こんな人シリーズ 7 

 噂話の扱い方を知らない 

I君が“インドネシア人と結婚してしまった、二重結婚じゃないの。”という噂があった。ヤマハ、その他十人以上から、「太田さん知っている?」「I君さん大変でしょう」と言われながら、噂を聞いた。勿論、本人は日本に奥さんも子供もいる46歳である。
 カラオケで知り合った女性と同棲同然の生活を始めた。一緒にパンガンダランやヌナカンバンガンへつれていった事もある。スタイルも顔も夜向きで私なら離れる女性だったが、本人は気に入っていて、カラオケでも客として大いに貢献した。背が高く、声が大きいので、ブロックMではちょっとした有名人だったようだ。
 噂によると、その内、家族への援助が増え、敬遠し始めたところ、怖い人が登場し、結婚させられる羽目になり、家族と身近な日本人数人を呼んでアパートでパーティーを催した。その時の日本人から、噂が広がったようだ。
 それは、日本へも伝わったようだ。私が知ったのは一ヵ月後位後だったようだ。

私はHがその噂を知らなければ、事実を知ったとき、直ぐ対応がで出来ないと思い、気を利かせて、その噂があるということを知らせた。そうしたら、こともあろうに、その日のうちに直接、本人に確認した。本人は否定するに決まっているのにである。その上、私が報告したことを本人に直ぐ言ってしまった。その夜、I君から電話があって、「そんな噂は嘘だ」といってきた。当然である。また、「誰がそんなことを言っていた?」と聞いた。私は、噂の元はいえないと拒否した。これで、Iが私に対しへそを曲げた。とんでもないとばっちりである。

Hは情報の扱いを知らない。

後日何回も何人からも、その噂は本当だったと確認した。Hは二重にあほである。日本の本社にも話しが行ってしまい、結局、常務が来て処理をした、そのことについて、私には彼らからの知らせは無いが、行動が見え見えだった。二人からこのことについても、何のコメントもなし。

本人に自覚は無いと思うが、Hは噂の扱いを知らない。私とディッキ君の噂は、間違った噂を鵜呑みにし、何も確認することも無く信じ込み、私に腹を立てた。何人かの人に不愉快な思いをさせた。いい迷惑である。I
に対する対応と、私に対する対応が違うのは何故でしょうか。客観的な判断が出来ず、感情が先にたち、情報を求めようとしない、求める手段を持たないからです。この点でも気の毒です。

こんな人シリーズ 8-1

○ ショック

 元受付のディニさんが私の住処に飛び込んできた。それも、9日の夜中2時半、チャイムがけたたましくなって、起こされ、何事かと出てみたら、Diniがいた。頬がそげて見る影もない、一瞬、誰かわからなかったくらい。私の顔を見たとたん泣きじゃくり始めた。事情は後で聞くということで、なにがなんだかわけがわからず、その時は寝かせた。私も眠かった。                                  

その日の夕方会社から戻って、事情を聞いた。うわさでなんとなく聞いていたが、離婚し、子供二人をスバンの母親に預け、仕事を探しているが、なかなか就職できない。チカランのカラオケで仕事をしたがまったくお客が付かなくて、コス(従業員宿舎、カラオケで用意した下宿のようなもの)の費用さえ支払えない。今いくら持っているのか聞いたら、2千ルピアだった。カラオケの仕事が終わってコスに帰らず、私のところへ来てしまったという。疲れ果てている様子。

 落ちぶれてしまっている。頬がこけ、やつれていた、目がくぼんでしまっている。可愛さのかけらもない。お客から指名されないのも当たり前。見るからに貧相、横に座ってもらいたくないに決まっている。人懐こく、明るくて、ふっくらぴちぴちしていた新入社員当時を知っている私にとってはこの変わりようはかなりショックだった。

冷たく追い出すわけにもいかず、その時はとりあえず、カラオケをやめさせ、すぐに見つかるとは思えないが、仕事が見つかるまで、見ばえだけでももう少し健康的になるまでということで泊めさせてやることにした。  

 しかし現在は、Bandung近くのSubangの実家に帰っている。実際に帰ったかどうかはわからない。

       ○ 続 Dini

14日夜10時ごろ、チャイムがまたけたたましくなり、出てみたら、彼女。子供が病気で医者につれて行かなければならないが、お金がない、助けてくださいだった。

きりが無いのから、今回が最後だよ、と言いながら、病院の費用と交通費分を渡した。15日、早朝にスバンに戻ったようだ。これで終わりと思ったのがまた間違い。

17日 20時ごろ家に戻ったら、入り口前に彼女が立っていた。だいぶ待ったらしい。今度は何だ?「カラオケをやめてしまったので、他の仕事を探したい、就職できるまでお手伝いさんとして使ってほしい。」今1人使っているし、それも、ほとんど仕事は無い。そういうわけにいかないので、日曜日から水曜日までは、部屋を貸してやることにした。生活費の援助も多少しなければならない羽目になった。

 彼女は今25歳、その歳にしてはかなり老け込んでいるし、化粧もいかにも安物でけばけばしい、近づいてくると身を引きたくなる、あまり長くいないことを願う。

  その後、どうしたのか、まったく、音沙汰無し。