる。

1997年でした。既にこの時、自分ひとりで運転して日本人を二人乗せていた。チカンペック、プロワカルタ、バンドン、タシクマラヤ、チアミス、バンジャールのルート、そこから右折(真っ直ぐはジョクジャ方面)し、目的地に至る予定でした。

 しかし、タシクの手前で、道を間違えた。ガルットのほうへ入ってしまい、山また山で、道は曲がりくねっているので方角がわからない、大雑把な地図(今でも同じ)では今どこにいるのかわからない。途中に日本でなら何号線という標識はないし、言葉が不十分なので聞いてもよくわからない。とにかく覚悟を決めてそのまま道なりに5時間ほど走ったら、インド洋にでた。ほっとした。海岸沿いに東へ向かっていたら、バトゥカラス(アンニョールと似ている?)、グリーンキャニオンの看板に出会った。寄ってみた(1時間弱)。その後10回ほど行っている。パンガンダランへはここから東20km,30分で到着した。ジャカルタを出てから10時間(途中休憩30分)でした。

 入場料を支払い、半島の西海岸に向かい土産物屋の中を半島の首根っこの一番細い部分に向かった。西海岸側のジャングル入り口近くの駐車場のまえ、その名もホテルパンガンダランという、オランダ風のホテルに泊まった。朝食付きで50,000ルピアだった。ただし、当時のレートは1円が20ルピアでした。このときは、何も様子がわからないので、次にきた時に何ができるのかを聞く事が主で、森の中にちょこっと入っただけだった。それでも、道中の田んぼの風景、インド洋独特の海の状態、インドネシア人のはしゃぎ様にインドネシアを感じた。必ずまた来ようと思った。 


   海から半島を見る
   西海岸の砂浜へ出れば、直ぐに写真アルバムをもった若者が、ボートに乗らないかと勧誘に来る。東海岸まで往復約二時間半10万ルピア程度、半島の先端、滝の辺りまで往復なら7万ルピアくらいです。船が海岸からスタートするとき、インド洋の高い波を乗り越えなければならない、タイミングが難しい。舳先が上がり直後ドンと落下する、大変危険である、要注意。

 パシル プティーという海岸やその沖のタマンラウトといわれているが、ちょっとした珊瑚の海岸を右に見てゆっくり通過。次第に三角波が大きくなってくる、流れに逆らって進むので、船は上下左右にかなりゆれる、海水を頭から何度もかぶる、びしょぬれは当たり前になる。遠くから見ていると、どの船も波間に見え隠れしながら進んでいる。普通でそうだから、天候次第ではひどい状態になる、私はそれほどでもないと思っているのですが、中には私をひどいやつと言った人もいた。

 断崖に打ちつける波、大きな洞穴、すくっと直立している徳利のような岩、夕方なら森の一角から無数のコウモリ飛び立つ。滝の辺りまでが海が一番荒れる、過ぎて東側にまわれば波に乗るように進むので、ほとんど揺れなくなる。西海岸に戻る人はあまりいないようだ、東海岸で上陸して森の中に入ったり、海岸で泳ぐ。西海岸まで戻りたければ、200Mほど歩くだけである。

 初めて来た時に経験しただけである。ヌサカンバンガン島へ行くときに西海岸から出るので、ほとんど半周して先端付近から島に向かうので、同じ風景は飽きるほど見ている。
東海岸に砂浜が無くなってからは、半島の周りを船で回ることはしていない。徳利の形をした岩の名前は、船の帆、という意味のインドネシア語でラヤンと言います。その辺りが、シュノーケリングやダイビングスポットです。
 帰りは、潮の流れと同じ方向なので、大きなうねりの頂上に乗れば、波乗り状態、海の上を滑るように進む、浜辺に着くときも、波に押されて、すーっと、着く。浜辺で遊んでいる人を、笛を吹いて除けさせる。

 波が荒くて危険なので、船を半島に近付けることはできない。
ジャングルへ入れば必ず通るパナンジュンの滝も100m以上、沖を通過しながら見ることができる。私は沖を通る船があれば必ず手を振って合図をします。

  ジャングル

Cagar Alam(チャガールアラム)国の自然保護地区、基本的には一般人は立ち入り禁止らしい。入り口は東西の二箇所、入場料は一人7000ルピアを払い誰でも入ることができるが、仕切られたほんのわずかなスペースを散策するだけである。

何種類かの石灰岩の洞穴(鍾乳洞)があり、名前がついている。日本軍が立てこもったという、ゴアジェパンというのがあり、其の前がちょっとした広場になっている。ここで、テレビドラマ(人間が空を飛ぶ不可解な時代劇?)の撮影現場に出会える。今でも真夜中に日本軍の亡霊が何かをしゃべりながら行進をするという。

野生の鹿、猿、牛(特に夕方)が目に付く、たまに、親指がやっと入りそうな小さな穴が地面に開いている、椰子の葉のヒゴ(何本かを束ねれば箒にる)を穴に差し込むと、黒光りをした10Cm程のサソリが釣れる。石をどけるとその下にいる時もある。サソリに指されたという話は聞いたことがない。

 

一般の人は入れないジャングルに,ガイドを頼んで、分け入り、半島の先端近くにある滝を目指す。保護地区の手前は、森林が切り払われ、見通しが良くなっていて、見張り櫓が三つ立っていた。10年前は見張りがいた。其のときは見張りが見ていない時ちょっとした茂み伝いに入った。まるで達磨さんが転んだ状態でした。しかし、その後、数十回ほど入ったが、見張りの人はいない。逆に見張り櫓に登って周囲を眺めながらくつろぐこともできる。これでは誰でも自由に入ることができる。切り払われた森林も今は背丈ほどの植物が生い茂り、人間が隠れることもできる。インドネシアらしい。

急な登りから、ジャングルに入る。普段運動をしていない人でも大丈夫。生い茂った木立は、雰囲気満点。これがジャングルだ。弦が垂れ下がっている、ターザンが出てきそう。

猿がまず出迎える、サルは物を奪うばかりでなく噛み付くので油断しないように。カメラ、HP,女性は時に身に付けた光りもの、彼らが奪ったら、返らないか、返っても壊れています。鹿、牛などの野生動物は夕方出会うことができる。運がよければオオトカゲ(ビヤワック)やサソリにもあえる。毒蛇はミミズサイズのものでも一人前に飛び掛ってくるので、近づかない事。雨季が終わった頃は蝉がうるさい。オオムや啄木鳥は鳴き声はするが、なかなか見つけることはできない。島のいたるところでコオモリやツバメの姿は見られる。

ガイドがいなければ迷うだろう道を半島の先端近くの滝を目指す。部分的だが、入る度に道の状態は変化している。約1時間ほどで滝ノ上に着く。滝つぼまで蔓をつかんで降りると目の前にインド洋が広がる。ちょっと汗ばんだ体を滝壺で泳ぎながら流す。沖を漁船や半島観光の小船が通る、手を振れば答えてくれる。まったく贅沢な景観である。ここまでの疲れがいっぺんに吹き飛ぶ。西海岸の賑わいはうそのように、ここまで来る人はほんのわずかである。

ほぼ垂直に見える崖をのぼると、滝の上に出る。ここからも同じ景観を見ることができる、違った高さから見る景観はまた一興である。今まで一緒に来た日本人すべてが来てよかったといってくれた。誰も寄せ付けない、怒涛の波がごつごつした断崖の岩に押し寄せている、波頭が砕け散る。海からは上陸できない、遠巻きに眺めるだけである。

 ここからは入り口方面に別の道で向かう、途中運がよければラフレシアに会える。蕾には30%、開花した状態には30%の確立で会えた。7〜8月に会える確率が高いようだ。大きさは最大で50cmほど、それほど大きくない。ここの種類はこんなものらしい。地元の人は感じるというが、臭い匂いは私や他の日本人には感じられなかった。匂いで探すので、咲いていればどこにあるかすぐわかるという。
  咲いているのは三日程度、満開になると同時に腐食が始まる。最後は真っ黒になってしまう。その前に、小動物に食べられてしまう。普通は滝へ着くまでに、会えるし、もし会えなくても、滝を過ぎてからも会える機会がある。いつ入っても、会えることは会えるが、すばらしい形のラフレシアに会えた人は本当に運がいいがいいと思う。開く前に小動物に突っつかれる可能性が高いので、傷が着きやすいし、石や木の枝や根っこが開くときに邪魔をする。私は、累計で、多分、二百個以上に会っているが、完璧という形のもにまだ会っていない。しかし、いつ会ってもうれしいものである。小学校の時に植物図鑑で子供が花の上に座っているスマトラ島の、ラフレシアの絵(写真ではなかった)見た時から、一度は見てやるぞと思っていた。余談だが、その図鑑に、オオオニバスといって、ハスの葉の上に子供だ座って水に浮いている、これは、写真がった。伊豆半島、下賀茂の東大植物園にあると書いてあった・それは、高校時代にヒッチハイクで伊豆半島を一周した時に、寄って、見ることができた。ラフレシアはそれから38年後に会うことになった。

途中、沢歩きがあり、コケの石を歩くので、足元がふらつかないように注意が必要。分離地帯を通り、東の入り口に向かう。鍾乳洞を通り抜けたり、その水で洗った体の部分が改善されるという泉に寄ることもできる。女性は顔を丁寧に洗っているが効果はほとんどないように見える、それとも効果があって今の・・になっているのか。ハリネズミというのでしょうか、背中に棘が沢山ある動物の家族が住んでいる洞穴もある。ジャングルから出てしまう前に、元気が残っていれば、パシールプティで、ちょっと一泳ぎすることもできる。大体、普通は4時間のコースである。

 二泊三日で行くなら、中日の早朝、ヌサカンバンガンへ行って12時前に西海岸へ帰ってきて、13時ごろからチャガールアラムへ入って出てくるのが17:00前、まだ十分明るい。今は、一日目の午後と返る日の午前中に、その他の奇麗な場所やユニークな場所を数か所、寄ることができる。私の地図の写真が参考になると思う。これだけの、観光案内地図はどこのインフォメーションにも置いてない。
 いずれにしても天候しだいである。

買い物 みやげ物は、パサールパリウィサタで売っている。品揃えも、価格も統一。何処の店が安いということはないし、値引きもほとんどないが、色々な店で少しずつ買うより、ちょっとまとめ買いして交渉をすべし。一般的に海岸端で売っているものは全部そろっている。特にお勧めはない、個人の好みである。私はもう今は何も買わない。津波で流された西海岸の店は再建禁止区域になってしまった。西海岸の全てである。道を隔てた私有地は今までどおり営業は認めるが公有地は全て禁止。広々として見通しはいいが、寂しくなってしまった。
 
写真関係はデジカメなし、日用品、くすり、スポーツ用品などは、入り口の門の手前向かって右側にパサールがある。もし、ジャカルタで買って準備するなら、やめて、ここで買ったほうが、かなり安い。食べものをはじめ、なんでもジャカルタ付近の平均半値以下である。

 パンガンダラン海岸ゲートの店前にパサール パンガンダランがある。ここは、デパートのようなもので、なんでも揃っている。何でもである。生活に必要なもので無いものは無いので、一度、訪れて、様子を見て生活体験をして見たらいいと思う。銀行やコンビニもこの辺りにある。
 ゲートから入ってしまえば、東海岸通りと中央通りと西海岸通りがあるが、東海岸通りには土産物屋は無い。
 カラフルな衣服類が人気だと思う。大体、1万5千Rpから2万5千Rpでしょう。帽子や身につける装飾品も人気だと思う。




ヌサカンバンガン
言わずと知れた、泣く子も黙る、インドネシアでは一番恐れられている監獄島である。一級の極悪人や贈収賄の大物人物が送りもまれる。25Kmと東西に長い島で、北側は海というより川のように狭い水路が入り組んでいて、その水路で隔てられた島が沢山ある。知っている人でないと、その水路は迷うでしょう。チラチャップで入島やプリズンに近づく許可を取ることだできるらしいが、そこまでして、訪問したくないので、私は、パンガンダラン側のマジンクラックという小さな港でボートをチャーターして、ヌサカンバンガンの北側の水路を通ってチラチャップへ行った。チラチャップへ行くなら、何も船で行くこともない。車で一時間余りで街の中心まで行ける。実際に、行ったこともある。
 何故その水路を通るかというと、刑務所の脇を通過するので、遠めだが、ほぼ全貌を見ることができるからである。マジンクラックから出るときにはチラチャップとヌサカンバンガンはセットになる。
 西ジャワと中部ジャワの境界線をなぞるようにしてインド洋に出る。広い河口のようなもので流れはインド洋に向かうが、インド洋からの潮の流れと風は反対に向かってくるので、高い波が向かってくる。
それを乗り越えて、外海に出て、左に曲がって、ヌサカンバンガンの広大に西海岸へ向かう。マジンクラックから直接行くなら、30分で着く。
もうひとつの方法は、パンガンダランの西海岸から出発し、チャガールアラムを半周するようにして半島の南端の沖を通って、一路東のヌサカンバンガンの西海岸へ向かう。このコースは一時間半以上かかる。インド洋の大きなうねりと風の具合によっては、3M以上の返す波の中を上下しながら、ローリングしながら進む。びしょ濡れは普通です。波に弱い人は行けません。私は全く平気ですから、帰りたいと泣き出す人の気持ちがわからないので、できるだけ、強引に連れていったしまうことの方が多い・帰りは、波乗り状態になるので、高い波頭の上を滑るように進むので、気持ちがいい。行きに怖がったり、寄ったりした人は、帰りも心配になっているが、帰りはほっとするようです。
 ヌサカンバンガンの海岸へ何故行くのかというと、広大な浜辺を自分たちだけの物にできるからです。パンガンダランの喧騒はここにはない。それと、ロブシターを始め海の幸を、漁師から安く買って、浜辺で野趣豊かな雰囲気で、焼いて食べるのが、格別の味がして大満足することができる。泳ぐなら、遠浅で、波も穏やか、三角波は無く。緩やかなウネリだけですから、プカプカ浮きながらいつまでも沖で泳いでいられる。浜辺に戻ってくれば、持ってきたお米が炊けているし、魚介類も焼けているし、頬張るだけです。ビールを飲みたい人には、アイスボックスで持ちこみます。これが、私にはわからないが、飲む人にとっては、また格別らしい。感謝される瞬間です。こんな体験は初めてだし、これからもできないでしょうという。日本人でこんな体験ができる人はそんなにいないでしょうともいう。私も、そう思う。私は、何度も体験している。

          パンガンダラン 2007 12 01

 当時と今は変わっています。
以前に住んでいた町よりはるかに高速道路に近いので、そこで、30分は短縮、チカンペックの手前で、バンドン方面に向かう、パジャジャランを過ぎ終点チレニイまで、一時間半、一般道に入り、タシク、チアミスを通過、バンジャールまで、三時間、パンガンダランまで一時間半、合計6時間半だった。ガソリンスタンドで給油とトイレ時間を含む。

 新記録である。98年ごろ13時間も掛かって行っていたことを考えると隔世の感がある。道は良くなったし、渋滞は無いし、実に近くなったものだ。ジャカルタからなら七時間でしょう。バンドンに住む人はもちろんですが、ジャカルタに住んでいる人にも家族ずれでお勧めです。小中学生は特に家族旅行としては格好な場所だと思う。

 着いてすぐ、例によって、西海岸のライフガード達のたむろする場所へ挨拶に行く。皆さん、いつ来たの、いつまでいるの、と、必ず聞く。そして、また、ラフレシアに会いに来たのと聞く。本当に、西海岸でのんびりしていると心が落ち着く。私にとっては、現実を忘れることが出来る南に島の天国です。このまま現実を放り投げて、住み着いてしまってもいいと思う。それだけ、ほれ込んでいる場所です。

こんなところのも日本軍が進出していたのですから、驚きです。今は、使われていないが、鉄路がところどころ残っている、鉄橋も残っている。

地震と津波で大きな被害にあって一年半が過ぎた。今は、その爪あとはまったく残っていない。きれいに洗い流されてしまった、西海岸に簡単な防波壁が5km以上に渉って完成されつつある。海岸には店は出せないし、車の侵入も出来なくなった。雑然と賑わっていた頃からはちょっと淋しくなったが、落ち着いた静ヵな雰囲気になった。

人出も戻っていた。二人乗り自転車も人気だが、今回初めてお目にかかった、小型のバギー、もちろんレンタルである。速度が出ないようになっているのでしょうか、親子や恋人同士でのんびり走っている。

東海岸は、浸食を防ぐような海岸になっていた。日本の技術を参考にしたのだ。バリのタナロットと同じように、テトラポットが何百と置かれ始めていた。こちらのほうが規模は大きい。   もともと、津波が無くても海岸が消えかかっていた。そこで、テトラポットとなった次第らしい。海岸の漁民への説明会では理解できなかった人が多かったと聞いた。しかし、置かれ始めたころから、高い波が岸に届かなくなった、砂浜が目に見えて復元してきたことを目の当たりにして、日本人はすごいと思ったらしい。