三色の火口湖で色が毎日変わるところがあるというのは、なんとなく知っていた。身の回りの人に聞いたところ、Flores島にあると教えてもらった。そういう湖は世界で、ここだけと聞いて行く気になった。
1 位置とアクセス
Nusa Tenggaraの島の一つ、Sumbawa島の東だが其の間に有名なKomodo島がる。500kmほどの細長い島、クリムトゥはほぼ真ん中の南側にある。
Floresは広い、目指すはKelimutuだけである。ジャカルタからBali Denpasar Ngurah Rai空港経由 小さい飛行機に乗り換えて、Pulau FloresのMaumere(マウメレ)に着く。ジャカルタから6時間の旅である。
2 凄い旅
空港に着いた。十五人ほどの乗客の中で観光客らしいのは私だけ、空港の建物の入り口に人相が悪い男が三人いてその中の一人が私にガイドさせろとしつこく頼み始めた。外に出てはだめだという。理由が分からないし、あまりしつこく着いてくるので、通り抜けて外に出ようとした。出入り口が閉ざされていて硝子へばりつくように大勢が人がこちらを招いている。皆もっと人相が悪い。出て行くとたちまちそれらの人に取り囲まれ荷物を奪おうとする。こちらは何が起こったかわからない。さっきのガイドがすっ飛んできて、皆を私から切り離した。
ほっとしたところで、彼が説明を始めた。免許を見せながら、私がオフィシャルのガイドで、客と建物に入って話ができるという。なるほどと納得し、それならと彼にガイドを頼むことにした。
二泊三日 タクシー、ホテル朝、夕食付き勿論ガイド付きで1.5JutaRp(2万円)で話がまとまった。
まず、マウメレから出る。途中、フローレスでは希少なイスラム地域に立ち寄る、その日はイスラムの犠牲祭で休日だった。ちょうどその儀式が行なわれていた。私は見ることが出来なかった。凄惨な風景で、今までも何度もその場所の近くには行ったが直接見たことは一度もない。
船大工の町だということで、木造貨物船の造船所が並んでいた。同じような風景をPare−pare付近で見ている。その後、中央の山岳地帯へ入っていく。
予想はしていたが、これほどの高地へ向かうとは思わなかった。山また山の中、それでも民家が時々出てくる。時々人とも出会う。三時間ほど走って、Moniという村に着く、そこを通り抜け、ホテルに向かう。何処がホテルそれらしき建物が見えない、舗装はとっくになくなっている。まだ登る。すぐそこだとガイドが言う。探してもない。急に左折し、やっていないPasar(市場)の中に入っていく、そこをつっきってやっと止まった。まだどこか分からない。車から降りて、ぼろぼろの物置のような建物に入り、通り抜けるとロスメンがあった。ほっとした。
家族で迎えてくれた。早速夕食、土間に石を円形においたかまどで、ご飯を炊いていた。すごい、感激である。この状況を見て、私以外の日本人はここで泊まるのは無理だと思った。
次の日の早朝三時起きで、クリムトゥの御来光を見に行く。途中、地元の観光科の大学生をピックアップして、同行する。駐車場に車を止め、登りる始める、五時前、まだ真っ暗、ディエンを思い出す。急な登りはインドネシアの決まり、山頂の50mほどに近づいた時、うっすらと明るくなってきた。それと同時に、頭がクラとして目まいを起こした、呼吸が急にしにくくなった。ガイドに聞いたら、臭いがない有害ガスが発生していて、人によるが年をとっている人ほど影響が在るという。”おいおい”である。何人か亡くなっているとも付け加えた。なお、”おいおい”である。どうも風向きに寄るらしい、風下に顔を向けると症状はなくなった。ご来光が始まった。ほぼ快晴、貴方は大変ラーッキーだという、朝でも一週間に一回ほどしか霧が晴れないという。昼間なら一ヶ月に一回ほどしか雲が掛からない日はないらしい。
ご来光で逆光になっていたのだ見にくくかった火口湖が目の前に、広がりだした。濃い水色。その向こうに小さくコーヒー色の湖が覗く、振り返ると、真っ黒な色の三つ目の火口湖があった。なるほど、三色である。また、これがそれぞれ、時間で日で色が変わるという。さっきの息苦しさはずっと続く。黒色の方が風下、苦しくなると振り返ってそちらを見ていた。苦しかったがとにかく神秘的な三湖を見ることできて、話の種も出来たと思う。
下りはコーヒー湖に寄った。さざ波がまぶしかった。三湖とも断崖絶壁に囲まれているので、湖畔などはない、はるか上から見るだけだ。
駐車場に降りてきたのが10時ごろ、車に乗り下る。途中、段々畑や棚田が現れる。のどかな風景である。そんなかに露天風呂が点在する。田んぼの中の露天風呂は日本にもちょっとないのではないか。
実際、風呂に入っている人もいた。わたしも入らせてもらった。
なんという滝か知らないが、クリムトゥが水源だという。水の色は白みがかった青だった。よく火口湖に現れる色だ。
原住民の集落にも寄った。ここの家には縁側があった。Tana Torajaと同じような石柱が林立している儀式の広場もあった。近所の子供が集まってきて、小遣いをねだる。かわいい子供たちだった。一人脚が不自由な子がいたが一緒に遊んでいた
二日目の夕食、ロスメンの人が、大奮発でアヒル(Bebek)を潰してご馳走してくれた。Bebek bakarだ。うまくない。硬い。歯で噛み切れない。しばらくもぐもぐして飲み込んでしまった。御馳走だと言っているので何も食べないわけには行かない。苦痛だった。お世辞にもおいしいとはいえない。
三日目、一気にマウメレまで戻った。市場を冷やかしたり港でしばらく時間を過ごしたりした。帰りのターミナルには荒くれ男たちはいなかった。閑散としていた。到着便があるときだけの騒ぎのようでした。
人は見かけによらないはメダンの時も感じたがここで再確認した。
三湖には、感激した、皆さんにはすばらしい所だと話すが、ぜひ行って欲しいとはいえない。