10月9日 ヒンドゥ遺跡と地熱発電と野菜の高原です。昨日、05:30に家を出て、北街道をひたすら東に進み、プカロンガン、バタンを通過、ウェレリと言う町から南下し、途中にディエンと言う看板が見えたから、左折して山に登り着いたのが、06:00でした。実は、ウェレリを通り過ぎてクンダリまで行ってしまったのです。一時間以上のロスでした。とにかく、インドネシアの道案内、道路標示は分かりにくい。と言うより、数が少なすぎる。道の途中には、この道はどこへ向かっているというのが全くない。在る程度大きな、交差点にしかない。ちょっとした分かれ道程度では標識は無い。また、標識のほとんどは、どういうわけか、大きな木の葉っぱで隠されている。半分も見えない標識が多い。私は標識が在れば、過ぎ下で車を止めて確認する。それでも、今回は曲がるべき場所にDiengとかWonosoboといった、私が目標としている場所の文字が見当たらなかった。地図を持っていっているが、これば、大まかなもので、当てにならない。
とにかく、ディエンに、もう、薄暗い大雨の中、到着した。まだ、土産物屋が空いていたヒンドゥ遺跡チャンディ アルジュナへ行った。実はここの土産物屋で買ったポテテチップスがおいしかったから、買いに来たのでした。在ったあった、試食をしたら、結構な味、ちょっと体調に買ってしまった。
ディエンはじゃがいもの全国生産量の50%だそうです。高原野菜の一大産地である。見渡す限りのクンタン(ジャガイモ)畑、とにかく、うねりにうねった山という山、谷という谷、すべてがジャガイモ畑、“耕してジャガイモ、天に登る”である。
機械化が全然されていない。その急斜面にへばり着くように多くの人が仕事をしている。ワイアーロープで簡易ロープウェーを作ろうと考えないのでしょうか、天秤棒を肩に担いで収穫したジャガイモを運んでいる人が急斜面を上り下りしている。
土産物屋でクンタンゴレンを買って、直ぐ傍のプスパ インダーというホームステイに泊まった。一泊、20万Rpで紅茶やコーヒーは飲み放題、食パンとバターやジャムは置いてあるので、いつでもどれだけでも食べられる。TVはインドビジョン、なんと、NHKワールドも受信できる。熱いお湯も出る。
安い、きれい、行く人にはお勧めです。その他にもちょっと道を走っただけでも、ホームステイやホテルの看板を沢山見た。以前はそういう看板は無かったが、観光に町が力を入れていることが分かる。
寒い、2000mの高地、コンビニでアンチ モスキート(ニャムック)を買おうとしたら、売っていない。蚊はいないよ、と、言われた。ホテルにエアコンは必要ない。
ポテトトップス、厚い薄い塩味。昔懐かしい味がする。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0308.html
過去の旅行記と写真です。今回の記録は何日か後です。
今どこにいつかというと、チカランの家に戻っている。
高原 寒い ジャガイモ
10月10日 山葵とパパヤ ジャガイモ 山葵畑とクンタンゴレンの製造現場を見学する前に、サンライズを拝みに行った。04:00出発、真っ暗の中、車で15分ほど、かなり、狭くて凸凹の道を進む、一応駐車場に車を止めて、直ぐ、歩き出す。というより、登りだす。かなりの急斜面、左片側は断崖絶壁、反対側は右手で壁を触るようにして登る。普通の人では無理でしょう、と思えるような登りだ。私は四回目、今回は足元の雲海が消えず、ヲノソボの町を見下ろしことができなかった。上空に雲が全くないので、その雲からの反射光が無いため、スンドロ山は赤くならなかった。しかし、今日の景色も、一興だった。06:00下山。
その足で、クンタンゴレンを作っている場所へ行った。ディエンから11Km西の町、バトゥール。朝市の真っ最中、狭い道が一層狭くなっていて、人をかき分けるように、超ゆっくりで車を進める。工場へ着いた。と言っても、大鍋が三つあるだけ、皮むきは家庭で使う、栓抜きのような形をしたもの、薄く切る道具は、鰹節削りの大きいもの、非常に台所的、こんなものかと思うが、油や塩にノウハウが在るのでしょうか。ディエンに二社在るという。
そのすぐ近くに山葵畑が在った。在る、日系企業がオーナーだという、かなり広い、まあまあの斜面に黒い網で覆われた一体が見える。その下に正真正銘の山葵が見事に栽培されている。葉っぱを摘まんで食べてみた。辛い。
ここで、収穫された山葵や茎や葉っぱはバトゥールの工場で洗われて、スマランの工場で、粉砕して、振り掛けや練りワサビの原料を作って、日本へ輸出するということでした。以前は、ディエンにこんな規模で商売になるの?と思うくらいの面積だったが。其方には今は無かった。今は、写真の規模の畑が他にも三カ所あると言っていた。今は、山葵の根の部分の収穫はしていない、茎や葉っぱの収穫だけ、根の収穫は、一年に一回だけだそうだが、茎や葉はその間三回収穫するそうだ。捨てる部分は全くなし。日本はどうでしょうか。
日本の安曇野や安倍川奥や伊豆の清流で栽培している人達はショックを感じると思う。何も清流などはいらない。適した気候が在ればいいだけらしい。確かにここの湧き水は飲めるし、澄んでいるが、沢のように流す必要は無い、土に水分が十分なら良いので、水を掛けているだけ、雲、霧に覆われる時期が多いので、水やりはほとんどしないという。茶色に変色しないように、黒い網で覆ってあるそうだ。日本の商社がオーナーだ。この方法で、日本で何故作らないのでしょうか。高原の平野ならどこでも簡単に栽培できる。現在の産地は窮地に追い込まれるでしょう。
ディエンに小規模だが、ギンセン畑もあるが遠くから見ると似ている。
これじゃ、多分日本の何十分の一の経費しか掛らないと思う。私たちが口にしている振り掛けや練りワサビの表示にインドネシア産と書いてあるのを見たことが無い。どうしてでしょうか。
もう一つ、気になった果物がった。パパヤ ディエン チャリカである。形は一人前だが小さい、太さは5Cm長さは7Cmくらい、熟すと黄色くなるが、おいしくないし、柔らかくもならない。小さく切って砂糖汁で煮て、瓶詰めで売っている。乾燥してスライスし、砂糖をまぶしても売っている。とにかく、ディエンにしか無いらしい。ジャガイモ畑の畔道のようなところに植えられている。
高原野菜なら何でも作っている、ちょっと目に付くのは、キャベツ、タマネギ、白菜、人参、日本なら八ヶ岳の麓、清里や野辺山など小海線沿線の雰囲気と似たところが在って、日本人が懐かしく思うような場所だと思う。
地熱発電所から水蒸気が登っている。ガルット近くのパパンダヤンとともに地熱発電の先駆的な場所である。
残念ながら、日本人の観光客が来たという話は聞かない。商社の人が仕事で来るくらいのものらしい。交通の便が良くない。ジャカルタから飛行機を使うならジョクジャかスマランだが、そこから、車で3〜4時間かかる、それも、日本人が想像できないほどの急な登り下り、急カーブの連続です。麓のヲノソボに泊まって、朝早くから出発し、一日中、私が行ってみた墓所を訪ねたらいいと思うが、どうでしょうか。行く気になる人はほとんどいないと思う。
結局、ディエン辺りにいたのは、18:00から翌日の09:00まで、その間、ホームステイでくつろいでいる以外、外で行動したのは5時間だけである。帰りは来た道とは違う。プカロンガンを目指した。この道も分かりにくい、表示が無い本当に狭い道、不安に思うが、その道しかないと信じるしかなかった。どうにか、北海岸へ出ることができた。
山葵 チャリカ 中部ジャワ