実用インドネシア語講座 Z
61munurut〜(ムヌルッ〜)”〜によると”munurut bicara dia,"彼だ言うことに従えば”である。sesuai〜(ススアイ〜)”〜に一致する””〜とそっくりの””〜通りに” sesuai dungan rencana,”予定通りに”で、時間的の事なら、ON TIMEと同じ。
tergantung 〜(トゥルガントゥン〜)”〜次第である””〜に寄るところが大きい””掛かっている””掛けてある””吊るしてある”皆、多様ではあるが、微妙に異なるような気がする。gantung(ガントゥン)は”つるす””ぶら下がる””因る”の意味で、gantunganと名詞になると、”(壁などに)つるす物””吊るされる物””絞首刑”想像すると、あまり使いたくない言葉ですが、(トゥルガントゥン〜)はよく使われる。
tergantung kecakapan anda.(トゥルガントゥン クチャカパン アンダ)”あなたの能力によります”tergantung daya produksi.(トゥルガントゥン ダヤ プロダクシ)”生産能力によります”などのように使います。
62 cakap(チャカップ)”話””有能””上手な”話す””可能な””美しい””ハンサム””立派な”は例外的に不思議な単語で、名詞、形容詞、動詞として使う。また、連想しにくい意味が混じっている。かしこまった席の挨拶の最初によく使う言い方で、Saya mau mengecakapkan〜(サヤ マウ ムングチャカップカン〜)”〜についてお話をしたいのです。”
男性を褒める時に使います。Cakapと言われたら、Makasih(マカシー)”有難う”と言っておきましょう。
一般的に、いい男、という場合は、Gantangガンタンを使う。何回か、私は言われた事がある。
63 perlu(プルルー) usah(ウサー)両方とも”必要な””必要とする””必要です””すべき”の意味です。”必要ない”はどちらでもtidakを付ければ良い。典型的な動詞と名詞への変化で、memerlukan(ムムルーカン)”必要とする””必修とする” keperluan(クプルルーアン)”必要””目的”です。untuk keperluan saya.(ウントゥッ クプルルーアン サヤ)”私のために””私の必要で”barang-barang
keperluan hidup sehari-hari(バランバラン クプルルハン ヒドゥップ スハリハリ)”日常生活必需品””日用品”(スハリハリ)は”日常””日ごろ”“日々”の意味です。
64 jam(ジャム)”時間””時計”Jam berapa?(ジャム ブラパ?)”何時ですか” Berapa jam? (ブラパジャム?)”何時間ですか”Jam tangan (ジャム タンガン)”腕時計”jam dingding(ジャム ディンディン)”壁掛け時計”ですね。
ついでに時間について書きます。”何時何分何秒”はJam〜lewat〜menit〜detik
”何時半”は日本人からすると不思議です。例えば”5時半”はJam setengah enam(6)(ジャム ストゥンガー ウナム)”6時まで半時間”という言い方が普通です。しかし、例外的にjam lima tigapuluh
menit(ジャム リマ ティガプルー ムニッ)と言う人もいます。これでもいいのです。
”何時間何分何秒掛かる”と言う時は〜jam〜menit〜detikと言います。
一寸ひねって、15分は”四分の一”分数です。分子が前、分母が後ろ、間にperが入ります。”二分の一”はseperdua(スプルドゥア)”七分の三”はtigapertujuh(ティガプルトゥジュ)ですね。それでは”四分の一”はseperempat(スプルンパッ)と言います。英語と同じで、”5時十五分過ぎ”はjam
lima lewat seperempat(ジャム リマ レワッ スプルンパッ)”5時十五分前”jam lima kulang seperempat(ジャム リマ クラン スプルンパッ)になります。一寸難しいですが、(スプルンパッ)を適宜、使えるようになれば、インドネシア語の評価は非常に高くなります。
65 ”交通信号”は何故か、lampu merah(ランプ メラー)”赤ランプ”です。”交差点”はpersilangan(プルシランガン)です。”踏み切り”も何故かこれです。silang(シラン)が形容詞で”交差している””紛糾した””こんがらがった””非常に複雑な””バツ印”です。Teka teki silang(テカ テキ シラン)は”クロスワード”です。
”四さ路””三叉路”は一般的にはperempatan(プルンパタン) pertigaan(プルティガアン)と言います。
66 道を”真っ直ぐ”はlulus(ルルス)。”右へ曲がる””左へ曲がる”はbelok
kanan(ベロッ カナン) belok kiri(ベロッ キリ)ですね。
Di perempatan (lampu
merah)berikut belok kiri.(ディ プルンパタン ブルイクッ ベロッ キリ)”次の四つ角(信号)で左に曲がる”です。
67 ikut(イクッ)は面白い単語です。基本的には”参加する”一緒にいる””出席する”など、皆さんと一緒になにかをするのに参加するという意味です。ikut?(イクッ)と聞かれたら、ikutと答えるか、tidakである。日本語の行く?に行く、と答えるのとそっくりである。
それがberikut(ブルイクッ)だと、”次の””付けて”と言う意味になるからこれも想像しにくい。
ikut-ikutan(イクッ イクタン)自主的にではなく、”他の人に従う””他人の意見に賛同する”など、あまり良い意味ではない。
68 pasang(パサン)は”取り付ける””セットする”私の専門である金型をセットするというときに使いますから、かなり早いうちにこれも覚えました。ちなみに、ばらす、解体するは、Bongkarボンカルです。
ところが、セットする、と言う意味は主な使い方ではない事が後に分かった。”対”と言う意味が主でした。sepasang(スパサン)seは、satu(サトゥ)”一”ですから、”一対””一組””一足””一夫婦””一双子””ワンセット”の意味です。
pasangan(パサンガン)”一対の片方””配偶者””相手”と言う意味ですから、この単語もなかなか意味を連想しにくいですね。
69 patah(パター)は”折れる””終わってしまう””挫折する””失敗する”patah hati(パター ハティ)”がっかりする””失恋する””気力をなくした”いかにも、”心が折れる”状態の意味ですね。
Patah jadi dua二つに折れる、こんな、歌があります。寂しい歌ですが、有名です。https://www.youtube.com/watch?v=HrBW9n9Q_jI
pecah(ペチャー)音から、想像できそうです。”ぺちゃんこになる””壊れる””割れる””砕ける”pecah hati(ペチャー ハティ)と(パター ハティ)は同じ意味です。
これがmemecahkan(ムメチャーカン)になると、”割る””分析する””問題を解く”ここまでは想像できるが、”秘密を明かす””報道する”と言う意味にもなります。
70 putus(プトゥス)”切れた””関係が無くなった”など物にも関係にも切れたと言う意味で使う。そこから”終わった””無くなった”になり、最後に、どういう分けか”決まった””結果が出た””確定した”に発展する。インドネシア人の感覚を不思議に思うのは、こういうところです。”切る”と”決める”が同じ言葉なのです。彼らにとっては共通の意味なのでしょうね。putus harga(プトゥス ハルガ)”値段を決める””負けられない値段”です。値段を切って安くする、と、言う意味ではありません。putus napas(プトゥス ナパス) putus umur(プトゥス ウムール)””息が切れる””年齢が切れる”の意味から、”死ぬ”の意味です。
putus-putus(プトゥスプトゥス)は”途切れ途切れに”です。
名詞はpemutusan(プムトゥサン)と keputusan(クプトゥサン)に分かれて、”切断”断絶”と”決定””終了””結果””なくなる””不足”になります。
perputusan(プルプトゥサン)は”分かれる事””離婚”です。
もっとも、離婚は、一般的にceraiチュライ、と言います。インドネシアの離婚率は非常に高いと思う。