2020年7月31日 (^_-)-☆パンダンダラン 4214 6時にチバトゥインターからジャラントールへ入った。順調に車は流れていたが、カラワンバラットを過ぎたあたりから、渋滞になった、それも、時々、停止してしまうほどだ、20分後。4kmほど進んだところで、原因が分かった。路肩と左車線に二列の行列が動いていない。サービスエリアに入る車だ。私は2車線目を進むと、その車線から、一車線に割り込もうとする車が止まってしまっていた。私は中央車線に割り込んで進んだ。そして分かった。ガソリンスタンドが営業していないことが。ガソリンを入れようと、する車で,サービスエリア内の道が一杯になり、入り切れずに、本線上にも行列ができていたのでした。高速に入る前に通り過ぎたガソリンスタンドも営業していなかった。お祈りのためにと、入り口が鎖で塞がれていた。まさかと思ったが、サービスエリアのポンパベンシンもかと思った。
20分ほどのロスで、その後は順調だった、そして、チカンペックの手前からバンドゥン方面、チプラランの高速に入った、ここから、ずっと順調だった。ただし、途中のサービスエリア、一般道に入ってからもポンパベンシンは入れないバイクと車の大行列できていた。タシクマラヤに入ったころ、ポンパベンシンから出てくる車があるようになった。8時半過ぎだ。多分,営業が始まったばかりだったのだと思う。
私も、そろそろ、給油をしなければならなくなった。チアミスを過ぎたところで、反対車線に、空いてそうなスタンドに会って、数分で給油できた。その後、バンジャールまで、どのスタンドも、とにかくバイクが、道にまで行列になっていた。私はラッキーだったようだ。
その他のことは、アンラッキーだった。先ず、いつも泊っているホテルに泊ったことが間違えだった、ワイファイが使えなかった、蚊が多かった。
着いたときは、エリア内ガラガラだったが、昼寝をして、コンビニに夕方、買い物に行った。どこも、混みすぎていて、買いものができなかった。
カラワンバラットを過ぎ渋滞がはじまったころのサンライズ。
ジャラントール、北側から南に、中国高速鉄殿高架が移る工事場所、間もなく、バンドゥン側の駅になる手前、数キロの場所だ。
パンガンダランゲートの手前のモニュメント、青色が相当、剥げて、白っぽくなっていた。私のウェブサイトの表紙とは、かなり違う。
ゲート、どこから、来たのか聞かれた。チカランからと答えたら問題なく入場できた。聞いたところ、ジャワバラットだけOK、ジャカルタもそれ以外からも、入れないといわれた。
今までの、入れられたビルの売店では、賑やかなときにも、客は来なかった、ましてや4か月続いたロックダウン、全く、客はなかった、もう、やってゆけないと、規制を無視して、この西海岸で、店を設定したという、サーフィンインストラクターのラシッド君の考えだ、こういう店が多くなれば、また、排除されるだろうが、私は,以前の、こういう風景が好きだ。近くのトイレに水を使って洗い物をしている。
18時ころの西海岸、最盛期に比べれば3分の1程度だが、それでも、徐々に、人が増えてきたようだ。明日はもっと混むという。8時から、チャガールアラムに入る。
https://www.youtube.com/watch?v=dxvlwX_OaiU
1. Jumlah kasus positif bertambah 2.040 menjadi 108.376 1. 陽性症例数は2.040件増の108.376件。
2. Jumlah pasien sembuh bertambah 1.615 menjadi 65.907 2. 回復患者数は1.615人増の65.907人
3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 73 menjadi 5.131, 3. 死亡患者数は73人増で、5.131人
パンガンダラン 失敗 犠牲祭
8月1日 (^_-)-☆ラフレシアパトゥマ 4215 東海岸から、ヌサカンバンガン島の上のサンライズ。
チャガールアラムの入り口はロックされていて、公園の職員もいない。ロックダウンがここだけ延長しているという。ガイドは全部私を知っている。太田さんから、入って大丈夫だよという、そして、少し、右の奥の方に金網柵があるが、破れているところを教えてくれた。
予測はしていたが、こんなに疲労困憊したのは初めてだった。衰えを痛感した。チャガールアラムに入って、木々が伐採され。見通しがよくなった場所を通過し、急な登りになる,この辺りで、この先、大変なことになるかもしれないと思ったほど、かなり、疲れていた。15分ほど登っただけだった。やっと、第一休憩所に着いて、いつも座る丸い石に座って、水をガブガブ飲んで、2~3分の休憩、もうそれから、ひたすら、無意識に歩くばかりだった。数か月、誰も歩いていないはずなので、以前からあった道がほとんど消えていたし、何か所も倒木で遮断されてたし、乾燥はしているが、枯葉で覆われていて、滑る。
やっと、ラフレシアを期待できる場所に到着し、私は座り込んでしまった。探すどころではない。それに、匂わないから、一緒のラシッド君とイマム君に、任せて、そのあたりを探し回ってもらった。あった!という、言葉はなかった。先に進みながら、私は沢を歩いた、彼らは、その両側、情報の木々が茂る中を進んだ。以前、何度も、その場所でラフレシアにあった場所にも、蕾もなかったし、真っ黒に枯れたもの見つからなかった。ましてや、匂いもなかった。疲れた中、今日も、だめだったかと思いながら、滝の上に出た、とてもじゃないが、途中、探しながら、滝の下に降りて見る気力はなかった。
滝の上で、長い休憩後、来た道と違う、帰る方向、滝にそそぐ水が流れる沢に沿って歩き出した、登りがずっと続く。この途中でも、何か所か、以前、見つけた場所があった。最後の期待を込めて歩き出した。彼らは上の茂みの中を歩く、私は、岩の上を歩く、そして、黒くなってしまった蕾を見た。そして、次いで、真っ黒になった蕾が2つくっついているのを見た。そして、一一瞬、においを感じた、バウーと叫んだ。枯葉を千切って放り投げ、風向きをチェックした。かなり急な登りの林の上の方が風上だった。彼らも匂いを感じ、坂を枝や弦をかき分け登りだした。私もその方向に着こうとしたが、茂みがきつく、直進できない、足が弦や枝に引っかかるし、目の前にはだかる枝や弦を避けたり潜ったり、なかなか進まない、そのうち、彼らを茂みの向こうに見えなくなってしまった。そして、在った、という叫びが聞こえた。そして、開いたばかりだ、という声も聞こえた。
私が必死に、声のした方に登って行った。見えた、二人が、その足元にピンクの塊を見た。彼らは、写真を撮っていた。やれやれ、やっと、たどり着いた。ほぼ、完璧に姿だった、まだ、1日を過ぎたばかりだ。心地よい匂いを感じた。やったね!私も写真を撮り、プアス(満足)、そして、登った場所を下って、真っ黒になった蕾の場所まで戻った。そこでは、その時、匂いは感じなかった。花まで直進で50M位離れていた。さっきは、たまたま、においを感じることができた、ラッキーだったと思う。
もう満足、疲れは益々、酷くなるが、力を振り絞り、二人の後をついて帰路に向かった。そして、今度は東ゲートから出て、レストランに直行、昼食タイム、二人は、実況中継をしながら撮ったビデオを再生しながらの食事だった。二人の久し振りに会ったようで喜びは大きかったようだった。13時を回ったところで、解散した。
ホテルに帰ってマンディをし、すぐに眠ってしまった。17時に目が覚め、サンセットを見に西海岸委行ったが、曇りで、太陽は見えなかった。人出もそれほど多くなかった。ウミさんが売店を持っていたビルの前に妙な立体歩道が出来ていた。自然のママがいいと思っている私にとっては、ビルもこれも違和感を覚える。
部屋に戻って、19時に予約していたマッサージを受ける。新婚のようで、旦那が送ってきて、外で待っている。1時間ほどで終了、10万Rpだというので15万Rp(1000円強)を渡した。大喜びをしていた。マッサージは上手だったと思う、結構。効果はあったと思う。数年ぶりだ、マッサージを受けたのは。
ワイファイが使えない、投稿ができない、文章を書くだけだ。明日、帰る途中、使えるばしぃになったら、一部だけでも投稿しようと思う。毎日、投稿しているので、私のこと、何かあったかなと心配している人もいるかもしれない、と、勝手に思っている。
https://www.youtube.com/watch?v=JBRLQP1gs3U
1. Jumlah kasus positif bertambah 1.560 menjadi 109.936 1. 陽性症例数は1.560件増の109.936件。
2. Jumlah pasien sembuh bertambah 2.012 menjadi 67.919 2. 回復患者数は2.012人増の67.919人
3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 62 menjadi 5.193, 3. 死亡患者数は62人増で、5.193人
ラフレシア 匂い ジャングル
8月2日 (^_-)-☆無事に戻ったが 4216 このパンガンダラン行きは、いろいろな意味で散々だった。最後に参ったのは、帰りの道中。行きは、サービスエリア手前の渋滞以外は、ほとんど渋滞がなく、順調、6時間半で、到着したが、帰りは、バンガールから渋滞がはじまって、ほとんど、平地も坂道も関係なく、全行程、芋虫渋滞。あそこを過ぎれば渋滞がなくなるという場所も、過ぎてもまた渋滞。結局、6時半に出発し、チバトゥインターを出たのが17時15分、10時間45分かかった。
ジャングルを歩き回って、今までになく疲れと足の痛みが酷かった状態での運転、頻繁にクラッチを踏まなければならない。緊張しっぱなし、居眠り運転などの心地よさは全くなし。途中、一か所だけ給油とトイレで、車から降りたが、何やら、自分の歩きが変だった。やっと、家にたどり着いて、車から降りた時には、完全に歩行が困難だった。腿がパンパンに張れているのが分かった。それでも、ラフレシアに会えたことと、友人たちへの手伝いができたことで、この度は満足。もし、ラフレシアに会えていなかったら、滅茶苦茶な旅になっていた。
家について、ちょっと、片付けをした後、直ぐに、ブログの投稿を始めた。1日までの三日分、そして、メールなどの返事をした。20時前に、座椅子に座ったまま、眠ってしまった。
パンダンダランへ行くことは今回が最後にはならないと思うが、ラフレシアを探しにジャングルに入ることはないかもしれない、弱気にさせられたジャングル探査だった。
チェックアウト前の東海岸、サンライズ。
西海岸、ウミさんの場所、カップ麺を食べながら。出発直前、昨日、先端付近まで行ったチャガールアラム、ジャングルで覆われている。
北に向うバンジャールまでの道、朝日を右から受けている、バナナを満載した軽トラック。この辺りは田園風景が左右に広がる。渋滞など想像できない、順調の車は飛ばす。
バンジャールからチアミス、タシクマラヤと、ずっと、渋滞、そして、チレニカラチプラランジャラントールヘ入ったが、渋滞、ずっと遠方まで数珠繋ぎ、路肩車線も渋滞。
チアンペック、ジャカルタジャラントールに入ると直ぐに、渋滞を緩和するために、反対車線(チカンペック方向)の一車線をジャカルタ方向に使っていた。それでも渋滞はなくなったとは言えなかった。
チカランバラットの手前で、ジャカルタまで行く車は、高架高速道路に上って行った。やっと、そこから、渋滞がなくなった
中国高速鉄道の高架陸橋工事の向こうに、日は傾き、やっと、チバトゥインターにたどり着いた。
先日のレバランに規制禁止令が出され、かなりの人は無視して,規制したが、その時、まじめに、規制しなかった人の多くは、この犠牲祭のために帰省(ムディック)をした、その人たちが、戻ってきた。それと、三連休、コロナなど、関係ないと、行楽地に向かった人の戻りが原因の大渋滞だった。
update corona 2 Agustus 2020
https://www.youtube.com/watch?v=qRh1sLVkDPM
1. Jumlah kasus positif bertambah 1.519menjadi 111.455 1. 陽性症例数は1,519件増の111,455件。
2. Jumlah pasien sembuh bertambah 1.056 menjadi 68.975 2. 回復患者数は1.056人増の68.975人
3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 43 menjadi 5.236, 3. 死亡患者数は43人増で、5.236人
日本の新陽性者が一日1500人を超えていますね。インドネシアより多い。現陽性者も減少から増加に向かっている、1万人を越えましたね。どうなっているの?日本は。益々、往来が難しくなっている。
参った 疲れた 痛い
前回の旅、マランをはじめ、東ジャワへ行ったときは,コロナの始まりで、訪れた場所はすべてロックダウンの直前だった、その後,各地がロックダウン(大規模社会規制)になり、どこへも行けなくなった。そして、現在、コロナより経済優先のニューノルマルとかで、規制が緩和され、旅ができる雰囲気になった。ただし、まだ、コロナ渦の真っただ中の旅でした。パンガンダランの友人たちへの経済援助も兼ねた。