5月9日 (^_-)-☆ジャカルタ4時間 1 2305 14;00その気になってしまって、ジャカルタに向け出発した。ジャカルタ行きは渋滞にはまる可能性が高いのは分かっているので、緊急用に空のペットボトルを用意した。早速、チビトゥンの手前から渋滞になった。ブカシバラットを過ぎた時には15:20でした。渋滞の原因は、ブカシバラットを過ぎて直ぐのところで、コンテナトラックの故障でしょうか、路肩と一車線を塞いでいたためだった。そこから、順調になり、予定としては、高速道路でアンチョール方向に行き、グロドックから南下して、ブロックMで左折し、マンパンから高速道路に乗って帰る、でした。何年ぶりでしょうか、覚えていない。
チャワンからアンチョール方面に向かう。渋滞なし順調である。アンチョールを過ぎて、グロドックから出て、左折をし、南に向かう。いきなり、バスウェーがある。ここでブっつかったのははじめだ。だから、いきなり道が狭くなっていて、戸惑った。過去、何十回もコタ、グロドックには買い物に来ているので、なれた道である。直ぐ左折し、東に向かう、直ぐまた左折してもいいが、もう少し先まで行って左折する。そこは、向こうからの一方通行になっているので、厭でも左折しなければならに場所です。バスウェーも、同じ道を辿っている。線路の高架になっているところで線路沿いに右折し、東に向かう、直ぐ、また、右折し南に向かう、そこの左側に一応、名所になっている、跳ね橋にレプリカのようなものがある。その道の右側にホテルバタビヤがある。名前が変わっていて、何と読むのでしょうか、de Rivierになっていた。過ぎて、また、左折し、東に向かう、そこに橋があって、そこから北の方角に、先ほどの跳ね橋が見える。
そのまま東に向かい500mくらいのところを右折し、南に向かう、直ぐ、また右折すると、その先に、バタビヤ時代の博物館?があり、その前が、市民憩いの広場になっていて、今日も、何かの催しがあるのでしょう、賑わっていた。そこを左折して、また、南に向かうと、真っ正面に、コタ駅が目に入る。その前まで行って自然に右折になり、左折になる、そこの左側が、コタ駅の正面になる。その向かいが側、車の右側が、トランスジャカルタのコタ停留場である。この辺りから、いちいち信号の待ち時間は長くなるし、渋滞の連続になる。各交差点には交通警察官が数人、うろうろしている。
ここまでの鉄筋コンクリートビルは、ほとんど、オランダ植民地時代に建てられたもので、全て歴史的建物だが、半分以上が、朽ち落ちて、無残な状態になっている。もし、日本なら復元して、世界遺産に登録申請するような場所です。
バタビア コタ 歴史的
5月10日 (^_-)-☆ジャカルタ4時間 2 2306 家に着くまで、車から一度も降りていないし、路肩に停車もしていない。常に走っていたし、信号や渋滞で止まっている時も車列の中にいた。写真は、前、右、左と運転席から撮影した。渋滞で止まっていたり、のろのろ運転だったりしていたので、あまりぶれることがなかった。
コタ駅前を過ぎると間もなく、グロドックに差し掛かる。路上、ビルとビルの連絡通路が通っている。1998年5月の大暴動の時、この左右のビルとこの通路は、真っ黒焦げに焼かれていた。その下から100m先の左側に、グロドックの商店街への入り口がある。東京の秋葉原的性格の商店街で、何でもアリだ。ここにない商品は、インドネシア中捜してないと言っていいし、ここに来れば、ほしいものは何でもあると言っていい。交換部品は、昔はここにしか無かった。欲しいものでここにない場合は、取り寄せをここで頼むことになる。しかし、今では、チカランやチビトゥン、タンブンにもコタの支店が進出しているので、地元で頼むこともできる。
ガジャマダ通りなる。この辺り、吉野家を左側に見つけた。色々な店やショッピングモールがあって、大いに賑わっている。そして、“コタの方にブロックMより好いところ?があるよ”というのは、この辺りのことである。大通りから枝分かれした道の奥の方が、その、いいところだと思う、私は思うだけです。ずっと渋滞でした。間もなくS字カーブがあって、その先に、モナスが見えてくる。バスウェーが常に左側にあって、信号によってはそのバスだけが青という場合もあった。左に曲がれば大統領宮殿になる交差点を右側にカーブすれば、タムリン通りになる。左にモナス、右側に国立博物館など公共の建物が並んでいる。
何頭立てでしょうか、戦車のモニュメントがある噴水の向こうに日本銀行に相当するバンクインドネシアが見える。
左にインドネシア第一号だと聞いているデパート、サリナ、10何年か前にここで初めて、Ojek payungオジェック パユンというのを知った。バイクのオジェックのように、車という目的地まで、傘を貸して送るからでしょうね。
直ぐ右側に日本大使館、この辺りは、既に地下鉄の工事のための塀が巡らされ、その縁がバスウェーになっているので、道の狭さが気になってきた。ホテル日航、今は。別の名前?が左にあり、友好のモニュメントの噴水から、スディルマン通りになる、ジェンデラル スディルマンの銅像が見えてくる。ホテルやオフィスビルが林立し、ジャカルタの洗練された近代都市という印象を受ける。おそらく、地価がインドネシアでは一番高いのではないでしょうか。田中角栄がインドネシアに来た時に合わせて、日本製品排除のデモが勃発し、焼き打ちの対象になった、トヨタオートドゥアリブもここで健在だ。しかし、その脇道、裏道は、洗練の大反対で、ゴミだらけの混雑が現実だということを知る。そのまま南下すると、スマンギの高速道路の下をくぐる。
グロドック 秋葉原 良いところ
アッチッチの像は、そのまま立っているが、周りの施設がほとんどなくなっていて、孤高のまま、叫んでいるようで、気の毒に思う。MRTは、この下を通るのでしょうか、大丈夫なのか心配になる。ここからプラザスナヤン方面に行くには右折するのだが、ちょっと、どこから入っていいのか戸惑いそう。私は、真っ直ぐ南へ向かう。この道は信号で右折する車が多い上にトランスジャカルタがその右折車優先になり、なかなか、右折車は進めない。だから、直進車は路肩側に車線を進むのだが、そこに右折車も入ってしまっているので、青になっても進めない。また、ブロックMバスターミナルの手前の十字路の通行車線が右往左往していて、どこを選んで進んでいいのか分からない、前の車にピッたりついて進んだ。
道はますます狭くなり、バスターミナルの出入り口付近から一車線になってしまった。割り込み、わりこみ、遠慮していれば、後ろから、クラクション。
MRT工事中のプラザ ブロックM[OBAKEYASHIKIと書いたった]のすぐ脇をすり抜けて、ムラワイ通りで左折する。ブロックMには入ってみようかと思ったが、 テントが見ええるし、入り口も車の列ができていてはいっても、駐車する場所まで辿りつけないだろうと判断、写真を取りながら、通り過ぎた。
ENNICHI何とか、と、書いてあるのが読めた。パサラヤを過ぎ右折し、左折し、ウイジャヤ通りに出て、そのまま、BSI(簿記などの専門学校)を正面に見て右折し、マンパン通り方面に向かい、皆さん臨時に多く利用するというホテルマハラジャの前を通る。また、この通りが、高架工事で道が一車線になっていた。そのまま、高速道路に乗っかった。既に三時間半経過の5時半近くになっていた。
この辺りから、雨が降り出し、縁日祭りが雨にたたられているかもしれないな、と、思いながら、高速道路に乗ってから、ブカシバラット付近まで雨だった。帰りの高速道路は順調で、6時過ぎには家に戻った。
ジャカルタの大通り、北から南に向けて走ってみたが、ジャカルタの印象は、以前と変わらず、時間を無駄にする場所だ。何もかも、歩留まりが悪いと思う。雨季ではないから、少しは、ましだったと思うが、MRTの工事が終わっても、この状態が、すっきりことはないと思う。空気も悪い。
車の中にずっといたし、ほとんど片手で運転してしながら、写真を撮っていたし、家に着くまでは、何ともなかったが、車から降りた途端に、足元が、ふらったした。用意したペットボトルに世話にならず、立ち直った後、トイレに急行した。パンガンダランは別にして、こんな運転は最後?にしようと思う。
幹線道路 南北 MRT