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Kalimantn Timur  Kota Berau

2012年4月9日 (^_-)-旅に出た

 今、どこにいるかというと、私にもよくわかっていないところにいる。今朝、08:30頃、家を出て、空港へ向かい、ジョクジャ、バリクパパン経由でブラウ(Berau)

というところです。東カリマンタンでもサマリンダよりもっと北でもう少し北へ行けがマレーシアになってしまうところです。空港へ着いたのが現地時間19:30過ぎだったので、回りが全然見えない、どんなところにいるのか分からない。ホテルへ案内してくれとミニバスの運ちゃんに頼んだら、プンギナパンかという。ホテルとは云わないらしい。灯りが異常に少ない、かなり田舎の町に来た感じだが、案内されたところが、そういう場所なのか、もっと、賑やかな町が在るのか、今のところ、明日になってみなければわからない。

 何故ここにいるのかというと、仕事をしてはいけないわけで、その証拠作りの一環として、旅に出たわけだが、この近くに大変美しい、海と島と湖があると大分前にテレビで紹介されていたことを思い出したからである。透明度がずば抜けていいらしい。それだけである。

 電波の状態が非常に悪い、ネットにアクセスが難しい。ローディングが出来たりできなかったり、出来ても時間がかかるので、写真のアップが出来ない。その点でも、かなり田舎に来た証拠になる。明日、ホテルの外を見れば、どんな場所か想像が付く、どう過ごそうか、それから考える。

 

 とにかく、今は、何もわからない。

 気まま どこ カリマンタン

   4月10日 (^_-)-別人 別世界

1182 面白いですね。3月の終わりまで、とびとびではあるが、日本の大井川のちょっと西、高速道路のちょっと北の会社に往復三時間かけて通勤し、仕事みたいなことをしていた私が、今日は、インドネシアのカリマンタン島の東側のちょっと島から離れた島デラワン(Derawan)に来ている。島より遥かに広いサンゴ礁に囲まれた美しい島です。全然、次元が違う場所にいます。気持ちが良い。自分で同じ人物とは思えない。ここにいることが不思議である。

今朝、09:00頃、頼んだ車で、2時間、東の端の岬の港、タンジュン バトゥという処に着いた。そこから、モーターボートをチャーターし、30分でこの島に着いた。近くに二つしまが見えたが、人が住んでいるのはこの島だけだとか、リゾート地で欧米の若者がダイビングを楽しみに来ている。日本人を見掛けなかった。しかし、日本人もダイビングツアーで偶に来るそうだ。

 

まだ、ムシンウジャン(雨季)だそうだが、今日は、どう見てもムシンクマラウ(乾季)の雰囲気だった。天候は快晴、遠くの雲も良く見えたが、頭の上には雲ひとつなかった。積乱雲とその下に落ちているスコールが遠くに見える。日本には全くない風景である。

海岸にそって小さい島を一周(約、1.5Km)しようと歩いていたら、“老人と海”の老人のような人から、呼びとめられた。一人か?どこから来たのか?一寸ここへ座って話していったらどう?などと言っている。一寸話し始めたら、何のことはない、モーターボートを持っているから、もっと沖の遠くのサンゴ礁の島へ行かないかと誘ってきた。私は、明日行きたいと思っていた島だ。今から行けば夕方までに戻って来られるという。それなら、明日はまた別のところへ行けるので、その誘いに乗った。

その老人、62歳だという。私より6歳以上若い。その人も元気、海が引いていて、桟橋までボートを係留場所から100mほど歩いて引っ張ってきて、私を乗せ、また、100mほど沖まで引っ張って行き、そこから船外機を降ろして、スタートした。私は運転席の横に座らされた。後ろに坐ると船尾が砂についてしまって引っ張れないからである。スタートして、あなたは、酔いは大丈夫か、泳ぎは得意か、と、聞いてきた。おいおい、誘う前に聞くことでしょ、と思いながら、どちらも大丈夫と答えた。それならと、いきなりボートのスピードを上げた。長さ3~4m、幅2m弱の小型ボート、四人乗りだと思う。バンバンすっ飛ばし始めた。ジャンプと落下の繰り返し、酔いはしないが、尾てい骨が痛くなりそう、実際、数時間後には痛くなったしまった。

お陰さまで、各島に着くのが早い、予定では3時に出発で、7時、暗くなってから戻る予定だったが、6時まだ明るいうちに戻った。いずれも、島より遥かに拾いサンゴ礁に囲まれていて、周囲何百mの間は波が全くない、穏やかな湖のような状態、勿論、カラフルな熱帯魚ボートの上からも良く見える。

 

自然が十分に残っている島々で、一番印象に残ったのは、島に囲まれた湖のような海でした。200m幅の陸地上陸し、100mほど登りの階段が在って、100m程の下りの階段の向こうには内海が在る。静か、一人で、飛びこんで泳いでみたい気持ちになった。時間が無いので泳ぎはしなかった。

 

ウミガメの島、海亀と陸ガメでは、インドネシア語が違う。Punyo,Kura-kura(プニョとクラクラ)である。プラウ プニョというのがあって、一周1km位の島。全部が砂浜になっていて、毎夜、カメが10匹平均産卵に来るそうです。その島は管理人がいて勝手に上陸してはいけないことになっている。私たちは特別に了解を得て上陸させてもらったが、昼間なので、産卵を見ることはできなかったが、その場所の埋まっているという目印は何箇所も見ることが出来た。

 

途中、イルカ数匹が魚の群れをとび跳ねながら追っている風景にも出会った。この歳になって、色々な体験をさせてもらった。その操縦の荒っぽい爺さんに感謝である。

 

つい十日前までの私は、抑圧された世界に居たが、今は、十分に解放感を味わっている。しかし、他人に勧めることは出来ない、今回も以前、ロンボックのリンジャニへ登った時の様に、一人で良かったと思う。連れがいたのでは、決してしないことが、出来るのだから。

別人 別世界 南国

 

4月11日 (^_-)-もっと厳しい

1183 三日目、9時にデラワン島を出発し、9時半にタンジュン バトゥに上陸、直ちにグラウへ向かう。グラウからビドゥックビドゥックのダナウ ラブハン チュルミンへ出発、到着したのが夕方6時を回っていた。スピ-ドボートが30分、車が8時間以上の旅でした。

其の厳しさは、きのうのボートのとび跳ね方以上で、尾てい骨の皮膚が完全に一皮剥けてしまってヒリヒリしている。それというのも、目的地へ向かう道の悪い事、半端じゃない。アスファルト舗装は行程の三分の一程度、それも、ジェットコースター並みの急な登りと急な下り、エレベーターの上り下りを繰り返しているような、浮き上がりと抑え込みの繰り返し、それも、上りの頂点の先が見えないので、ハラハラする。三分の二はホそうが無い凸凹道、洗濯板のような飛びはね道は続く、ヒドイのは雨水が溜まってしまった低い場所、ジュルジュルの上に深さがわからない。それも、左右の深さが当然違う。車はダッチロールの繰り返し、シートベルトをしていても座席から浮き上がるし、左右に体が大きく揺れる。そんな道が延々と続く、時速は20km以下である。四時間ほどそんな山道を進んで、下りにさしかかると、再びアスファルトの道になる。海岸まで近い、それまで、パームヤシのプランテーションだったのが、普通の椰子の実がなる、背の高い椰子の木のプランテーション地帯になった。東の海岸に出れば、今迄の辛さを吹き飛ばす、風光明媚な海岸にであう。海岸道路を南下すると綺麗な透明な川に何度も出会う。インドネシアの平地の川でこんな透明のはここだけかもしれない。明日のダナウ チュルミン(鏡のような湖という意味)が楽しみになって来た。

 

良くこんな道を作ったものだというくらいに、只、ひたすらジャングルの中を通る。道が悪い上に、景色など何もない。見えるのは、これでもかこれでもかというくらいのうっそうとした木々だけです。途中に小さな集落が在るが、電線が見当たらない。道路の脇にも電柱は立っていない。普通、道の沿って電線が張られているが、この道にはそれが無い、だから、その道の両側に僅かにある家々には電気が通っていない。何をして生計を立てているのでしょうか、時々、どこから湧き出てきたのでしょうか、子供が道で遊んでいる。不思議な情景だ。

とにかく試練の一日が終わり、プンギナパンに落ち着いている。

 

ガソリンがかなり不足している。どのガソリンスタンドも長蛇の列、バイクは一列では無く5列ぐらいの面で並んでいる。車の最高後尾は3時間待つという。面白いというか、ひどいというか、其のガソリンスタンドの真向かいでポリタンク20リットル、20万Rpで、堂々と当り前に売っている。ガソリンは4500Rpだから20リットルでは9万Rpが正規価格だ。警察が元締めをしていると言っていた。私が、写真を取っていたら、運転手が、制止しながら、そういっていた。

ヒドイ きつい 試練

4月12日 (^_-)-ネット接続できず

1184 Berau(ブラウ)のホテルにいるが、ネットに接続できない。どうしようもない。明日、ジャカルタへ着いてから送信するしかない。今日はあきらめた。

今回の最大の目的地、Danau labuan curmin(ラブアン チュルミン)鏡のような港、とでも訳すのでしょうか、水は石灰岩を通って湧き出ているので澄み切っている上に、高い木々に囲まれているので風が水面を波立たせないようで、鏡のように平らである。

インドネシアには、特にジャワ島では、湧いて出る水自体がすでに茶色み掛っていて、海にそそぐ頃には完全なチョコレート色になっている。代表的なブンガワンソロも清き流れ、と、日本語の歌詞が付けられているが、真っ赤なウソ。清き流れなどどこにもない。途中でも川の中を見ることはできない。

しかし、スンガイ マハカムの上流もそうだったが、この辺りは島が石灰で形成されているので、綺麗な水がどこでも湧き出ている。直接飲める水である。上流に人が住むことを禁止していると聞いた。余りのも澄んでいるので、誘惑に駆られて泳いでしまった。それほど冷たくなかった。多分20℃以上はあったでしょう。石鹸で体を洗いたい、と、冗談を言ったら、禁止されている、と、真面目な顔でそこの人に言われてしまった。泳ぐのは良いが、マンディは駄目だという。

パンガンダランのグリーンキャニオンも石灰岩層からの湧水で、綺麗ではあるが、上流まで生活に依る汚染水が流れているので、ここには敵わない。もっとも、このことが言えるのは、インドネシアだからであって、日本なら、普通にある川の方がよほど澄んでいて綺麗だ。日本なら、観光地になりようがない。

 

観光で訪れる人は非常に少ない。オランダ、オーストラリア人が偶に来るらしいが、日本人が来たという話は聞いていないと、地元のポリスが言っていた。日本にサムライや忍者は今でもいるのか、などと、下らない話しかけ方をしてくるので、今でも、刀を持った人が町を歩いているし、忍者は探偵の仕事をしていると、説明しておいた。

 

返りはまた6時間きっちりかかった。途中、雨が降ったり晴れあがったり、車中の温度調整が難しい上に昨日より明らかに凸凹が増えて深くなっている、難行は昨日以上だった。しかし、一応今回の目的は達成した。

 

プンギナパンへ入ったトタンに停電になった。その上ネットにコネクト出来ない。

 

 澄んだ水 貴重 停電 

4月13日 (^_-)-旅から戻った

11853 5:30にプンギナパンを出発、7:30発の予定が8:30弐なってしまった。スリウイジャヤでバリクパパン、ジョクジャ経由でジャカルタ到着が12:30でした。ブラウ、バリクパパンの東カリマンタンはバリとおなじで、ジャカルタタイムより1時間早い、日本より1時間遅い。チカランの家に戻ったのは15:00、順調でした。

グラウからバリクパパンまでがSJ233でした。バリクパパンからジョクカルタ、ジャカルタはSJ231でした。しかし、同じ期待でクアビンアテンダントもそのまま、結局、ずっと、乗っていたのは私一人でした。おかげで、ケータリングを彼らから3食、受け取って、顔も覚えられ、別れる時には、私だけに、向こうから笑顔でお礼を言われた。と、私はそう思っている。

ネットに接続できずにストレスが溜まっていたが、開放された。ローディングが速いのは、気持ちがいい。

今回行った場所は、とにかく、インドネシアの中で行くところがなくなってしまっているので、無理やり見つけた感じでしたので、かなり難しいところでした。移動に時間がかかったし、その移動の光景が、何もない海の上か、ジャングルの中によくぞ作ったという感じの道でした。事前に一応サテライトからの写真でチェックしておいたが、近ずくとぼけてしまう写真しかなく、それには町や道はほとんど見えず、見えるのはジャングルだけでした。地名もその地図にはなかった。Berauの空港もどこにあるのか衛星写真で確認できなかった。Tanjung Batuタンジュン バトゥという岬の港も確認できていなかった。ビドゥクービドゥクのラブアン チュルミンもネットで名前を知っただけで場所がどのあたりか分かっていなかった。本当に行き当たりばったりとはこの事でした。

それに、島へ行くのに港の地元の人に聞いても、Derawanデラワンという島がどこか知らない。MaratuaマラトゥアKakabanカカバンSanglakiサンラキなどといっても分らない。

かの老人と海の爺さんにDerawanで会ったのがラッキーでした。15:00に出発して18:00過ぎにはその辺りの島を全部回ったのでした。だから、次の日に一日かけてジャングルの中を南下してBiduk-Bidukまで行けたのでした。行き当たりばったりにしては、目的は十分果たした、訪れようと思っていた場所に全部ゆくことができた。

 

こういう場所へ行ってみると、その辺りの人達も地元のことをほとんど知らないことを思い知らされる。ブラウのプンギナパンの従業員にブラウの空港まで何分で行けるか聞いても、知らないという。知らないといわない人は1時間ぐらいだという。実際は15分である。時間とか距離に関して無関心のようだ。何キロメートルくらいあるかと聞いて答えられる人は一人もいない。ATMのブルサマがあるところならどこでもいいから、教えてと聞くと?マークが頭の上に現われてしまう。ブラウは大河に沿った町だ。川の名前を聞いたが誰も知らない。結局、私も知ることができなかった。

そんな中で日本人の爺さんが一人であっちこっちへ行くのだから、どうなってしまうかわからないところが面白いですよ。

真っ暗なジャングルの中を車で進んでいても、不安は全くありません。あるのは、この先がどうなっているのか知りたい気持ちだけです。

写真は、ブラウからバリクパパンへ飛んだ時上空を通過したスンガイマハカム(マハカム川)です。ちょっと醜いが、中央に、去年落ちた橋がまだそのままの状態になっているのが見えますか。下流(上の方)がサマリンダです。大河でしょ。

もう一枚はスカルノハッタ空港で遭った、日本のバス、止めてほしい時に押すボタンがあったので、押してみたが、何も鳴らなかった。

 快感 自己満足 気楽

 

2012年4月14日 (^_-)-インドネシアキニ

1186 カリマンタン チムール(東カリマンタン)はジャングルの中のどこを掘っても石炭が出てくるという感じがする。上空から見るとあちこちに露天掘りの現場がる。マハカムをはじめブラウ沿いの大河にも石炭を積んだ超大型の箱舟をタグボートが引っ張っている姿が多くみられる。石炭を燃料として使うだけではなく、プラスチックの原料や価格製品の原料にしたらいいと思うのだが、それをできる研究が遅れているのでしょう。もったいない話です。

天然ガスも埋蔵量を確認できないくらい豊富にでる。陸にも海にもガス田がる。ガソリンの不足は、買占めと汚職の元になっている。インドネシア政府は家庭や屋台の燃料を灯油からLPGに変えたように、車もLPG車の生産と利用を奨励したらいいと思うのだが、そんな話は全然ない。日本の車メーカーも試作車を作ってプロモーシャンをしたら、インドネシアのためになると思うのだが、その気配がない。

プルタミナは天然ガスのステーションを増やしている。それを有効利用したら天然ガススタンドも容易に増やすことができると思う。

 

スカルノハッタ空港の車のお泊り費用は安いと思う。以前より安くなったような感じがする。チカランの自宅からタクシーで往復すると、ブルーバードで約60万Rpかかる。それに高速代はこちらが出す。

今回4泊5日で20万Rpだった。ガソリン代が20Lは使わないので9万Rp以下である。費用は半分以下で済む。10日くらい泊めれば、同じくらいになりそうだ。

11日に2004年12月に大地震と津波に襲われ10何万人犠牲になったスマトラの最北端、アチェで地震があった。津波はあったが、一部の場所で2メートルと、たいしたことはなかった。地震と津波による犠牲者はなかった。しかし、このとき10人亡くなった。原因はショック死3人、パニックで逃げるときの交通事故で7人亡くなったのでした。この人たちは、地震による犠牲者なのでしょうか。

刑務所の3mの高さの壁が200mにわたって外側に倒れていた。収容されていた人はどうしたか、ニュースでは聞き洩らした。

 

東カリマンタンのBerauから南東6時間ジャングルを抜けるとBiduk-Bidukの海岸に出た。翌日の朝のそこら辺り、たまたま、牛が一頭サンライズを眺めるために海岸を散歩していた。朝日はスラウェジ島の方角から上る。

 天然ガス 石炭 原油
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旅の記録 記憶