ジャカルタのブロックMの近くにJL.Mahakamがある。意味はと聞いたら、そういう名前の有名な川があるという。インターネットで検索したら出てきた。KalimantanにあるSamarinda都市が河口になっている大河と書いてあった。
1 位置とアクセス
KALIMANTAN(カリマンタン)どういうわけかボルネオの真ん中から南がインドネシア北側はマレーシアとブルネイだ。カリは川、マンタンは山、インドネシアごと英語で川と山、そこからカリマンタンと言うようになったとか。マハカム川はカリマンタンの東側にある。
ジャカルタから空路二時間半でBalikPapan(バリッ パパン)へ、レンタカーをチャーターし、途中、ワニ園で食事したので、二時間半でSamarinda(サマリンダ)へ、今度は、船ホテルを借りてSungai Mahakam上へ早速、夕食だった。Cikarangからは、連絡待ち時間を含んで約十時間でした。
2 早速 川登り
川幅は200〜300mだと思う。悠然と流れる川を上る。4泊水上生活者になる、時々上陸でしょう。船の二階が寝室、日本の布団のようなものがござの上にしいてあるだけ、かけるのはタオルのようなものだけ。夜中走り続けて、朝にはKota Banguni辺りにいる。
川幅はまだ100m以上ある。しかし、両岸の様子ががらっと変わっていた。いわゆる川に依存する生活というのでしょうか。水洗トイレや洗濯場や水浴所が川岸に浮かべて設置してある光景が出てきた。インドネシアではこういう景色は珍しくない。ジャカルタでもブカシでもチカランでもよく見る景色だ。
浮き住宅も現れ始めた。移動できない住宅からの階段というか梯子の長さを見ると、今は乾季で水位が下がっているが、雨季の一番水位が高い時は3m以上は高くなることが推測される。
長い大きな櫓や足場が築かれベルトコンベアーが川に突き出している、。これは、石炭を積み出す為の設備だ。石油の産出地帯でもあるが石炭の産出地帯でもある。石炭タンカー?時々すれ違う、木材運搬船ともすれ違う。両岸の高い木に野生のサルや大きな鳥が大きな果物のように生っているのが見える。
急カーブや川幅の標識が崖の上などの置いてある。
Muara Mentaiで上陸し町を見物する。大いに賑わっていた。戻ってきたら、3mの長さ、幅は50Cm程のボートが用意してあってこれに乗り換えると言う。座る所も無いので、座布団を要求した。すぐ、丸座布団が用意された。安定が良くないモーターボートで再び川登りがはじまった。すぐに本流から別れ、広い沼池にはいる。種類は分からないが野鳥が何種類も飛び交っていた。
水草の原っぱの中に水路が縦横無尽にある、標識が無いのによく間違わないなと思う。こちらは、操縦士を信じるしかない。其のうち、Danau Jempang(ジュンパン湖)に出る。広大。紺碧の空に真っ白な雲、空の青さより少しだけより青い湖面の色、雲はすぐ頭の上にあり、手を伸ばせばとときそう。遠くの所々でスコールが降り落ちているのが見える。雷もおちている、音で遠いのは分かるが実際見た目には直ぐそこに見える。
狭い水路に入り、水上家屋の軒先を縫うように進み、Tanjung Isuyの伝統家屋の前の船着場に着く。お尻が痛い。大家族用の木造二階建ての長屋。今は使われていない、一階は仕切りなしの大広間、みやげ物が並んでいるだけだ。 この後、何箇所かで同じような場所に遭遇する。
3 川登りは続く
一度、下って、ハカマム本流に戻る。元の船に乗り換える。夕方の真横からのまぶしい日差し、その後の夕焼け、サンセット、真っ暗な夜空の輝く星、あまりにもなにも邪魔者がない大地とはこんなものかと思わされる。
途中や明け、Melak辺りにつく。ここが引き返し地点である。川イルカ?知っていましたか、私は知らなかった。世界中で二箇所とか其のうちの一箇所らしい。淡水に棲むイルカ、出会うと船に寄るでも逃げるでもなくしばらく近くで浮き沈みしていた。川が濁っていたので体全体を見ることは出来なかった。
また、ダヤッ族が有名だが、ここら辺は民族は各村々で違うというくらいの現住民族の種類が多彩なところだそうだ。私は顔で違いは分からない。
女性の耳たぶに穴を開け、次第に大きくしていくという習慣があるというダヤッの人たちは、今は公務員だそうです。奥地に住んでいた人たちを集めて、川岸の何箇所かに観光目玉として移住させられたという。そこの棲むだけで生活費はもらえる代わりに、観光客にその集落を観光地として公開している。耳たぶに穴の習慣は何十年も前からなくなっている。だから、今は70才そこそこのおばあちゃんだけである。あと、10年後には全くいなくなるだろうと言っていた。
4 川下り
急に流木が増えてきた、避けきれずに、どんどんと船にぶつかってくる。下りで、船の速度が登りの倍以上になっている。数時間其の状態が続く、夜になるともっと不気味だ。逆にこの中を登っている船は大変だろう、多分、どこかで待機するでしょう。
途中、Tenggarongで下船、Mulawaman博物館によって往時を偲んだ。、サマリンダまで一日半で戻った。船とお別れ、レンタカーで市内観光後、バリックパパンで一泊、翌日、市内観光。
バリックパパンとサマリンダの間は石油汲み上げポンプがそこかしこにある。海上にもあり、石油産出地帯だ。バリックパパンの郊外にプルタミナの石油コンビナートがあり、プルタミナの病院などもあり、色々な施設を含めて、石油産出の恩恵を受けているようだ。
5 別の話し
フランクフルトから夫婦で、インドネシアツアーのオプションで来ていた人がいた。一部船で相乗りになり、夜、私はパソコンでスライドショウをし、彼らはブナケンなどで撮った海中のビデオを見せてくれた。ナイフとフォークで上手にアヤムゴレンや川魚の肉と骨を仕分ける技には感心した。彼らは箸で上手に食べる私に感心していた。たわいないことで、話が弾む。
そういえば、ある伝統長屋前で、日本人の団体観光客にあった。ジャカルタの旅行同好会だ。私がインドネシアの旅をする中で、バリ意外で、唯一出会った日本人の団体さんだった。