New Top
TOP
Pangandaran 2013 5

5月9日  (^_-)-パンガンダラン 1575 今、どこにいるかというと、そうです。再び、まさかのパンガンダランです。二時半に家を出た。ジャカルタからの日本人二人をピックアップし、三時前にはチカランバラットインターからパンガンダランへ向かった。いつもの通り、ホテルにチェックインする前、ルンバー プトゥリからパンガンダランを見下ろした。私のウェブサイトの表紙である。

同行二人の内、一人は三回目、もう一人は初めてした。しかし、二人ともこの場に立って、流石の景色に感激していた。天気が良かったので、私もホッとした。

 

10時半には、西海岸のUMMIさんのワルンに到着し、アウェン君を呼んで、明日の打ち合わせをし、今日二人は釣りをしたいと言うので、アウェン君に後で釣り場に連れて行ってもらうことにし、その後、二人の宿を西海岸のホテルUNIに決め、休んでもらった。かなり前からあるホテルだが、2006年のツナミで跡形もなく無くなってしまっていたが数年前に再び開業した、建物は新しい、それに、津波前より季語が大きくなってるホテルだ。私は彼らとは別の遥かしやすい東海岸のパモルディアンに入った。昼寝を一時間ほどしてから、例の、あの、魅惑の未亡人アユさんに電話し、予約をしてあった小エビのてんぷらについて聞いてみた。準備はしてあるが、二十パックしかないという。それでもいいから、ほしいというと、ホテルへ持ってゆく、という。それはありがたい、待っていると14時過ぎには、バイクで届けてくれた。23パックあった。会うのは一ヵ月半ぶり、今日は、ジルバブをしていなかったので、同じ人の感じはしなかったが、美人であることは、前以上に感じた。性格は明るい。しばらく話をしてから、50パック以上はほしいので夕方までに準備してくれないかと頼んだ。

私の家を教えるから、今、私を、私に家まで送ってくれて、場所を確認し、ホテルへまどって、私はバイクで家に帰るから、夕方、もう一度私の家に、取りに来てくれれば、準備しておく、という、ちょっと、複雑なことを提案してきた。その言葉に従って、彼女に家に行ってみた。なるほど、田舎の凸凹した曲がりくねった小道を数キロ走るので、これでは、ちょっと書いてもらったくらいでは、家まで行きつけないと思った。彼女が横に座って、案内してくれなければ、着けなかったでしょう。

 

松本で仕事をしたときに節約してお金をためて作った家だという、立派な家だ。自分が作ったというお菓子を出してくれて、30分ほど、また雑談し、ホテルへまた二人で戻り、彼女は置いてあったバイクで再び家へ帰った。

 

夕方、電話が掛かってきて、まだ、出来ていないから、明日にしてくれという、私は、いつでも、良いので、それはまたということにし、二人の日本人と一緒に食事をすらから一緒にどうかと、提案したら、日本語を話したから、良いよという。先ほど知ったばかりの彼女の家へ迎えに行き、UNIで合流し、パサールイカンで食事を一緒にする。

 

並んだシーフード、飲み物を含めて、総額35万Rp,そのボンを見て、安さにびっくりしていた二人の日本人が印象的だった。ジャカルタなら、一人でこの金額だよ、という。

 

彼女も大満足、20時前に再び家まで送って行って本日の行動はとどこおりなく終了した。彼女とは、残りの何パックかを受け取るために、いつとははっきりしないが、再び会うことにした。

 ホッ 快い またまた

 

 

 

 

5月10日  (^_-)-フルスケジュール 1576 5時半から、活動、サンライズを拝んでから、ヌサカンバンガンへ向かう。いつものとおりである。浜でバーベキュー、美味しかったに決まっている。本日の特徴は、クピティン(カニ)を大量に仕入れたことでした。浜へ着く直前にいつもの様にロブスターを漁師から買った。あまり大きなものが無く、せいぜい250gくらいが最大で、1kg足らずいしか買えなかった。種類はウダン ヒジャウという、最高品質のものだったで、高かった。30万Rpもした。量的に少ないので、他の魚などないかと聞いたら、カニがある様という。見せてもらった、それ全部でいくらか聞いたら5万Rpだという。安い、全部掛かってしまった。とにかく、鍋に一杯になってしまうほどの大量だった。

 それを、チキン味のブンブで煮詰めた。スープもおいしかったが、カニも美味しく、頂いた。一緒に行った、ガイドや手伝いのパンガンダランの人達もおいしそうに頬張っていた。

 それと、今回特別に、Nasi Liwatという種類の味付けをしてたいたご飯もおいしかった。ナシ ウドゥックに似ているが、独特な甘さがあった。

 往復途中、うねりが大きく、同行の日本人は、緊張した様子だったが、浜で満喫できて、その緊張も吹っ飛んだようでした。

 12時ころ西海岸へ戻り、14時にはチャガール アラムに入った。これも、いつもの様にチュルッグ パナンジュンという滝まで行って戻ってきたのが、17頃、残念ながら、ラフレシアには会えなかった。私としても、会えなかったのは何年振りだろうかという、運の悪さだった。

 

 小エビいのゴレンを受け取りにアユさんの家に行き、それはそれとして、今日も、彼女を夕食に招待した。その後が疲れた。早朝からの強行軍の締めくくりがカラオケ、パンガンダランにもファミリーカラオケが沢山出現していて、私たちが行ったのが、ホテルで経営する新式のカラオケで、設備は最新式だと思う。キーボードを操作する。インドネシア語や英語の歌は、当たり前、日本語、中国語、韓国語の歌も入っていた。22時過ぎまで

2時間ほどいた。どういうわけか、5人だったが。飲み物を含めて30万Rp、安かった。

 ま、でも、パンガンダランへ来て、カラオケは無いだろう。

強行 満足 緊張

 

 

5月11日  (^_-)-Green Canyon 1577 出発前、東海岸のサンライズと西海岸の人で。

アメリカの国立公園ではない。パンガンダランから西、25Kmほどにある一応観光スポットである。既に何回もいっていて、ウェブサイトなどで紹介してある。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage023.html

 

はっきり言って、たいしたことは無い。上陸する岩場よりもっと奥の方に行ければ、もっと素晴らしい、状況を見ることが出来るだろうが、行けるところまででは、物足りない景色である。

日本の何社かのガイドブックに載っているように、インドネシアの旅ガイドにも紹介されているので、パンガンダランに行くなら、グリーン キャニオンもという人が多い。

 

行く途中の道が半端じゃない凸凹道、以前はそれほどでもなかったが、このごろは慢性ボコボコ状態で、治しているなと思ったが、直ぐに穴があき始める。何故か判っていないようで、何年か周期でそれを繰り返す。これは、パンガンダランに限った事では無いグリーン キャニオンまでは、一ヵ月半ほど前に行ってきた。その時は、道が凸凹過ぎて30分で行くところが1時間以上かかってしまった。それより悪くなっているなら、私は行かないと、地元の人に言ったら、「治っている、以前の様に順調に行ける」という。私の友人が一週間前に行って来て、道が酷かったというので、そうだよね、以前より悪くなっていると思うから、そのひどさを知っているという話をしたばかりだった。

 

一週間前に酷かったのに今、治っているというには、どういう事だ?一週間以内に直すことが出来るはずがない。友人が違う道のことを言っていたのか?

 

行ってみた。道は修復してあった。一ヵ月半前よりは、良くなっていた。良くはなっていたが、友人が言ったように、やはり、日本人からしてみると、かなりの凸凹、到底、なおしたとは思えない凸凹さで、友人が酷い道だったというのは当然だった。

 

 その凸凹道でもじものとの連中は、十分、以前より良くなっているのだから、治したというのも当然だった。

 

同乗者はどうか、「酷い道だよ、これで直したっていうの」という意見だった。

私は、そのメインの道からヂャラン ティクス(抜け道)に入って、その凸凹道を避けながら、往復をした。車がすれ違うことができない、田舎道はいくらでもある。今回は海岸に近い道、バトゥ フューを通った。

 

道の状態に関する感想に違いがはっきりした。

 

グルーン キャニオンは、連休の中の土曜日とあって、大混雑、やはり、舟が大渋滞していた。早々に引き揚げたが、それでも、8時に出たのにパンガンダランへ戻って、アユさんを送って行ったのが、11時を回っていた。我々は食事を取り、パンガンダランから出たのは12時過ぎだった。順調に車は進んだが。チレニーの高速道路に入る前数Kmから大渋滞に巻き込まれた。道路のアスファルトの舗装の上にコンクリート舗装をしているのが原因だった。 そういえば、この場所ばかりではなく、道中、各所で、そういう工事をしていた。ラマダン、レバラン前に道を修復してしまおうという時期にはいったからでしょう。

 

 ジャカルタの友人をチカランのインターで降ろして。家に着いたのが21;00を回っていた。12時間以上の運転で、起きていられなかった。直ぐに寝てしまった。

 

疲れた、眠い。 後で、書きなおす。

 旅 運転 睡魔

 

 

5月12日  (^_-)-心地よい疲労 1578 目覚ましで04:30に起きた。まだ眠いが、どうしても起きなければならない。05;15家から出発、朦朧としていて、どこをどう通ってゴルフ場に着いたのか、ほとんど、居眠り運転。無事にゴルフ場着いたのが、05;45でした。どこが痛いとか、気持ち悪いとか病的な症状は無いが、とにかく、疲れが抜けていない、眠くて仕方がない。それでも、06;30頃からティー オフ、素振りは一切なし、いきなり、打つ、最後までその通り、スコアーと同じ数だけクラブを振っただけだった。それでも、まあまあの結果、オリンピックも受け取る側だった。

 

 ボールの場所へ行く前、打ってから、カートにいてうとうとしていた。キャディーはいつもの私と違うので心配していたようだが、理由は分かっているので、話しかける回数も少なかった。

 一種のプレーした中にパンガンダランへ一緒にった一人いたが、その人は元気、運転をしないし、ビールを飲んでは鼾をかいて寝てしまい、目が覚めたら、また、ビールを飲み寝てしまう。ガソリンスタンドに寄ってトイレに行くときがけ、起きていたという方だった。ま、笑いながら、話す、エピソードの一つだった。

 

 終わって食事をし、13;30頃家に戻ったが、またすぐに寝てしまった。目が覚めたのが17:00過ぎ、起きた時、外が薄暗かったので、朝になってしまっていたと思ってあわてて身支度をしようと思った。ちょっと待て、いや、まだ日曜日の夕方だと、直ぐ、気がついて、ほっとした。

 

 旅の一日目は、3時に出発、運転した時間は10時間ていど、二日目は6時前から行動し、大波にもまれてヌサカンバンガン、昼からはジャングルの中、夜は食事とカラオケ、ハードな活動時間が16時間以上、三日目は12時間以上の運転に加えて、観光地の案内、

それら+未亡人アユさんも迎えに行ったり送っていったり、田舎のくねくねした道を、真っ暗な中、合計6回、時間にして2時間以上、それ+綺麗で優しそうな印象だった魅惑の未亡人?のはずだったアユさん、まったく、当て外れ、自己主張が激しく、しゃべりすぎ、煩い、その人の相手をするのが途中から負担になってしまった。疲れる材料が増えてしまった。

 

 ということで、一人で行動しての旅には無い疲れがたまってしまったのでしょう、しかし、その疲れは、実に気持ちがいい、半分眠りながらゴルフをしていながら、こんな生活ができるのは、贅沢かもしれないと思った。