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Bintan Tanjung Pinang

2012年5月7日 タンジュン ピナン

 グロドックの話から一転して、今朝 04:30に家を出て空港へ向かい、08:00発のタンジュン ピナン行きに搭乗した。それで、現在、プラウ ビンタン(P,Bintan)のタンジュン ピナン(Tanjung Pinang)という町にいる。どこら辺りかご存知ですか。シンガポールの真南にバタム島があります。その東隣の島で、面積はシンガポールの約2倍だそうです。Kapbaten Kepurauan Riauの首都。

 空から見た印象と空港からホテルまでの景色の印象は赤土の島という感じ、至る所でブルドーザーが土地を掘り返して均している。その音が街のあちこちから聞こえてくる。だどんどん、開発が進んでいる様子。そして、もう一つの印象は、中華系の人が多いこと、シンガポールやバタムに親戚がある、兄弟がいるという話を会う人ごとに聞きもしないのにしてくる。ということは、ここらあたりの人は、インドネシアの南のほうから移ってきた人より、はるかに北の方から移り住んで来た人の方が多いようだ。だから、シンガポール化していっているように感じる。おそらく、そう遠くない間に、シンガポール化すると思う。マンダリンの次は英語である。インドネシア語は既に三番目になっているようだ。そして、どんどん、造成、開発が進んでいるようだ。

 モスジッドは目立たない、スピーカーからのコーランの声も聞こえてこない。共同墓地はイスラムもクリスチャンもブッディストもごちゃ混ぜである。いいことだと思う。街を歩いていると、マンダリンしか聞こえてこない。店へはいっても人は中華系である。当然、しゃべっていることが分からない。ホテルの従業員にインドネシア語で、話しかけてもキョトンとしている人が多い。

  面白いというか、困っているのでしょうと思う。インドネシアらしいと思う。機内のシートの真ん前に書かれていたことと、ホテルの部屋の扉の内側に書かれていたことです。何となくわかるでしょうが、盗まれたり壊されたりすることが多いのでしょうね。ハンドホーンを切っていなかったり、ライフジャケットを移動したり、そのほかも書いてあるが、200万円の罰金か懲役2年が科せられる。ホテルの方は、壊したり持って行ってしまったりしたものの値段が書いてある。報告がなければ払ってもらうよと書いてある。

 11日朝までプラウ ビンタンをベースにして、気まぐれな旅を楽しもうと思う。

5月9日 (^_-)-プラウ ビンタン

 今日のサンライズ

Bintan Argo Hotelに二泊してゆっくりつもりだったが、何もすることがなさそうなので、11:00に今晩の宿泊をキャンセルしてTanjung Pinangへ向かった。ホテルを探す前に、観光をすることにした。しかし、運転手とコミニケーションがちぐはぐで、ホテルへ先ず、連れて行かれた。ポイントはワイアレスランを使えることでした。使えることを確認して泊まることにした。

13:00オジェックを頼んで市内観光をした。初日にはほんの一部の新興地区を散策したが、今日は、旧市街というか、昔から引く継がれた港起点の街を通った、随所に仏教のお寺があり、中国人がこの町を開拓したことを象徴していた。

そのお寺は、また、中国人で成功した人が自分の成功を強調するかのような目立った建築をしてある。日本の侘びさびの世界とは全く、正反対のギンギラで原色で塗りたくってある。二百何十年前の建築だと近所の人が自慢げに話してくれるが、私から見るとコンクリートの建築物に原色塗りたくり、派手なだけで安っぽく見える。毎年、塗り重ねるのだそうです。中国人は派手な彩色が好みのようだが、私は好きになれない。赤と黄色が大量に使われている。

そういうお寺が一角にある住居地といったら、木造で汚い、その環境はゴミに囲われていて、見ただけで、臭いが漂ってくるようで、よくこんな場所に住んでいるなと。感心してしまうほどだ。住民が皆でゴミをなくそうという運動をしないのでしょうか。人が住むところではないと思うが、人が大量に住んでいるから、不思議である・私は我慢できないでしょう。吐き気がしてくるくらいだ。

色々な船毎に桟橋の場所が異なる港がいくつかある海岸沿いに街が形成されたのでしょう。その町の後ろに小高い山があって、山頂付近は各種パラボラアンテナ用の鉄塔がいくつか聳えている、山頂に展望台があり、そこまでオジェックで上って港や市街を一望した。景色はすばらしい。それはそうです。匂いがここまで登ってこないし、川や海に流れ込んで淀みに堆積したゴミもここからは見えないからです。

どうですかこの対象は、こんな場所にこんな立派な家を作るなら、他の場所を買えると思うのですが、どうしても、今までの腐ったような家を壊して、ここに新築したかったのでしょう。私には理解できないこの風景です。

バタム島とは全く違う汚さで、7日に歩いた付近は、シンガポール化が進んでいるようだが、もともとの街はどうしようもない感じがする。

 

オジェックは速い、しかし、3時間の観光ツアーのうち二時間乗っているとお尻は痛いし、腰も痛くなった。ポリシティドゥールがたくさんある道はきつい。ところで、綱引きのような太い縄をポリシティヅールにしてある道があった。これはいい方法だと感心した。

 

スホイ スーパージェット100 37人招待 乗務員含めて46人 ボゴールのパンランゴ山とサラック山付近で消息を絶った。空軍の空港ハリムからテスト(デモ)飛行に飛び立った。ロシア製です。10:00には、まだ、見つかっていなかった。ヘリコプターで捜索するしかない、ジャングルで、厚い雲がかかっていることが多い、スホイが差し掛かったころの天候は穏やかだったらしい、高度は3000mで通過する確率が高かったどうです。しかし、昨日の夕方から天候が悪化し、今朝も捜索するには難しい天候になっているらしい。捜索隊のリーダーは天候が回復するのを期待するとだけ、言っていた。

14:00ホテルへ戻った時には機体を発見した、現地へ救援隊が1千人向かっている、地上からはまだ誰も到達していない。

16:00のニュースの映像では斜面や平地のジャングルへ突っ込んだというのではなく、完全な絶壁に機首から突っ込んだ状態で、その場所からほとんどすべてがどれほど下か見えないが、落下したようです。機体も木っ端みじんになって落下したと思う。激突した個所は緑ではなくなっていて、白い破片?が散らばって張り付いているのが見えるだけです。一瞬のうちに全員がなくなったと思う。空中分解より凄まじい激突ではないかと思う。

5月10日 (^_-)-キジャンから

 サンがないサンセット タンジュン ピナンの港付近、バタムへ向かう水上バスが見える。

トヨタの車じゃないよ。P.Bintanの南三分の一ほどはキジャンという地方です。タンジュン ピナンの空港の名前も通称キジャン空港と言うそうです。

 と、言うことで、今日は、コタ キジャンの南の港からポンポン船に乗って島めぐりをしてきた。クプラウアン リアウ州というくらいだから小さい島が沢山ある、その島巡りを狙ったが、本当に島巡りだけで何もなかった。マングローブに囲まれた島々が大多数だが、その島のマングローグ林を引き裂いて、真っ赤な土の道が海辺まで来ている。そして、島々の上の方は河童の頭のお皿のように真っ赤な地面が広くむき出しになっている。シャベルカーやダンプカーが見える。また、海辺のところどころには、岸から斜め上方へ向かって海にベルトコンベアーが伸びている。その下には大型の箱舟が待機している。何の積み出しでしょうか、カリマンタン ティムールなら石炭の積み出しです。ここはなんとボーキサイトの積み出しです。

 真っ赤な土はボーキサイトだったのです。地元に人の話によると5年前まで日本へ大量に輸出していたそうです。そういえば、父親が勤めていた蒲原の日本軽金属の海側に真っかな三角山がいくつも聳えていたことを思い出した。小学校の頃、アルミニュームの原料はボーキサイトと行って、日本では産出しないので南方からすべて輸入していると教えられたことがあった。今日、初めてその産出地を確認した。現地の人は、あれはボルキシだといい、日本へ輸出していたという、何のことか、最初、なにを言っているのか、分からなかったが、アルミの原料だと聞いてなるほどと思った。

 

 しかし、今は輸出ストップ、採取もストップしているとか、日本は今は、どこから、輸入しているのでしょうか、そこまでは知らない。

 山が真っ赤になりジャングルが消えてゆく、自然破壊の典型です。掘れば掘るだけ限りなくボーキサイトは産出できるそうですが、さすがに政府も中国やベトナムへの輸出をストップし、掘削もやめさせた。聞くところによると、この採掘に関してもかなりの贈収賄の疑いがあるという。

 

 今は、漁業の町になっている。私は観光地として開発したらいいと思う。このマングローブの島々を多くの人に紹介したらいいと思う。

 

 夕方になると西海岸の広場にプラスチックの椅子と机がどこからかわいて出てくる、1Km長さで、幅が5m〜30mくらいある椅子の数はざっと来て千以上はある。カキリマが道沿いに並ぶ、ジャグンバカール マサック、ミーバソ、サテカンビン、アヤム、オタックオタック、ナシゴレン、ミーゴレンなどなど、一般的なインドネシアの食べ物と飲み物の店が並ぶ。家族ずれ、恋人、若者同士、こういう姿をみていると、なんだかんだと言っても、多くの人は満足しているように見える。

 

 スホイに関して、19:00 ぶつかった崖の下へ落ち始めているが、まだ、3km以上ある散乱地に到達をしていない。道がないので先ず道を切り開かなければならない。今日は行動を止めたそうです。乗客のほとんどは、インドネシアの航空会社の地位の高い人でしょう。

 

サラック山(2200)のすぐそばの1800mに激突300mほど下に散らばっているという。11日17:00まだ、落下地点に到達していない、遺体を発見などということはないし、落下傘が降下したなどということもない。降下できる場所もない。ヘリコプターのフォバリングで人を下せる場所でもない。遺体を発見してもヘリコプターが待てる場所まで運び出す必要がある。

もし遺体を発見したとしても肉の破片のようなものだから、一人とか二人とか断言できることはないと思う。御巣鷹山の事故とは比較にならないほどの激突状態で、世界貿易センターへ突っ込んだよりも木っ端みじんだと思う。

 平和 自然破壊 漁業

 

5月11日 (^_-)-旅の印象

 チカランの家へ戻っている。

シンガポールドルとコンセントには戸惑う。ルピアで支払いはできるし、マネーチャンジャーも町のあちこちにある。コンセントのアダプターも売っているが、ホテルに言えば貸してもくれる。何も困ることはないが、何故こんなにシンガポール優先なの?と思う。 バタムやビンタンの宿泊客の80%以上はシンガポールかマレーシアからだそうです。そりゃそうだ、近いし、それらの国より物価が安い。話はそれるが、昨日のタクシードライバーが言っていた。シンガポールやマレーシアからくる男どもは女買いが目的だとか、町から外れた山の中には、ジャワバラットから出稼ぎにきた女性をホテルへ送り届ける部落が、点在しているらしい。

タンジュン ピナンとキジャンを往復している間にここを曲がればそういう部落がある、行ってみるか?と、三か所で言われた。残念かどうか、私には係り合いがないことでした。

11:10バンダラ キジャンからテイクオフ、スホイ事故は山岳地帯(2200m以上)を通過してプラブハンラトゥまでは山ばかりだから、不時着もしにくい航路だが、キジャンからスカルノハッタは海の上だけです。高度を下げても激突する場所がない。そういう意味では事故による心理的に不安を感じることは全くない。

魚も豊富、ボーキサイトの露天掘り、小さい空港だがあちこちにハンドホーンのチャージ用のコンセントが備えてある。これは日本より進んでいる。

ビンタン島はボーキサイト、バンカ島、ブリトゥン島には錫と鉛、カリマンタンやスワウェジ中心に原油や天然ガス、スマトラを中心にゴムやパームヤシ、農産物、海産物は豊富、こんな恵まれた国はないと思う。掘れば出てくる、掬えば網に入ってくる、果物はどこでももげる。

それなのに、なぜ貧富の差が大きいのでしょうか。富の配分が不公平だからだ。やはり、汚職の問題に尽きるでしょう。教育にしても医療にしても、まず機会均等をすればいいと思うのだが、その資金は、組織の末端へ到達する前どころか、組織の中途で消えてしまうシステムになっているからです。

今回も旅をして見たことは、橋を架ける工事が止まっている、いつ完成するのか、聞いても、知らないという。立派な建物が完成している、しかし、使っている気配がない、何のために建てたのかと聞いても、知らないという。日本のダム工事の中断や原発の再稼働反対とは原因+が違う。インドネシアは、行政と業者の癒着が原因だからです。私がインドネシア語を話せると知ると、うっぷんを晴らすように汚職のことを話す人が多い。教員も一般公務員も、私のところまで、お金が回ってこないという。汚職もハラムでしょ、宗教省管轄の宗教裁判所で裁いたらいいと思うのだが、自分で自分の首を絞めるようなものだから、そうはしない。食品に豚から抽出したエキスが0、05%含まれていと言って回収や賠償を命じたりするのに、何故、汚職を裁かないのでしょうか。自浄能力の欠片もない、ということでしょうね。

1時間遅れの13;00にはスカルノハッタを後にしてチカランへ向かった。