2017年10月5日 工業団地 1 3184 ノーベル文学賞は、イギリス国籍のカズオ イシグロさん、っていう人でしたね。それでも、生まれは日本、ご両親は日本人だそうですね。村上春樹さんは、いつになるでしょうか。物理学賞では、日本の施設を使ったり、日本人が協力したりした結果でもあるという。今年も、日本に関係が結構あったようですね。
先日、会社に来られたお客さん、インドネシアに工場進出して3年になるという。名刺をいただいた。日本の近社のダイレクターと技術担当の方でした。会社案内にインドネシア工場の住所が入っているし、お二人とも、二回ほど行ったことがあるという。こちらから、聞いたわけではないが、スルヤチプタだという、続けて、“ジャカルタから3っ目のインターチェンジで、20Kmくらいのところにある工業団地“と説明してくれた。
違う違う、スルヤチプタは、ジャカルタから50km位離れているし、インターチェンジはその間に10か所あるし、また、増えているかもしれないよ。渋滞がなければ50分くらいか、渋滞が最高潮の時には3時間くらいかかるときもある。
AMM2100 Industrial Town
BEast Jakarta Industrial Park(EJIP)
CDelta Silicon Industrial
Park Cikarang
DHyundai Bekasi International Industrial
Estate
EDelta Silicon 2.3.6.8
FJababekaT〜Y
GKawasan Greenland International Industrial Center (GIIC)
HKarawang International Industrial City(KIIC)
IKawasan Industri Mitra
(KIM)
JKawasan Industri Surya
Cipta
KKawasan Industri Kujang
Cikampek(KIKC)
LKawasan Industri Indotaisei
MKawasan Industri Kota Bukit
Indah
私が知っているだけでも、ジャカルタから、東に向かう、チカンペックまでの間に、これだけの工業団地がある。スルヤチプタは、遠い方である。このほかにも、ゴーベルやモデランなど、財閥系が国道沿いにもたくさんある。
チカランバラットインターチェンジから南に曲がった道。ここの右側がEJIP、しかし、右折はできないので、左に曲がって、Uターンする。そして、左側には、Uターン場所のちょっと、向こうを右折すれば、ヒュンダイの工業団地に入るし、まっすぐ行けば、日本人がうじゃうじゃ住んでいる場所がある。
前の車はUターンをしようとしている。朝6〜8時だけ、右の対向車戦も南一方通行になり、ここで右折してFJIPに行ける。
工業団地 高速道路 インターチェンジ
10月6日 工業団地 2 3185 昨日上げた順番で、ジャカルタ側から行った場合を簡単に紹介してゆく。カワサンとは、地帯という意味です。
プロガドゥン工業団地Kawasan Industri Pulogadung東ジャカルタ、1996年、赴任した年に、訪問している。DACやKADERA(ABA,今はないかもしれない)へ行った。マスターバッチとトリムシートの関係だった。ということは、20何年以上前からある。多分、タンゲラン方面の工業団地のほうが30年以上前からだとすると、その次辺りに開かれた日系企業が多く入る工業団地だと思う。高速道路のチャワンから北上し、アンチョール方面に向かう途中に、プロガドゥン方面出口がある。ここから東に向かえば団地の入り口にぶつかる。これが、一番わかりやすくて、当時からの行き方だった。
ブカシの方から行くには、Jalan
Raya国道でも行けるし、JORR(Jakarta outer ring road)に入って北上し、国道に出ても行けるが、国道の渋滞が心配だし、入り口が分かりにくく、私は迷いやすい。
エムエム2100MM2100
Industrial Town(Megalopolis Manunggal Industrial Development)ジャカルタから高速道路では一番近い工業団地、私が1996年8月からここで仕事を始めた。25年ほど前から入居が始まったと思う。YKKを右に見ながらチビトゥンインターチェンジを出て、左はチビトゥンの街方面、右側は、直接、MM2100に入る。私は、いきなり、もう一つ先のインターチェンジ、リカランバラットに住んだが、ジャカルタから30分くらいで着いたので、ほとんど、ジャカルタに住んで通勤するにも都合がよかった。私の会社の右が当時はカデラそしてアバ今はトヨタボオショク、トリムシートやフックなど、車のシートの部品で付き合いがあった。左は、マンダムでした。もう少し左にパラマウントベッド、ベッドの部品での付き合いは20年近くなる。今でも、よく出かける。
日系大企業がある。奥に奥に広がっている。最近は、ゲートの数が足りなくなり、休業時間前から出口が大渋滞するようだ。EJIPと限りなく近くなっているが、繋げない。当然である。エリア内が大渋滞になる可能性が高い。NANBUやTPRの押出部門の立ち上げに携わった。ただし、両社共に、新しい仕事は取れない。
リッポチカランLippo
Cikarang中華系リッポ財閥が開発した広大なエリアだ。高速道路チカランバラットインターの手前の右側(南側)、MM2100のHONDAを過ぎてすぐから、Lippoグループの開発地域になる。そして、そこにも工業団地がある。デルタシリコンだ。
デルタシリコンDelta Silicon Industrial Park Cikarang ジャラントールから近いが行くには遠回りしなければならない。高速道路からチカランバラットで降りて、EJIPに向かう。昨日の写真参照、ハイアールの前を通り過ぎて、EJIPに入るには左に曲がるが、右に曲がれば(高速道路に戻る方向)この工業団地に直ぐ入る。高速道路の南側に接するところまでに至る。ここも、MM2100とほとんど接している。しかし、高速道路から直接入れないし、MM2100からも入れない。ただし、ジャカルタ方面に戻る専用ゲートはある。そして、東に向かうときには、チカランバラットゲートへの近道もある。ローカル系の団地なので、ローカル企業が多い。25年ほど前からある。
ジャラントールJalantol有料道路という意味。
プロガドゥン チビトゥン チカラン
その前、ここまでの途中、左側に“タマン セントサ”という住宅地に数年住んでいたことがある。今は、ハイアール(サンヨー)と冷蔵庫の部品で付き合いがある。ここにも、そうそうたる日系企業がある。ただし、周囲が一杯で、拡張の余地はなさそうだ。MM2100と繋げたいのは、こちら側だが、MM2100は、うんと言わない。バイクは行き来できる。最近、繋がったという情報もあるが、信じられない。大型トラックが通過できるのでしょうか。デルタマスとオレンジカントゥリー方式でしょうか。仕事の付き合いではないが個人的付き合いでYAMANI(バネ)とTRC(プリンター用ロール)には、よく出かける。TOSOやKOHONOとも、取引がったが、今はない。ARBINIという、押出成形屋があるが、私が指導した製品以外、新しい仕事は取れない。
ヒュンダイ工業団地Hyundai Bekasi
International Industrial Estate(BIIE)昨日の写真の所を自然に、左折し、案内は右の出てきたところを右折すれば、そこが、入り口の一つ。ちょっと前でUターンすれば、シティーヲークの前を通って、EJIP方向になる。
直進すれば、ホテルサヒッドやシロアム病院やリッポモールなどがあるし、シンガラジャ通りや数々のルコ(ルマー トコRumah Toko)分譲住宅地があり、日本人がウジャウジャ住んでいるエリアだ。こちらには大型車は進入できない。大型車はヒュンダイ工業団地のほうに曲がらなければならない。
ヒュンダイの入り口は、EJIPの裏門に近いところにもある。名前の通り、コリアン系の会社が多い。キアも在庫一杯の工場がある。しかし、コリアンが撤退した後に日系が入るケースが増えているようだ。
ここを通り抜ける重量トラックが多いので、道がいつも凸凹になっている。雨季の終わりころには特にひどくなる。ここから、東へデルタマスの手前(チバトゥインター)まで、行けるし、ジャバベカ2までも、高速道路を越えて行き来できる。
安倍川河口近くのしまむら、という、衣服のディスカントショップに、明後日、甲府行きの為の冬服を買いに行った帰り道、私の胃を取り出した病院が目に入ったので、久しぶりに、今、どうなっているのかなと思って行ってみた。病院の建物が増えていたし、周りが田んぼや桃園だったのが、住宅街になっていて、直前まで、病院が見えなかった。エントランスや駐車場は変わっていなかった。名前は変わっていた。
傘雲の富士山、久しぶりに見えた。初冠雪かもしれない。これから、富士山が見える日が増える。
エジップ ヒュンダイ 富士山
10月8日 工業団地 4 3187 デルタシリコンDelta Silicon 2.3.6.8 チカランガラットのインター近くのデルタシリコンは、25年以上の歴史があり、今でもよく通過する。2以降は、多分、15年ぐらい前から開発されたと思う。ヒュンダイ工業団を東に向かうと、いつ入ったのか分からないで、2に入る。デルタシリコンは、いくつまであるのでしょうか、知らない。8はあるようだ。リッポ財閥が開発しているので、ここ辺りもリッポチカランの中なのでしょうか。広大なエリア、南の地平線まで、広がっていて、その先も今、広げているかもしれない。端まで確認していない。日系企業がやはり多く新規進出しだしているが、既に進出していて、手狭になった会社が移ってきたり、第二第三工場にしたりするケースも多い。目立つのは、コレアのハンコックだ。このあたりの自分の会社の場所を教えるのに、ハンコックから道順を教えるでしょう。
数年前にできた(もっと前かな、時間的感覚に自信がない)チバトゥインターチェンジから6辺りが近いから、インターはここを使う。
なお東に向かえば、デルタマスに入る。しかし、ゲートがあって、コンテナ車や大型車は行き来できないことになっている。この処置は、リッポ側からすれば、当然だと思う。GIIC工業団地のほうからチバトゥインターやジャバベカ2やエジップに行くのにこの道を使われたくない。通過道として使われたくない。
このエリアは、直近では最大の発展エリアになる。ホテル、ショッピングモールやアパート、オフィスビル、大学などの建設ラッシュである。
ジャバベカJababekaT〜Y ここも、いくつまであるのでしょうか、今後、どこまで広がるのでしょうか。スデにメチャクチャ広大だ。アクセスは、最初、チカランバラットインターから左折(北方向)すれば、1km位先左にジャバベカ1の入り口がある。それだけだったが、今は、ジャバベカ1に入るゲートはいくつあるのでしょうか。
ジャバベカ2へは、1の手前で右折するようになっている。そして、もう使えるようになったのでしょうか、まだでしょうか、チカランバラットの手前にジャバベカ1に直接出入りできるゲートが建設中だった。
また、リッポチカランのほうからは、チバトゥインターの脇のフライオーバーで往来できる、だから、私は高速で西に向かうときにはチカランバラット、東ヘは、チバトゥを使う。
http://www.fusoh-kokan.co.jp/FTPI/index_01.html
この地図を見つけて借用した。右の端ゴルフ場のもっと右、ジャバベカ6の外に、今の会社と住処がある。我が田舎町、生活圏は、この地図の右端だけで十分である。
ここも25年位前から、日系企業が入り始め、今や、欧米やコレア、ローカル何百社入っているのでしょうか。目立つのはMETTEL(テディベアなどぬいぐるみの会社)第二工場だけでも、数千人の女工さんを使っていると思う。
ルコ、ホテル、アパート、大型スーパー、オフィスビル、大学、総合病院など、次々とオープンしている。人口流入(田舎から)が激しい。日本人向けレストランやカラオケもリッポチカランほどではないが、どんどん、増えている。
広大 工業団地 新都市
10月11日 工業団地 5 3190 高速道路ができた時には、チカランバラットとカラワンバラットの間にインターチェンジがなかった。今のデルタマスのインターが追加された。多分、最初は、デルタマスの分譲住宅地の開発とブカシ県庁をはじめ、公共のオフィス移転の為だったと思う。ゲートは出入り、二か所ずつの四か所しかなかった。私が10年以上前にAFMI(現pt tpr enpla indonesia)の手伝いをしているときに、デルタマスの分譲住宅地に住んでいた。その時は、このエリアは、奥行きはブカシ県庁までで、東西は閉ざされていた、北のジャバベカ方面に行くには、インターチェンジの西側の狭い陸橋を越えてゆくしかなかった。一般道は、北側にはカリマラン川道と南側には、県庁の脇の細い補導されていない凸凹道しかなかった。この道はEJIPの南に出た。
そして、現在、Kawasan
Greenland International Industrial Center (GIIC) 双日、この工業地帯が、インターを出て、いくつかのルコや県庁を見ながら真っすぐ行くと、サクラホテルのもっと奥、これまた、広大な、赤茶色の荒野のようなエリアが開けている。ずっと向こうの森林を荒野に変えるブルドーザーなど小さく見える。トヨタ アストラ パーツへいったことがある。サクラホテル、アパートもすでにいつも満杯とか、ほとんど用事がないので、最近は行っていないが、日本食レストランもドンドンできているとか、撤退もあるとか、イオン?ショッピングモールが進出するらしいが、どうでしょうか。
西のデルタシリコンとは、狭い道で何となくつながるようになり、チバトゥインターがオープンしてからは、車種を制限するゲートができている。だから、大型車は、相変わらず狭いデルタマスのゲート(チカランプサット)を使うしかない。まさか、GIICの奥の方とデルタシリコン6の奥のほうで大型道が繋がっているなんてことはないと思う。リッポチカランに住んでここに通う人が急増している。それ以東の工業団地へも同じことだ。ジャカルタに住んでいては、ストレスが増すばかりだと思う。
GIICのネックは、高速道路のゲートの狭さだ。必ず、近いうちに深刻な状態になるでしょう。
Karawang International Industrial
City(KIIC)インドネシア人は、カーイーイーセーとインドネシア語読みでいう。MMと並び、25年くらい前から開かれている。カラワンバラットで降りれば、直ぐに入る。分かりやすい。ゴルフ場二か所は高速道路からは反対側だ。トヨタ自動車をはじめ、日系大企業も多い。カパルアピコーヒーのいいにおいがする。私は仕事でシャープセミコンには15年以上前から通っている。
最近はカラワンの街のほうに、大規模なホテルやアパート、ショッピングモールが次々とオープンしている。それでも、リッポチカランから通う人が多い。
独立工業団地だが、ここも、南に拡張していたが、多分、今の南端で止まると思う。西は広大な共同墓地なので、東にはまだ、拡張の余地がある。
高速道路で東に行く以外に、カリマラン道も繋がっているが、ミトラ カラワンの工業団地へ行くには、凸凹過ぎて、積み荷が壊れそうで、使えない、この状態は、何年も直していない。
カラワンの街は雨期の洪水が有名、KIICは、心配なし。
二つの工業団地は、他の工業団地との大型車の通行は高速道路の一か所のインターチェンジからでしかない。
新興 先行 単独
10月12日 工業団地 6 3191 ミトゥラカラワンかキムと言っている。Kawasan
Industri Mitra (KIM)カラワンティムールインターで南に降りる。比較的新しい工業地帯だ。真っすぐはスルヤチプタだが、カリマラン川沿いに右折すると過ぎ、新しい斜めにかかった橋に出会う。そこを渡れば、工業地帯だ。以前は、その先の橋を渡るしかなかったが、狭くて、出入りの渋滞があった。
ここのニチリンに11ナイロンチューブを供給している。ホンダが目立つし、レンタル倉庫、レンタル工場のエリアが充実している。幅が狭い、奥行きが長い。
スルヤチプタKawasan Industri Surya
Ciptaここは25年以上前KIICやMMとほとんど同じ時期に入居が始まっている。カラワンティムールインターから真っすぐ、道なりに入る。左に、アパートやホテルやオフィスビルもできた。ジャカルタから遠いから、進出企業の埋まりが遅かった。ここでは、リマテクノ(日本名ジェックス水槽)とは、古い付き合いだ。
細長く、奥の端にはダイハツの新工場がある。お互いに東西近いところにあるが、奥では繋がっていない。隣のKIMとは、カリマラン川の土手道でしかつながっていない。
そして、その、もう一つ先のインター、バンドゥン方面に行くチプララン高速入り口を過ぎてすぐ、カリフリップKalihuripで降りる。突き当りを右(北)に行けば、自然にKawasan Industri Kujang
Cikampek(KIKC)に入る。私はここの工場に用事はないが、その中のクププクジャンゴルフ場に用事がある。肥料屋さんの持ち物だ。イオウ チッソ カリなどを扱うので、火薬工場もこの中だ。
ここに行く途中に、工業地帯ではないと思うが、日系やローカルの工場がある。いつかどうするのでしょうか。この辺りも、これからのエリアだ。
神戸製鋼といい、日産といい、日本企業のいい加減さが、嘆かわしい。モラルの低下、沈みゆく日本だね。日本の高品質イメージに大打撃。中国製品の方が安いし、高品質ッてなことになるでしょう。みっともない。
ゲート 往来 奥行き
10月13日 工業団地 7 3192 ここら辺りのことになると、ほとんど行っていないので、正直、あまり、知っていない。
どちらの工業団地も高速道路の南側、チパンペックまで行ってちょっと戻った方が近いのが、ブキット インダーKawasan
Industri Kota Bukit Indah 手前のカリフリップで降りたほうが近いのが、インドタイセイKawasan
Industri Indotaiseiである。5月だったでしょうか、大火事騒ぎがありましたね、今どうなっているのでしょうか、 行く機会がないので知らない。
ここまでくると、さすがに、ジャカルタからは遠いという感じ。輸出には、港まで遠すぎて、向かないような気がする。ただし、ここのちょっと東北方向(南スバン)にコンテナ港パティンバンPatimbanを2018年日系企業が着工予定だ。できれば、便利になる。
ホンダ、ヒノが目立っている。
ジャカルタ〜チカンペックの工業団地について書いたが、ジャカルタから西に向かいムラック(ジャワ島西端)に至る高速道路がまだなかった時代、1990年以上前に進出した会社は、主にタンゲランだ。タンゲランの高速道路沿いにも見えるが、もともとは、アイススケート場があるタマンアングレック、ショッピングモール、アパートのちょっと北から西に向かう、一般国道沿いに立地していた。高い塀で囲われているし、コンテナ車が入れないのじゃないかと思うほど、道は狭い、車の部品メーカーが多い。レンゴーやハイレックス、イノアックなどに以前はよく行っていた。ヒノやスタンダード、YKKは高速道路から近かった。
ジャカルタから南に向かう国道の両側、ブカシからボゴール方面に向かう国道沿いにも、家電メーカーが、道端にある。昔は、こんなところにも作ったのかと思うように、町から離れたところだ。日本人はジャカルタからこんなところまで通うのは大変だろうなと思う。
ジャカルタ北部、スンタール(タンジュンプリオクがすぐ側)には、トヨタ、ホンダなど、また、マンダムなどもあった。そして、これらのすべてが、チカンペックまでの高速道路沿いの工業地帯に移転しているか、製造主力工場にしている。ここは、毎年、洪水に見舞われ、工場の周りに土手を築いて、出入り口はそれを上り下りした。大型の排水ポンプを目に付くところに常備してあった。今も同じだと思う。
チビトゥン(MM2100の高速道路の反対側)にゴーベルやモデルンその他、こんなところにと思う、ブリジストンなどは、よくこんなところにあるなと思う。
地方の大都市には、やはり広大な工業地帯の一か所や二か所ある。必ず、日系企業がある。スラバヤの南、パスルアンやスマランのタンジュン マス、その隣町クドゥスには、はるばる、何度かいったことがある。バンドゥンやボゴールの工場地帯にも何か所か行ったことがある。
そして、ジャワ島の西端、チレゴンからムラックまで、石油コンビナートや製鉄所。中部ジャワの南西端、例の監獄島、ヌサカンバンガン島がある、チラチャップ、ここにも製油所、ボーキサイトの精錬所などがある。日本人が必ず存在する。
落款、引首印(いんしゅいん)と呼ばれます。おめでたい言葉や、自分の目標などの言葉で決めるらしい。私は、大学の時から、“遊神“を使っている。自分で蝋石を彫って作った。
広大 拡張 新興
http://otaenplaext.net/welcome2.html
ジャカルタの東西に分布する工場地帯と最寄りのインターです。
どうですか、1996年 赴任した時には、MM2100もLGの真ん前、今、PT.NANBU 2になっている場所、まだ、羊の放牧場になっていて、事務所は、建設業者と共同プレハブ飯場だった。住処は、リッポチカランのクラウンコート。日本食らしきレストランは、サヒッドの武士道とチトラインのキンタマニ(今は名前が変わっているらしい)しかなかった。この町に日本人は、100人もいなかったと思う。今やこの辺りに常に2000人以上、住んだり、泊まったりしている人がいるだろうし、昼間は3000人以上、もっと、いるかもしれない。
まだまだ、バブルの始まりだと思う。拡大、発展は、20年以上先まで続くでしょう。
2017年10月20日