2018年2月25日 (^_-)-☆KLへ 3327 日の出と同時、6:20 ティーオフでゴルフ、11;30前にはシャワーを浴びて、ゴルフ場をあとにし、一旦、家に戻って準備をし、会社へは12;30に入って、タクシーを待った。
13;30には、出発、日曜日といえどもジャカルタや空港までの渋滞を軽く見られない。フライトの時間は、19時過ぎだが、早くついているに越したことはない。で、どうだったか、順調すぎて拍子抜け、15:00前に着いてしまった。久しぶりにタマンアッグレックの前を通過した。
時間つぶしに、ソラリアに入って、食事をしながらPCをいじっていた。3時間ほど前でもいいかと思い。X線を通過して、中に入った。カウンターがない。聞いてみたら、エアーアシアのドメスティックだという、インターナショナルはターミナル3だといわれた。変だなとは思っていた。愛内板に、私が乗るはずの便がない。ただし、エアーアシア意外だが。当然、行く先が外国の便が沢山ある。当然だ。ターミナル2は、本来、インターナショナルターミナルだ。すぐに、第三に向かおうとしたが、すぐ来るはずのシャトルバスが一向に来ない。出発の2時間ほど前になってしまったので、空港内の巡回タクシーで移動した。5万Rp。
直ぐに。ボーディングパスのカウンターへ行ったら、発券機を使えと言われた。行ってみたが、方法がわからない。側にいた手伝いの人にすべてをやってもらった。いろいろな場所を押したり、アルファベットのボタンを押して、やってくれたが、私じゃできない。後ろに待っている人がいなければやってもいいが、結局、人を呼ぶことになりそうだ。
イミグレを通過して、ゲートに着いたのが1時間前だった。余裕をもって早く出て、余裕だらけで、行動していたが、結局、なんだかんだで、いろいろ尋ね、何やら、余裕がなくなっていた。おまけが、ディレイ、なかなか、搭乗の案内がない、結局、50分ほど遅れた。なにも、慌てることはなかった。
飛行は順調、KL空港には23時過ぎに着いた。日本とジャカルタの真ん中の時間帯、バリと同じなのが面白い。経度的に言って、かなり矛盾していると思うが、どうでもいいか。
空港が広い、まず、イングレに、入国カードがない。カウンターでは、顔写真と指紋の撮影がある。簡単だが、人によって、時間のかかり具合が違う。何故か、ありがとうと言われた。
次はタクシー、タクシー乗り場は一階、イミグレは二階だった。マネーチェンジャーも二階にあった。そして、迎えの車もその階の外にあった。案内板にタクシーは一階と書いてあった。リフトで一階に降りるとすぐタクシー乗り場が、見つかった。そこへ行って、タクシーに乗ろうとしたら、チケットは?と聞かれた。なにそれ、中にカウンターがあるから、そこで、行く先を言って、払ってチケットを受け取ってから、ここに来なさいと言われた。めんどくさ!戻って、ホテルのフォーチャーを見せて、80なんぼリンギッドを払った。
そして、やっと、タクシーに乗れた。2000円ちょっとだから、そう遠くないと思ったら、高速を40分くらい走った後に、市街地へ入った。高速代は3回払った。インドネシアと同じようにすべてカードだった。合計15RMくらいだった。そして、チケットの80RMには、その料金も含まれていたのだから、安い。私がマレー語を話すと、運ちゃん、マレー語の方言なのだろうか、一部しかわからなかったが、いろいろ説明してくれた。ホテルにも、迷いわずしっかり送ってくれた。
24時を回ってチェックイン、マイホテルという名前のホテル。いきなり、おそかってね。カツオさん、と言われた。何やら、タックスだという。10RMを払ってほしいといかれた。今年から、皆さんからホテル税を請求することに税制で決められたと、申し訳なさそうに説明していた。そんなこと、別に、構わないのにと思ったが。
しかし、よくやるね。早朝からゴルフ、そして、右往左往したが、その日の真夜中にはクアラルンプールのホテルに潜り込んでいる。
疲れ ドタバタ 右往左往
2月26日 (^_-)-☆KL泊り 3328 本当は、コタキナバルにいることになっていた。しかし、思うようにいかず、空港から戻って、Jl,bukit Bintangのホテルに潜りこんだ。一泊150RM朝食はつかない。ちょっと高い気もするが、賑やかな、繁華街なのでこんなものかと思う。ホテルのそばにあるレストラン街。
マイホテルを8時半ごろタクシーで出発、インドネシア大使館までは、地図上では近いように見えたが、行ってみると、歩ける道はなく、ほとんど車だけしか通れない道だった。それでも10分ほどかかった。どうも、朝の渋滞だったことと、一ポイ通行の関係で遠回りをしたようだった。9時前に大使館の前に到着、何のために来ているのでしょうか。現地の若い人たちが続々入ってゆく。VUSAの申請場所はどこ、と、三回聞いた。最後に50席ほどある部屋に行った。入ってすぐのところに、順番カードを取る場所があった。そこに、ハンサム青年が、立っていたので、申請に来たと言ったら、ここで、書類をチェックしましょうと言いながら、順番カードも取ってくれた。持ってきた書類を広げると、入国スタンプの場所のフォトコピーがないから、外に場所ががるから、取ってきなさいと言われた。
外に出てみると、いきなり、タクシーの運ちゃんがタクシーかと聞いてきた。次に、コピーか?と他の青年が聞いてきた。そうだといったら、あっちだから、俺が連れて行ってやると言いながら、私も方向は聞いていたから、向かって行ったら、付いてきて、それだけか、一人でか、手伝いはいらないか、としつこい。コピーきのある店の前には、そんな人達が大勢いて、話しかけれ来るので、無視した。
コピーを持ちかえり、関ほどの彼に見せたら、これでいい、順番が来るまで、あちらで待っていればいいといわれ、待った。番号は39。なかなか、進まない。10時半ごろ、やっと順番が来た。書類は、すべてOK,費用を430RMくらい払い、領収書、受領書と先程の呼び出し番号を渡されて終わり。
パスポートの受け取りは、四日後の木曜日、午後2~4時だ。
あの青年に助けられた。出るときにお礼を言う老いと思っていたが、交代していたいなかった。
あそれからが、大変、外へ出て、例の寄ってくるタクシーで市内観光と空港までを頼んだ。17時過ぎのフライトでコタキナバルへ行く予定だった。なんやかんや、あちこちに、聞いやり、頼んだりしたが、パスポートなど、IDになるものがなければ、ダメだった。予想はしていたことだが、大使館の預かり証とフォトコピーでは、ダメだった。がっかり、ショック!
往復航空券とタクシー代1万5千円ほど、無駄になった。そして、さて、どうしよう。そして、いま泊っているホテルで、3っ日間、籠城することにした。ま、コタキナバルへ付けた場合でも、一日前の帰り便にかえなければならなかったし、ここで、待っていれば、時間的余裕はたっぷりで、性分ではないが、とにかく、のんびりできる。
ストレスからだろうか、インドネシアの何を食べても下痢にならない私としたことが、飲食で、全く思い当たることがないのに、若干の腹痛を伴う下痢状態になってしまった。動き回って疲れた。
申請 疲れ 予定崩れkebutuhan
2月27日 (^_-)-☆閉じこもり 3329 昨日の空港へ向かう前のクアルンプール名所巡り、約、2時間の強行が、さすがの私にも、異常な筋肉痛の原因になった上に、下痢状態も重なった。別になにもする必要もないし、閉じこもりを決めた。向かいコンビニへ買い物。カップ麺やパンなど食べ物とコバヤシのアンメルツヨコヨコなるものを買った。
疲れと筋肉痛の原因の多くは、Batu Cavesだった。ここは無料。下から急な階段を上り、上り詰めた場所から、少し下り、また昇って、突き当りになる。巨大な鍾乳洞が、地上に出てしまったのでしょうね。駆け上がり、駆け下り15分で往復した。写真もたくさん撮った。このほかは、料金を支払ってはいる場所ばかりで、外国人は、二倍から三倍払わされた。
Petronas
Twin Towersここは入ったわけではない。下まで行っただけ、ムナラもそうだったが、無駄なことだと思うが、寝転んで写真を取っている人が多かった。これらは、登らなければ、近くへ行っても仕方がない場所だ。ただし。Menara Kuala Lumpurには、展望台迄上がった。狭い場所にオフィスや住宅が集中し、人口密度が高いのでしょうね。高層ビルが林立している。ジャングルだったはずの場所に、緑がほとんど見えない。ジャカルタのモナスからの方が、緑ははるかに多いような気がする。もっとも、道路の面積はジャカルタとは比較にならないほど広いともう。そして、見下ろしても、バイクはほとんど見えない。まるで、日本のようだ。自動車道と思われる道路にバイクが偶に見える。
Musium
Dirajaと
Petra
jayaにもよった。王宮とモスレムだ。なにやら、贅を尽くしている建物、施設だ。あまり、興味はない。ホテルに入る前に、りょっと、周囲を歩いてみた。古いアパートが裏手にあった。向こうの近代的ビルと対照的。
貧富の差を感じた。汚い、臭い、こわれそうな場所も多い。
もう我慢ができず、近所の薬屋へ行って、腹痛と下痢薬を三日分買ってきた。始め二錠、約五時間ごとに一錠ずつ飲むなどと薬剤師が説明してくれた。効くのかどうか、試すしかない。さて、明日は何をしようか。直らなければ、閉じこもりきりか。
それでも、無理にこんなところで食事をした。
筋肉痛 下痢 貧富差
2月28日 (^_-)-☆入院のよう 3330 Cardogan hotelにほとんど籠城。下っ腹が終始、ゴロゴロ言っている。薬の効き目か痛さはないが、トイレには、二三時間ごとにお世話になっている。カップ麺ならぬカップブブール(カップお粥)を向かいのコンビニで買ってきて、二つ食べただけ。一日4000円ほどの部屋代を払って入院しているよう。
https://twitter.com/hiroshionanこの人、大丈夫だろうか、高速鉄道ジャカルターバンドゥンの工事が予定通りに進んでいないことでの風刺画をネットに投稿し、かなり?の騒ぎになっているらしい。この投稿では、彼が謝っている。
今日2月28日は「世界希少・難治性疾患の日」。「脊髄性筋萎縮(いしゅく)症(SMA)」という難病で、私の大学時代からの友人を若くして失っている。あれから、30年くらい過ぎている。未だに、難病のままのようだ。http://otaenplaext.net/newpage136.html 私のプロファイル。お腹の痛みで、全く、孤独な状態で、寝込んでいると、余計なことを考えてしまう。
その中の“無から無へ3”http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0067.html
夕方、6時ころ、少し具合がよくなったようなので、病院から外出のように、表の通りに出てみた。賑やか、しばらく行くと。イセタンがあって、その前にモノレールが走っている。イセタン駅もあった。
なお、ぶらぶらしていたら、ドリアンが目に入った。お腹の具合が今一だが、誘惑に勝てない、これ、25RM、ちょっと前に一万円を両替したら、320RMだったから、25万÷320=800円弱、高!!その場で食べた。それでも、美味しかった。お腹の具合には問題なかったようだ。もっとも、薬は、まじめに飲んでいる。
これは、今、HPのバッテリーチャージをしている図です。このホテルのコンセント、私が知る限りの全ての国のプラグに対応できる形状になっている。日本のプラグにもアダプターが必要ない。ただし、電圧には注意。
HPといえば、3月1日問題がインドネシアにはあるようだ。よく知らないが、SIMカード、何やらどこかに登録しなければ使えなくなるとか。ネットにアクセスできなくなるの?電話機能は問題ないらしい?とにかく、私も詳しく知ろうとしていない。私はSIMカードを使っていない?。毎月の使用料請求に従って、ATMで支払っている。
快方へ ブラリ カップお粥
3月1日 (^_-)-☆VISA受け取り 3331 14時過ぎに、タクシーで大使館へ向かった。直線で1km以下だと思うが、一方通行と渋滞のため30分も掛かった。着くと、この装置の左のランプに、受け取ってあった引換証のGRコードを当てると、Xの№カードが出てきた。48だった。14~16時までの受け取り時間だったが、私が入った14:30過ぎ、私の後から来る人は何人もいなかった。直ぐに、カウンターからの呼び出しが始まった。
渡す時間は短い、どんどん進む、15時過ぎに私の番、カウンターへ行くと、私と番号を見て、担当者、慌てている。日本人だよね、という。渡そうとしたパスポートがマレーシアだった。手元の箱に、渡すはずのパスポートが何通かまだ残っていた。その中を探している、ない!慌てて、奥の方に行って、1分ほどして戻ってきた。あった、あった、と言いながら、微妙な笑いをしていた。良かった。無いなんて言われたらどうしようかと思った。
張られているステッカーを確認し、受取サインをした。ま、2分間くらのことだった。
今回の目的を達成した。ストレスというか、ずっと、緊張が続いていて、心臓に悪いなと思いながら、おまけに下痢と腹痛状態、高齢者にとっては、一寸、過酷だったのかな。冷房が効きすぎの部屋で順番を待つ、首や腰を回したり、筋肉痛の腿や肩を揉んだり、何やかやと、じっとしていられなかった。
日本人と会うことは無かった。当たり前のことだが、マレー人がほとんどだと思う。エージェントに任せて一日で済んでしまうシンガポールでとるのが常識みたいなもの、わざわざ、それ以外の国でとるもの好きはいないでしょう。私は、これが、インドネシア以外で更新は最後になるでしょう。次があるなら、リタイアビザになる。
ほっとして、外に出た。快晴、暑い。ゴルフ時の帽子をかぶって歩き出した。大使館の前の道の向こう側に広大な緑地がある。ゴルフ場だ。歩いてホテルに帰ることにした。お腹の具合も、気にならなくなっていた。
このモノレールの下を右に行けば、ホテルの近くのイセタンに行けることが分かったうえで、反対の左へ行って、行くだけ行って、嫌になったら戻ってくればいいと、ジャラン、ジャラン(マレー語ではプシン、プシン)を続けた。こんな、明るい、暑い風景のモノレールの下を主に歩いた。
小学校に上がる前、静岡駅前で、家族とはぐれてしまった時のことを思い出しながらだった。探したり、交番にいったりしてみたが、なかなか、親が見つからなかった。もういい、自分で帰るといって、チンチン電車の線路に沿って歩き出した。家族が一緒なら、この電車に乗って、安西通りの厚生病院まで行って、そこから、一直線に歩くけだったたら、道は分かっていた。ただ、お金がなかった。歩いた。呉服町通りを行けば、より近いが、電車道なら絶対迷うことはないと決めて歩いた。今のセノバ辺りを通って、県庁前を通って、茶町を通過、家に着いたのが多分、家族と別になってから3時間くら過ぎていたと思う。家族が家の前にいた。私が、どこにいたのか、どこを通って帰ってきたのか聞かれた。私としては、なんでもなかった。このモノレールの下を戻れば、迷わずにホテルに帰ることができる。約70年前と変わっていない。
そんなことを思いながら、歩いていると、一転俄かに、黒雲が覆いはじめ、強風に立木がざわつき始めたと思う間もなく、大粒の大雨になってしまった。雨宿りを繰り返しながら、引き返すことにした。そして、イセタンに着いた。まだ、断続的に大雨が続いていた。ホテルに戻ったのは、18時過ぎだった。体調いい。緊張から解放された。
ほっ 線路沿い 最後
380:10000=15:X X=150000÷380≒400円
3月2日 (^_-)-☆ゆったり 3332 予定では、きょう午前中にコタキナバルから戻って、午後、大使館へ行って、パスポートを受け取るはずだった。予定が崩れて、今日は、ホテルを移るだけになってしまった。徒歩10分くらいの距離、12時前にチェックアウトをし、歩いて、予約済のホテルに移動した。12時15分頃チェックインしようとしたら、2時からだといわれてしまった。さてどうしよう、暑い、カンカン照りだ。すぐ隣にあるマレーシアレストランに入った。インドネシアと何も変わらない。ナシクニンをメーンに、イカン、アヤム、そしてトロールを載せた。ホットコーヒー付きで15RM.約、400円、ま、こんんものでしょうね。
夕方は、ソッ ダギンだけだった。こちらの牛肉は、小さく切ってあるが、それが、硬い、それ以上小さくできないまま飲み込んだ。のどに閊えないように用心深く。半分ほどでお腹がいっぱい、こちらは7RMだった。
それから、どこへ行くったって、行く当てがない。インドネシア大使館前のゴルフ場の価格を調べたら、平日でも380RM,一万円もする。この暑い中、クラブやシューズを借りてまでやる気になれない。2時まで時間をつぶす、さて、“Lot10“イセタンのビルだが、地元の人にはロッテンといった方が分かる。ごちゃごちゃしていないし、涼しいし、トイレもある。なんといっても臭くない。こんな、恵まれた場所かほかになさそうだ。一見、町は、インド、バングラ、パキスタン系の男たちがたむろしているし、彼らが経営している店も多いし、工事に携わっている人も多い、ここには、それらの人が入ってこないようだ。差別意識は毛頭ないが、そういう人たちばかりの中を歩くのは、何となく、意識をしてしまう。
私だけだけではない。カフェでくつろいだり、雑談、商談?をしている人が目につくが、ベンチでぼ~~っとしたり、電話をしたりしている人も多い。混雑はない。十分涼んだ。
マイホテルという名前のホテル、到着した日に泊まったホテルだ。
KLの時間は変。ジャカルタより、一時間早い。経度的には一時間遅い、だから、日の出が8時過ぎ、サンセットが20時過ぎ、どうも、日本やジャカルタの時間と明るさ、暗さに慣れているので、変。
また、小学校に上がる前の事を思いだしてしまった。家の裏に畑がった、ある程度の自給自足のためだった。冬にはサツマイモの収穫が楽しみだった。そして、畑の脇にサトウキビを植えてあった。その気になったときには、折って、被りついて、噛み砕いて、甘い汁を吸った。そんなことを思い出しながら、本当に久しぶりにサトウキビの絞り汁を飲んだ。甘ったるい。こんな味だっかな、と、思いながら。
”旅に病んで夢は枯野を駆け回る”から、今日、初めて、旅先という感じだった。
春節 ブラリ 涼み
3月3日 (^_-)-☆戻ってしまった 3333 チタフィラに戻った。とにもかくにも、目的は達成して、くつろいでいる。9時過ぎのタクシー(TEKSI)で空港へ向かう。何もすることがないから、早めに空港へ行って、空港でゆっくりしようと思った。
通りがかりのタクシーを止めて、空港までといって乗った。90RMだという、いいかという。この金額は高速代約20RMを含む、空港へ送るときは、メーターを使わないだそうだ。その年寄りの運ちゃん,飛ばすこと、結構急カーブが多い、高速だから、体が右往左往させられる、急ブレーキもかける。冷や汗を欠かされたが、無事に到着、着いたのが10時半ころ、余裕がありすぎ。メーターを見ると75RMになっていた。別払いなら95だ。ま、途中、回り道をしてガソリンスタンドに寄ったから、距離は一寸長い。
ボーディングパスは、発券機を使う。パネルに触ると、何語を選びますかとでてくる。日本語を押すとキェックイン手続きをしますか、が、一番上に出てくる,そこを押せば、次々と確認のための画面になる。自分の便を確認し、パスポートを置く場所に置けば、それで済み、ボーディングパスが出てきた。便番号とゲート、搭乗時間を確認すれば終わり。ちょっと、迷うのは、手荷物がありますか、という問いが出てくる。預ける荷物はありますかなら、何も考えないが、手荷物はあるのだから、どうしようと思う。私の場合は預ける荷物はないから、とりあえず,、×を押した。日本語の訳し方が紛らわしいと思った。もし、手荷物があると押してしまったらどうなったでしょうか。
フリーWi-Fiがあるのがいいね。ただし、出発遅れ1時間半、遅れるとの案内なし、搭乗がやった始まったらしい時、 謝罪なし、始まったというアナウンスもなし、とにかく、だんまり通し、客の何人かが、クレームをつけていたが、それでも、乗ってからも、降りてからも遅延についてのコメントなし。日本以外ではこんなものでしょうね。
航空券、ホテル、タクシー、が主で、15万円ほど使った。両替は7万円、空港で300RM余っていたので、土産物を買った。Tシャツが安い、一着10RM、300円しない。従業員向けに、ドリアンずくしの飴やウエアーハウスを150RM程買った、コーヒーは、どんなものか、自分のために買った。財布に乗ったRMは、まだ、100ほどある。
インドネシアに着いて、タクシーで、帰途に、4時間かかった。チャワンからブカシティムールまで、二時間半かかった。ブカシティムールの出口道路で大型車が故障で邪魔していたのが原因。
夕方 明るいうちに通過したので、タマンアングレック、ムナラ レインボー、そしてハラパン キタ(私たちの希望)病院が目に入った。2006年に心臓が時々止まった症状がって入院した病院だ。パラハラから脱出するために、ここへ入院し、真夜中に、空港へここから向かった。
待ち時間が長く、渋滞も長く、緊張もあって、疲れた。
出発 戻り 疲れ