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Pangandaran 2015 9
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9月24日  パンガンダラン 2443 スコットランドとの試合、12−7まで見て、ペナルティーをたくさん取られているなと思っていた。そこで、見るのを止めて、パンガンダランへ着いてから確認した。何と、大負けでしたね。7点の後、3点しか入っていなかった。これも、又、ショックでしたね。

 

オジェックの詰め所にも誰もいない。昨日夜中までドンチャン騒ぎをして、今朝は、明るくなってからモスジッドへお祈りに行くのです。

早朝、出発、犠牲祭で今日は休日、明日を休みにして、4連休の会社も多い。一か月前までは、この連休に、会社を引っ越すことになっていたが、止めになったので、パンガンダランに行くことに決めていた。この前は、いつだったでしょうか。4月1日からでした。以外に道は空いていて、所々の道端近くで、カンビンやサピをさばいている姿が見られた。その、通りがかりも、渋滞にはなっていなかった。多分、イドゥル アドゥハの一連の行事が終わって、昼過ぎから、出発する人が多いと思う。午後は各地で渋滞したに違いないと思うのだが。

 

ここパンガンダランは、昼過ぎでも人出は閑散としていた。到着が夕方過ぎの人が多いと思う。滞在しているホテルも昼は、私一人だけだった。夜になっても、30以上ある部屋、私以外は入っていない。

 

そして、夕方の西海岸、人っ子一人いない。

 

気になる。ちょっと、解せない現象が起きている。普通は、600前後、最低200位、最高でも1000回はいかないコネクトがある私のブログ、18日3100回、23日4000回のコネクトがあった。その前後は、やはり、600回前後である。8月に一回1100回、7月には1100回以上が三回あった。それでも多いと思っているのに、今月は、3000回以上と4000回以上である。異常である。特に、多くの人が検索したがる言葉があるとは思えない。どなたかが、私が書いたことに興味を持って、全部に近い文章を一日の内に、開けて、目を通しているとも思えない。何が何だかわからない。

 

サウジへのハジ、また、また、大事故ですね。密集した群衆が、なぜ、パニック状態になるのでしょうか、聖地へ行ってお祈りをしているのに、踏みつぶされ、押しつぶされ、殺されてしまう。これも、異常ですね。クレーンが倒れて、百何十人も亡くなり、見舞金二千万円近い金額を、サウジの政府が遺族に渡すという話があったばかり、今回は、今のところ700人以上の犠牲者、見舞金はどうするのでしょうか。誰の責任にするのでしょうか。今日は、犠牲祭、本来は、人間が犠牲にされたのを、動物に換えたらしい。今回は、人間が犠牲になってしまった。聞くところに依ると、過去にも何回も圧死事故はあったらしい。大勢が集まる場所には、いかないで、遠巻きの位置にいた方がいいですね。

不可解 圧死 巡礼

 

 

9月25日 会えなかった 2444 チャガールアラムを四時間ばかり歩きまわったが、ラフレシアに会えなかった。残念ながら、私に匂いセンサーは、反応しなかった。ガイドも一度も感じなかった。それでも、経験で、今まで、会ったことがある場所で、又、会える確率が高いことが分かっているので、何か所かで、匂いを求めて、登り降り、かき分け,かき分け、滑って転んで、付き指をし、すり剥き、頭を打ち、72歳近い、じいさんがやることではないなと思いながら、捜しまくったが、ついに、恋人にまたもや、会えなかった。期待は見事に裏切られた。蕾の小さいものをちらっと見た。 

Ini Peta Pangandaran Orang Pangandaran silahkan print dan copi

http://otaenplaext.net/newpage22.html

パンガンダランの地図、 Map of Pangandaran

http://otaenplaext.net/newpage33.html

 Saya ketemu 10 lebih Raffresia Patma di Cagar Alam Pangandaran. 16 tahun yang lalu pertama kali masuk situ. Sujak itu 60kali lebih masuk.. Saya ketemu bunga bangkai begini banyak adalah pertama kali. Silahkan lihat photo saya. Arigatoo

 

枯山水になっていた。聞くところに依ると、本当かどうか、3カ月以上、一滴の雨も降っていないという。完全に乾燥していて、枯れ葉もかさかさで、滑り安い、沢という沢は全て干上がっていて、オタマジャクシもミイラになっていた。パナンジュン滝、完全に、水が消えていた。以前、雨季の時の水量が異常で、こんなことは、初めてだと書いたことがあるくらい、見たことが無かった場所に滝が現れていたことがあったが、今回は、その真逆で、今まで見たことがないほどの乾燥状態だった。歩くところも地割れが多かったし、普段は歩かない、枯山水の沢を歩いた。
 

乾季の方が、会える確率が多いし、咲いたラフレシアは若干長持ちをすると聞いている。しかし、乾季も終盤、余りにも感想が厳しいのでラフレシアも蕾の内に枯れてしまったのでしょうか見つけた一つの蕾の隣に枯れた蕾がくっついていた。

 

どうも、人出が今一の様で、今日の夕方、サンセットの頃も閑散としていたし、泊っているホテルもガラガラだ。パサールイカンの前を夕方通ったが、ここも、駐車している車が少なかった。

 

東海岸のサンライズ、西海岸のサンセット

元気 疲れ 骨折り損

 

9月26日 歩きまわる 2445 特にいってみたいところもないので、パンガンダランの首根っこの部分を歩いて回ることにした。いつも、車でスッと通り過ぎてしまうので、ゆっくり、様子を見ることはなかった。網の目のように張り巡らされた道の全てに、ホテルやロスメン、プンギナパンがあり、コソン(空き室)の札が出ている。車ではすれ違えないどことか、入ることができない、狭い道の奥にも、泊る場所がある。

 土産物屋も同じだ。体を横向きにしなければ通れない道にもある。それでも、まだまだ、増えるようで、建設中、増築中の施設が目に入らない場所はない。

 東海岸の地曳網は、毎朝、海岸道路を塞ぐようにして引いている。10年くらい前まであった海岸が消失してしまって、こんな状態になってしまっている。

  西海岸は昼間でもととろどころで地曳網を引いている。500mのロープだそうだ。2時間半掛かるという。収穫と言えば、気の毒に思うほど微々たるもの、大きな魚はいなくなったという。

ライフガードの事務所へ久しぶりに行ってみた。2006年だったと思うが、津波が押し寄せ、500人ほどの犠牲者を出した。その時の様子の写真が多く張られていた。私たちは、こんな活動をしているという表示だ。イピン君、彼とは、10年以上前にチャガールアラムへ一緒に入ってラフレシアを捜しまわったことがあった。彼が、説明をしてくれた。私が、ライフガードのユニフォームのスポンサーの一人だった事も、彼は、覚えていた。

   昨日の夕方とは打って変わって、人が湧き出していた。本日、夕方6時前の西海岸の人出です。凄いでしょ。泳ぐ人は一人もいない。少数に人が、発砲スチロールの板で、戯れているだけ、他の大多数は、写真を取っている。只、立っている。単に眺めている。砂遊びをしている。男も女も日本で言う水着を着ている人は一人もいないし、ジルバブをしたままの女性が多い。

  こういう雰囲気の中で、海岸端でじゃれているインドネシア人を尻目に、私だけが、沖へ向かって、泳ぐことが多かった。100mくらいまでは水が引いた時には足が付くほどの遠浅だが、沖で泳ぐことは禁止なっている。私は、ライフガードに断って、2〜300m沖で、プカプカ浮きながら、海岸に沿って泳いでいた。パシール プティーへ向かうボートが時々、私の傍を通る。それを、監視していて、もし、助けを求めたら直ぐに救助に来るように頼んであった。一回だけ、頼みもしないのに、数人が、私に向かって、競争をするように、向かって来た。私は、もっと、沖へ逃げたが、直ぐに捕まってしまった。訓練のつもりだった。彼等は直ぐに海岸に戻ったが、私はゆっくり戻った。そんな事も、イピン君は覚えていた。今は、流石に、足がつることを心配して、沖へ出ることはしない。

 湧き出た 大混雑 ブラブラ

9月27日  ランチャール 2446 順調という意味です。仕事や交通などによく使います。

一応、四連休の最終日なので、午後の渋滞を避けるために。6時には、パンガンダランを出発した。家に着くまでランチャールでした。

  道中は順調で、途中10時過ぎに、レストランに依って、本当に、久しぶりにイカン グラメのゴレンを注文した。イカン マスと共にインドネシアでは代表的な淡水魚です。ナマズと共に、ほとんど100%養殖です。日本人にとっては、ちょっと臭みを感じると思う。インドネアシア人は一般的には、サンバルと共に食べる。私はケチャップ マニスを付けて、臭みを消して食べる。美味しいですよ。ゴレンにした時の盛り姿を各レストランは工夫する。立体的な姿にする場合も多い。バカールかゴレンで食べる。この一匹をたいらげた。ナイギレン半分を頼んで食べて、5万Rpでした。

棕櫚(シュロ)を知っている日本人は相当の歳より、私の家は荒物屋でした。箒や羽毛を売っていた。藁や竹で作った者より高給で、庭ではなく座敷で使われていたと思う。その材料は、シュロと言っていた。南国から来た材料ということも知っていた。実際、収穫や集積を見たのはインドネシアでした。ヤシの木、全てかどうか知らないが、椰子の木のような木の高いところの葉っぱの付け根辺りに、こんなものがくっついている。タシクとチアミスの間の山道に脇に積まれているのをよく見かける。今でも、インドネシアからかどうか知らないが、輸入されたシュロで色々なものを作っている人もいると思う。

以前、私は、箒と羽毛と玄関の敷き物を日本へ土産として持っていたことがったが、飾られているだけだと思う。

 旧日本軍が作らせたと思われる鉄道用の橋、今使われている物と、使われていないもの、信じられないと思うが、この小さな橋の事を近所の人は、テッキョウと言っていた。食事時間を込みで8時間掛からない2時前に家に到着、洗濯をして、疲れて直ぐに寝てしまった。起きたのは19時を回っていた。同じことをしていても、ゆかれ疲れ方は、増しているようだ。と思いながら直ぐ寝てしまって、目が覚めたのが01時を過ぎていた。

 そろそろ、最後と思いながら、又、行ってしまったパンガンダランでした。雨季に入って暫く、ということは、12月の初めに、また、行けたら行ってみようと思う。それとも、コタキナバルへもう一度か。

シュロ グラメ チャペッ