海岸の景色は素晴らしい、人がいないところは、もっと素晴らしい。ジャカルタから家族連れの旅としては、最大のお勧めです。今回は、一泊二日だったが、ちょっと窮屈。二泊三日で行ければ、なおいい。航空運賃は70万Rp(スリウイジャヤ)で安い、国内便は、液体機内持ち込みはOK。
ホテルは、散策やショッピングをしやすい、町中がいいともう。
3月15日 (^_-)-☆ブリトゥン 2979 日本からのお客さんを二人連れて、ブリトゥンBelitungに来ている。仕事の具合によっては、キャンセルかと思っていたが、幸い、平日、会社を離れることができる雰囲気になっていた。ブリトゥンは、三度目である。
4時半に家から出発、ジャカルタで友をピックアップし、空港へ、8;30発 スリウイジャヤは、 ターミナル2である。一晩車を泊めるので、それ専用の駐車場(pakir inap)に駐車、こちらも時間単位だが、単価が安い。ターミナル1,2へ曲がらず、タ-ミナル3方向にまっすぐ行くと、ちょっと、分かりにくいと思うが、PARKIR INAPの看板が出てくる。ゲートで、HPの番号を聞かれる。適当に駐車し、ゲートの方に戻るとその左側に、各ターミナルへ送ってくれる車を待つ場所がある。小型の数人以下の乗り物、乗ると、使う航空会社を聞かれる。そのターミナルへ送ってくれる。私はタクシーを使うより、ここに止める方が安いし便利だと思う。
9;40 タンジュン パンダン空港に到着、出ると、すぐ右にタクシーのカウンターがある。北の灯台をはじめ、観光地を案内してもらって、最終は、街のホテルまで送ってもらう。それで幾らか、夕方の5時ごろまでで、50万Rp、それでOK,すぐに北に向かった。
船乗り場がある海岸に着いたには、11:00 途中、錫など鉱物資源露天掘り地帯を通る。4つの島めぐりと、昼食、シーフードセット、シュノーケリングセット、ライフジャケットそれぞれ二人分、合計88万RpでOK,
以前と同じなので、私としては、感激も薄れているが、連れにとっては、天国のようだ、と思う。天気もまあまあ、途中、ひと泳ぎをした。ここは、インド洋ではない、波はおとなしいものだ。パンタイ ティンギ、ここが、ラスカル プランギの撮影の場所の一つ。とにかく、大岩の芸術的配置には、何度来ても、素晴らしい景色だと思う。
18時過ぎにホテルに入る。丁度サンセットの時間だった。しかし、このホテル、WiFiが使えない。失敗だった。
灯台がある島、大岩の間から、灯台を望む。
サンセットが間もなくの海岸。
ブリトゥン 観光 素晴らしい
3月16日 (^_-)-☆夢中の二日間 2980 ほとんど半日のジャランジャラン、まず、ラスカル プランギの撮影学校へ行ってみる。雰囲気が以前と全く変わっていた。俗っぽくなっている。以前は、撮影学校の他に何もなかったが、今回は、土産物屋やワルンが10軒ほどある一角が出来ていて、そこが駐車場になっていて、そこを通らないと、学校へ行けなくなっている。結局、以前は学校の下の方から出来損ないのような門(校門)をくぐって学校に近づいたが、今回は横から入っているので、その門までは、降りて行って改めて上る。それと、以前にはあった、校舎の左側の建物が無くなっていて、新たに休憩場所が作られえ、分校の雰囲気を壊している。
そういえば、泊まったホテルに面する海岸、遠目にはきれいに見えうるが、近づくと臭いし、油汚れやプラスチックのゴミが埋まっていて、とんでもないことになっている。多分、数年間ホテルからの排出水やボミで、かなり汚染されている。折角の自然が売り物のブリトゥン、行政は、何とかしなければならないと思う。汚染はそこに限ったことではない。アンドレ ヒラタの博物館?へ行った。会館前だったので、直ぐ近くにあるという、アホックさんの記念館へ行って見た。その向かいに彼の母親が住んでいる家があった。彼は、ブリトゥンの出身だったのです。それなら、なおの事、スハルトの息子のトミーが広大な土地を所有していて、ゴルフ場やホテルを造成中だというから、なおの事、彼らが。先頭に立って、島の汚染防止と浄化を進めてほしいものだ。
現在の雰囲気では、島の環境が悪化するばかりだ。近い将来、日本人に勧めたくなくなる。
今回の旅で、色々な不満はあったが、あっという間の二日、日常にない雰囲気の中、十分に満足。気分は若返りだった。pura-pura
kembari ke mudah それでも。体中が痛むし、疲労困憊だ。
ブリトゥン、タンジュン パンダンの空港ターミナル。
順調に進んでいる?空港LRT。
タマン アングレック このときは夕暮れ前、手前1kmくらいから、大渋滞の始まりだった。
旅 堪能 若返り
車の宿泊 迎えとわかりにくい道 ワイファイ マチェット
ホテルのワイファイ、使えることを確認し、止まることにした。フロントでパスワードも教えて貰った。そして、部屋で接続してみた。繋がらない。フロントに電話で聞いたら、修理中だから、10分ほど待ってほしい、できるようになったら、電話するから、と言われた。一向に電話が掛かってこない、30分後に試してみた。ネットワークなし。また、電話した。故障をしているという、いつ治る予定か聞いた、いつになるか分からないという。私が持っているスマートフレンのモデムは、圏外としか出てこないから使えない。結局、ネットに繋ぐことが出来なかった。最後の最後、空港でもネットワークなしだった。
ジャカルタに戻って、先ず、車の宿泊場からの迎えの車について、何処で待つのか案内に聞いたら、決まった指定場所はないという、呼べばいいという。駐車チケットに駐車場に掛かりの電話番号が書いてあるから、そこに電話して呼び出すと言われた。そのチケット、車の中に置いてきたので、持っていない、と言ったら、それじゃ、だまだよ、持ってこないのが間違いと言われた。誰かを送ってきた通り掛かりの車を捕まえるしかないという。それも、到着フロアーで待てという。どうも変、送ってくるのは二階の出発フロアーじゃないのかというと、いや、下に来るから、過去で待てという。一向に、通らない、来ない、40分ほど待っていたが、待ちきれずに、彼らを無視して、二階で待つことにした。二階でも、掛かりに何を待っているのか聞かれ、先ほどと同じことを言われた、しかし、待つしかない。30分ほど待って、やっと来た。外に出て、1時間以上、イライラさせられた。電話して迎えに来てもらうシステムなど知らない、聞かされていない。普通は、シャトルバスの後場と同じように、駐車場からの迎えの車を待つ場所を作っておくと思う。そんな場所かない。
駐車チケットは持って出るのが当たり前だとも言われた。日本のように、買い物をすれば、無料になるなどのシステムなら、持って出るが、インドネシアには、そういうサービスはないから、持って出ることはない。車を盗難されて、チケットがあれば、外に簡単に持っていかれるでしょ、駐車券は車の盗難防止の為に持って出るのが当たり前と言われた。なるほどと思うが、車の盗難など、私の周りで20年以上、聞いたことがない。それより、決まった待機場所がないなら、迎えに車を呼び出すシステムなら、そのことを、チケットを渡すとき言うのが常識でしょ、と言ってやった。運用して、多分、半年以上過ぎると思うが、足りない部分が沢山ある。インドネシア人は、問題ないのでしょうか、不思議だ。
16時半に外に出て、18時前にやった、駐車場から脱出した。それから、ジャカルタ方面に向かい道が分かりにくい、新しい道だが、案内の看板がない。とにかく、山勘で、道を選んで進んだ、LRTの線路に突き当たり、線路沿いの道に出た。どうも、方角が反対、しかし、一方通行、戻れない、レールの反対側の道は、向こうからの一方通行になっている、あちらの道に行かなければならないと思っていた。すると、500mほど先で、その線路を跨いでUターンするように、陸橋の道が出来ていた。ぐるっと回って、先ほどと反対方向(ジャカルタ方向)になった。そして、先ほど線路沿いの曲がった、突き当りの場所も通り過ぎて、100mほどのとことで、やっと、右折、ジャカルタ方向という看板があった。不思議な事に、何故、先ほど線路の突き当たった場所に陸橋を作らないで、500Mも離れた場所に陸橋を作ってUターンさせ、合計1km以上も遠回りをさせなければならないのでしょうか。相当な無駄使いだと思うし、時間や燃料も無駄になるのに。
今度は、渋滞の心配があった。ウイークデー。渋滞は覚悟していた。タマン アングレックのずっと前に大渋滞にハマった。北回りをしようか、迷ったが、グロゴール側を選んだ。20時前にはジャバベカに着くかな、と思いながら、渋滞の中に入っていた。
スマンギまで1時間、そこで、友を下して、ブカシバラットまで2時間、もう20時を回っていた。家に着いたのが21時過ぎ、クラッチを踏む足は、良く、釣らなかったと思う。とにかく、全ての出口の手前では渋滞になる。出口を過ぎると、少し流れが速くなるが、しばらく走ると、また、出口に手前の渋滞になる。
ということで、一日中、PCを開くことはなかった。家に戻って、やっとブリトゥンの投稿が出来た。もう、22時(日本時間0時)ちょっと前だった。やっと、その日に、間に合った。
楽しんだ後の大試練だ。平日のジャカルタは、とんでもないことになるから、絶対に行きたくないが、今回は仕方がなかった。
パンタイ ブキット ティンギのほんの一部。
この海岸、素晴らしい景色、しかし、遠浅の海岸は汚染せれていて、色が黒っぽいし、臭い。歩いてみようとしたが、歩ける状態ではなかった。
ヒラタ美術館(記念館)どぎつい、配色のオンパレード、ヒラタ氏がこれを認めたのか、彼の考えなのか、以前の素朴な自宅のままの時の方が私は好きだったが、今のペンキ塗りの家や周囲の壁は、気分が悪い。彼の作品は,“二十四の瞳“を、模したと言われても仕方がないような内容だが、その世界と、今の展示場の雰囲気は別の次元というか、世界だ。彼の本心が今にあるとしたら、ラスカル プランギは、いったい何なのだろうかと思う。やはり、本当に彼の作品その物かどう疑いたくなる。それに、彼の作品で、これ以外の物を聞かない。
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http://otaenplaext.net/newpage49.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html 前々回
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html
今回の写真集は作らない、以前の写真集をご覧ください。
汚染 不十分 俗っぽい